スペインサラマンカ・あるばの日々

スペイン語留学の街、サラマンカより、地元情報とスペイン文化、歴史に関する笑えてためになるコラムをお届けしています。

美しい回廊と黒い聖女~サラマンカまめ観光(5)

2021-08-16 03:35:24 | サラマンカ・観光まめちしき

ふと、静かな気持ちになりたい時。


ただ、ひたすら、鳥の声しか聞こえない静謐を求める時。

あなたはどこに行きますか?

 

私はここに行きます。


ラス・ドゥエニャス修道院。
Convento de las Dueñas 





もう勝手にヒーリングスポット使いにしてますがw

サラマンカの中心、マヨール広場より徒歩10分程にある、
市内で今や唯一現役である修道院。

この中にある、こじんまりとした回廊をゆっくりと散策する。

それだけをしに、時々散歩途中に寄ったりするのです。

● 黙想の場所、五角形の回廊

中に入ると、意外と小さいことがわかる。

勧められてまずは二階に上がると、
下には綺麗に整えられた庭園が広がり、
目線を上げると大聖堂がそびえる様子が見える。



よく眺めると、中庭と回廊が五角形になっているのがわかる。
このラス・ドゥエニャス修道院の回廊は、その美しさ、
そして無二の五角形の形から、「最も美しいスペインの回廊14選」
にも選ばれた。



密色の柱が日を吸って柔らかく輝き、
柱頭に彫られたグロテスクなケダモノたちが
生き生きと蘇る。




朝の早い時間にはほぼ観光客はおらず、ただひたすら
鳥の囀りが聞こえるのみ。



もともとこの回廊(スペイン語ではClaustro、英語ではCloister)
という場所は、もちろん各部屋につながる便宜上のものであったが、
一方で修行する者らの黙想の場であったともいわれる。

それぞれの所用を一旦忘れ、
回廊で黙想、ゆっくりと回り歩くことで神との対話としたのかと。

●老後問題対策から生まれた修道院

この場所がドミニコ会の修道院として始まったのは
15世紀の初頭。

もとは大きなお屋敷だったのを、女主人が教会側に
提供する形で始まったといわれる。

そのお屋敷時代をわずかにのこすのが、
ムデハル様式の扉枠など。


時代を経て粉々になっていたタイル扉枠を、
現代の修復師らの手で蘇らせていた。



当初の目的は、格式ある家のご婦人らが老いて
未亡人になった際、病と孤独に朽ち果てぬよう
保護する養老院であったとか

中世の老後問題は、死に直結する深刻な問題で、
こういう修道院があちこちに現れ始めたのが
この時代だったという。

現在でもこの場所に住む方は高齢の修道女ら。
毎日を祈祷に捧げるかたわら、菓子製造を
活動の一環として、長く続けている。

制作の様子


昔からの変わらないレシピで
作られたクッキーらはどこか懐かしい素朴な味。



入口に販売所があるので、
訪れた方はぜひどうぞ。



●黒い聖女「チカバ」

そしてこの修道院に行かれることがあるなら、
2階にある小さな部屋を覗いてほしい。

そこにはアフリカから奴隷として連れてこられ、
紆余曲折の厳しい道のりを経て、ドミニコ会の
修道女となり、ここサラマンカでその宗教生活を
終えた「黒い聖女」ことテレサ・チカバの紹介がある。



その人生において壮絶な人種差別、いじめを、
受けながらも、決してめげず、神に仕え、病人の
世話に明け暮れたとのこと。

そのドラマチックな人生に興味を引かれる。

1700年代の古い話とはいえ、外国人として
この地に長く住んできた者として、共感のような
ものを感じる。

古い墓はスペイン独立戦争の際に破壊されてないが、
唯一残った小さな彼女の靴が展示されている。



頼りない程小さな古靴を見て、
自分が彼女だったら…と想像を巡らして
心が痛くなるのだが。

●なぜか、ほんのちょっとだけレアな理由

さて、この修道院の話をすると、実は
「見逃してたわ~」という方が結構多い。

おそらく入口が地味なこと、
開館時間が短いことからかと思われる。

(午前10:30から12:45 /午後 16:30から19:15/日曜祭日休
入場料2ユーロ *2021現在
)

観光客専用の施設ではないので、
内部に住まわれる修道女らの活動リズムに合わせているかと。

もう閉館時間が迫る頃。

出口へ向かう私たちの背後で、鐘の音と共に
とある扉がすーっと音もなく開き、
それはそれはちいさなお婆様シスターが現れ、
ホトホトと歩いて、もう一つの扉に吸い込まれていった。

その小さな背中を眺めながら、
自分とは違う時間の流れを感じる。
夕暮れの回廊。

いいもんです。

ぜひ。

 

宇宙飛行士から〇〇まで~サラマンカまめ観光シリーズ(4)

2020-03-18 10:40:32 | サラマンカ・観光まめちしき

サラマンカが誇る大聖堂。

夜の美しさは見事…
その新聖堂側は、スペインゴシック後期建築を代表するもの
として名高い。

そしてこの新聖堂の、広場側にある「棕櫚(シュロ)の門」と言われる門。

広場側に面し、エルサレム入城のイエスが描かれたこの門。
長年風雪に晒され、無残な形に擦り減っていたものを修復したのが92年。
割と最近の話だ。

この際に、修復を請け負った現在の石工らが、
散りばめられた数々の装飾彫像の中に、自分達の署名
をそっと忍ばせた。それがこの↓「宇宙飛行士」だ。

“現代を象徴するもの”としてこのデザインを選んだという。

(世間どこにもアワテモノというか、おっちょこちょいが居るもので、
これを“オーパーツだ!”と一時ネットで取り上げて騒がれたことが
あったが、数多くの方のツッコミで早めの鎮火となったらしい。)

この宇宙飛行士は、サラマンカにおける有名な観光ポイント
として大活躍中である。

でもこの門に散りばめられている彫像物をよく眺めてみると、
“おや?”となるものが他にも一杯あるのがわかる。一部を挙げてみると、

アイスクリームを持った化け猫状の怪物くん。



ブドウを食べる犬?



コウノトリはここら辺を代表する鳥。



絶滅危惧種であるスペインヤマネコ。


闘牛でしょうな、これは。

…そんなドヤ顔で出さなくてもいいのに…(苦笑)の天使。

ノウサギに至っては“触ると幸運が訪れる”
というデマ嘘が流れ、観光客に触りまくられて
手垢で真っ黒になっている始末だ。

とまあ、たっぷりと眺めて楽しめる、素敵な観光スポットに
なったのは、先の修復作業のお陰でしょうな。

●各地に見られる“修復師らの爪あと”

しかしながら、こういうものを歴史的建造物に
入れ込むとは、不謹慎?というか…
こんなことやって怒られないのか?と思う小心者の私だ。

それでもこういった形で修復師らが自身の署名というか、
爪あとを残すというのは20世紀あたりから各地で
見られることらしい。

以下、スペイン国内で見られるものを
いくつか挙げてみると…

★パレンシア大聖堂に在るカメラマン
(1910年頃に修復。修復師の友人のカメラマン、
アロンソ氏であることまでわかっている)

★聖マリア・サンドバル修道院(レオン)屋根あたりで
ひっそりと戦うボクサー2人

★カラオラ大聖堂(ラ・リオハ)外壁に張り付く携帯!

★トゥルヒージョ(カセレス)のサンタマリア教会屋根に
なんとアトレティコ・マドリードのエンブレム?!

まあ探してみると意外?にも多い。
スペインに限らず、ドイツやオーストラリア
あたりでも映画のキャラなぞを混ぜてしまうことに
結構鷹揚であるとか。

●けしからんけどおもしろい

もちろんこれらの“異物混入”に苦言をはく
専門家も多い。

スペイン保存修復師協会会長のフェルナンド・カレーラ氏
「修復師の仕事において、歴史的遺産の本来の価値への
敬意を払うという理念が第一にある」

「仕事の結果自体が目立つものであってはならないはず。
そこに自分らのサインを挿入するという行為はプロの規範に反する」

と、ほんともっともなご意見。

国立彫刻美術館副館長のマヌエル・アリアス氏は
「中世らしいデザインを模倣して入れてしまうより、現代のものを
はっきりと入れる方が作品に対して忠実なのでは」
といいつつも、“悪目立ちになってしまう結果はどうも…”と苦言。

「サラマンカ大聖堂の門」が、その全体の歴史的価値を
修復によって回復するはずが、結果「観光客の宇宙飛行士探しの門」
になってしまったことに複雑な思いなのだろう。

でも素人として、個人的意見を言わせてもらえば。

別にこんな風に↓したわけじゃなし
違う意味で世界的に有名にw

いいんじゃないかと思ったりする。

12世紀あたりのロマネスク建築の教会群が
個人的に好きなんだけど、彼らはそれこそオリジナルながら
“異物混入”のオンパレードだ。

例にあげるときりがないが、例えば↓こんなものが(!)

素朴な教会の柱頭にそっと忍び込ませてあったりする。

…もう…ww身も蓋もないというかw
何百年も前に、これを熱心に彫った石工の
人とハイタッチしたい気分だ。

なんたる「共感」。(いやV字開脚にじゃなくてw)

そしてこの共感がつまるところ、歴史を知る
楽しみの醍醐味じゃないかね…と考えたりするわけで。

●そして最後に…サラマンカ秘密の“異物混入”ww

をお届けします。

場所はサラマンカ大学正門ファザードに面した広場。

この広場を囲む建物(古い昔は大学病院だった)
の上部の装飾彫りのどこかに↓彼がいます。

なんと!「自分のイチモツを握るメガネ男」がww

どう考えても中世の作品じゃないだろ?!

そう、これもやはり「修復師らの爪あと」の一つ。

この場所の修復が行われたのは60年代半ばだそう。
なんでも数多くいた作業員の一人に、微妙に
頭がお花畑で、仕事をさぼってはしょっちゅう物陰に
隠れ、“自家発電”していた「メガネの〇」という人物がいたそうで。

仕事しないからしょっちゅう怒られてたらしいが、
それでも“愛されるユルキャラ”としてここに彫られることになったらしい。

(でもそれってまだフランコ独裁政権時代だよね?
見つかったら怒られるとか以上のレベルじゃないの?よくやったよな~)

と、このエピソードを話してくれた、元大学美術教授のじいさん
にちょっと興奮気味に訊いたんだけど、もう返事はただ一言、

「だってスペインだからwww」

…そう、まさにそうなんだろね…

参考資料
https://verne.elpais.com/verne/2018/09/03/articulo/1535989718_022052.html?ssm=FB_CM_Verne&fbclid=IwAR0_24ygaXvCMc1GUIX8mLZ2Yl87CLPoljpZMgB0yCq7bU2sjrJ3fYaOmT0


修道院の中にあるZARAショップ~サラマンカまめ観光シリーズ(3)

2019-09-15 23:45:37 | サラマンカ・観光まめちしき

今回はサラマンカの小さな観光案内。

スペイン北部の小さな街に洋品店「ZARA」が開いたのは
70年代半ば。


それから大した年月もかからず、日本を含む世界88カ国、2000以上の店舗を
展開する大企業に成長し、現在ではその名を世界に誇るスペイン産の
トップブランドとして、広く知られていることは周知の事実。

スペイン国内の隅々に、400以上の店舗が散らばる。

ここサラマンカにも2000年代初頭に第一号出店。

その後あれよ、あれよという間に同企業関連店舗が
オープンし、気がつくと街中心の通り一本がすべてZARAの本体
INDITEXグループに“占拠”された状態となった。

名前は違えど同じ企業のブティックがずらり…

その通りの中、一番の店舗面積を誇るZARAショップ。

外見は他の建造物と並び、同じキナコ色の砂岩で作られた
目立たぬ趣き。(サラマンカ中心地は、伝統的にこの地元産砂岩による
建築物で統一
されており、世界遺産指定後の現在、他の形状の建築は許されぬ)

マヨール広場のすぐそば。

一等地。

バーゲンの時期など、ワクワク顔で出入りする客でごった返す。

ショッピングに夢中になる客らの頭上に
過去、この場所が実は聖堂を含む修道院であった形跡
が静かに在る。

●モードの殿堂

 入店してみて、天井への吹き抜けが実に広々と
高くとってあることに気がつく。(約22メートル)



そして突き当たり、左のあたりをみると
おおこれは!



なんと荘厳なる趣き!
そう、現在はモードの殿堂として人々を集める場所ながら、
かつては聖堂であったことをしっかりと残している。

●王立聖アントニオ修道院

正式には「サラマンカ王立聖アントニオ修道院跡
(Restos del Convento de San Antonio El Real de Salamanca)
という呼称で、スペイン重要文化財(Bien de Interés Cultural)として
1997年に登録されている場所なのだ。
(紋章の王冠が“王立”であることを物語る)

元々は何某伯爵の邸宅としてあったこの場所、
これを老齢となった修道士ら(恐らくドミニコ会)の保護養老施設という
目的で建設計画がスタートしたのが1732年(享保16年)だった。



その土地面積はこのZARAショップの隣、現在リセオ劇場となっている
場所も含むから、相当広い。

この建設計画には、サラマンカ市内の重要な建築に数多く関わっている
ヘロニモ・ガルシア・デ・キニョネス氏が関わっており、数十年の時を
経て随分計画は進んでいたと思われる。

(天井ドームの美しさ)

しかしながら、この修道院はその完成を見ることなく、
廃墟としてその後長年葬られる運命となってしまった。

これは18世紀から20世紀初頭に度々発令された永代所有財産解放令
Desamortización)によるものらしい。

恐らくスペイン歴史の教科書にその説明があると思うが、ようは
教会や修道院といった非生産的な土地を、政府が没収、競売をすることに
よる公的債務の解消を主目的とした法令。

是非はともかく、これによって実に様々な教会関係の建築物が
廃墟となった。(この国の地方の博物館などに行くと、展示されている
紋章だの、聖人像、石碑などは、大抵この永代所有財産解放令によって
バラされてしまったものを掻き集めてきたものが多い…と思う)


(サラマンカ博物館所蔵。どっかの邸宅に
あったらしきガーゴイル)

● 歴史の遺物を維持すること

さて、この修道院、長らく廃墟であった後に、
近代では個人宅として、またとある銀行の店舗として
利用されていたらしい。その後もまた廃墟に戻っていたのだが…

2005年、8年の年月を改築に費やして、ZARAショップとして
華々しくオープン。

実はこの企業による買収に関しても、現地の保守派から
随分反対の声が出ていたらしい。

…ただね、じゃなかったら誰が金出して修復すんの?
って話でありますわな。(ここらへんで反対派は黙るw)
歴史の遺物の管理維持…ただそれだけではなく、現在の利用価値
をつけなければできない話なのでしょう。難しいね。



完成した店舗の内部は丁寧に歴史的部分を残しながら、
別の近代的素材とうまくマッチさせたデザイン。
美しいと思う。

そして…入場無料じゃないか!
(買い物のふりばっかりでごめん、お店の人ww)

ということで、機会がありましたらぜひ“入場”してみて下さい。

参照資料
https://www.asturnatura.com/turismo/restos-del-convento-de-san-antonio-el-real-de-salamanca/3439.html
https://www.reharq.com/rehabilitacion-convento-san-antonio-el-real-zara-salamanca/


鉄格子らをいろいろ鑑賞してみる

2019-04-18 01:49:20 | サラマンカ・観光まめちしき

日本において鉄格子というと
どうもイコール牢屋…



というイメージになってしまいますが。

ヨーロッパの古い街並を歩く際、ちょっと目を上げると
あちら、こちらに鉄格子の飾り窓やバルコニーがあり、
それぞれが個性を持ってひっそりと街の景観に溶け込んでいる
のが認められるだろう。

ここサラマンカにおいても、
主に旧市街あたりをぶらぶら散歩するだけで、
実にいろいろなデザインのそれらを見かける。

随分年月の経った、修道院の古めかしい小さな窓枠から…

きゃー串団子になる~!って感じのおそろし窓枠から、

新し目の、凝った扇子型の窓格子(老舗カフェのものです)、

下から見上げられることを意識したタイル貼り。新しい
ものだけど、凝った伝統的な造り。



それぞれが、少しずつ違う鉄格子窓。



真ん中のメダルをよく見たら「1854年」とある↓。
これがほんとだったら、もしかして“ペリー来航”の年?ww



あ、コウノトリ(正式日本名はシュバシコウ)だ。
上向いて歩いてたら目が合ってしまったw。


鉄格子の美しさは、そのデザインだけでなく、光が作る
シルエットにもあるだろう。(Palacio de la Salina/現県議会議事堂)

 

●サラマンカのお宝鉄格子はこれ!

そして、この街の誇る鉄格子は、
かの有名な「貝の家/Casa de las Conchas」に有り。



1517年建立の、すごく平たく言えば「地元豪族のお家」。
ゴシック、ルネッサンス、ムデハルの三様式を重ねて
建つ美しき遺跡。

この外壁、300もの貝の装飾の中にひっそりと
ある2つの鉄格子窓。

どちらも三部分に別れ、部位ごとに工夫を凝らし、
留め金のような部分装飾、また上下にはみ出た尖塔
飾りも誇らしげ。

作られたのは「窓ガラスのない時代」。

住人のプライバシーを守りつつ(なんせ当時のやんごとなき方々ですからね)
風通しををよくして、たまにそっと
外を覗けるようにしたのではないかな。

これが「スペイン・ゴシック期を代表する窓鉄格子」
として、教科書に必ず載るお宝なんですね。

製作者は「フランシスコ・デ・サラマンカ」
(“サラマンカのフランシスコ”の意)という
ドミニコ修道会所属の坊さんながら、鉄格子/鉄柵師だった方。

15世紀生まれのサラマンカ出身という、かなりアバウトな
プロフィールしかないものの、サラマンカを中心に各地に
工房を建て、数多くの作品、そして数多くの優秀な弟子を
生んだ人だったとのこと。



かのセビージャ大聖堂の礼拝堂鉄柵をはじめ、
豪奢な数々の作品を生涯において残している。

それが修道士らしく、ほぼすべて教会内部の装備品であり、
個人宅への提供作品は、例の貝の家の鉄格子のみなのか…

そこらへんの事情は今の所私には知る由もなく、
ただひとつ、

「こんなお宝雨ざらしにしていいんかい?!」
(良く考えたら安土桃山時代のもんだよね?)

と思いながら毎週図書館(現在貝の家の内部は市民図書館に
なってます)に行くたびに横目で見るだけなのであります。


レトロ看板・お店の写真を並べてみる。

2018-10-04 19:17:04 | サラマンカ・観光まめちしき

こないだ、がっかり。

中心街にある、子供靴の老舗店の看板。
今時ない「インディアンの子供」イラストで気に入っていたのに…
古びて壊れたからか、毟り取られるように撤去されていた。

歴史的建造物に溢れ、
なんだかんだいってそれのお陰で「生きてる」この街でも、
建物の老朽化、所有権利の問題、商業利益の問題などで
少しずつ消えていく。

毎日眺める見飽きたような風景でも、
ふと気がつくともう「自分の記憶の中にしかない」
商店、バル、ホテルなどが多い。

●レトロ看板、店舗のお写真コレクショーン!


ということで、まだ現実として残ってる古そうな看板、店舗など
の写真をちょっと撮り続けてみた。ある日急に無くならないうちに…
ということで、そのコレクションの一部をちょっとお披露目。

まずは看板。


「化粧品店ヴィーナス」の貝殻の形看板。
「TRIPAS」とあるのは腸詰類を作るのに使う、腸皮などの販売店。
確かいろんな種類の紐なども売ってたりしててまだ現役。



「布地販売・お仕立てのヘロニモ」この筆記体はもう使わないね。
あとお持ち帰りローストチキン、惣菜の老舗店。
今だったらにっこりした鶏のイラストとかだろう。毛穴も生々しき鶏そのままw

郷土料理で有名なレストラン「バレンシア」のそのお花イラストといい、
くるくる文字といい、直球で萌える…


紳士服店の「フェルナンデス」。店名のロゴがなんともレトロ。
ショーウィンドーのデザインは長年変わらず、ワイシャツ、背広等
が整然と並ぶ、地元おじちゃんの御用達店。


電器・台所器具の「モローチョ」。ここは商品は新しいものの、
飾り方はまったくかわらず。一階店舗部分が半月アーチになってる
建物にあわせ、上部に看板をはめる老舗店は結構多い。

ここも半月アーチ上部に看板の「化粧品雑貨のラ・シベレス」。
字体といい、白ネオン、金縁のショ-ウィンドーなどそそられるw
売ってる商品も老舗ブランドのコロン等が多く、時間が流れてない感。


「菓子屋マドリレーニャ」は割りと大きめのお店で、何軒も
店舗を出してるけど、古さ一杯のここが一番好き。店内の
薄暗さ、木の使いこんだ棚台も魅力。

薬局雑貨の店。アルミ材質も良きことながら字体、
白、赤、黄色のトリコロールがザ・レトロ看板の風格を出す。
薬局部と雑貨部、2つの扉に分けている様子もわくわく。

 


ここはマヨール広場内にある薬局。その風格から
観光客に人気の撮影ポイントとなる。内部の薬壷
コレクションも見もの。

●大トリはこれ!

そして…やはり見ものといえば…

じゃじゃーん!宮殿のごとき外観の、なんとこれがガソリンスタンド!

1941年創業。地元建築士(Ricardo Pérez Rodríguez Navas)による
ネオクラシックな建物。街中心部にある著名なモンテレイ宮殿を
ちょっと真似してみました、てへ!みたいな遊びがありますな。

(その他、このロドリゲス・ナバス氏による建築物=小洒落たレトロ
マンションは中心街に多し。そのコレクションはまたの機会に…)

● 古いものとの共存

…古ければいいってもんじゃない。

もちろん効率のよさ、便利さ、経済効果を優先させ、
「再開発」の名のもと、街を、建物を一掃リニューアル
することの重要さもわかってる。

ただ、この骨董品のような街に長く居過ぎてしまったせいか、
簡単に“断捨離”できないものってあるんだな~と思うようになってきた。

ノスタルジー?と笑う奴は笑わしとけ!

  さて…私が冒頭に話をしていた、「インディアンの子供レトロ看板」。

老朽化からか、毟り取られて…と思って残念に思ってたその一ヵ月後、

なんと…なんと…静かに復活していた(驚)!



デザインそのまんま、新品で。
「お子様のおはきもの、サンベル(1977創業)」は今日も開業中。
店主高齢だけど大丈夫か?!


丸いあの教会~サラマンカまめ観光シリーズ(2)

2017-01-27 19:49:58 | サラマンカ・観光まめちしき

精密。


 

贅美。




サラマンカ大学の正面玄関、大聖堂玄関などを中心として、
この街の観光のメインスポット、旧市街のモニュメントの多くが
「銀細工様式」といわれるレリーフ彫刻による装飾が施されている。

スペイン・ルネッサンス期の誇る、実に繊細なる技法・デザインの装飾様式であり、
しばし見惚れる程の豪華絢爛さ。。

…なのだが…

時々飽きる。

隙間が怖いの?と尋ねたくなるギッチリ感。
ロココ調高級家具に溢れた、社長の屋敷に通された居心地の悪さ感というか、
ものすごく完璧にできたキャラ弁を毎日渡される感じというか…

そのわけわからん渦巻いた唐草だの、ハダカの小太り天使だの、
顔半分の人物像だの、いっそ断捨離してぇぇぇ!

という気分になるのはシンプル=美なる哲学が身に染みてる国から
来てるからだろうか。

…そんな時に訪問をお勧めしたいのが、通称「丸い教会」として親しまれている
サン・マルコス教会への訪問である。↓



11世紀後半~12世紀に建てられたとされる、ロマネスク建築スタイル。
円径22メートル程、アッサリボディーの完全丸型。

装飾は2つの玄関上にある古い紋章のみで、屋根部分に朽ちかけた小さな装飾がわずかに残る。
そう、ゴテ装飾に飽きたらもっと古いもの見ればいい。
別に昔の人がミニマリズム礼賛だったからじゃなくて、そこまで技術なかったし(窓さえない)、
長い年月を経て、朽ち落ち、かえってさっぱりしちゃった感が私は好きだ。

サラマンカ自体、ロマネスク様式の建築物は割と少なく(10程)、それもわずかに壁一部とか、
復元建て直しのものが多いんだけど、その中でも割と完成度が高いのはここじゃないかな、。

以下、次のお散歩の時に行ってみようと思う方に、ちょっとだけ豆知識を書いておきます~

1.外は丸なのに、中はバシリカ型長方形の礼拝堂




窓の無い内部中央には4本の太い柱。聖壇のある部分後陣3つ。
天井の低さも手伝って、ちょっと秘密の場所っぽい雰囲気。
内部のバシリカ型デザイン、場所が旧城壁近く、円形デザイン…ということから

「テンプル騎士団の活動基地だったのでは?!」という噂があるが、今まで根拠のある資料なし。
「薔薇の名前」とか好きな人は気に入るかも。

2.修復時に発見された聖人壁画4つ

60年代の修復時に発見された大天使や聖母マリアの壁画があり、どれも14世紀頃のものといわれる。
その中には東洋風タペストリー柄もあり、これかがもしかして全壁面覆っていたら…と想像するのも楽しい。

3.教会=建増し建築

時の流れに沿って生じるニーズに対応し、それぞれの時代の建築様式で建増し、修復を
するため、教会なり聖堂には「いろんな時代建築方法の、ごちゃまぜの切り貼り」感がどうしてもぬぐえない。

このサンマルコス教会の円形屋根には18世紀にドカッと鐘楼がのせられ、その不恰好さは結構残念~
しかし同教会の100年位前の写真を探してみたらもっとひどかった。↓



建増ししすぎだし!!

4.実はめちゃめちゃ権力もってた時代があった

こじんまりした印象の教会だが、ここを中心に活動していた高位の聖職者集団は、
なんと長年大聖堂、大学に並ぶ、三巨頭的権力だったとのこと。

数多くのパトロンを持ち、街中数多くの土地物件を所有していたこのサンマルコス聖職者集団(クレレシア)。

後にポンティフィシア大学の聖堂に場所を移したため、あそこが現在クレレシアと呼ばれる所以。
ここらへんの話がすごーくマフィアっぽいのでそっとしておくww

5.(ちょっと関係ないけど)サンマルコというお菓子はこの国では全国的にこれです。↓


上が黄身餡みたいなクリーム。あっまーいです…


救護所だった、小さな図書館~サラマンカまめ観光シリーズ(1)

2016-11-02 21:48:19 | サラマンカ・観光まめちしき

うちの近所にこじんまりした図書館がある。

建物の前は環状道路で、車の通りもけっこう激しい。
道沿いの同じような建物の並びがふときれて、小さな広場になり、そこを初めて
通る人は“お?”と視線を上げる。

ガブリエル・イ・ガラン市民図書館

なんだかそこだけ大正ロマン~な建物。

http://3.bp.blogspot.com/-iitrQlFfN4g/UTcu-qihbEI/AAAAAAAABg0/vz3MPoOcUfY/s1600/CSocorro.jpg

取り残されてしまったような世界。
あの童話、「ちいさいおうち」をちょっと思い出すな~(自分どんだけ好きなんだ、岩波子どもの本w)

http://40.media.tumblr.com/edda182f8c881e05475d2a224d8ae427/tumblr_inline_nn0yh4llJp1s6e79m_540.jpg

玄関あたりには数体の彫像。



男性の像はこの図書館名となる、ホセマリア・ガブリエル・イ・ガラン氏(1870-1905)。

サラマンカ南東の小村出身の詩人であり、農村の人々の生活感、宗教心、伝統を根底にした
朴訥かつ繊細で、雄大な作品を生み出した作家として知られる。若くしてこの世を去った彼を惜しみ、
有志らが当時寄付を募って建てたもの。後に近く公園からこの場所に移され、今に至る。

現在のように市民図書館となったのは1987年であり、よって内装には建設当時の面影はなし。
1階のメインは児童図書館となっており、午後は軽やかな子供のひそひそ声で溢れかえる。



ここが建てられたのは1915年(大正4年)あたり。
なんと救護所、入院を伴わない病気や怪我の手当てを施す施設として建てられたとのこと。
2階建て+地下。上階は薬品の研究室として使用されていた。

レンガに花崗岩、そして地元ビジャマジョール特産の砂岩を組み合わせた、モダンな外壁。
当時流行のネオゴシック建築といいますが…どこらへんがだ?上部の何本もある柱みたいなのとか
縦長の窓とかかな?

しかし救護所にしては随分ゼイタクな…という感じですが、
実は建設当時も、それでずーいぶんモメたらしい。

市民の救護所ってのに…なんでこんな金持ちの別荘みたいなの建てた?
そもそもなんでこんな郊外に!(←100年前は結構街はずれだったらしいです…)
などと随分非難されたらしいですな。

ちなみに救護所時代?(1947年)の写真↓
http://4.bp.blogspot.com/-x-SukjyxMg8/ULdNyo6O_xI/AAAAAAAAEqU/B2yfukBYwZY/s1600/Casa+de+Socorro+(Biblioteca+Gabriel+y+Gal%C3%A1n).jpg

ほんと周りなんにもないしw
隣とに比べると立派過ぎるし。
今じゃこの裏にコンビニあって、前には中古のゲームショップあって~とか…
はは…なんだか悲しくなるね。
参考HP
http://salamancatierramia.blogspot.com.es/
http://salamancaenelayer.blogspot.com.es/


街の本屋さんは移り行く~新しい本屋さん情報

2016-08-25 21:08:04 | サラマンカ・観光まめちしき

本年3月末、この街のセルバンテス書店が惜しまれつつ、その約80年の歴史を閉じた。

これは現地の人々に、想像以上にショックを与えたことだった。
中世の佇まいを残すこの街の、新陳代謝はことのほか、ゆ~るゆる。
親子三代続く商店などざらで、市民は「いつもの」場所に集い、「いつもの」風景に慣れきっているのだ。

それが…時代の流れに伴い、商売の仕方も変わってきた。そして長引く経済不況。
その昔ながらの店達は、ふとシャッターを閉めたかと思いきや、携帯ショップや100円ショップ、
チェーンのミニスーパーやファーストフード店に様変わりしてしまった。

そして…あのセルバンテス書店までもが!
「セルバンテスに無かったら、もう探すな。それは存在しないはずだから」といわれ、脅威の
在庫冊数を誇っていた。そのため他地方からの問合せも多く、サラマンカの文化の象徴と誇られていた。

後継者なし、経営者高齢に伴い廃業-というニュースの後、閉店を惜しむ客が
ひっきりなしだった。あの薄暗い、本屋独自の匂いの充満する店内、無愛想なのか親切
なのかわからんツンデレな店員、子供の頃から慣れ親しんだ雰囲気に浸って、写真を撮る人までいた。

…さてその後…

実は新しい書店のオープンがいくつか続いて、ちょっとしたブームになってる。

1つ目はLETRAS CORSARIAS




小さな広場に面した小ぶりな作り。
居心地良いソファー、コーヒーマシーンも備えられ、たっぷりと日の入る窓辺で
いつまででも読書していられる居心地さ。

蔵書はずばり「本好きによる、本好きのためのセレクトショップ」。
ベストセラーの山積みなし、著者名ごとの陳列(←これ重要)、
独自の好みで選んでるっぽい。児童書コーナーはかわいらしい。

オールマイティーさはないけど、ふと寄りたくなる雰囲気、
オープンから数年ながら、すでにかなりの固定客を持つ。
個人経営ながらも、生き残るだろうと思われる。

2つめは全国展開チェーン、Re-Read

ブックオフの巨大さには及ばないけど、明朗会計、激安古本屋さん。
どれをとっても1冊3ユーロ、2冊で5ユーロ、5冊で10ユーロという、今まで
現存していた古書店に衝撃が走るレベルのロープライス。

店内にあの古書店独自の古い紙の匂いがない。なぜって
90年代以前の古書は置かない方針だから。
この斬新アイデアの本屋さん、気軽さもあって結構流行るんじゃないかな。

そして最後はSANTOS OCHOA

創業100年の歴史を誇る、ログローニョの書店がチェーン展開。
すでに14店舗程スペイン全国に支店を所有。書籍、文具販売、そしてカフェも併設。

前出の老舗書店セルバンテスの廃業後、30人程からいた従業員は…
ここで皆さん元気に働いていた。あの骨董品のような薄暗いギチギチの店とは打って変わり、
明るさ一杯、スペース一杯のこの店で、新品のお揃いポロシャツを着て忙しくしていた。

黄昏の時代に入ったといわれる書籍業界だけど、
もうとっくに黄昏きってるこの古い街では、その新陳代謝は静かに行われていたんだ。
本好きとしては、しみじみと嬉しかったりするわけで。





そもそもなんでサラマンカ?という方に

2016-08-12 23:26:24 | サラマンカ・観光まめちしき


スペイン語習得者には「スペイン語留学のメッカ」として有名なのにもかかわらず、

ふつー日本ではまったくと言っていいほど知名度のないこの街、サラマンカ。



ちなみに私の実家をはじめ、日本の友人にはいまだに「結局どこだっけ?」
「さまーなんとか?」などと言われる始末の私、現地滞在20年越え(涙)。

フラメンコも、ガウディも、エルブジも、有名なサッカーチームも無い!
…なんかごめんね…(誰に謝る?自分)

こんだけ日本では地味な街、なのにシーズンになると世界各地からの
観光客、留学生で溢れかえる…なぜ?!
ここにとりあず書いてみるわ。

①世界最古の3大学のうちの1つがここにある。



1218年創立。といえば日本で言えば鎌倉中期、北条政子の時代となる。

フランスのソルボンヌ大学、イタリアのボローニャ大学と並んでローマ教皇に
認められた、現存する世界最古の大学の一つ。

16世紀には内外より1万人近くの学生が集まり、“ヨーロッパの知の集結地”
と言わしめた。

②スペインで最も美しいといわれるマヨール広場がここにある。



江戸時代中期に作られた、街のヘソとなる場所。正統バロック様式。
この国あちこちのマヨール広場を見た後にここを訪れ、皆納得。
特にライトアップされた姿は、ハッとするほど美しい。

③という感じで、中世の雰囲気をそっくり残した旧市街はユネスコ世界遺産。


歴史ある大学を中心に、古い街並が広がる様子は正に「スペインの京都」。
教会、修道院がやたら多いのも似てるかも。

④スペイン生ハム三大名産地がここ。



スペイン生ハム三大名産地とは…
テルウェル(アラゴン)
ハブーゴ(ウエルバ)
そしてサラマンカ!
中心地には生ハムショップ、バル、レストランなど数多し。
産地直送の新鮮な生ハムを心ゆくまで、ちょっとお得価格で味わえる。

番外…学生相手のバル、飲み屋が多く、マドリッドなど他の都市より断然安く飲めるらしい。



てことで週末バカ騒ぎ目的で来る訪問客多し。なんでも「スペインナンパし易い都市トップ5」
に入るとか?

そう、世界遺産の古い街並を散策し、生ハムを堪能、ついでにナイトライフも楽しめる、
首都マドリッドから気軽にこれる観光スポット、という感じなのか。

「期待しないで行ったら意外とよかった!」度の高い場所ともいえるかも。