スペインサラマンカ・あるばの日々

スペイン語留学の街、サラマンカより、地元情報とスペイン文化、歴史に関する笑えてためになるコラムをお届けしています。

古教会に魅せられる、小さな旅

2023-02-12 23:49:55 | スペインがお題のコラム

例えばそろそろ汗ばむ日が続く、初夏のある日。


(こういう景色はほんとスペインやな~と思う)

茶色の、でも緑がうっすらと引かれた地平線を
随分車で走り、やっとここか…と止める。

土埃が舞って、ドアを開けるとブンブンと夏虫の羽音。

放牧された牛たちが静かに草を食んでいる。
牛飼いの男の子しか人はおらず、人っ気なし。

なんか拍子抜けした気分で、車を降り、
背伸びをしてふと後ろをみると、ちゃんとそれはあった。

サン・ペドロ・デ・ラ・ナベ教会(Iglesia de San Pedro de la Nave)

その建立は680~711年、西ゴート王国時代後期のものとされ、スペイン国内
にある最古の教会建築について語る際、その内の1つに必ず名が挙げられる
重要文化財なのだ。

外観、小ぶり。素朴そのもの。

時代の流れに沿って身廊が建て増しされたのがわかる。

しかしそれにしても、スペインの教会建築といえば、
いわゆる有名であるところの、


こーんなのとかに圧倒され、ひれ伏し、(トレドの大聖堂)


こーんな感じの圧迫建築をどどーん!を見せられた後に、
(サグラダファミリア)

カスティージャの野原に、まさにぽつーんと佇む
小さな教会の前に立っても、
「…はぁ…」と微妙な感想しか口にできないだろう。


最初は。


●薄明りに息を潜めるモノたち

中に入ってみると、こぢんまりしながらも左右に開けられた
袖廊が小さな部屋を作って、拡がりをみせる。

馬蹄型のアーチ。



奥の聖壇の後陣は丸みのない角形。
小さな窓から入る光が柔らかい。

その光のなかに浮き上がってくる壁面、柱頭の
レリーフを見つけて、皆思わず息をのむ。



●小さな中に情熱。込められた熱意。

壁面を帯状に飾るレリーフは、独自のうねり、
歪みを躍らせて連なる。



それは十字架だけに限らず、太陽であり、植物、木々、鳥
などの動物、それぞれが神の力を象徴し、神の世界を説くという。

プレ・ロマネスク様式、また西ゴート様式といわれる、
教会建築によくみられる文様。

(西ゴート族が基本人物表現を禁じていたことから
生まれたデザインらしい。が、それがなんとも可愛らしく、
クッキーや和菓子の型に見えて仕方ないw)

 




柱頭には旧約聖書の逸話“息子イサクを生贄にする聖アブラハム”、
“獅子の穴のダニエル”などが描かれている。

「ヘタウマ」。

…いいじゃないか。むしろ、だからこそよい。

この柱頭。文様。装飾としての馬蹄形アーチ。

すべてが素朴ながらも、その時代に「綺麗なもの」、
「清らかなる、聖なるもの」と思うものをこつこつと
熱心に作り上げた人々がいたのだ。

生きていくこと自体が大変であっただろう、時代に。

その情熱をを支え、熱意をたぎらせた
元が、他でもない、純粋な宗教心だったのか。


…都会から随分離れた村にある古い、古い教会。

そこに深い精神性をさえ感じ、シンとした気持ちになる。


そんな小さな旅、続けていきます。


*おまけ
(この教会は元々あった場所でのダム建築に伴い、
1931年に村民らの手よって現在の場所に丁寧に移築されている。
まさに組石を一つずつ運んでの作業だったそう。また未だ現役の
教会として機能してるのもすごいです。)

 

 

 

 


もうすぐ再更新はじめます!

2022-10-10 07:23:31 | スペインがお題のコラム

大変長らくご無沙汰です!

仕事の関係等により、更新がとどこおっておりました。

再度更新を行います!

 

とりあえず、


先月行って、大満足だった古い教会の写真。

この国にちらばる、

半分朽ち果てながらも、

凛と佇む古教会(ロマネスク、西ゴード建築様式などとといいますが)

が好きになって何年か経ちました。

そのお話をポツポツしていこうと思います。

ではまたすぐ!


闘牛観に行ってきた (今更ですがw)

2021-10-25 00:31:57 | スペインがお題のコラム

9月のとある日。

 

キッパリと晴れ上がった青空がなんとも気持ちいい。



ここサラマンカにおいては「フェリア」なる、昔々からの
畜産、もしくは農産物品評会が行われる季節。

 

そして…年一で有名闘牛士も集まる、闘牛の季節。

 

なんと観にいってきました~!闘牛!

 

今更ですがw
本格的に闘牛場に、ちゃんと最初から観に行ったのは
初めて♥

何十年も住んでて何やってんだといわれそうですが、
実は仕事でとある村の闘牛に行ってる、騎馬闘牛も
見て、なんなら客に説明さえしてる。でもなぜ?

行ってみればあの村闘牛は、村祭りの延長でしかなく、
おまけに大変にヘタクソ闘牛士が出てきてブーイングの
嵐だった。血反吐を吐く闘牛を更につつきまわる闘牛士…
もう完全にトラウマ(涙)。


…もうそれから何年も経た今。

実は私が住むサラマンカ。
闘牛の牧場というか養育生産地として
有名な土地。。



有名な闘牛に堂々と出てくる闘牛らの紹介に
「名称〇〇、〇キロ、サラマンカ出身」
と出ることが多し。

ここサラマンカには県議会が主催する「闘牛士養成学校」
がある。


対象は8歳~20歳で、理論と実技にわかれて
授業が行われる。



(私自身も、例えば川辺の公園で夕方、熱心にマントの振り方の
練習を繰り返す少年らをみたことがある。正にスペイン、と感心したが)

 

…そんな環境におりながら、ですよ。



また明治後期に建立された、国内でも著名な闘牛場、
“グロリエタ”の近隣に住みながらですよ。


“なんとちゃんと観たことないんかい?!”
と根っからの闘牛ファン友人がびっくりし、
親切心を出して、なんと今回素晴らしき席を招待
してくれた次第…

以下、闘牛に関する「単なる私の感想」なんですが、
ちょっと書き留めときます。

(*闘牛に関する基礎知識その他は、沢山のガイドブックや
いろんな方のブログがあるでしょうから…そちらでね!)

●最初に言っときますが


私は「闘牛大好き推進派」でも「動物虐待大反対!派」でも
ありません。


何をわざわざ、と思われそうなんですが、
このテーマはスペイン国内でも非常にデリケートな討論テーマ
として扱われてる状態。

ほぼ10年前、カタルーニャ自治州が同地で禁止された
ニュースは世界にも流れたけれど、


それ以外にも政治的な見解、またジェンダー論やら
エコ、ナチュラリストその他
大変にいろいろな意見が
が絡む舞台となってしまったのが現実。

実際、私個人レベルで数年前、SNS上で闘牛のニュースを
取り上げた際に、なぜか「友人の友人」なる他人が割り込んできて、
闘牛反対!の長いコメントを書き散らした経緯あり。(トホホでしたよ)

他に、単なるネット上のグルメ記事に、寿司SUSHIの話題が出る度
必ず書き込まれる「捕鯨反対」「クジラ殺すんじゃねぇ!」
のコメントと同じ系列です…

 

一言、現地においても闘牛に関する話題
「実にメンドクサイ」テーマになっちゃった現実は、あり。

…この現状説明が、まず一つね。

●闘牛=元は田舎クサイ祭り説

昔、小説家の故開高健氏が、爽快な闘牛見聞エッセーを書いていて、
実に秀逸なのだけれど、最後に

「…しかし田舎臭いダシモンやなぁ…」

とボソッとつぶやいて終わったものを思い出す。



闘牛出ました→闘牛士出ました→殺しました、の
シンプルな流れを、中世演劇のようなイントロ→フィナーレ
の形に押し込み、また時々に素朴なブラスバンドの
(古臭い)ファンファーレを入れ、一つの形式劇にしてるわけ。


観客席は日の当たる席、当たらない席で
はっきりと値段、客の階級が分れる。



値段の高い席に年配者、

VIP席と思われるとこにはそれらしき関係者。


そして結構驚いたのは安い席にぎっしりと若い観客が
いたこと。

なんだか勝手に若い世代=闘牛興味なしみたいに
思い込んでいたんだけど、随分熱心に見入っていた
大勢がいて発見だったかも。

男子率80%。

皆さん服装が実にクラシック、女子は
フェミニンな装い多し。しかし全体的にどこか
時代遅れを感じさせるファッション。



…どこか…80年代位に戻ったような気分に
させられたのは事実。

(*但し、皆さん結構礼儀正しい方が多く、
観客の青年にも、大変親切な道案内をして頂いた。)


●闘牛=相撲の世界と似てる説(私ソース)

 

何を戯けたことを…とお思いでしょうがw
これが私の感想ですw



▼ 国技という設定。
相撲-神道、闘牛-キリスト教と、国教と強い
結びつき。
そんなことないという説ありますが、
税制優遇、闘牛学校への補助金制度など、ここらへんが
政治的に叩かれる争点となってます。

▼ その形式美
イントロからフィナーレにいたるまでの形式美。
衣装から演者の立ち位置、音楽にいたるまで。

▼ タニマチその他うんぬんのゴニョゴニョ
裏スポンサーとのやり取り、恐らく莫大な金額
が動いていると思われ。

▼ 貧から抜け出す一発勝負劇
闘牛で少年スカウトはないようだけど、
ごく幼少の頃からの訓練で成り上がるしくみ。

▼ ほぼ男性社会
女性闘牛士はやはり少ない。力士と同じで
大抵奥さんはモデル、歌手などの芸能人もしくは
同じ業界関係筋。

▼夕方に始まる
ほぼお相撲と同じ時間に始まりますww


そして番外ですが…
▼地方の闘牛場にガイジンが行くと、必ず
翌日の地方新聞「闘牛ページ今日のギャラリー欄」に載るww




…そして翌日行きつけのバルで笑われますw
オチはないです。


スペイン・マスク事情

2020-09-15 20:51:05 | スペインがお題のコラム

さて、2020年の夏。

スペイン全国民、マスクデビューの夏…

8月13日をもって、公共の場でのマスク装着が義務化が全国区となった。



そして気になる“装着を怠った場合の罰金”が、

100ユーロ!

(*2020年現在13000円弱)

この微妙に笑えない金額設定に、
改めて“コロナ後における社会新体制”なるものを
身をもって実感した人は多いかと。

しかし“緊急も事態宣言発令”下のもと、
何か月もの強制引きこもり生活を耐え忍んできた後だ。

もちろん反マスク派意見もあったけど、
“四の五の言わずに…”と意外とすんなりと受け入れた方が
多かった印象だ……当初はww

● マスク啓蒙活動、広告

政府からの広報を含め、
「正しいマスクの付け方」
「やってはいけないマスクの付け方」
などの情報がメディアを通して繰り返し流される。


「喋るために外さない」「鼻を出さない」「手でいじらない」
「マフラーのように下してかけない」
「危険はまだすぐそこに。正しくマスクを使おう」の街広告。


各地の偉人、聖人らの銅像らもしっかりとマスク装備。
(一人違うジャンルだと思うけど気にしないでw)

商業広告で一番最初に目立ったのは、
このパンテーン社、ヘアーケア製品の街頭広告。


曰く、「今年の夏は、私の髪が最高のアクセサリー」

商業広告にマスク装着モデルを出した、最初のものかと。
現状をポジティブにとらえたという意味では成功だったかもしれない。
(ただ、これ以外のマスクを取り入れたイメージ広告は
見受けられない。…確かに難しいかもなぁ…)

● 大拡大のマスク市場

そしてマスク市場。

製品の普及は5月頃、一般民間では
落ち着いた感が出て、さすがに「マスク転売ヤー」は出現する
ヒマはあまりなかったかと。

各スーパーでも簡単に使い捨てマスクを
入手することができるようになった。


10枚入り6ユーロってのがスタンダード。
ただ最近値下がりが始まって、今日3,80ユーロを発見…

他の衛生用品などとともに大拡大している
新市場。小さな洋品店を経営している友人も、
「飛ぶように売れる」と言う。

但し、「だって他のものが売れないから…」
なんだそうで…

春先に始まった引き篭り体制が長引き、あっという間に
夏が訪れ、外に出る機会も少ない、バケーションといっても
おいそれと出かけまわれない、ということで衣類が売れない。

今回の騒動で一番打撃を受けたのが観光業、飲食業と
言われているが、この衣服の製造・販売業も相当な打撃を受けている。

そこで、せめての少額商品ながらも、


オリジナルな柄一杯、まさに一点モノのマスクや…


お出かけ用の高級感を出したラメ入りとか…


スペイン国旗入りマスク。これは売れた。
コロナ大感染国として世界に名を馳せてしまった
この国。でも頑張ろう!みたいな気運が起きたのは確かだ。
(政治的な右左思考を越えての話で)

メッセージのあるもの、笑えるイラスト付きも
結構みるけど、一般生活では疲れるのか、常用してる人は少ない。
写真は「このコロナ野郎!」(英語で言えばファッキング・ビールス)の意。

数々のファッションブランド、スポーツメーカーなども
オリジナルデザインを発表。

アディダス、ナイキらの根強い人気。

スペイン発ブランドMANGOは早々にデザイン発表。

そして、これはオリジナル~!と注目されているのが、
各美術館ショップが発信している名画マスク。

マドリッドのティッセン=ボルネミッサ美術館では、
同館所有の作品らにちなんだマスク発売。好評な売れ行きとのこと。


ルノワール、モンドリアン、リナール、ポール・クリー
などが12ユーロで!

そしてわがサラマンカの、「カサ・リス美術館」
のオリジナルマスク(館内のステンドグラスのデザイン)
も好評だそうで。




しかし全体的にその市場が大きいと感じたのはお子様用マスク。


通学の際、6歳以上の児童のマスク着用が義務付けられた
今日、その需要は拡大されると予想される。

そしてこんな時期にもプリメラ・コムニオン(聖餐式/日本でいう七五三に近い儀式)
を迎える子らもいて、そこにもマスクが…

衣装と合わせたレース仕立てがやはりスタンダードとのこと…

子供のために、孫ちゃんのために、と手作りのマスク
作製も流行っており、そのための型紙や、ハウツー本、サイトも
結構人気の模様。

●…マスク着装、スペイン流(ちょっとトホホ)

さて、数か月の間に普及したこのマスク。

なぜか

「東洋人はマスクのエキスパートだな」

「正直前はおおげさだって笑ってたんだけど、悪かった。
うちらが遅れてたんだな」

などと、喜んでいいのかわからん、微妙なお褒め?を頂く近頃。

しかしですね…実際「東洋のエキスパート」としては
“マスクの効果あんの?!”みたいなシチュエーションに
出遭うことが実に多いんですな。

例えばひっじょーにおおいのがコレ↓

ひじマスク

ちょっと気が緩むとなぜかヒジにはめる。

なぜヒジ?

男性に多い。

かつて日本でヒジにマスクをはめた人を見たことないが…

…なぜヒジカバー?無くさないように?

そしてコレ↓



鼻だしマスク

割とお年寄りに多い。

付添の娘さんなどか直しても、そーっと自分で
移動させたりしてる。

「だって息苦しいんじゃ!」
とのつぶやき付きで。

こちらの方が鼻が高いのはわかりますがねぇ…
効果半減と思うんですがねぇ…

そして個人的に笑いを抑えられなかった

おでこマスク

さすがに近頃は少なくなったものの、
最初のマスクデビューしたての頃、
「マスク=サングラス扱い」をするものと思って、
上に揚げる人が結構いた。

「うわー久しぶり~元気だった~?」

と、マスクを上に揚げて固定する友人。どうしても

↑この山伏の頭巾とイメージが重なってしまい、
笑ってしまうんだけど、笑いの原因説明が
ひじょーにメンドクサイという場面をなんど繰り返したか。

そして最後に…

放置マスク




…「いやいや大変だよ~熱いって!もうマスクの下は熱帯!
冷たいのまずちょうだい!」

みたいな感じで、バルなどに入ってくるなり、
なぜ外してそこにかけるかね!

雨傘じゃないんだから。

そしてなぜか「店内ははずしてOK」と思う人も多く、
“飲食以外では付けていて下さい”とお店の人に
注意され、憮然とした面持ちで付け直す…の場面展開、多し。

さて…もう時は9月。

マスク義務の騒動は落ち着きを見せた感…

なのに…

「なんで感染者減らないの?!!」

が大方の感想か。

むしろ「マスクって効果あるわけ?!!」

の不満と不安の交じり合った声がぼつぼつ
聞こえ始めていますが…

もう今年も残す所、数か月。

先行きが見えず、目先の計画を立てることも
ままならず、なんとなく憤然とした気持ちでこの年を
終えるのか…と、遠い目をしてしまうこの頃です。


スペイン各地の観光PRビデオ厳選集~独断と偏見で選んでみた

2020-04-21 22:02:28 | スペインがお題のコラム

これから世の中、どうなるか本当にわからない。

あの街の賑やかさ、夏のテラスで飲む冷たいビール、



街角で抱きしめ合う恋人たち、子供で溢れかえる遊園地、



…なにか前世の記憶のような気がしてきた…なんて泣き言を
いう人もいる。

すでに春は過ぎつつあり、本来であれば
夏のバケーションシーズンに入るというのに…

まあグダグダいってるヒマな時間はある。
このヒマをせめて利用して…ってことで、

スペイン国内バーチャルツアー作ってみました~!

スペイン全国で作られてる
「観光客さんいらっしゃい!」的な
観光誘致ビデオは実に多い。

これをヒマに任してあれこれ見散らし、

-素人投稿ビデオ的なものでなく、なんらかの団体によって
ある程度の予算をかけて作ってるもの。

-基本3~4分のビデオであること。
(やたら長いの多すぎ。但し評価できるものは例外)

を基準に、すんごい独断と偏見で勝手に厳選した、
スペインあちこちの観光誘致ビデオをご紹介~

▼コルドバー2020年度FITURで最優秀賞受賞



一番最近に行われたマドリッド国際観光見本市
ビデオ部門の最優秀賞をとった作品。
コルドバ県議会の出展作品。
(本編は12分以上だが、上記はその縮小版)

コルドバといえばご存じメスキータ、ユダヤ人街
となるが、ビデオではコルドバ市に留まらず、
県全体をくまなくご紹介。

1人の主人公が旅することから始まるストーリー、
そしてSNSの大いなる影響を感じさせるシーン…
は今かなり流行りみたい。

アンダルシアらしい、土臭さとモデルニズムが
うまい感じにミックスされてます。

▼カタルーニャー2018年 CIFTにより最優秀賞



国際観光ビデオフェスティバル委員会により、

2018年に選ばれた作品。

外国人ストリートミュージシャンが落とした
ノートを拾ったことから始まる2人の女性の旅…
というストーリー構成。

カタルーニャ地方全体をうまーく網羅してて、
飽きさせず、うまくまとまってますな。

若いミュージシャンを多数起用して
フレッシュな印象、やっぱセンスいいな~と思う。

▼マドリッド-2017年CIFTにより最優秀賞受賞



上記の賞の他、世界17か国にて受賞があったとのことで、
まあ業界の歴史に残る作品かと。

作品中に使われている元曲は、地元マドリッドで
古くから親しまれている「Chotis/チョティス」という
伝統舞踏曲の作品の一つ。

オリジナル曲とは相当かけ離れたアレンジなので
比較すると面白い。貼っときます~



元歌の歌詞は、マドリッドのあちこちの地区を
褒めたたえる曲で、まさに誰もが知る、地元民の心の歌。

観光ビデオの方はダンス・パフォーマンスの流れそって、
次々に市内の見どころを紹介する流れ。
年一回同地で開催される大きなフラメンコフェスティバル
のプロモも手伝って、実にスマートなできになってます。

▼ グラナダ-オーボエとファゴットの音色に合わせて



これはグラナダ在住のガイド、Minakoさんに教えて
もらったお気に入りのビデオ。

International Double Reed Society…ようは
二枚リードの楽器=ファゴットとオーボエの
国際協会のカンファレンスが2018年にグラナダにて
行われたとのこと。その時の制作ビデオ。

流れる曲「グラナダ/Granada」は先の「マドリッド/Madrid」
と同じアグスティン・ララ(Agustín Lara/1890-1970)作曲。
やはりこの土地を代表する、大変な名曲。

歌詞付きのを貼っときます。


観光ビデオの方は、音楽と合わせた自然な編集がすばらし!
グラナダの街の自然な姿-バルで寛ぐ人たちや、市場の様子を含め、
すべてをうまーくまとめて紹介してくれてます。

▼ アストゥリアス-いつか必ず、戻る

そして最後にスペイン北部、アストゥリアス地方の観光ビデオ。



自然がたっぷりと豊かな土地で、毎年ファンともいえる
観光客らが、海に山にと押しかける土地だ。

このビデオは今回の緊急体制後にオンエアされ、
多くの人々の心を震わせたと思う。

ビデオ中のナレーション(例によって意訳)

濡れた砂浜をまた裸足で味わう
時が来る。

呼吸をし、生きてることを、
そして自由を肌で感じることを
取り戻すだろう。

私達の街並みやその景色を
僕たちの賑やかさでまた
色づけるだろう

勝利は私達の握中にある。

大丈夫 必ずうまくいく。


Volveremos a encontrarnos,
a pisar la arena mojada.
Volveremos a ser libres,
a respirar, a sentirnos vivos.
Volveremos a reconquistar nuestras calles y caminos,
a disfrutar en compañía.
Porque la victoria está de nuestro lado,
y todo va a salir bien.



スペインを代表する歌はどれなんだ?(2)-今一番歌われている歌

2020-04-08 01:50:27 | スペインがお題のコラム

…どうしたものか。

ついこないだまでは、いつものバルで、いつもの友達と
バカな話で盛り上がってた。



夕方の公園のブランコには、わらわらと子供が
ぶら下がっていて、その歓声が響き渡っていた。


ベンチにはつつましく座って日向ぼっこを楽しむご老人。

市場では、弾けた魚やの奥さんの呼び込みが気持ちよかった。



それが…
新型コロナウィルス感染の爆発的な拡がりにより、
スペイン政府は国家非常事態宣言を発令、
2020年の3月16日より不要不急の外出を禁じる緊急体制を
敷くことになる。



「イタリアとか中国大変だよね~」
なんて他人事のように喋っていたその数日後、地獄が始まった。

人っ子一人いないマヨール広場…

散歩やスポーツも含む、不要不急の外出は禁止。
すべての経済活動は停止、商店やバルレストランは閉店。

一方、あっという間に感染者が爆発的に増加し、
医療破綻が始まるまで数日とかからなかった。

(緊急体制が開始してから3週間程過ぎ、
感染者は14万超え、死亡者は1万3千人を超える)

催事場は緊急病院に、
スケートリンクは遺体安置場に、
一斉に感染者の出た各地の老人ホームには、軍隊が出動
して救出作業が行われる。

あれよあれよという間に、一切の日常の細々した風景が
すべてかき消され、メディアはウィルスの話題一色
の報道となり…

まったく息をつく間もなく、気がつくと
ため息混じりで毎日をウツウツと過ごす自宅軟禁の日々が
始まってしまったのだ。

●夜8時、バルコニーにて

老若男女年齢問わず、自宅待機。
必要最低限の外出以外、すべて禁止。

…せめて外の空気を吸って、陽の光に少しでも
あたろうと、バルコニーに出て午後を過ごす人が
多くなる。

ふと向かい側もみると、やはり同じ考えたらしき
人たちがちらほら…

やがてお互いに声をかけたり、手を振ったり
するようになった。その頃から…

「どうせなら、夜8時に皆でこのバルコニーから
拍手をして、今、頑張って働いてくれてる人達に
感謝の意を示してはどうか?」

というアイデアが広まった。


これが全国区で広まり、今はスペイン全土にて
ずっと行われている、デイリーイベントとなっている。

毎日19時58分ちょうど。

ぽつぽつと各自がベランダに出てきて、以下のように
拍手が始まる。(ビデオ撮影は、とある日のサラマンカ市内)


病院で働いてる医療関係な方達。
公共交通機関をたゆまず動かしてくれている人達。
道路清掃やゴミ収集の方達。
運送業、スーパーや食品店の方達。
警察や軍隊の方達。

すべての方達への感謝を込めて、さわさわと拍手が鳴り響く…
これが2020年の初春の夕方の風物詩となった。

●「RESISTIRÉ / 耐え抜くぞ!」

さて、この拍手セレモニーの後、
必ずやといってよい程、誰かがスピーカーを持ち出し、
DÚO DINAMICO(デュオ・ディナミコ)の代表曲、RESISTIRÉを全員で合唱、
というのが、これまたお決まりの盛り上がりミニイベントとなっている。

(↓ビデオはコルドバの例)


このDÚO DINAMICOは最近のグループというより、
かなり昭和の懐かしグループジャンルの方々。

(写真ビフォーアフターでごめんw)

1958年結成、主に60~70年代にポップなリズムと分り易い歌詞
のヒットソングを連発した2人だ。

その後一旦解散した後に、86年再結成、その2年後に出したアルバムに
挿入されていた曲がこのRESISTIRÉ(レシスティレ)だった。



もちろんこのアルバム自体もヒットしたが、この曲の知名度をその後
アップさせたのは、実はあのペドロ・アルモドバル監督の90年の初期作品
「Átameアタメ~私を縛って」のワンシーンに使われていたことからだった。


(個人的には初めてみたスペイン映画のうちの1つのお気に入り。
アントニオ・バンデラスが当時ピチピチでときめきました…)

以下簡単に歌詞の一部を訳してみる。(超訳です)

すべての戦いに負け果て、
孤独に包まれて眠り、
八方塞がりになって
宵闇に纏われ苦しめられる時。

静寂に怯え、
立っていることさえ苦しく、
蘇るいまいましい記憶で、
圧し潰されそうになっても。

耐え抜いてみせる。
すべてを前に、凛と立ち向かい、
この世が例え嵐を吹き付けようと、
固く鋼のごとく耐え抜き、
折れ曲がろうとも、必ず立ち続ける
イグサのように。

耐え抜いてみせる。生き抜くために。
どんな衝撃にも耐え、決して諦めない。
夢が粉々に砕け散ったとしても、
耐え抜いてみせる、耐え抜いてみせるんだ。

Cuando pierda todas las partidas
Cuando duerma con la soledad
Cuando se me cierren las salidas
Y la noche no me deje en paz
Cuando sienta miedo del silencio
Cuando cueste mantenerme en pie
Cuando se rebelen los recuerdos
Y me pongan contra la pared
Resistiré, erguido frente a todo
Me volveré de hierro para endurecer la piel
Y aunque los vientos de la vida soplen fuerte
Soy como el junco que se dobla
Pero siempre sigue en pie
Resistiré, para seguir viviendo
Soportaré los golpes y jamás me rendiré
Y aunque los sueños se me rompan en pedazos
Resistiré, resistiré

●2020のスペイン応援国歌
 
実はこの歌は今回に限らず、スポーツの試合の際などに
歌われていたとてもポピュラーな曲。

ラテンなヘラヘライメージとは違う、
非常に体育会系な歌詞からくる…この堅牢さはとっても
スペイン…と個人的に感じる。

さてこの歌はこの“コロナに負けるな”応援歌として
この数週間大いに歌われ、DÚO DINAMICO
の両氏は著作権をマドリッド自治体に譲渡したとのこと。

現在実に様々なバージョンがネットに上がった。

一番話題を呼んだのが、スペインの様々な
著名ミュージシャンによって合作で
歌われたこの↓ビデオ。



皆さん自宅待機態勢であるものの、
普段集められない様々なジャンルの方々の合作で面白い。

さて明日も。

そして明後日も。

この応援歌は毎日、同じ時間に全国で歌いあげられる。

小さい子供たちが、ベランダの柵にしがみついて
大声で歌っているのをみると、
どうか、どうか早くこの事態が収束しますように…
と祈る気持ちになるのは、私だけではないはずだ。





参考資料-https://www.elmundo.es/madrid/2020/04/01/5e84b38cfc6c83043b8b465a.html

至宝!カスタネットおばさんに大喝采!

2019-12-30 23:57:21 | スペインがお題のコラム

まずはいいから黙って、このビデオを鑑賞して頂きたい。

 

 

どうですか?!
なんですかこれは?!
どなたですかこの方?!

曲はサルスエラの代表的な作品の一つ「ルイス・アルフォンソの婚礼」の間奏曲。

慎ましく、でも堂々と入場された演奏者が両手に持つのは、ほんの小さなカスタネット。

これがいざ演奏が始まるや否や…

その軽やかな音色、正確なリズムに聴衆はハッとなる。
あれよあれよと彼女の繰り広げる世界に引き込まれ、身を乗り出し、
大きな盛り上がり後に一気にフィナーレを向かえた途端、破裂するように大喝采!

これが現在世界一と言われるカスタネット奏者。

出身地のメキシコ、そして彼女を育んだスペインが
誇りにする至宝級アーティスト。

ルセロ・テナ(Lucero Tena)氏なのである。



●天才少女アーティストからのスタート

1938年(昭和13年)メキシコシティ生まれ。
元よりスペイン系の血を引く家系。
本名はマリア・デ・ラ・ルス・テナ・アルバレス

病気がちの娘を心配した両親が、クラシックバレエの
教室に入れたのが彼女がわずか4歳の時。

バレエだけに留まらず、スペイン民族舞踏、また近代
スペイン作曲家の作品に合わせたダンスなど幅広く学ぶ中、
早々に天才少女としてその頭角を表していたとのこと。

その当時の輝きぶりを知るのが、
世界三大テノールの一人として有名な、かのプラシド・ドミンゴ氏。




幼少時代、サルスエラ劇団を経営する家族とともに
メキシコに移住したばかりのドミンゴ少年、9歳。


現地子供向け番組で大活躍の、当時13歳のテナ氏を見て
「あの時大ファンでした」と随分後に興奮気味に告白したとのこと。

(その際、テナ氏の旦那様に向かい、“私あなたよりずっと以前に
奥様を知ってたんですよ…フフ”と危ない冗談をかまして
相手をたまげさせたらしい…まさにここに昭和の男、プラシド・ドミンゴありw)

●スペイン移住、カスタネットとの出会い

その後間もなく、ルセロ・テナのアーティスト人生は、
一人のフラメンコ・ダンサーとの出会いから、大きく飛躍する
ことになる。

それがカルメン・アマジャ氏(1918 - 1963)



往来のフラメンコ舞踏の形を突き破り、
独自のスタイルを極め、そのカリスマ性の強さから
生誕100年以上経った今も語られる偉人。

海外での数多くの公演は大成功を収め、
30~40年代のアメリカ・ハリウッドでは引っ張りだこ、
現代フラメンコ舞踏の祖といって過言ではない。

(ゆえに、私達外国人が持つフラメンコに対する典型的なイメージ…
“激しいステップ、口にはバラの花”等は恐らくこのアマジャ氏から
生まれたものかもと思う)

海外公演を数多くこなしていた彼女が、
メキシコ公演の際、体調を崩した共演者の妹のかわりに、と
毎日熱心に稽古場の見学に来ていたルセナに白羽の矢を立てた…それが
すべての始まりだった、と本人は語る。

アマジャ氏の公演に同行の後、スペインに渡って長年
マドリッドの超有名老舗タブラオ、「Corral de la Morería 」に籍を置き、
踊り手として爆発的な人気を得るまでそう時間はかからなかった。
かっこえ~!!

以下いくつかその時代の貴重な動画を…


(1966年の年末特番で放映されたらしいミニコンサート。初々しい。)


(実際に前出のタブラオで撮影されたらしい映画のワンシーン)

ご覧頂ければわかるとおり、カスタネットを巧みに使った
情熱的な彼女の踊りは、大変な人気を博したという。

「ルセロ・テナ仕様のカスタネット」なるものまで
販売されたというからすごい。
アンティークサイトで発見w

その後、年齢を重ねて徐々にカスタネット演奏家としての活動を主とし、
様々なジャンルの音楽の演奏に挑戦し、実に世界各国(もちろん日本
も含む。
)での演奏で大成功を収め、今に至る。


(1977年の思わず息を呑む繊細な演奏。この頃はルセナの絶頂期であり、
彼女の婚約披露には世界中の大使からの祝辞があったとか)

●カスタネットの魅力の昇華

「元々はカスタネット=フラメンコ用の楽器ではなかった」

とインタビューできっぱり発言するルセナ。
なんとなくそう思ってたけど…


「起源の古い楽器であるカスタネットは、スペイン全土において
民族音楽の演奏に幅広く使われ、親しまれていたもの。」

「それをフラメンコ音楽に取り入れたのは(師匠方である)カルメン・
アマジャ氏。その導入は比較的近代のものでなのです。」

(カホンと同じく、フラメンコに欠かせないとされる楽器が
意外と最近の導入であった…というのは面白い)

後に師匠アマジャ氏の教えに従い、なおかつ自分で8つの演奏方法
を開発し、その技術の昇華に貢献したのがルセロ・テナ氏であろう。

そもそもカスタネットはスペインの専売特許製品ではない。

古代エジプトにもその起源が見られ、地中海沿岸を中心として
古くからヨーロッパ全体に広がり、親しまれた楽器。
現代においても各国の民族音楽に幅広く使われている。

ポルトガルも含む、ここイベリア半島において
特にこのカスタネットの軽快な音が大いに人気を得たというのは、
まさに土地柄と歴史が導いたとしか言えないが。


●そして今、再びルセロ・テナ

そのアーティスト人生において、世界各国で常に大絶賛を
受けてきた彼女。

アメリカ・ハリウッドに留まらず、各国首相、ローマ法王から
数々の芸術家を魅了して止まぬその演奏活動は、御年80歳を
超えた今でもイキイキと続けられているのだ!

特に本年2019秋には数多くの全国紙にルセロ・テナ氏の
インタビューが掲載された。

これは主に海外ツアーを活動の中心とする彼女が、
バルセロナのリセオ劇場で久々に生出演したため。

もう何周か廻って来た再ブーム、というか、
彼女を知らなかった若い世代が大興奮だったらしい。
(
Youtubeの検索数が数ヶ月で激増)

そんな再ブームにもにっこりと微笑み返し、
「ダンナの次に大切な」と語るマイ・カスタネットを
もって、引き続き世界中を優雅に飛び回るルセナ。

かっこいい…

彼女をおばさん呼ばわりした人、土下座ね!(爆)

参考資料
https://www.abc.es/espana/catalunya/disfruta/abci-lucero-tena-quien-decirme-castanuelas-llevarian-liceo-201911081246_noticia.html
https://www.lavanguardia.com/lacontra/20191119/471741115629/la-castanuela-es-el-verdadero-simbolo-de-espana.html




鉄格子らをいろいろ鑑賞してみる(2)

2019-07-02 10:06:48 | スペインがお題のコラム


前回記事を書く際(そうとうマニアックな記事ですがw)、
この国の“鉄格子・鉄柵史”をちょっとだけ調べてみた。
以下、面白そうな話だけをいくつかピックアップ。

鉄といえば思い浮かべる、「鍛冶屋さんが金床に載せた焼けた鉄棒を
トンカンやってる」イメージ。
古い時代の鍛冶やさんのお仕事場

この古典的な方法で強化された「錬鉄(れんてつ/Hierro Forjado)」
によって作り出された鉄製品は、長年人間にとって欠かせないものだった。

様々な農工具はもちろん、武器などにはじまり、
そのうち扉や鍵など用途はどんどん広がりをみせる。

 

巡礼道からやってきた技術と流行

今や世界的に有名なトレッキング・スポットとして有名な
「サンティアゴ巡礼道」

世界遺産にも指定され、毎年各国より何万もの巡礼者
が訪れる人気スポットだ。

数あるルートの中、主幹となるフランスからの巡礼道。

この巡礼道を辿り、イベリア半島に伝わった文化・技術
は多岐に渡る。

そしてこの巡礼道沿いに数多く在る教会群。
西ヨーロッパのロマネスク様式建築の宝庫となっている。




で。
11~13世紀あたり古い時代の鉄格子や鉄柵が残っている
のがここです。なぜか?


本来このサンティアゴ巡礼道は
「巡礼道=道中あちこちの聖遺物を辿り拝んで、ゴールの大聖地
サンティアゴ・デ・コンポステラに到着して万歳!」
てのが本趣旨。

まさに「キリスト教徒すごろく」

第四回十字軍(1202~04年)の結果、東ローマにあったそれらの
聖遺物=お宝が、保護の名の下略奪の上、西欧に大放出…て経緯も関係している。

(はいここテストに出ます~ww) 

このお宝を抱えた素朴系教会らが、この聖遺物を盗られまい
と熱心に防犯対策=鉄格子、鉄柵だったかと。

この製鉄技術ももちろん巡礼道を通じて入ってきたものであり、
ゴールとなるガリシア地方の製鉄業の隆盛はここに起源をみるという。

(聖遺物=諸聖人聖女の遺骸や遺品。聖女の遺髪だの、指だの、生前の法衣だの
拝むことで願掛け、奇跡があったというが…あやしさ一杯じゃん?!というのは
オフレコでwww)

前置き説明が長くなりましたが、これらほぼスペイン現存最古の鉄柵などみてみると、
ハカ(ウエスカ)のサンタ・オロシア聖堂内聖壇

レオンのサンタ・マリア・デ・メルカード教会


…と、「ぐるぐる渦巻き模様」が原始デザインというか、初期の鉄柵
製作において長年好まれていたらしい。
理由ははっきりしないけれど、作りやすく、美的にもOKで隙間を
埋めやすかったのか?

この「渦巻き模様」は長年使用され、その後SやCの形など
バリエーションが生まれていった。

その後扉の強化などにも多用され、「鉄柵=渦巻き模様」の時代は
長かったと思われる。

ま、鉄柵から伺えるサンティアゴ巡礼道の
意義とでもまとめておこうか。

●贅を凝らした聖堂内鉄柵を鑑賞

ここまで書いておいて、「鉄柵を鑑賞し、愛でる」
というフレーズにちょっと変態臭を感じた自分がおりますがw

観光などで訪れた聖堂の聖歌隊席や、聖堂の前には
ほぼ必ず配置してある、これらをじっくり観る価値はありかと。

特に15から16世紀当たりの作品。
なぜなら↓

スペインの鉄柵はやたらでかい。

パレンシア大聖堂

トレド大聖堂

モノによっては高さ9メールとか(!)圧倒的な威圧感。
高層建築だらけの現代ならまだしも、あの当時ですよ。
訪れた方々は驚愕したに違いない。

でもって、

バブリーに贅を凝らしている。


グワダルーペ、ブルゴスの大聖堂


その丁寧で豪奢な装飾は他国に例を見ない。
難解な技術を要する金塗・銀塗・カラーリング、エンボス(浮彫り装飾)
など、当時の職人らは互いの腕を競うようにして作り上げていったのかと。


(トレドの大聖堂には、当時の職人頭らのサインも残されており、
彼らの矜持の高さがうかがえる)

飛ぶ鳥落とす勢いの大国スペインにおいて、
隆盛極めたキリスト教の黄金期であったことをうかがえ、
またそのお陰でできたゼイタク鉄柵wが鑑賞できるということで。


●ニューヨーク・メトロポリタン美術館にあるスペインのお宝

そしてこの「スペイン名物、アンティークのゼイタク鉄柵」の一つが
なんとニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されているとはいかに?

モノはカスティージャレオン州都、バジャドリッドの大聖堂の鉄柵。
まだ売却前の御姿。

1763年、当時の有名職人によって作成された堂々とした作品。

これを1929年、(たった)500ペセタで購入したのは
新聞王といわれ、映画「市民ケーン」のモデルとなった
アメリカの大富豪、あのウィリアム・ランドルフ・ハーストだったんですな。


彼は人生後半、その膨大な財産で自分の名前のついた「ヨーロッパ風
宮殿」を作り上げることに異常に熱心になっていた。

(その宮殿はカリフォルニアに存在し、地元観光地として現存している。)

まあマイケル君のネバーランドみたいなもんかねw

そして旅行で行ったスペインをいたく気に入り、
ぜひあの地にある聖堂、宮殿を自分の土地に…と、
バンバンお買い上げ、お持ち帰りしたらしい。

(お買い物の中にはセゴビアにあった小さな修道院などあり、
敷石から屋根まで残らず船便で運んだというからすごい。)

そしてこの膨大なお買い物リスト中にあったのがこの鉄柵。
しかしながら後に「うーんやっぱ微妙」とかでハースト宮殿に
設置されることなく、世界恐慌が訪れて競売→美術館がゲット…
というのがオチだったらしい。

金に翻弄され、時代に流された後、このゼイタク鉄柵は今でも異国の美術館内に静かに在る。
お守りする聖遺物もなく、ただ白い壁間に沿うご本人?の気持ちはいかがなものか。

(フランコ時代、スペインへの返却目的の販売オファーをしたらしいが、
いらんといわれたらしい。)


参考資料
http://baulitoadelrte.blogspot.com/2016/10/el-arte-de-la-rejeria-y-la-forja.html
https://vallisoletvm.blogspot.com/2010/11/la-reja-de-la-catedral-de-valladolid-en.html
https://www.elnortedecastilla.es/valladolid/reja-catedral-cruzo-20171101105449-nt.html


スペイン音楽特番 in 大阪万博 Expo’70会場 (超お宝映像)

2019-02-14 01:53:21 | スペインがお題のコラム

2025年の万博開催地が、大阪に決定したとのニュース。

これを聞いてとっさに“またやんの?”と思ったあなたは、
どっぷり昭和の人でしょうなww

そう、ちょっと古い人間にとっては
1970年に大阪にて開催された大阪万博こそが想い出の
万博。愛知万博はなかったことになってたりするw

 半年の開催期間の来場者数 6,421万8,770人と歴史的な記録。
(当時の人口の1/3)ちょうど高度成長期、発展のシンボル
として未だ語り継がれる戦後の最大イベントの一つだった。

ちなみに数多い参加国に、スペインの名前はなし
もちろんパビリヨンはなかった。

一つ特記できることといえば、「ガス・パビリヨン」館内に
バルセロナ出身の画家ジョアン・ミロ氏が製作した作品「無垢の笑い」
が展示されていたことか。
(当時の展示の様子)
(現在は中之島にある「国立国際美術館」に展示)

そして実は…スペイン国営TVが同年開催時期、
この万博の紹介もかねて、特別音楽番組を開催地で撮影していたんですな

その名も「OSAKA SHOW 1970」

当時一番売れてた4人の歌手が出演。

まずは出ましたフリオ・イグレシアス
(今はエンリケ・イグレシアスのお父さんと言わんといけんのか?)
27歳、まだ髪ふっさふさのピッチピチ。

歌いながらコンパニオンのお姉ちゃんにちょっかいだしたり、
もうこの頃からだったのね…いかにもなラテン男ぶりが素敵だわw


そしてミゲル・リオス


60年代より活躍している、シンガーソングライター。
スペインロック界のパイオニアとして、今じゃ重鎮として
幅広く活躍。

しかしまさか大阪万博で阿波踊りの方と踊りながら
あの偉大なヒット曲を歌っていたとは…


このベートーベンの第九のメロディをベースにした
“喜びのシンフォニー”は世界的なヒットとなり、日本でも
販売されていた模様。(ちなみにもう一つの“新世界より”はやはり
ドボルザークのあの曲ベースのロックです)



次は女性陣、カリーナ


当時大ヒットした「夢見るシャンソン人形」をスペイン語で歌って大ヒット。


日本で言えば弘田美枝子あたりか。おそらくシルヴィ・バルタン
とかの路線で、とにかく大人気だったとのこと。

そして大阪万博のサンヨー館展示の「人間洗濯機(今でいやジャグジー)」
にご本人の入浴シーンが!当時のファンには鼻血ものだったと思われる…


最後に68年ユーロビジョン優勝者マシエル
(同コンテスト史上、唯一のスペイン人優勝者)

*大阪万博時の切り取りビデオがないので、ユーロビジョンのやつです。

もちろん日本でも発売されていたようですが、
この“ラララ”は今~~だに人気定番曲で、中高年で
カラオケに行くとかならず誰か歌いますw

…とこんな感じで、彼ら有名歌手らのおしゃれPVであり、
また大阪万博の紹介リポートになっているとなかなかよくできた番組。

そして今となっては大変貴重な資料ではないかと。

歌い踊る彼らの後ろに群がる人々の姿に目が行く。
…日本人の顔って随分変わったかもなぁ…
着物の方が結構多いよな。
いかにも昭和な孫とおばあちゃん
激しく歌い踊る歌手を見つめる方達。
よく考えたらここで人生初めて外国人を見た!って方
も多かったんだろうねぇ…

思いがけず、日本とスペイン2つの国の昔に
同時にタイムスリップできたわけで。

ちょっと興奮したお宝発見でありました~

↓以下は全編になります。







スペインの節分(?)~年始から忙しい聖人聖女たち

2019-02-04 00:55:41 | スペインがお題のコラム

毎年のことながらですが。
お正月明けの、あのぬるーい雰囲気は何なんだろう。

眠い、けだるい、やる気ない

…皆一応オトナなので上記3つがないフリをして、
平たい顔でさっさと通勤、仕事にいそしむ、またそのふりを
してたりしますが。


ここスペインにいたっては、クリスマスイブ前から大晦日元旦
を過ぎ、1月6日あたりまでがいわゆるクリスマス時期となり、
正直、長ったらしいこと、この上ない。

休暇後、残ったのは、暴飲暴食で数キロ浮腫んだ体と寂しい財布。
そして寒い。朝起きても夜。ちょっと活動したらすぐ日が暮れる
季節要因のウツがうごめき出し、イライラが募る…

日本においては、このウツウツの気を払おうというのか、
2月3日節分の日、立春の邪気払いとして豆を撒いたり、
イワシの頭で魔よけなど作ったりなど、忙しくする習慣あり。

そしてこちらスペインでは、正月終了後、聖人聖女の日がずらずらと
続き、各地において伝統行事が行われ、(意外と盛大に)祭が行われる。
春の入り口に行われる聖週間(セマナサンタ)の大祭までの
ツナギか?とも思われる。

それらのいくつかを以下↓ご紹介

●動物たちの守護聖人、サン・アントン

1月17日、サン・アントン(聖アントニウス)の日。
動物らの守護聖人とされる。

祝福を求めて教会につめかけるワンニャンのオーナーら。

この日だけは動物らの堂内入室が許され、なんともほのぼのな
ミサが行われる。海外ニュースとして流されることが多いので、
ネットなどでみかけた方も多いかも

まあ昔は動物といえばウマ、ウシ、ブタなどの家畜。
交通手段であり、食料でもあり、命の絆。
これらの繁栄健康を祈り、感謝をした日でもあったのか。

例えば“馬と共に焚火の上を飛ぶ”儀式。
カスティージャ・イ・レオン地方、アビラあたりのもので、
動物保護団体に叩かれつつ、まだ残っている古い伝統。



サラマンカ南部、アルベルカにおいては、聖人の名をつけた
“サン・アントン豚”が村内に夏から放たれ、村民らの施しを
受けて育つ。
観光客ガン無視でくつろぐサン・アントン君w

この豚はサン・アントンの日に“昇天され”、恵まれない
家族の下にその肉が届けられるという風習があった。(今はくじ引きとのこと)


聖人足元にはしもべのぶーちゃんが常に。

そして張本人のサン・アントンこと聖アントニウス。

アレクサンドリア(エジプト)出身。
身分を捨てて砂漠に独り向かい、厳しい勤行にて精進し、
その生涯をひたすら悪魔とのガチ対決に捧げた聖人

この「聖アントニウスの誘惑」のお題は西洋絵画で随分好まれ、
数々の作品あり。

ヤン・マンダインとサルバドール・ダリ

…などと文化的なことを喋ってますがw
各地村々においては「祭」といえば焚火、音楽、そしてタベモノ

動物の守護聖人話は、「サンアントンを襲った盲目の豚が逆に癒され、
後に僕として仕えた」話、その他からきてるらしいものの…

例えば南部グラナダあたりの、この時期の名物は「Olla de San Anton(サン・アントン鍋)」
感謝しつつも…やっぱ食べるんやw
この豚の期らしい、豚モツ煮込み鍋であります。


お菓子やなどでは真ん中に十字の、車輪に見立てた素朴なクッキー、
ウマにはかせる馬蹄に似せたケーキなど、期間限定で並ぶ。



そしてこの“期間限定”に弱いのは日本人だけじゃないと思うw

●喉の病気の救護聖人、サン・ブラス

2月3日はサン・ブラス(聖ブラシウス)の日。
喉の痛みや呼吸器の病を癒す救護聖人とされる。

この日の前あたりになると、街中ではカラーリボンを
売る人を見かけるようになる。
聖人の伝統色、赤が一番売れるとのこと。

また他の地方では編んだ紐だったりする。

これを聖週間の始まるまで、首に結んでおくと
喉の病よけになるとの言い伝え。

サン・ブラスはアルメリアの司教。もともと医師で
あった聖人は、洞窟に住みながら、人間のみならず
動物をもいやしたとのこと。(この人も動物の守護聖人)

2本ロウソクの儀式で喉をいやすの図。

特に魚の骨を喉に詰まらせた幼子を治療したとの逸話から
喉の神様、みたいな位置に。

この日も各地にて結構盛んに祭が行われ、
一般にやはり“焚火、音楽、タベモノ”なんですが、
あれこれ目を引く伝統を残す祭もあって、なかなか面白い。

上記2つそれぞれエストレマドゥーラ地方の村祭り。

●節分、そして助け合い、励まし合い…

サン・ブラスは奇しくも日本の節分と同じ日…
と思うが、陰暦を用いていた時代には、やはりここら
辺を“節分”=季節の変わり目と考えていたらしい。

Por San Blas, una hora más
(サン・ブラスあたりから日が1時間増える)
などといった、いわゆる立春を感じさせる言い伝えが多い。

大きな焚き火(Hoguera)が必須アイテム的に
行われるのは、そりゃ寒いからというのもあるだろうが、
“清め(Purificación)”の意味も古い時代からある。

また各地で多いのはゲームやくじ引きで食料を分けたり、
金を出し合って大鍋料理を作ったりというのが多く、
これは昔は“持たぬ者”への救済もあったのか。

1年で最も寒さが厳しいこの時期。

まだまだ遠く感じる春の訪れを夢見ながら
お互い励ましあい、暖めあい、助け合いの祭りだったんだろうな。

このサン・ブラスの後、
「スペインの女正月」ことサンタ・アゲダ(聖アガタ)の祭、
そしてご存知サン・バレンティン(聖バレンタイン)と続き、
なかなか聖人聖女が引っ張りだこなわけで。