スペインサラマンカ・あるばの日々

スペイン語留学の街、サラマンカより、地元情報とスペイン文化、歴史に関する笑えてためになるコラムをお届けしています。

“貧乏チョリソー”たちはウマいのか?

2018-11-21 22:28:57 | サラマンカのタベモノ・バル情報

生ハムじゃない。

チョリソーなんだ。

そもそも生ハム!生ハム!とやたらちやほやする昨今、
チョリソーの立ち位置は微妙、いつまでたっても庶民の味方感がある。

日本においては「ちょと味が違うウインナー」位の扱いで、
お安い居酒屋でも、“ピリ辛チョリソー鉄板焼”なんてのが出てんだけど。

ここスペインのチョリソーは
「豚肉などの食肉に、主にパプリカパウダーなどの香辛料を入れて腸詰にし、干したもの」
でこんな感じ↓

 

*以下、現地の呼称に従い、「チョリソー」じゃなくて「チョリソ」でいきます。

そのまま切っておつまみに、おやつに、
焼いてもよし、煮てもよしと、
八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をみせる、まさにスペイン庶民の味方の一つなんだろう。

このあとを引くしょっぱさは、実にパンにあう

個人的には「明太子とごはん」のコンビネーションに近く、
「パン、チョリソ、パン、チョリソ」のワンツーパンチで
永遠に食べ進めてしまうアイテム。

そして生ハムよりはお安い気軽さ。

「チョリソ、チーズ、パン」は三種の神器と呼ばれるw。

新鮮な肉など、普段手の届かぬ庶民の食卓を支え、
この国の胃袋を支えてきた立派なアイテムの一つといえよう。
チョリソたちのひしめき合うスーパーの棚。

●貧乏チョリソたちとは?

…さて、その庶民の味方の、更にもっと安価版?

ずばり「肉なし貧乏チョリソ」的なものが実は長年、
イベリア半島のあちこちでせっせと作られ、消費されていたという歴史あり。
そして今でも結構愛されている由。

肉なしの腸詰?
…じゃあ…何が入ってるの?

市場のぶらぶら歩きってのは、実に楽しい。

サラマンカの中央市場。内地らしく肉屋さんが競うようにあり、
それぞれの軒に生ハムだの、チョリソがワサワサとぶらさがり、
熟成臭をプンプン匂いをさせているのを眺める。

そこで見つけた3種の貧乏チョリソをを試食の上ご紹介~

★サラマンカ代表選手、「ファリナト」

原材料…豚ラード パン クミン アニス酒 小麦粉 パプリカパウダー
    たまねぎ ニンニク 塩

サラマンカ市から南西86キロ程、ポルトガルとの国境に
近いシウダ・ロドリゴの名産品。

チョリソと比べて色がオレンジがかっているのは香料のせいか。
これは基本「軽く押しながら焼いたものに目玉焼を添えて」食べる。
 
クミン、そして香り付けのアニス酒が利いており、味は“すごく濃厚なパテ”感。
これが熱いうちに卵の黄身をすくいあげ、パンに絡めて食べる。
想像以上にイケる。…が、数切れすでに満腹感が。恐ろし、ラード。

★じゃがいもベースの「モルシージャ デ パタテラ」

原材料…豚ラード じゃがいも 豚赤身肉少量 パプリカパウダー ニンニク 塩

イベリア半島西南、ポルトガルに隣接、過去数多くのアメリカ征服者(コンキスタドール)を
産んだエストレマドゥーラ地方で作られる、貧乏チョリソの一種。

「そのままパンに塗って食べる」のが主流とのこと。さっそく買ってきた
それを切って皮を剥き、無骨にちぎったパンに擦り付けて試食。

…うん、かなりチョリソに近い!少量でも肉が入ってるせいか、
割と固さがあり、ニンニクが結構効いてる。黙って食べさせられたら
チョリソと思うかも?ただこれもさっと炙った方が良いかと。

★かぼちゃと合わせた「モルシージャ デ カラバサ」

原材料…豚ラード かぼちゃ パプリカパウダー オレガノ
たまねぎ ニンニク 塩


こちらもエストレマドゥーラあたりでよく作られるとのこと。
前出のじゃがいものヤツより、かなり柔らかめ。味も少し優しめ。
これは…他に調理方法ないかと、豆料理に入れてみた。
しまった!溶けて無くなってるww
形状がチョリソにそっくりなので、つい鍋に入れて放置したところ、とけて崩壊(涙)
ただおかげで豆料理のお味がぐっと濃厚になり、おばあちゃんが作ってくれたあの味に!
うんま~い!そしてかぼちゃ風味はゼロw

3種試食の結果、

-軽く炙ってちょっと脂を出したアツアツのがベスト。
-いくら貧乏とはいえ、値段は一番お安いチョリソ位はする。
-数切れでお腹一杯になるので、ある意味コスパよし。
-なんだかんだいって、脂はウマい。

という、恐らく誰も要らない報告を独りまとめ、満足して残った
貧乏チョリソらを若い学生くんらに振舞った次第。
(きっと彼らはこのカロリーを瞬間で消費するであろう故)

●その起源、貧乏人のため…だけじゃなかった説あり

冬の寒さが厳しさが一番つのる頃、あちこちの農村で「マタンサ」
-飼育豚のが行われるのは、この国の長年の伝統だった。
生写真はグロいので中世画を挿入w

解体した豚を丁寧に処理し、ハムソーセージ、塩漬にして
大切な食料として保管される。

その際に出る大量のラードを無駄にするはずもなく、これを
利用して作られた副産物が、これら「貧乏チョリソ」なのだ。

ある地方は古くなったパン屑をふやかして、
他の場所では、じゃがいも、かぼちゃを混ぜ込み、
形、色味を整えてみると、なんとも本物そっくり。
それに本物より倍は作ることができ、日持ちし、なおかつ
熟成が早く、すぐ食べることができた。

これを暖炉の火で炙ったものをパンに挟んで貪り、
コーヒーと一杯の焼酎(アグアルディエンテ)をあおって
早朝の凍てつくカスティージャの野に黙々と出て行く。これが
スペインの労働者の日課だったとのこと。

市民戦争後の食糧難時にあっては、ハムその他、肉と名のつくものは
すべて売り払い、まさにこれら貧乏チョリソにすがって生き延びたという
話も聞く。

(ご高齢の方にこの種のチョリソの話を訊くと、笑いながら懐かしく話す方、
苦々しくいやな想い出を吐き出す方と、分かれることが興味深い)

これらの話は以前お話した「山レモン」レシピができるまで
の話を彷彿とさせる。

…そして…

“貧乏うんぬんだけが理由じゃない、もっと古い”説もあり。
1492年のレコンキスタ(キリスト教による国土再征服運動)以降頃の話。
異教徒追放運動の始まり。

例えばポルトガルとスペインの国境、特にシウダ・ロドリゴには
大きな改宗をしたユダヤ人コミュニティーがあり、その隣ポルトガルには
純ユダヤ人コミュニティーがあったとのこと。

このポルトガル側には「豚肉入ってない、鶏肉チョリソ」であるファリネイラ、アレイラなるものが
未だ残っている。名前、ファリナトと似てる…

ようは踏み絵踏みました~!みたいに
「私改宗しました!ユダヤ教違います!」「ほら豚肉食べてる!」アピ
に利用していたかもとの話。(でもラードは入ってたらしいが)

歴史の本で勉強したことと、市場でふと手に取ったものとつながる…とは
なんともわくわくするもんです。

●貧乏からデリカテッセンへ

 そして現代。

これらの貧乏チョリソが、実は全国区に向かいつつあるらしいw
フーディーズと最近では呼ばれる美食家達が、地方に隠れていた
名産グルメ発掘!とかでネットで評判を呼びつつある…とのことで。

また地方活性化ということで、いろいろバリエーションに富んだ
商品化、流通開発をはじめたとのことでいいじゃん!
過去のちょっとトラウマ的物品が、いわゆる村おこしになるとは、正に願ったりですな。

タベモノに罪はなし。

貧乏ならぬ、おいしい記憶を沢山産むタベモノとして記憶されていく
ことを願っております。



参考資料

Farinato, de chorizo de pobres a delicatessen

 

 




スペイン・アイスキャンディー近代史

2018-11-15 23:29:30 | スペインがお題のコラム

今年の夏も暑かった。

…そして、アイスを食べ過ぎた。

大人買いというのはまあわかるが、大人喰いというのはどうよ…

お陰で何度かええトシしてお腹を壊し、反省した日々…
このアイス好きはどうも血筋なのか、祖父母をはじめ、家族親戚らが暑い夏の午後、
また季節を問わず、風呂上りなどにうっとりとアイスを食べていた姿を思い出す。

…田舎での夏休み、昼寝から置きだしたおばあちゃんが、古い小銭入れを取り出して
“みっちゃん、下の店でキャンデー買うてきて!”と言った声も思い出す。
それが未だに耳に残っているのか、今でもふらりと小銭を握って暑い日ざしの中をでかけたりする。
なんか←こんなのを買ってたような気がする…

スペインはその気候からヨーロッパの中でもアイスの消費が多い国。
近年には様々なグルメアイス、またキャンディーのお店も話題に
なっていて、大人気だ。

そこらへんについては、そういうオサレ情報発信Webにお任せして…

実は前に「近代スペインアイスキャンディー開発に熱く身を捧げた、
とあるおっさんへのインタビュー」
という現地新聞記事に目が止まり、
読んで心を動かされてしまったのだw

未だに日本にてソーダアイス、ホームランバーなどをみると
おっ!となる自分だ。だからか(爆)?
(2017年7月のエル・パイス紙の付録誌“ベルネ”より転載)

というわけで、今回は上記記事を元とした、
ここの駄菓子屋、キオスク、コンビニで売ってるいわゆる
「大衆向けアイスキャンデー」のお話となるのでご了承を。

● 地味なアイス界の改革は70年代半ばから

その昔、この国で大衆アイスといえば2つ。

“コルテ”と呼ばれる、レンガ状のアイスクリームを切って
2つのウェハースに挟んだもの。


コーンの他にも、街頭売りはこの形状が多かったらしい。
味のバリエーションはせいぜい2-3種類か。
未だにおばあちゃんの家にお呼ばれすると、「じゃあデザートを…」
といって冷蔵庫から巨大羊羹状のアイスを引き出し、切り分けて渡してくれる。

(実は私は“スペインのアイスモナカ”と呼んで、今でも
愛しております…)

もうひとつは“ポロ”と呼ばれる安価なアイスキャンディー。
一番安いのは主に“フラッシュ”などと呼ばれる、日本で言う「チューチューアイス」。

レトロ物になりつつも、これも未だにスーパーなどでみかける。
暑い夏、子供らがバラ銭で買える小さな避暑。

「ただね、私の父親が買ってくれるアイスといえばコルテ。アイスキャンディー
の方は何かしぶって買ってくれませんでしたな…」
と語るのは前出記事の主人公なる、ホアン・ビニャロンガ氏。恐らく
当時衛生面を気にして買い渋る親が結構いたということか。

●ドラキュラアイス登場で改革開始

1975年11月20日、フランコ総統死去。
36年にもわたる独裁政権の決定的終焉。

-いやそれを待たなくとも、すでに社会は民主化に向け、
怒涛のように目まぐるしく変わっていた。

75年11月20日フランコ死去を伝える報道各誌。

「ガチガチのキリスト教徒の古臭い制服を脱ぎ捨て、新しい文化を…」
「内外の壁を破り、旧体制から自由社会へ!」

との強い流れは、その後90年代初頭に至るまで留まることなし。

その流れを受けて…
このビニャロンガ氏が就職したバルセロナの大手アイスメーカー
FRIGO(フリゴ)も、73年に同社は世界的大企業ユニリーバ社に買収され、
外資資本をバックにスペインアイス界の革命を!と力みだしたらしい。

品質管理課に配属されたのに、なぜか“みんなで新製品開発!”
となり、いよいよ力作の試作品完成。

「あの日はよく覚えてますよ。マホガニーの立派な扉の入り口の重役室に通されてね、
お偉いさん方々に発表した新作が…“ストロベリーバニラとコーラ味のミックス、舐める
と舌が真っ赤に染まるアイスキャンデー
なんなんだ。このアイスは。

個人的には「処女作にしては勇気ありすぎな挑戦アイスとしか思えん。
しかしご本人も証言するように「国際的企業がバックにあり、
これからの観光業の上向き度を見越しての挑戦」であったのだろう。

…当時の重役方のたまげた姿をよそに、幸い理解深き上司の努力もあり、
その名も「ドラキュラ」とつけられたこのアイス、絶好調の売り出し。
なんとその後40年近く続く大ヒットとなった

●80年代の爆ヒット、「足アイス」「指アイス」ww

その後もアイス改新は続く。
キャンディー製作における型の開発が進み、もっと自由な形の
アイスを作れるようになったのだ。

自由な形といわれて、じゃあ何アイス?とかなりの試行錯誤最中、
あるスタッフが「指の形とかどう?」といいだし、生まれたのがこの作品↓。
そのヒットに気をよくして、足の形のアイスも追って誕生。大ヒットを飛ばした。
指は80年、足は83年生まれ…

…でたよこの足形アイス。
私はスペイン渡航初年、これをみてつくづく文化の差を感じたな。
製作側も当初随分もめたらしいが、結局商品化、ってのがとても当時のスペインですな。

この指やら足のアイスを含み、謎の「変アイス」の誕生は80年代に集中し、
まさに黄金時代?を迎える。毎夏でては消える変アイスに子供らはわくわくしたとの話。

見てて飽きないね~


↑上記3品はとっくに絶版。ソーダ味のジョーズ、フルーツ串団子ってww

そう、80年代はアバンギャルド!
結構何やってもOK!売れればね!の勢いでどんどん開発~だったんだろう。
「もうね、当時は自分の作ってるアイスの売れ行きが心配で、街のゴミ箱をあさって
空き袋を数えてた位ですよ…自分の子供には言えんけど(苦笑)」とビニャロンガ氏。

大ヒットのカリッポ、偶然の産物ツイスター

そしてついに84年、メガヒットが登場、それがアイスキャンディー「カリッポ」。

この時代になると、缶ビール、ジュースの消費が急増し、アイス消費が
押される形となる。もっと手軽に食べられる容器-と考え開発されたのがこの形とのこと。

「棒のついてないアイスキャンディー」の意味がわからず、最初容器を剥いてしまう人が
多かったため、TVコマーシャル↓発動。これで大ヒットに火をつけた。

あまりにも売れすぎて、販売店が直接工場に押しかけて列をつくったという。

(ただこの記事では、カリッポがFrigo社の開発品という説明だが…大いに疑問が残る。
同名商品が82年に日本ではグリコから発売されていたからだ。ネットで調べた感じでは恐らく
アメリカにその起源があるらしいけど…→榊原郁恵のCMを覚えてる私は昭和の人w)

もう一つ、この時期出た商品「ツィスター」というキャンディーはロングセラー。
86年生まれのツィスター。
ビニャロンガ氏は語る。
「いやこれはね、偶然の産物。一度英国にあるユニリーバ社の研究所に行かされてね、
そこで3色のアイスを交錯させて1つにする素晴らしい機械を見学したんです。
ただ見学中、英語がわかんないもんだから、全部の会話にイエスって応えてたんですな。
そしたら数ヶ月後その機械がうちの工場に届いちゃって…w」
しかしながら運よく上司のお叱りもなく、かえって大ヒットに繋がったとのこと。運良いな。

●90年本物志向へ-チョコアイス「マグナム」誕生

92年、バルセロナ・オリンピック開催。
ちゃんと公式キャラクター、コビー君のアイスも発売!
舐めてるうちに顔がホラーになったとの話…

しかしながら、アイス業界の需要と供給はある程度落ち着き、
怒涛のアバンギャルドな文化の流れも落緩み始め、
「お子様向け一辺倒」だった商品ラインは方向転換を求められていた。

89年には、ふとこんな地味アイスを出してた、ビジャロンガ氏ことFRIGO社。

89年発売のチョコアイス、FRAC。(写真はイメージ)

スペインで学校の夏休みが終わる「魔の9月15日」。これは
アイス販売量がわかりやすく激減しだす日。これを超えるために
“大人向けのアイス”の開発が求められていたのだと語る。

当時もすでにチョコアイスは発売されていたものの、
雑味の多い劣質のチョコレートのもので、改良には大変な苦労を重ねたと語る。

最終的に同時期、同じユニリーバ社傘下にあるベルギーのアイス会社が、
チョコレートアイスの決定打的な商品を完成。それが「マグナム」

 

これは時間をかけてヒットした。
スペインで最初の「お店で買える、手軽だけどリッチなアイス」。
夏でもないのにアイス!大人のアイス!というコンセプト。

リッチなのよ!CMもリッチ!値段もだけど!


2018年度版


米国フォーブス紙
によると、このマグナムは全世界でのアイスクリーム売り上げナンバーワンとか
(ちなみに2位はハーゲンダッツ)

改めて表紙に出した今夏のアイス看板写真をみてみる。



看板の3分の2がマグナム、コルネットというユニリーバ社展開商品。
(世界で人気売り上げのアイス5位の内、4種がユニリーバ…恐ろし…)

かつて人気だった子供向けのカラフルなアイスキャンディーは
下方に表示。その中で純スペイン産の“足アイス”が頑張ってるのはなんともいじらしい!

そして本年、このFRIGO PIE~足アイスの誕生35周年を記念し、
マドリッドのとあるショッピングセンターにて、
「1日だけの、アイス靴屋さん」がオープンしたとか。


“あなたのサイズの足アイスを”との提案に、かっての子供達が沸き返る。
楽しい光景。

美味しくて、
楽しくて、
夢中になったり、うっとりできるもの。

いつの時代も、国を超えて、変わらない幸せ感の象徴だったんだね、アイスは。
そう考えると、白黒の時代から抜け出して、カラフルなアイスの開発に
情熱をかけたビニャロンガ氏の気持ちもわかる。(氏は引退後も相談役として各アイス会社
にて活躍されている)

…久しぶりに食べたくなったな~足アイスw
(優しいストロベリー味なんです)