夫の会社に、楽譜をコピーに行ったら、
窓から、海にかかる大きな大きな虹を見ました!
海の中から、綺麗に7色、まるで天国の橋のように、
雄大にその姿を見せてくれました。
その虹は、確かに海の波間から立ち上っていて、
完全な姿で、私の前に現れました!
20分以上も、そのままの形で、神々しく海の中に光っていました。
私は、これまでの人生で、こんなに完璧な姿の虹を見たのが初めてで、
本番前の張り詰めた日の中で起こったので、
涙がぽろぽろこぼれて止まりませんでした。
今、この地球で生きている自分、もう亡くなってしまった大好きだった人たち。
何かそういうことまで考えてしまって、しばらく涙を止めることが出来ませんでした。
生きているといろいろな事が起こります。
自分にとって、また周りの人にとって、そして社会のいろいろな出来事・・・
どれをとっても、満足いくものがないかもしれないし、
不甲斐ないこと、多いように思います。
でも「いつも何か足りない」と思わず、
まず、私は、自分の周りのものに感謝することにしています。
五体満足であること、そして今生きていることに感謝します。
別に宗教があるわけではなく、まだまだ人生浅いですが、
その中で、感じて、モットーにしてきたことです。
飲み水、あたたかい日ざし、友達、家族、食べ物・・・と感謝の対象をどんどん増やすようにすると、
心豊かで人間らしく過ごせるようになります。
もちろん、腹の立つことも多いと思います。
フランスの数学者、ブレーズ・パスカルは、
「すべての人間の不幸は、部屋にひとりで静かに座っていられないことに由来している」と書いています。
私たちは、生活を騒音と活動で満たすのが当たり前になってしまっています。
ラジオの音で目覚め、テレビのニュースを見ながら着替え、
車の中では、最新の交通情報を聞き、
家に帰れば、テレビの音、電話の音とあれこれ活動をしている。
パスカルのいうとおり、たとえ短い時間でも、
1人、静かに心のうちを見つめる時間が必要です。
あと、自分にとって、生きている中で起きるすべてのことに、意味があると考えています。
いいこともあれば悪いこともありますが、すべてが教訓になります。
そう受け止めて、今の自分は何をしなければいけないか、
謙虚に受け止めて、今後の人生にプラスにしたいです。
充実した人生を送るために、機会を求めて時間をさきます。
リスクを負えば負うほど、自分は学べる。
勝利も敗北もしらず、ただ安全な岸に腰をおろしているのでななく、
自分からあえて飛び込んで、谷におりる。
谷におりたことがなければ、山の頂上の幸せは味わえない。
夫が富山で撮ってきた’天使のはしご’といわれる雲の写真です。
これから北陸では、こういう景観が多くなります。
今まで起こったことすべてに感謝をして、
人生をあるがままに受け入れて、最終目的に向かって旅を続けたいです。
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虹の写真、感激です。私もきっと泣きたくなると思います。今日は朝一番にいいものを見せていただき、うつくしい一日になりそうです。
こちらの勝手で長い間、お休みしてしまい、申し訳ありませんでした。
再開してすぐ、皆さんがすごく応援してくださって、本当に感激の毎日です。
今日の写真の虹は、すばらしかったです。本当に神々しい姿ですね。
自然の偉大な景観は、人間に感動を与えてくれますね。元気で、前進したい!そう思います。
今日は朝から、能登の方へ、用事に家族で行ってました!’なぎさドライヴウェイ’といって、海岸を普通に車で走れるところがあって、(私たちは、しょっちゅう近くの海は4WDで走っているのですが・・)久しぶりにドライヴしてきました!気持ちよかった
この虹は、夫のオフィスの窓から撮ったんですよ。あまりに大きい虹だったので、携帯では全部おさまらず、端のほうは、別々になってしまいました。雨が少し降ったあとだったですね。20分ほどの間に、空の色も変わってしまいましたが、海からくっきり浮かぶ虹は、感動的でした
虹には、私も思い出が数多くありますが、それはさておきです。
今日始めて拝見しました。
絶対音感。今までどなたにも話したことがありませんが、私は持っているのです。説明が難しいのですが、yoshikoさんの、入院中の、ナースステーションの電話の、「エリーゼのために」が気分悪かった、話、よくわかります。夕方、町中に鳴り渡る「帰宅を促すオルゴール」電話呼び出し音、デパートのカリオン時計、あらゆるところにあふれている音。それが、外れていることが多く、その、わずかに、絶対音感から微妙にずれた時、気分が悪くてたまりません。この微妙にずれたオルゴールを、毎日耳にする今の子供達は気の毒だとさえ思います。調子っぱずれの「夕焼け小焼け」他、多数。
今、アメリカの田舎の静かなところにすんでいて、強制的に聞かされる変な音がありません。
絶対音感、いいのか悪いのか?
モーツアルトは、やはり、何かの音の、微妙な狂いに「ボク気持ち悪いよ」といったそうですが・・・
ストレスです。
コメントありがとうございます。
アメリカからいただいたのでしょうか?光栄です!
記事に共感していただいたようで、大変うれしく思っています。
私の場合は、小3からの訓練で急激に絶対音感がついたようで、本文にも書きましたが、ありとあらゆる音に音程はついていました。最終的に、雨とか、冬のあられの音とか、自然音にまでついてきましたが、あまり苦痛になることなく、それを楽しんでいたような感じです。
私は、ヨーロッパやアメリカで、音楽を学んだ経験がありますが、この日本は、文化や伝統は、非常にすばらしいし、食の文化には歴史があり、日本のいいところは絶対に継承していかなければと、つね日頃考えています。が、町中にあふれる音だけは、つらいものがあります。
先日亡くなられた、指揮者の岩城宏之さんも、その著書の中で、ホテルのロビーになぜ1日中音楽がながれているのか?パチンコ店の軍艦マーチ、信号機の「とおりゃんせ」「おうまのおやこ」は何とかならないのか・等たくさん書かれています。
日本には、この'音害’が多すぎます。しかも、hanakoさんがいわれるように、微妙にずれている。
それがいやで、私も、昼間も夜もほとんど音がないこの静かな地域に住んでいるのだと思います。
でも大丈夫ですよ。私は、年齢を重ねるごとにこの感覚は鈍くなっていき、今では本当に楽器の音にしか反応しません。ただし、楽器どおしの音程がずれていたりすると、今でも相当つらいです。
でも、音楽家でも、モーツァルトやベートーヴェンは絶対音感がありましたが、チャィコフスキーやシューマンにはなかったといわれています。
また自然の音、鳥の声を全部音程をとって、作曲したメシアンというすばらしい音楽家もいます。
自然の多いところに、お住まいのようですし、このメシアンのような感覚で、お過ごしになったら、また楽しいのではないかとも思います。
男性はわかりませんが、女性の場合は、最相さんの本にもありましたし、また私自身の経験からも、少しずつ緩和されていくと思いますので、気楽にお考えになってくださいね。
答えになったかどうかわかりませんが、こんな形でよろしければ、いつでもお答えしますので、コメントお寄せください。お待ちしています!