不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Polittico Griffoni di Francesco del Cossa

2008-07-29 11:48:18 | アート・文化

「La Lucertola」について書いている時に
参考文献などでトカゲの描かれた作品を探していて、
たまたまぶつかった作品。
フランチェスコ・デル・コッサ(Francesco del Cossa)の描いた
洗礼者ヨハネ像の足元に小さなトカゲが描かれています。
この場合は「信仰」の象徴。

フランチェスコ・デル・コッサ(Francesco del Cossa)は
ドナテッロやマンテーニャが活躍したパドヴァで
芸術家としての修行をしていたと大筋ではみられており、
彼らの影響を受けているのは間違いありませんが、
同時にコズメ・トゥーラ(Cosme Tura)や
ピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca)の
影響も色濃く受けています。

現存する文書に記録される彼の最初の作品は
1470年のフェッラーラのスキフォノイア宮殿
(Palazzo Schifanoia)の「暦の間」のフレスコ画です。
彼がかなりの力を注いだ作品として知られ、
このころ既に、
空間表現や彫塑的で明るい色合いの人物像などに
彼独特の表現方法を発揮しています。
彼が担当したのは3月、4月、5月で、
後期ゴシック様式を引き継いだ
架空の世界にあるような色合いと
厳格な幾何学性が非常にバランスよく調和されています。

コズメ・トゥーラがその生涯にわたって
フェッラーラのエステ家に仕えて作品を残したのと反して、
フランチェスコ・デル・コッサは
スキフォノイア宮殿のフレスコ画を完成させると、
ボルソ公爵(Duca Borso)の支払いの悪さ、
評価の低さにがっかりして
フェッラーラを後にしてボローニャに移住します。
1478年にペストに罹り没するまで
ボローニャで制作活動を続けます。

このボローニャ滞在中に
サン・ペトローニオ寺院(la basilica di San Petronio)
のために作成されたのが
グリフォーニ多翼祭壇画(Polittico Griffoni)。
1473年の作品で彼の傑作のひとつ。
後の時代に分割されて
現在も世界各地の美術館に分散して収蔵されています。
この多翼祭壇画のうち「聖ピエトロ」像と「洗礼者ヨハネ」像が
ミラノのブレラ美術館に収蔵されています。

Francesco_del_cossa

分割される前のオリジナルの形では、
キリスト磔刑を中心に囲むようにして聖人の姿が描かれています。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの影響を強く受けたこの作品は、
非常に壮大な構図で、
明るい色彩で描かれる人物は様々なポーズをとっています。
洗礼者ヨハネの足元のトカゲなどもそうですが、
主題はもちろん副題なども細かく描き込まれているのは、
どちらかというとマンテーニャの作風に近いかもしれません。