不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Museo di Bigallo

2007-09-04 09:45:06 | アート・文化

フィレンツェのドゥオーモ正面ファサードから洗礼堂を見下ろす時
洗礼堂の左手にある小さな建物が
「ビガッロの開廊美術館(Museo di Loggia di Bigallo)」。
Veduta_bigallo
1300年代のフィレンツェの象徴ともいえる建物で
当時は捨て子や病人の世話&介護を行う
大信徒会の本拠地として機能していました。
ドゥオーモが建設されている時代に建てられたもので
美術館内に残るフレスコ画には
正面ファサード建設前のドゥオーモの姿が描かれています。

当時の教会に通う人々が強く願った
社会福祉を実現した建物として
非常に重要な意味合いをもっています。

1244年に殉教聖人ピエトロによって設立された
サンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア信徒会は
1321年にドゥオーモ広場に本拠地を構えて
慈善団体としての活動を開始します。
その当時は現在よりも更に小さな建物を利用しており
30年後の1351年に
隣接する建物が信徒会に寄付されたことを受けて
1352年から拡張工事が始まります。
このときの改築工事の設計は
当時ジョットの鐘楼の装飾彫刻を作成中であった
Alberto Arnoldi(アルベルト・アルノルディ)。
1358年に完成した新しい建物の地階部分は開廊で
祈祷所も設けられていました。
長い間この開廊は洗礼堂とドゥオーモを中心とする
「聖なる空間」への入り口として捉えられていました。
特にシニョーリア広場のほうから
現在のカルツァイオーリ通りを介して
ドゥオーモに来る人にとっては
政治・経済の世界から信仰の世界へ入るための
一種の門のような役割を果たしていました。

Bigallo_cavallo
開廊の上の階に捨て子を保護するスペース。
現在美術館内にある
1386年作のフレスコ画(当時は外壁に描かれていたもの)には
信徒会の責任者たちが
子供たちを養母に預ける場面が描かれています。
また捨て子の介護と養子縁組の他にも病人の救済・介護や
死者の埋葬などの仕事も行っていたことも
美術館所蔵の「トビアの一生」の中に描かれていて
窺い知ることができます。
こうした信徒会の活動はキリスト教信者の義務である
「疎外者、迫害者、弱者、苦しむ人を助ける」
という行為に密接に結びつき
社会の中で欠かせない活動として評価されていきます。

当時のフィレンツェで徐々に力をつけてきていた
商人や銀行家は手に入れた富を社会に還元することによって
神の救済を得られると考えていたこともあり、
教会の修改築以外に
こうした慈善活動などにも惜しみなく金銭をつぎ込みました。
そのためこの開廊部分の祈祷所にも
1361年に全面的に
ブルーの背景に金色の星が舞い散る装飾がなされました。
現在はその一部である主祭壇後面にあった
ナルド・ディ・チョーネ(Nardo di Cione)の
フレスコ画にその影を見ることができます。

1425年になると同じく殉教聖人ピエトロによって
設立されていたもう一つの信徒会
「サンタ・マリア・デル・ビガッロ
(Santa Maria del Bigallo)」と合併。
1442年に起きた上階での火事をきっかけに
ビガッロ信徒会が全面的に改修工事に着手。
この際に(1444年)建物北面外壁用にフレスコ画を発注。
(ほとんど判読不明ですが修復完了後美術館内に展示)
ビガッロ信徒会の設立と
設立者であるピエトロの奇跡を描いたもの。
説教を聞く信者の上に黒い馬に乗った悪魔が降りてきますが
聖人はその悪魔を説教で説き伏せるというエピソードで
このときの悪魔の姿を遺したものが
スロトッツィ宮殿前広場の角(Canto dei Diavoli)にある
ブロンズ製の「旗ざお受けの悪魔」だといわれています。

100年後の1525年には
「新ミゼリコルディア会(Misericordia NUova)」が発足。
これにより母体であった
サンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア信徒会が抜け
開廊のある建物はビガッロ信徒会単独の所有となります。
ここから現在の名前に繋がります。
いくつかの改修を重ね、
1698年には一旦捨て子収容スペースを増やすために
開廊部分が一部塞がれます。

1865年、フィレンツェが統一イタリアの首都であった時期に
第一回目の修復が行われます。
このときに1698年から塞がれていた開廊が復活します。
1904年に美術館としての機能をもたせるために
二つの信徒会に属していた美術品の収集が始まります。
現在の美術館としての形式と所蔵品は
1966年の大洪水のあとに
ドイツの美術史研究家(Hanna Kiel)の
尽力によるところが大きくなっています。

小さな作品が多い美術館ですが
中にはベルナルド・ダッディ(Bernardo Daddi)の
携帯用三幅対祭壇画や
ドメニコ・ディ・ミケリーノ(Domenico di Michelino)の
「謙遜の聖母」、
デジデリオ・ダ・セッティニャーノ
(Desiderio da Settignano)の祭壇棚など
秀作もいくつか収められていて、非常に興味深い美術館です。

1998年にビガッロ信徒会から
サンタ・マリア・デル・フィオーレ管理委員会に
美術館管理権が委譲されています。
現在も母体であったミゼリコルディア信徒会は
開廊のはす向かいにある建物で救急隊としての活動を続けており、
一方ビガッロ信徒会も場所を変えて(Via Guelfa)
年配の女性のための宿泊施設の経営を行っています。

Bigallo_leonardo_1
この美術館に2007年8月、
ヴィンチ村にある「レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館」
の後援で新しいセクション(2階部分の2部屋)誕生。
ダ・ヴィンチの設計による機械や設計図の説明などを
中心としたセクションで物理学的な説明が多くなりますが
興味深いガイド付きで見学することもできます。

ダ・ヴィンチがもっていたといわれる
ドゥオーモよりも古くから存在する洗礼堂を持ち上げる計画。
新しくできたドゥオーモと高さを揃えるために
4段の階段をつけて洗礼堂全体を持ち上げようという
このダ・ヴィンチの構想にはヴァザーリも触れていますが、
結局当時の技術では難しいことがわかり、
実現されないままに終わっています。
このときの設計図を基にした模型も展示されています。

Veduta_battistero
レオナルド・ダ・ヴィンチはそもそも
実現するために構想を練っていたのではなく
そういう構想を練り、
そのために計算をしていることが好きだったと評価されるほど。
日々こまごまとした機械の設計などを行っており
そのために残された設計図が山ほどあります。
この洗礼堂計画もそのうちのひとつであったのだと思いますが
そうした数々の天才的発明の片鱗に
触れることのできる小さなスペースです。

ダ・ヴィンチの発明はきりがなく、常に研究の対象となっており
今後もこのスペースは展示を変えて
より充実していくことが予想されます。

Infresso_bigallo
Museo del Bigallo
Piazza San Giovanni 1  Firenze
開館時間:10:00-13:30、15:00-18:30
休館日: 月曜日
入場料:3ユーロ(今後値上げの可能性大)

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