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妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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報道ステーションで殺人容疑の男性の母親にマイクを向けたのは人権問題ではないのか

2007-03-07 23:21:58 | マスコミ批判

この大学入試センター職員による殺人事件の話です


加害者と被害者の別れ話がもつれた結果とはいえこれはいわゆるストーカー的殺人事件であろうが、これは防ごうと思えば防げた事件であって、どうして防げなかったかと言えば、こういう個人的なことに警察は「介入」しないという「常識」があるからである。

その常識はたしかに警察によって作られた「民事不介入」の常識であると同時に朝日をはじめとするマスコミによって作られた「常識」でもある。

しかもこれは先ごろ問題になったいわゆる人権メタボ社会が産んだ犯罪だと自分は考えていて、そういう社会を作り上げたのは朝日をはじめとするマスコミであると思う。

まず先ほどの報道ステーションを見たところでは加害者は今日被害者の職場に電話をしたそうであり、危険を感じた被害者は職場の同僚と帰ろうとしたらしいが、ここで警察を呼ばなかったのはまさに警察はこういう場合に何もしないという暗黙の了解があったからであろう。

警察だけでなく、被害者の周りにいた男性にしても一時的にせよ被害者のそばを離れたのであるからまったく責任がないとは言えないし、とにもかくにも警察に連絡すべきであったのではないか。

こういう場合にとにもかくにも警察に連絡して加害者が来たときにストーカー規正法を最大限利用して加害者を取り調べるなどしていればこの事件は防ぐことができたはずである。

ここで話は変わるが朝日新聞は伊吹文部大臣の「人権メタボ」発言を批判する社説を一週間ほど前に掲げるに際して最近ニュースになった警察の取り調べの件を取り上げた。

たしかに間違った取調べが行なわれたことは大変遺憾であるが、まず伊吹はそういうことを言ったのでないであろう。

そんなことを言ってしまえば、そういう発言はいくらでも批判できて葬り去ることはできるわけだが、今の日本社会においてたとえば教員が君が代の伴奏をしないからといって処分されたことを不服としていつまでも裁判をしたり、いじめたほうの側の出席停止を巡っていじめた子供が自殺した件なども問題になったりと「人権」というものが非常に複雑多岐にわたっていることをまったく無視してひたすら「人権」を大切にしろ、というのはあまりにもお粗末な論調である。

いうまでもなく人権は大事である。しかし、ある人の人権を守るためには、旧来の人権概念からすればほかの人の人権もある程度拘束されねばならないこともあることは自明の理であると思われるが、朝日新聞などにはそういうことは思いもつかないようだ。

ようするに新聞やテレビというのはきわめて単純な頭脳によってしかものを考えられない人たちによる意見表明の場であることがあらためて非常によく分かったのだが、そのような頭脳の持ち主によって防ぐことのできたはずの殺人事件が起きてしまったかと思うと非常に残念である。

今回の事件はもし加害者が一時的に警察の取調べを受けていればそのようなことを加害者も思いとどまったであろうと思われるし、人権ということをいうなら何より加害者の母親に報道ステーションがマイクを向けてインタビューしていたのを流していたようであるのは明らかに人権問題だと思う。

しかも自分が見たインタビューの様子では母親はまだ息子が殺人を犯したことを承知していないようであった。

それを伝えるアナウンサーも本当に心無い人だと思う。

親は関係ないのだし、ある意味被害者だと思う。

テレビもただ単に視聴率稼ぎのために面白がっていろいろ映しているだけなのに古館と来たら佐木隆三が書いた話をしゃべっていたが、こういう人権感覚のかけらもない人間たちがまじめなふりをしてしゃべるのはチャンチャラおかしい。

こういうストーカー事件のたぐいというのは単に男女交際に限った話ではないと思う。

朝日は自分たちの人権感覚を自らにこそ問うべきではないか。

出入国管理の仕事がいかに大変か、あるいは

ひき逃げしたかのごとく一方的に報道された船会社の人たちがどのような気持ちでいるかなど少しは考える頭脳があれば、と思うが、テレビや新聞こそは人権抹殺の機械かも知れず期待するほうが馬鹿であろう。

追記:23:28分タイトルは最初「殺人犯」と書きましたが、現段階でふさわしくなかったと思われますので訂正しました。



事務所費公開で疑問:小沢一郎名義の土地の税金を陸山会が払うように書いてあるようにも見えますが

2007-02-21 23:59:34 | マスコミ批判

民主党の小澤一郎代表が一応事務所費の公開をしたが、いろいろ自分には疑問が残る内容だ。

まず事務所費といっても民主党のサイトにあるものはかなり大雑把なものでしかなく、領収書などはないし、土地に関する書類も東京のものだけのようだ。

ちなみにそれを見るとネットに関する経費がやけに高いと思ったりする。


報道ステーションや朝日の社説などはやはりこれを評価して、あくまで問題を指摘されている閣僚の事務所費公開を求めている。

もちろん問題を指摘されている人たちも公開すべきであるし、国会議員全員が事務所費の公開をするのが理想だが、いずれにせよ、小澤の事務所費公開で明らかになったことはようするに「政治資金規正法は抜け穴だらけだ」ということとマスコミが野党の肩をもってかばうなら国民というよりも「『マスコミに対する事務所費の公開』などは意味がない」ということではないだろうか。

ちなみに自分の意見はたとえばこちらの「続きを読む?」をクリックすると読める日大名誉教授の意見と重なる部分が多い。

さてまず朝日新聞は2月21日付け社説の中で以下のように書いている。

********************************
公表した関係書類は厚さにして20センチにも及ぶ。短時間で精査するのは難しいが、あとはこうした説明を有権者がどう評価するかだろう。それが政治資金を透明にすることの意味である。
********************************

しかし、「有権者」に公開されたのは20センチにも及ぶ書類なのだろうか?

一体それはどこに行けば見られるのだろうか?

これはマスコミに公開されたということではないだろうか?

「短時間で精査するのは難しい」というのはようするに自分たちは早いうちに精査するのをあきらめたということなのだろうか。


よく考えてみるとマスコミというのは政治家のスキャンダルを一時的に騒ぎはするけれど、継続して追求することはない。


小澤一郎にしても佐川事件の時に自民党と佐川のえらい人が会談した時に小澤が同席したということだったが小澤の「自分はお茶くみをしていただけでなんにもわからない」という発言で終わってしまった。

またどこかの業界からの寄付が問題になったこともたしかあったと思うが、その時も国会の中で衛視にまもられながら、マスコミを無視して仏頂面で歩いていた場面がテレビで映っただけで終わりではなかったか。


今回の件もマスコミと野党は一致してこれで幕引きであとは自民党のほうにほこさきを変えて話題をずらそうとしているかのようにさえ見える。


しかし、これはどう考えても納得はできない。


まず第一に秘書の寮をつくると言っても、一体何人の秘書がいて、何人の秘書が寮に住んでいるのか明らかにしたのだろうか。

つまり寮建設の目的がはっきりしない。

小澤の言い分では金をはっらて家賃を払うと献金が減る、というか使われるとか、あるいは安い給料だから、などといっているのだが、いずれにせよ秘書がどれだけ住んでいるのかまず明らかにしなければこういう説明も信憑性は低い。

公設秘書は別にして私設秘書は給料を増やせばいいのだし、やはり蓄財としての側面が強いといわざるを得ないであろう。


かりに蓄財が「合法」であるとしてもその蓄財がどのように使われるのか、それも上に示した日大名誉教授の主張どおりはっきりと書類で示すべきであろう。


また朝日はこのようにも言っている。


********************************
 政界を引退したら「後進への支援や、ライフワークである日米、日中の草の根交流の基金に充てたい」と言う。
********************************

小澤は今64歳のようであるが、彼の年齢などを考えればどう考えたって、秘書の寮を建てるということが、家賃補助の場合と比べて経済的になるのは難しいのではないか。

いずれにせよ、問題なのは小澤が「政界を引退しても寮(など)を残す」とは言っていないようである点だ。

(22日0:20分追記開始「陸山会の資産として残存していた場合は」とあるが、それをそのままの形で生かすのかなど曖昧にも思える。追記終わりかと思ったら
0:24分再追記:ようするに「陸山会の資産として残存していない場合」もあるということですね。それは具体的に言うと一体どういう「場合」でしょうか。)

この言い分だと、ようするに彼は引退すれば不動産を処分するつもりだということであろう。

しかしここで朝日が書いていないことを小澤は言っている点を指摘したい。



こちらの文書には「第一に後進の人たちの支援のために使いたい」と書かれている。

「後進の人たち」の中には自らの息子や親せきなどが含まれているかどうかは明らかではないし、かりに陸山会の金など(などはあとから追加)が「後進の人たち」に移ったとしてその金など(こっちの「など」はさらにあとから追加)がどう使われるのか調べる手段が保証されるとは限らない。

次に小澤および民主党は政治団体の土地不動産を代表個人が登記するのは合法であると何度も言っていて、昨日の報道ステーションでも司法書士が「電話インタビュー?」で「合法である」というようなことを言っていたが、小澤名義の土地などに関する税金はいったい誰が払っているのかという点は明らかにされていないようだ。

もちろん政治団体の金で個人名義の(追記:「の」ではなく、「で」にすべきか)土地が買われるというのも驚きだが、小澤が公開した確約書(22日未明追記:これは確認書の誤りでした。以下同じです)の一つ(こちらのやや下にある深沢の土地に関する確約書)に書いてある「売買代金並びにその他購入に要する費用並びに、本件不動産維持に要するは費用は甲がこれを負担する」という部分は税金も全て陸山会が負担すると書いてあるようにも読めるが、もしそうだとすれば税法上の問題はないのだろうか。

むろん税を誰が払っているのか分からないがいずれにせよその書類も理解に苦しむ部分がある。


まず「甲」というのは陸山会だが、代表が小沢一郎であり、「乙」は小澤一郎である。

ようするにこれは同じ人のことであると思われるが、同じ人が「甲」と「乙」として同じ書類に二度現れるのは自分にはよく分からない。

つまりこれは一見なにかの「契約」をした書類に見えながら、自分が自分と契約した書類ということであるのだろうか。

それを確約というのだろうか。。。

22日追記「確認」の誤りでした。

自分ひとりの誓約書にでもしたほうがよさそうに思えるがとにかくこういうことを断わらねばならぬこと自体不自然であるし、小沢が何度もいくつもの書類で言っていることと同じことが書かれているので、自分のようなものにはどれがどれやら分からなくなる。

甲も乙も同じ人だとすれば、「甲の指示なく処分し」という部分もしたがって、自分で決めて自分に「指示」すれば処分などもできるということになりかねないのではないか。

また小沢(澤?)は権利能力なき社団たる政治団体が不動産を取得するには代表名義で取得するしかないかのごとき書き方をあちこちでしているが、その法的根拠などがどこにあるのか示されていないようだが、ということは共同名義にするなど他の手段は無いということだろうか。

また深沢の土地に関する「確約書」には日付が書いてあり、「平成17年1月7日」となっている。

しかし土地売渡証書の日付は難しい漢字が使われていてよく分からないが、「平成16年10月29日」であり、売買契約書は「平成16年10月5日」になっているようだ。

確約書が売買契約成立後に書かれるというのも自分には不自然に思える。

しかも、この書類の文面では「購入するものである」などと書かれていて、まるでその書面ができてから土地を購入するような書き方になっているようにも思えるがこれはいいのだろうか。。

また「便宜上」などという言い方もまるで違法行為をしたのではないですよ、と変な言い訳をしているようで果たしてこのような文面にふさわしいか分からない。

また万が一乙がこの書類を反古にしようという時には、自分で自分に内容証明を送るのだろうか。。。

考えれば考えるほど自分にはわけがわからない。

むろんこの確約書の存在自体が自分には理解に苦しむものであるが、この書面の書き方を見ているとまるで誰かがなにかに急かされて書いているような印象さえ受ける。



自分はこうした文書や法律には詳しくないが、やはり一般庶民に分かるような書類とは言いがたいし、それぞれの書類を説明したうえで、書類ごとに別々にリンクを貼るべきではないか。

いかにも民主党の説明は「違法ではない」という点だけを大雑把に言っているだけにも見える。


さて最初のほうで紹介した日大名誉教授は小沢に公正証書を作ることを要求しているようであるが、この書類(深沢の土地に関する確約書)自体せめて他のたとえば副会長あての書類にして公正証書にすることはできなかったのであろうか。

どこか公正な立場で文章を保管している側の日付入りの割り印が押してあったほうがその文書の信憑性が保証されると自分は思うのだが、違うのだろうか。


また一方の小沢の方は署名だけであるのもよく分からない。


とにかく分からないだらけだが、自分には関係ないのでこの辺でやめておくが、いずれにせよ言いたいことは、政治資金規正法などで(政治資金収支報告書?の中に)政治団体が届けるべきものの中に土地や建物などが含まれているのは、政治団体が不動産を持っていることが合法であるということよりも、政治家などが金以外のもので不正な寄付などが行なわれていないかどうかなどを監視するのが目的ではないかと自分は思うということだ。

だから小沢にしろ他の大臣にしろ政治資金報告書に載せているから合法だというのならそうとは限らないとも思う。

つまり報告書の内容をきっかけとして違法行為が発見されたり批判されたりするのはあたりまえではないだろうか。


自分は法律には詳しくないのでまた調べて直したりするかもしれません。


自分の意見としては書類に署名するときは住民票がある住所を書いたり、ハンコをおすときは、自分の署名を二度するときはせめて同じハンコをおすのが普通と思っていましたが、あの確約書でそれやるとかえって変な気もするし、よく分かりません。



小沢が正しいのか、小澤が正しいのかは分かりません。

一箇所小澤にすべきところを間違えましたが、それがどこか見失いました。

すいませんが、疲れたのでまた気づいたら直します。

それと文中敬称略です。

とりあえずタイトルの中の「は」を「を」に変えました。22日0時34分。

「確約書」とあるのは「確認書」の誤りでした。22日2時11分追記



古館さんは沖縄科学技術大学院大学の設立が自民党のマニフェストに載っていたの知らなかったんですか?

2007-02-20 17:45:01 | マスコミ批判

昨日の報道ステーションでは国会の質疑の内容が一部でていたが、それはこの件に関する民主党の質問に関するものであった。

尾身大臣の答弁も少しは映っていて「民主党は沖縄科学技術大学(以下「沖科大」と略記:それにしても何でこんな長い名前の大学をつくってしまったのか。「沖大」と略そうとして沖縄大学という大学の存在に気づいた。東大と言えば東京大学のことであろうが、東洋大学のことはどうなるのか。しかし、東洋大学より東京大学のほうが先にできたのだろうと思うが、だとすれば別にそれでもよいのか。長すぎるカッコですいません)に反対なのか?」と切り返していたが、いずれにせよ沖縄に限らずこの国は大学が多すぎるのではないか。

しかも政府が作った大学で「ものづくり大学」というのがあったはずだが、あれができた当初あれだけ政治家の倫理がとわれたにも関わらずまた大学をつくって、「民主党は反対するのか?」などとふてぶてしい態度をとるのはじつに見ていて腹立たしいが、それ以上に救いようがないほど情けないのはまたしても報道ステーションのこの問題の取り上げ方と古館一郎のコメントであった。

まずこの問題に関して、たとえば「アドバイスを与えた」というようなことであれば、直接財務省に圧力をかけたというようなことではないと思うが、さてそれでどういう法律違反になるのか、ならないのか、という点はまったく解説などは無しにおどろおどろしい音楽をかけて大学の一部の建物を映し出したのは倫理的に問題がありはしないか。

たしかに尾身のほうにも問題はあると思うが、尾身自身はアドバイスを与えた点は否定している。

献金については認めているようだが、自分にはこの大学を作ったこと自体がそのような献金を生み出したもとであって、この大学の構想が出たときにそういう可能性も踏まえて批判すべきであったと思う。

報道ステーションに腹立たしい思いをしているのはようするにそういうことであって、自分がこの大学の創設に賛成しているとか尾身のことをかばっているというのではもちろんない。

むしろ逆で、自分はこの大学に関してはこないだの選挙の時に問題だと思って選挙の直後に反対のエントリを書いた覚えがある。

古館はこのニュースをしめくくるに当たって政治家というのは「選挙の時には政治家はマニフェストをつくるが。。。」と言っていたようであった。

。。。の部分はよく分からなかっだが、どうも「実行に移さない」ということを言っていたようであった。

だとすればであるが、こないだの選挙の時の自民党のマニフェストにこの大学のことは書いてありますよ。

自民党のマニフェストを古館さんは読んだんですかね。

お題目をたくさん並べてあるようなマニフェストではありましたが「気づきにくい」とかそういうことはないはずですよ。

10分もざーっと目を通せばすぐ気がつくと思うんですよね。

ようするにそばにいた加藤千洋もふくめ、見てないんでしょう。

学者先生に説明させて自分たちはそれをなぞるようなことしか言ってなかったんではないでしょうか。

自分の目で見て自分で考えるということはしなかったんですかね。

ただ昨日の国会質疑でマニフェストに書いてあったことを尾身が言ってないかどうかは分かりませんよ。

なにせ編集されてますから。

何が言いたいかと言うとですね、ようするに自民党からすればこの大学の設立というのは自民党のマニフェストに書いてあったわけですから、これには国民の圧倒的な賛成が得られたことにして自民党は実行に移しちゃったわけです。

ですから野党はいまさらこれに反対、とは言いにくいでしょうし、マスコミにしてもあの選挙のときこの大学のことは一切取り上げなかったわけですから、この大学にすごい予算が使われているとかそういうことは今さら言う権利はないですし、法律に違反してなければ献金に関しても批判するとまずいのではないでしょうかね。

きっとこの辺で批判がましいことはやめるんではないですか?

そうした方がいいでしょうね。

加藤にしてもこの選挙の争点は「郵政民営化」ではないと思う、とかいいながら、一体ほかにどんなことを言ったというのですか。

どこの誰だったかもう忘れましたが、大学の先生を呼んできて(そうすれば公平に論評しているように「見え」ますよね)いろいろ点数をつけさせていたけれど、大学の先生は新しい大学を作るのは税金の無駄だとは口が裂けても言えませんからね。

国民の目をだましているかのような解散であるともいろいろ引退した政治家とかコピーライターに言わせてましたが、ようするに国民をだましたとすれば、それはあなた方マスコミの仕業だと思いますよ。

だって一方で財政支出を抑えることを目標に掲げながら沖縄にまた大学を作るなんてそりゃどう考えたって財政改革の姿勢がなってないと言えませんか。

そういう点を指摘できないでいて、何が郵政が争点ではないですか。

朝日新聞なども大学に関しては一切口をはさめねいんでしょうかね。

自分はたしかこの大学の創設に反対したエントリーを書いたはずですが、検索しても今は見当たりません。

なぜかは分かりませんがきっと大学の正確な名前を書きそこねたということでしょう。

他にも検索して出てきそうで出て来ない検索にでてこない人名とかいろいろありますがね。

沖科大という略称も今までつかうの忘れてましたが、とにかく沖縄にどれだけ大学があるんでしょうね。

数えたことはないけどたくさんあるはずですよね。

本当に必要なんですかね。

民主党の岡田さんは定率減税の廃止に関して「サラリーマ増税はしない」という公約に違反する、とさんざん安倍さんに迫っていたようでしたが、自分は正確なところは分かりませんが、少なくとも沖縄科学技術大学院大学自民党のマニフェストに
載っていたわけですから民主党はそんなに追求できなでしょうね。

ノーベル賞学者がこの大学の構想に加わってるみたいなこともこの大学のサイトには書いてあるようですが、その人たちはそこに教えに来るんでしょうか?

すでに少しでも国会で問題にされる大学に関わるなんてノーベル賞が泣きますね。


ちなみにまったく話は変わりますが、昨日は筑紫哲也が小子化問題に関して話していて地球全体では人口爆発があるという事に関して「雑音」とか言っていたようですが、この人の話そうとしているんだか話すのをやめようとしているんだか分からない話し方のほうが自分にとっては雑音ですよ。

むろんそのシンポジウムのような席に参加していた方々も「対策は急げ、効果は急ぐな」とか、ようするに少子化問題に関して発言している人たちの責任は問うな、といっているようなどうしようもないたぐいの話しばっかりで飽き飽きしましたよ。

(塾にいかなくてもいい)「公教育の復権」とかなに言ってるんですかね。

自分もそうですが、どんなに教育を受けたってようするに中身がない人はないわけですからそういう高等教育にこだわった考え方自体が少子化問題の根本にあるのではないですかね。

問題を作っている張本人たちがいくらしゃべっても解決するわけないです。

ですから沖縄科学技術大学院大学の話も同じで、これを選挙のときにまったく問題視しなかったマスコミが今さらこの問題をとりあげたって遅いんですよ。

昔、古館のことを「頭いい」と言っていた大学の同級生がいましたが、果たしてそうなのか???と思っていましたが、やっと自分が思っていたことが世間に認められることになりつつあると思ってうれしいぐらいですね。

あの人は声もきれいではないし、いろいろ関係ないことを思いついたまましゃべってるだけの人ですから、それは「頭がいい」というのとはちょっと違うと思っていましたよ。

逆にある意味ニュースキャスターには向いているかもしれません。

あれぐらい歯切れよく単純にニュースについてしゃべれる人というのはニュース番組にはうってつけです。

万が一報道ステーションと契約切れたら筑紫さんの後をついでほしいです。

きっと両方とも変わらないでしょうね。

古館らマスコミは「当て逃げ」と決め付けていますが、幸吉丸の方は大型貨物船に気づかなかったんですか?

2007-02-15 17:35:54 | マスコミ批判

幸吉丸の事故に関してはあまり知らなかったのだが、とりあえず昨日の報道ステーションを見た。

「当て逃げ」を否定していたマルエーフェリーに対して、「そんなことはないはずだ」とばかりにこの番組に限らず東大教授がレーダーに映るはずと言ってる証言などを出しているが、本当にこの人たちは当て逃げしたと思っているのだろうか。

テレビを見ているといかにも東大教授や船舶関係の人などが「当て逃げした」と主張しているように見えるが、自分にはそのことがまず疑問符である。

専門家がどうこういう前にまず大型貨物船と小型漁船と衝突した場合、まずどちらが衝突の危険に先に気づきやすいかなどを考えるべきではないか。

テレ朝は問題の船が東京に近づいているところに船を出して中継していたようだが、そのビデオを見ればどう考えたって小型漁船の方が先に大型貨物船に気づくはずだと思う。


したがってこのニュースのなかで以下のような発言には首を傾げざるをえない。

こちらをご覧ください


************************************
12日に救助された船長是沢幸広さん(48)(日向市細島)ら乗組員3人は「大型船に衝突された。船体に漢字が見えたが、日本の漢字ではなかった」と話しており
************************************

「衝突された」と言っているが、大型貨物船が小型漁船に衝突するという事はできるのか疑問である。

どう考えたって小型漁船の方から大型貨物船に近づいたということの可能性のほうがまず高いのではないか。

またテレビではかつて同じ船が起こした衝突事件での「被害者」の証言を出していたが、その裁判の結果など詳しいことは一切でていなかった。

とにかく一方的に「大型貨物船」が小型漁船を「当て逃げ」したと決め付け、一切反論はさせないし具体的なことも一切言わさないわけである。

これは柳澤発言でも見られたような、マスコミによる一種のファシズムだといってもいいのではないか。

ファシストににらまれた側は反抗すればするほど自分たちの立場は悪くなるので、全てに関して謝る以外のことはできなくなる。

しかし、この事件に関しては今まだ捜査が始まったばかりであるが、とにかく結果はすでにマスコミや一部の船舶に詳しい関係者や専門家によって決められているわけである。

何度か船に乗った事のある人、あるいはテレビなどでこの船を見た人はこの大きな船の船体を一目見ればこれが少なくともどの国の船かは一目瞭然であり、漁船に乗っている人であれば会社の名前だってすぐに分かるはずなのである。

したがって、上のページのタイトル自体が非常に不思議であるし、幸吉丸の船員の証言で「日本の漢字ではなかった」という部分はどう考えても不自然である。


たいていの人にとっては幸吉丸があたったことに大型貨物船が気づかなかったことが「不自然」とうつる様だが、自分に言わせれば幸吉丸が大型船の会社がわからなかったこと、さらには「衝突された」と言っていることのほうがよほどふしぎである。

そもそも「当て逃げ」という乗用車と自転車の衝突の場合に用いるような言葉を用いていること自体が船の衝突ということをどれだけ理解しているか疑わせるもので、マスコミだけでなくコメントしている学者や船舶関係者にしても果たして一体何度類似の船舶に乗った経験があるのか聞きたい気さえする。


まず幸吉丸は9トンほどで貨物船は4000トン近くであるらしい。

あたった部分は船首付近のようだ。

当日の天候はよく分からないが、波もあるだろう。

貨物船には13人乗っていたらしいが、まず操縦する部屋は船体の上のほうにあるので、衝突した音は聞えないであろう。

また無線が流れっぱなしになっている可能性もあるので、なおさら気づきにくいであろう。

またレーダーに関してもどれだけ精密にうつるのかは分からないが船舶法で最新のものを装備することが義務付けられているのかどうかも分からない。

東大教授がレーダーで分かるはずであると断言するにはそれなりに根拠を示すべきだと思うのだが、全く具体的根拠は示されなかった。

また衝突のさいは波と一緒に当たるので音も衝撃も波にかき消される部分が多いだろう。

それと波はそれほど大きなものではなくても船は波の間に見え隠れするものだし、波自体も白く立ってくるので、船と波を見分けるのも難しいのである。

また船が揺れている場合などにいかりが揺れる音が響くことなどはあると思うし、すえつけの家具などが揺れてカタカタなることもあるであろう。

また船員同士話していたりなどすれば外界からの音は聞えにくく、よほどの衝撃がなければ、むしろ異常事態には気づきにくいのではないだろうか。

したがって、大型船の方から小型船を見つけるのはかなり難しいし、ぶつかっても大型貨物船の方が気づかないというのも決して信じられなくはないというのが自分の理解であって、マスコミなどがそれとまったく逆の見方をしているのは、船に詳しいとかそういうレベルではなくて、被害者が出た小さい方は「善」で、被害者を出した側は加害者でありすなわち「悪」であるというきわめて単純な勧善懲悪にもとづいた国民感情、大衆心理を利用として、自分たちが「弱いものの味方である」という印象を無理やり作ろうとしているだけでにすぎない。

古館は不二家の話しなどを持ち出して企業倫理を云々していたが、果たして幸吉丸のほうにはまったく問題はなかったか。

漁船ということだが、なぜカメラマンが乗っていたのだろうか。

貨物船は日程も決まっているし、船員はものすごい激務ではないだろうか。

一人は調理師であるとすれば、三食毎日準備し,かたづけるのも大変である。

航海士ももちろん緊張があるだろうし、那覇と東京だと片道3日弱だろう。

そのほかの船員の仕事は荷物の上げ下ろしや設備の保守点検などがあってけっこう大変であろうから「見張りを付けろ」と言ったってそれも常に完璧は期待できるかどうか難しい。

小型船が大型船にぶつかるまで気づかなかったのに大型船のほうが気づくのはむずかしいだろう。

それはかなりきついたびであるはずだが、離島にくらす人たちにとってこの船や会社がどれだけ必要なものであるかなどはまったく報道されていない。


これだけマスコミからたたかれれば、自分も残念ながら見殺しにするしかない。

しかし今のように貨物船の側だけをたたいていればこれから安全が確保されるというものではないだろう。

今までの事故にしたってどちらに有利な判決が出たのか知らないが、注意義務は小型船舶にあるとしなければどうしようもないと自分は思う。

マスコミも勝手にこの船に近づいて撮影しているがそれも危ないですよ。

マスコミはいつも問題があがるとそこへちかづいて行って「おすなあぶない」と叫ぶわけであるが、おかしな話である。

もうすぐ沖縄に向けて出向するらしいが小型船などのほうにこそ気をつけてほしいと思わずにはいられない。


古館やマスコミは自分たちと違う意見は一切シャットアウトして自分たちの主張に沿う意見ばかり流しているようだが、そっちのほうがむしろ企業倫理をとわれるべきだと思うが、企業倫理がない連中には倫理を問うても無駄であることがよく分かった。

それとこんなに毎日タイピングしてると腕や背中などは痛くなるし疲れるということもよく分かった。

マスコミのファシズムによって地方の物流などに重要な役割を果たしている船舶会社が抹殺されるのを見るのは悲しいがどうしようもない。

郵政民営化で地方が困ると言っていたが、この報道の仕方こそ中央の発想による「地方切り捨て」である。

以下15日22:50頃追記
今日は古館はフェリー会社は気づかなかったではなく見張りをつけて気づかなきゃいけないと言ってましたが、では、幸吉丸はぶつかるまで気づかなくてもいいわけですかね。
ようするに関係ない人があたりまえのことやら適当なことその場その場しゃべってるだけだね。
もうテレビなんか見たくないよ。とかいって見てる自分。。。。

でもなんか微妙に言い方昨日と変化してない?

意外とちゃっかり一歩後退してるような。。。

という自分も何度か書き直してますがね。

どうせこのフェリーの会社は抗議できないようにさせてるんだから自分が何を言っても無駄だけど。



共産党はOECDのの統計を意図的に部分的に利用して日本は貧困だと言っているのではないか

2007-02-14 23:58:06 | マスコミ批判

昨日の共産党の志井委員長の質疑は非常によく分からなかった。

まずレジメのようなものを配っていたようではあったが、それがどのようなものであったかなど自分ははっきりとは分からないが、ここの一番下に載っているもの(がその一つ)だと推測される。

カッコ内は2月15日の0:30の追記です。


こちらをご覧ください



「をもとに作成」と書いてあるから、それそのものではないことがまず問題であって一部省略していることは明らかである。

事前に渡していたものもこれかも知れないがいずれにせよそのもとになった物自体は分からないもののそこにある数字から判断しておそらくこここにあるFigure2ではないかと思われる。

lこちらをご覧ください

自分はこうした統計というものに詳しくはないどころかあまり信用してもいないがこの統計自体がまず分かりにくい。

ちなみにFigure3はほとんど分からない。

さてその上で非常に気になるのは、ようするに昨日も指摘したようにやはり共産党はそこに書かれている全ての国を取り上げていたのではなかったようだということが一つ。

もっともそのもとになるものもそれほど多くの国を取り上げているわけではないからいいのだ、と言われればそれまでであるが、まずこの統計がどういうものであるのかもう少し考えてみると、それぞれの国に対して三つ指標ともいうべきものが示されている。

1子供がいる家族

2働いていない結婚していない親

3働いている結婚していない親

というわけで、まずここで共産党が取り上げているのは3のみだということが分かる。

もちろんもとになるものがこれとは限らないから、確かなことは分からないが、どう考えたって3のみを調べて論じるレポートというのは不自然だと思いませんか。

それとこのレポート全体の趣旨をまず自分の英文読解でかってまとめさせていただければ、貧困というのは公的扶助では根本的な解決にはならないので就労支援が大事であるということを言っているようですね。

つまり、このレポートが言いたいのは2よりも3のほうが貧困の度合いが少ないということを示したいがためにこういう棒グラフをつくったらしい。

共産党は何を見て作成したのか知らないがそういうことは全く触れていないね。

しかしこのレポートの中で自分がみた限り日本は全く言及されていないんだよね。

なぜかと言えば、日本に関して言えば、2よりも3のほうが貧困の度合いが高くなっちゃってるからね。

もちろん賃金が低いということは考えるべきである。

何の賃金かと言うと、おもに「非正規雇用」ということでしょうが、これは麻生さんが誰かから聞かれて「なんていうんでしょう」とか「そういうのは英語にはない」とか言っていたけれど、partーtimeとかpart-yearとかではないですかね。


すいません違った、正規雇用というのを聞かれたのか。

fulltime を使って何かいうのでしょうね。

話をもとにもどしますが、日本においてなぜ2よりも3の方が貧困の度合いが増えるのかと言えばこれはもしかしてたとえばですけれども離婚してシングル・マザーになった女性が生活保護を受けずにパートで働いた場合に生活保護の額だけもらえないのでそういう人のほうが貧困の度合いが高くなるというケースも考えられるということではないでしょうか。

こういうことは自分は全く詳しくないので確かなことは分かりませんが、この統計から見え隠れするのはようするにそういうことでしょう。

働いてないのに働いてる人より貧困でない、というのはそれとかたとえば失業保険をもらっているほうが、パートで働き出すより収入が高いとかそういうことなどもあるかもしれないけれど、要するにとにもかくにも公的扶助が高いということを意味しているのではないでしょうか。

つまり共産党は最低賃金の話をしていたようだけれども、それを国家が介入するというのは共産党の意見としては納得はできるけれどもとにもかくにもそういうことをいうのであればシングルマザーにおける生活保護などの需給率の国際比較とかそうしたものも統計として出さないと議論にならないでしょう。

それと柳澤発言をドイツの新聞が批判していたとかいろいろ言ってますが、ドイツは少子化にかなり前から悩まされていて高学歴社会であることなどもあってかなりな労働力不足に悩まされてトルコなどからかなりな移民を受け入れてる国ですよね。

ですから柳澤発言を批判するのはいいけれども、ではどうやって、日本は少子化問題を克服してゆくのかという手段なり対策を示さずにただけしからん、けしからん、けしからんといってもどうしようもないでしょう。


要するに共産党はこの国はまともではないとかいろいろ言っていますが、富の再分配がうまく行っていなくて子供がいる世帯が苦労しているといっていますが、それはどう考えたっておかしいのではないでしょか。


外国と比べるまでもなく独身の人とお子さんがいる人とどっちが税金余計に取られてますか?

どっちが公的サービスをよりうけていますか?

独身の人は子供がいる人だと税金をとられない収入でも税金をがっぽりとられ、しかも子供がいる方は義務教育はただ。


夜遅くまで学校のグラウンドも灯りがつけっぱなしでサッカーとかやってますよ。

独身の人は年とったらよぉおおっぽど国に面倒見てもらわなければ割りにあわない、と思う人もいるのではないですか?


富の再分配はようするに行なわれていますよ。

修学旅行にいけない生徒さんの話をしていましたがね、修学旅行に関して生徒自身の積立金だけでやっているのかどうかとかそういうことも説明してくれないとわからないです。

ちなみにこういうことを調べたいと思って日本修学旅行協会のサイト(こちらですね)などを見てみましたが、海外の修学旅行をしているのが私立か公立かで分けて統計とってほしいなどいろいろ希望はあるのですが、はっきり言ってよく分からないですね。

ちなみにこの団体もいわゆる特殊法人なのかもしれませんが、収支予算書などを見ても極めて大雑把な数字がいくつかあるだけでしたから、税金からお金が入ってるかなど全く分かりません。

とにかくよく分かりませんが、修学旅行に関してはできるだけ安くで済むようにすればいいということではないでしょうかね。


とにかくこんな無意味な質疑をしているというかはっきり言って自分たちの都合の言いような数字だけ持ち出して質問というか詰問してしかもまともに反論できない大臣たちを見ていると本当に日本は無駄なことに金を使っているな、と思わずにはいられません。


とにかく国会中継はもういいです。

共産党も志井委員長の国会質疑の模様のビデオ流してますけど、NHKは許したということすね。

自分がいいと言ってもこういう場合によそから許可がでない場合もなきにしもあらずかもしれませんが、自民党は文句は言わないのでしょうかね。

なんでこういうことをいうかと言うと志井委員長の質問がどうしようもないと思うだけでなくてその後ろで某自民党の代議士さんと思しき人が寝てるあるいは眠そうにしている、もしくは眠そうにしているように見えるんですよ。


追記:すいません、寝てはいないようでした。

睡魔と闘っているようには見えますが。。。



あまりおもくなかったですが、見るとき気分は重くなるかもしれません
↑の右下のムービーを見てください。

時間の無駄と感じる人も多いかもしれませんが、自分は見ました。

確認のためまた見るようなことは勘弁してください。

といいつつまた見てはいますが。。。


その睡魔と闘っているように見える人にとってはたまらんでしょう。

自分もたまりません。


とにかく国会議員は何もしない方がよっぽどいいです。

かえって頭にきます。


というか寝ててくれた方がいいですね。

おかしな質問するよりは。



共産党志委員長の国会質疑で賃金の安過ぎる職場を具体的に言ってしまったけどいいのか?

2007-02-14 01:20:10 | マスコミ批判

今日の国会の審議の模様の一部を見たが、特に民主党の質疑は全くつまらないものであった。

しかしここhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070212-00000003-san-polに書いてあることだと今日質問した人たちは皆さん民主党の「最強バッター」だとか。。。

「最強バッター」がいるということは「最弱バッター」もいるということですか。

それは誰ですか?

まさか鳩山さん自身とか。。。

ほかの人が最弱バッターじゃ失礼だし。。。


自分に言わせればこの発言もこれまた問題発言ですよ。

誰かをほめればそれ以外の人には心外なこともあると自分は分かっていますからあまり言いませんが、何が問題かというとたとえば岡田さんとか前原さんといった人たちがいつまでも本当に「最強バッター」じゃ困るわけですよ。

ようするにもうこの人たちが最強バッターでは困るということが分かってないところが民主党の危機感のなさの表れなわけで、はっきり言って解党的出直しとか言っていて何にも変わっちゃいないじゃないですか、とさえ言いたいですよ。

たとえば前原さんはなんだか六カ国協議で日本は拉致問題にこだわるべきではないと言いたかったんですかね。


北朝鮮が暴発したら一番脅威なのは日本にとってであるとか言ってましたが、それはあたりまえじゃないですか。

というより実際六カ国協議で今まで日本は拉致問題にこだわってきましたか?

こだわってないでしょう。

つまり、最強バッターの一人である前原さんは日本が六カ国協議において今までとり続けている姿勢をそのままそれでいいといっただけじゃないですか。

これでどうして質問できるのか本当にどうしようもないですよ。

高坂先生の教え子ってそんな程度なんですかね。

驚きましたよ。


ちなみに北朝鮮の崩壊を恐れて交渉すべきではないということはたとえば佐藤優さんとか講演などで述べているようですから、少しはそういうのでも読んでくださいな。


それと他にもいろいろ言いたいコトはあるわけだけど共産党の志井さんは子供の貧しい度合いを測った物を持ち出して諸外国と比べて日本が貧乏だって、そりゃアメリカとかそういう西側先進国と比べたってしょうがないでしょう。

柳澤さんはそれは2000年の数字だとかいろいろ言っていたけども、それより何よりアジアの中でどうかということをなぜ言わないのですかね。

アジア外交重視とかいろんなことを普段は言ってませんでしたっけか。

何もアメリカとかと比べて張り合ってもしょうがないでしょう。


それと格差問題に関して賃金のことばっかり言ってますがね。

賃金上げたら物価に跳ね返ってこないかどうかとかそういうことも論ずるべきではないんですかね。

自分の感覚としては住宅などは高いけれど、食料品や衣料などはそこそこに安いと思うのですが、それはまさに企業が非正規雇用で安い労働賃金でやってるから実現していることだと思うわけです。

もし賃金を上げても、物価が上がったらもともこもないわけでしょう。

ですから低賃金がけしからんというならそのぶん低賃金で働いている方に対するお礼を毎度毎度いうべきではないのかと思うのですが違いますかね。


何でこんなことをいうかと言うと志井さんの質問の中で賃金が安い例としてかなり具体的に大阪のある職業に言及していましたが、そんなことテレビ中継も入ってるところで言ったら失礼じゃないですかね。

子供とかがそういう情報得たらその地域で父親がその職業についてるお子さんはいじめられるかもしれませんよ。

そういうことはもし問題にするのなら当涯地域の労働基準監督所とかそういうところに指導させればいいでしょう。

テレビに映るからというので最強バッターを出すというのもおかしな話だけれでも、やっぱりそれなりに配慮すべきこともあるのではないか知らん。


それとね、シングルマザーがお子さんにたくさん食べされることができないとかいろいろおっしゃるけれども、学校の給食費とか払ってない親御さんとかすごくたくさんいるわけじゃないですか。

そういうことはどう思うんですか。

つまり払えないということでしょうけど、そういう人のお子さんに対しても政府は一日三食のうちの一食は全く無条件で出しているわけですよ。


そういうことに一切触れずに質問するのはおかしいし、政府側も全く触れないのはどうかしてるというよりこんな国会質疑意味ないですよ。


書記をやとって速記をさせる意味ないというか、あの委員会室の電気代がもったいない。

国会の委員会なんかやめて官僚が作った予算案をそのまんま通せばいいでしょう。

亀井さんも単に演説してるだけだったですね。


強いバッターではあるけれども。


きっと国民新党では最強でしょうね。


この人のお兄さんは、柳澤発言で不信任決議案出そうとしているらしいですね。

とにかくはやく解散してほしいです。


といっても参議院には郷ひろみが自民党から打診されたというし、もうどうしようもないですね。


そういう発想がまず分からない。

とにもかくにも自民党も安倍さんもいかにも金持ちケンカせずという雰囲気なのが納得できない。


野党が怒るからといって遠慮しているのかもしれないが、これではしょぼくれた老人たちが虐待されている場面をテレビ中継しているみたいで見ている方は気分が悪い。




NHKがマッチポイントの再放送をやめたのは柳澤発言に関する朝日新聞の社説の圧力か

2007-02-11 17:44:26 | マスコミ批判

自分のように唯物論と汎神論の間をつねに揺れ動いている者にとって柳澤厚生大臣の「産む機械」発言にそれほど驚きはしない。

またそれをきっかけにマスコミなどが怒り出したことにもそれほど驚きはない。

あまりよい発言ではなかったと思うのだが、やはりマスコミや野党の反応は過剰反応であるという印象は否めない。

まず柳澤発言の中で彼は原稿などは用意せずに言ったようだが、その場で謝っているということはおさえておくべきではないだろうか。

そして彼は女性を「産む機械」に「たとえた」のであって、「女性は産む機械である」と言ったのではないのではないだろうか。

おなじことだと言われるかもしれませんが、自分は違うと思います。

これが不謹慎な比喩であるとか、そんな比喩は必要ではないということはよく分かるが、この東京大学卒業の元・大蔵官僚からするとどうしてもそういう言い方のほうが分かりやすく聞えるというより「かしこく聞える」という考えが無意識のうちに働いたのではないかという気がする。

そして、おそらく「再生産」というようなことも言いたかったのであろう。(似たようなことを最近野党の首脳が言ったらしいが、それほど問題視されていないようだ)

産む人の数は決まっているというのはそうだろうけれど、むしろ柳澤氏の言いたいことは違うところにあるような気がする。

演説の一部をパネルで見た程度なのでなんとも言えないが、柳澤氏が言いたかったことは、ようするに一人しか産まないという人にそれ以上産むことを期待しても無理だということを言いたかったのではないか。


あるいは独身の人や産むことをあきらめた人に対して子供を産むように期待するよりも、すでにお子さんがいらっしゃる人に二人めや三人めを期待する政策が必要だということをいいたかったのではないか。


言い方がまずかったことはその通りであるが、はっきり言ってこういうことなら自分は全く問題なく首肯できるし、ありふれた議論ですらあると思う。

これが穏当な比喩かは分からないが、たとえばPCを売る会社の宣伝スタイルとしてPCを買ってない人よりもすでにPCをもっている人に二台め、三台めを買わせようという方針をたてるような政策が必要だということを言いたかったのではないかと自分は思う。


むしろ少なくとも産まないことに決めた人にとってはこういう言い方が傷つくという人もあるだろうが、むしろ期待しないでくれという人にとってはありがたいという人もいないとも限らないのではないか。

ようするに、そういう議論をさせないのがマスコミや野党の悪いところだと自分は思うがでは一体彼ら・彼女たちは一体どういう具体的政策を持っているのであろうか。


はっきり言って自民党と変わりないものしかないだろう。

ようするにそれぐらい少子化対策というのは議論するのが難しく、有効な対策が難しいものなのだということをごまかすためにこのように柳澤批判をしているのであるともとれなくもない。

ちなみに野党にも向けられた事務所に関するいろいろな問題はこの間完全にすっ飛んでしまった。

誤解がないように言わせてもらえば柳澤氏の発言に問題がないとは思わない。

たしかに「健全」発言は「産む機械」発言以上に誤解を招きかねない発言であるとも思う。

その点は小宮山洋子も国会で言っている。


ではどうして「産む機械発言」で審議拒否していながら、この「健全発言」で大臣辞職を求めて審議拒否しないのか。。。。

ようするに野党というのは確固たる「自分」というようなものはないのである。


つまりこの発言をとらえて批判すれば国民の支持を得られえると思ったからフジテレビの深夜のニュースでの滝川クリステルの言い方(たしかこういっていたと思うがこれも問題発言ではないのか、野党にしたら)を使えば「噛み付いた」ということではないのか。


本当に自分たちの信念に基づいて審議拒否したなら「健全」発言でもやはり審議拒否すべきであったし、そもそも審議復活も早すぎるのである。


ようするに野党がやっていることはその場しのぎの行き当たりばったりの批判や行動であってこういう人たちに少子化問題を論ずる資格は全くないといえる。

ちなみに産む人は産めばよいし産みたくない人は産まなきゃいいのだから、大臣が不健全と言おうが「苦しぅない」と言えばそれでいいのではないかと自分は思う

マスコミにしてもそうであってこういう場合にNewsweekの記者にマイクを向けてこんなことアメリカでは考えられないでしょう、けしからんね、日本はと言わせたくて、実行に移すのはいいがスタジオによんで野党の審議拒否の感想を聞いたら「よくない」と一刀両断だったね。

古館もバツが悪そうというか、困ってたね。

だいたいこういうときに外国ではとか世論調査だとかそんなことに頼りすぎですよ。


自分が正しいと思えば正しい、けしからぬと思えばけしからぬ、それでいいではないか。


ようするにこういうマスコミの態度というのは参考文献やら謝辞ばっかり多くて中身の薄っぺらい「学術論文」とおんなじなわけだ。

こういう人たちの意見にしたがうのもけっこう、反発するのもけっこうではあると思う。


言論の自由ということも尊重しなければならないと思うからね。


野党の人には意外かもしれないけど、『人間機械論』という本だってあるし、それ以外にも似たような議論とかは最近でもあるわけで、そういったことは意外ではないどころかようするに大臣が堂々と言ったから「けしからぬ」ということなのだろう。

でもやっぱりそれなりにつりあいというかそういうものも考えるべきではあると思う。

たとえば「レイプ容認発言」と「柳澤発言」を比べたらこれも不謹慎とおこられるかもしれないが、やっぱりどう考えたって野党やマスコミは怒りすぎでしょう。


小宮山洋子にしても「許されることと許されないことがある」って、そりゃたしかにそうではあるとは思うけれども、これは偉い学者先生のお嬢様がおっしゃるのでなるほどと思えるけど、亀井静香とか鈴木宗男なんかがいったらかなり怖いというか恫喝でしょう。

(このあたりで某スーパーから電話が来てとった。電話番号をメモしなければならなかったが、ペンなどがなくてPCで打った。そのメモ帳を消そうと思ってこれを消してしまったかと思った。すごい脱力感に襲われた。ヤッパこの分はアップしようと思う。
女性には嫌われるだろうがそれでもいいや?!)

さて、何の話をしていたのかわからなくなってしまった。

怒っているのではなくて女性に怒られたり嫌われたりしないか怖いのである。ようするに女性というのはマスコミや野党のようにこういうことを言ってはいけません、という意識を男性に植え付けるわけである。

だから男性は女性問題や少子化問題からますます遠ざかるというわけでこれが女性のがわの専売特許、一種の既得権益になってしまっているという点も考えなければならないであろう。


さて、実は上のことはあくまでも一つの見方というかこれから書くことの前提にすぎません。


不快に思った方がいらしたらごめんなさい。


さて、もう腕や腰が痛くなってきたのであるが、朝日新聞の2月8日の社説はこう結ばれている。


それにしても解せないのはNHKの姿勢である。国民の関心がこれだけ高い集中審議を中継しない公共放送とはなんなのだろう。


「国民の関心がこれだけ高い集中審議」というのは一体どういう根拠なり数字をもとに言っているのか示されていない。

だいたいにおいてNHKはこの国会審議を何べんも中継したのである。

であるから中継しないというのは正確ない言い方ではない。


中継をやめた、と書くべきではないか。


だいたいにおいて国会の審議というものは「国民の関心に」応じて流すべきものと流すべきでないものとあるということなのか?

よく分からないがいずれにせよ以前放送されていたドラマ『マッチ・ポイント』の再放送は中断されたのみならず最終回分の再放送が今のところ消えてしまったようである。

これは全く自分にとっては青天の霹靂であった。

NHKは今度は朝日の社説の圧力に負けたのか。

情けなさすぎだぞ。

朝日もそんなに国会中継しろというならテレ朝にやらせればいいのに公共放送の放送内容に圧力をかけるのは卑怯だ。

NHKもNHKで一つの新聞に公共放送は唯々諾々としたがうのか、それが公共放送のありかたか?

国会審議も大事だろうがドラマも大事だよ。

国会審議のほうが大事だというならドラマなんか作るのやめてえんえんと国会中継してればいいだろう。

金曜日だったかの審議のもようは一部見たが、民主党だって柳澤発言なんか取り上げてなかったよ。

明日はどういう質問をするのか見ものだよ。

というかせっかくNHKが中継してくれているのに柳澤発言を取り上げなきゃ朝日の社説がなくというかそのことを今度は朝日の社説が批判すべきではないのか。

とにかく「マッチポイント」の再放送がなくなってしまったようなのは残念だ。


自分に言わせればあのドラマだって少子化問題と関係なくはないんだよ。

副題は「女が勝負をかけるとき」なんだよ。

そういドラマの再放送をつぶした朝日新聞のほうがよほど女性蔑視というかそんなことは知らないんだろう。

自分がこんなこと書いたってなんにもなりゃしないことは分かっているんだが、NHKには本当に困った。

4千字を超えたけど載るかな。。。


載ったみたいだ!

すげぇ


文中敬称などは統一できませんでしたすいません。

それと国会中継のためぼつになった番組は他にもあると思います。

それはよく知りません。謝ってすまないことかもしれませんが謝ります。

許してください、すいません。

そういえば小宮山さんはNHKにいたんですね。


なつかしいなぁ。




TBSNEWS23でゴアを招いて「環境破壊」の番組:筑紫哲也に都知事選に出る勇気はないはず

2007-01-26 21:45:39 | マスコミ批判


あの番組はなんだったのだろう、という思いが今している。

ゴアを呼んで一般市民との「対話」をしていたようだが、その対話は自分にはかみ合っていたようには全く見えなかった。

スタジオの対話もTBSが作ったと思われるビデオも中途半端で、一般市民の恐怖心をあおるのには成功しているものの、結局われわれが何をすべきなのか、あるいは何をしてはいけないのか、などといった視点が見られない。

ゴアは自著のサイン会などもしたようだが、一体何が目的であったのか分かりかねるところもある。

今、「アル・ゴアの映画」とも言われているらしい「不都合な真実」という映画のトレーラーを見ていると、これってもしかして番組の一部?と思われるほどその番組で見たような場面やアル・ゴアの同じ声が流れている。

NEWS23のスタジオで説明していることと同じことをこのトレーラーの中でゴアが言っているようにも思えるし、映像も同じものがいくつか流れていたような気もする。

たしか番組のタイトルのようなものにも「不都合の真実」という言葉も出ていたようだし、映画の一部を利用したのかもしれない。


いずれにせよ番組自体のオリジナリティの全くない番組だったと感じられる。

いろいろな異常気象などが取り上げられていたが、よくよく考えてみると地球の温度が上がるといったことはかなり前、下手をすると20年ぐらい前から言われてきたことのように思うが、それで一体どれぐらい水位が上がったのか、ということに関しては分からなかった。

数十年後の北千住がこうなるかもしれない、という映像が流れていたようだが、本当にそうなるのだろうか。

そのころにこの番組のことを覚えている人はいるだろうか。

まず未来予測をする前にもう環境問題はかなり前から言われてきたのだから一体どれぐらい水位が上がったのかそのことに関してもっと具体的なことをいうべきではないか、という気がした。

たしかに地球の温度が上がればどこそこの雪が解けるとか南極の氷が解けるとか、そういうこともあるだろうが、一方で地球全体の砂漠化はどうなるんだろうか。

それとは関係ないにしてもいずれにせよ海面でも水分が蒸発するとかそういうことはないのだろうか。

こういったことは全く詳しくないのでよくわからないのだが、少なくとも北千住のそばを流れる荒川(放水路)などをみる限りは昔と比べてそれほど水位が上がっているとは思えない。

そんなことをもし言うのであれば北千住よりお台場とか木場のあたりのほうが水位が上がるということに関しては心配すべきかも知れない。

以前木場の方に住んでいる人から聞いたことがあるのだが、あの辺は埋めたててできた部分が多く実際には海抜はマイナスだと聞いたことがある。

実際には海抜ゼロメートル地帯と呼ばれたりしたらしい。

北千住のあたりもたびたび洪水に見舞われているので荒川放水路ができたというのはかな有名な話である。

TBSの番組ではそういうことには全く触れずにただ「数十年後の北千住はこうなる」とばかりにいたずらに恐怖心をあおる合成した画像を流すのはあまりにもお粗末な番組作りだという気がする。

きっと荒川放水路のことなどは全く知らないのであろう。

自分から言わせればたしかに地球温暖化はゆゆしき問題だがTBS自身は環境問題にどのように取り組んでいるのかの方がよほど気になる。

TBSはかなりでかい自社ビルを作ってそれほどたっていないと思うが、そのまん前でやっている工事もどうやらTBSの工事らしい。

最近行ってないからたしかなことかはわからないが、あのそばにだって小さな一戸建ての家などがあったはずである。

大規模な工事を次々にやっているとしたらそれもいろいろな意味で立派な環境破壊ではないだろうか。

世の中には自分は人に迷惑をかけながら「人に迷惑をかけるな」と説いてまわる人たちもいるような気がしてなあらない今日この頃である。

ちなみに筑紫哲也はイヤホンをして同時通訳をきいていたようだがこれからもぜひそうしていただいてできれば英語でのインタビューは勘弁してほしい。

全部勘弁してほしいと思ってもそれは無理なようだから、あの人の英語だけでも勘弁してもらいたいものだ。

ちなみに民主党から都知事選立候補の要請が来たとも報道されているが、まず出ないだろう。


その場その場自分の思いつきでしゃべっているだけの人だ。

ゴアにだってゴアが副大統領のころのアメリカの政策などについて面と向かって批判することはできなかったし、クリントンを呼んだときもそうだった。

人を批判したかと思えば、その人の権威を借りて自分の勲章にしてしまうような人に一体どれだけの都民が投票するのか、石原とディベィトをしてどういうことになるのか見てみたい気もするが、その危険性は本人が一番よく知っているはず。




首相夫人ブログは批判するほどのものでもないと思うが

2007-01-10 19:27:32 | マスコミ批判

最近安倍首相婦人がブログhttp://akie-abe.jp/をはじめてそこでセレブな生活を披露してはしゃいでるということで批判されているらしい。週刊文春にもそのことが書かれていた。

実はこのことは去年の暮れからさんざん言われていることで、この婦人もテレビの取材も受けたりしていたけれど、セレブな生活をブログに載せているからけしからん、とまでは思わない。

首相夫人がブログに「どこそこのスーパーが安かった」とかそんなこと書くわけないし、人はそれぞれ違っていてあたりまえで、だからブログも面白いとも思えるわけで、自分などはそれほど気にもならない。

そのブログがけしからんと言ってる人たちは首相夫人が自分たちと同じ生活をすべきだと思っているのだろうか。

庶民の苦しみを知れとか、いろいろ言いたいことは納得できないでもないけれど、それは土台無理な話しというものではないだろうか。

むろん生活者の視点にたった政治を首相にしてほしいとは思うけれど、それも期待薄である。

いずれにせよ政治家の私生活と政策をまず切り離して考えることから政治家も国民も始めるべきではないかという風に自分は思う。

今まで庶民的な雰囲気の政治家がこの国の宰相になったことはあって、それなりに国も発展したのだろうけれど、それがどういう結果をもたらしたのかというと、巨額な財政赤字ではなかったか。

昨今、政治家のスキャンダルが後を絶たないが、これはようするにそれほどたいして金持ちでない人たちが無理に政治家になって四苦八苦したあげく失態をさらしているというふうに自分には見える。

政治などは金持ちにやらせればいいのだと自分は思うのだが、金持ちの政治家というのはもうたくさん金はあるから、自分たちの利にかなうことはしなくてすむだろうと思いきや、逆に自分たちの利にかなうことを石原慎太郎のようにあからさまにやっているこことが問題なのであって、それに比べたら首相夫人がセレブな生活をブログに書いているということはこの国がいかに平和かということの証明ではあっても、たいした問題ではないと思う。

いずれにせよ安倍内閣はもう末期的症状といってもいいと自分は思っているのでむしろこの婦人は自分からいわせればかわいそうなものである。

むろん人の同情をしている場合ではないが、自分のように匿名でブログを書いて安い喫茶店で考え事をしたりするのに勝る喜びはないはずだなどと開き直ってみたい気もする今日この頃である。

それにしても最近テレビではよく「ブログ」や「インターネット」という言葉を取り上げるようになった。

以前はこうした言葉もあまりテレビは取り上げたくなさそうにさえ思えたものだが、昨今ではブログの中身なども取り上げられるようになっったのが自分には意外である。

考えようによっては首相夫人たるもの、「ブログ」を始めること自体意外というか庶民の立場に下りてきたようなものであって、そこまですることはなかったのではないかとも思える。

庶民の側から言えば、そんなことをするからいろいろ言われるのであって、もしかしたらそのブログを批判している人からすれば「ブログ」は庶民の専売特許だという意識がどこかにあってそれでしゃくにさわるということがあるのかもしれない。

昔海部総理の奥さんがやたら目立つというので批判されていた。

この首相夫人もこれからますます批判されてゆくのだろうか。

前の前の総理のように総理自身が毎日色々言われるよりかはよほどましだと思うが、少しでもこんなことに人の注意が向くことでこの総理のやっていることから目をそらさせる効果はたしかにあるであろう。

その意味でこのブログを批判するならある程度理解はできるが、自分からすると夫婦というのは所詮他人なのだから、婦人のブログと旦那の政策などを結びつけて束縛することもないのではないか、とも思う。



青島幸男と橋本龍太郎が後世に残したつけは遺族でなく国民や都民に残された

2007-01-02 19:10:43 | マスコミ批判


新年明けましておめでとうございます。

このブログを見てる人の中には自分の友人も含まれているので、この場を借りて申し上げます。

旧年中は大変お世話になりました。

今年もどうぞよろしくお願いします。


昨年のうちに書きたかったことなのですが、昨年末に青島幸男さんがなくなりました。

むろん亡くなった方のご冥福は誰であれ祈るべきかもしれません。

しかし、政治家などの場合死んでしまえばその人の負の側面が消えてしまうわけではありません。

この人が都市博を中止したことで一体どれだけの借金が東京都に生じたのか今現在自分は分かりません。

どこかのマスコミがそういうことを書いてくれれば分かるわけですが、自分がみた限りその数字などを出しているところはありません。

ようするに死んでしまえば、できるだけいいことばかりを書いて悪いことは忘れるようにする。

それがマスコミの悪い癖で、そのおかげでこの国の国民は政治に関してまともな判断をすることができなくなるわけです。

この都知事を選んだのはようするに東京都民です。

はっきり言えばこういうタレント議員を選んだ都民が悪いわけです。

しかし、あの都知事選のあと自分の記憶ではかの朝日新聞ですら、都市博中止には社説で警鐘を鳴らしたはずです。

にもかかわらず、初志貫徹というのでしょうか、この政治家は都市博を中止して、東京都に莫大な借金を負わせました。


そのことを青島さんが死んだ時などにもっとマスコミは大きくとりあげげるべきだったと思います。

ワイドショーなどは逆に政治家としてのこの人の活動よりもタレントとしての活躍を忘れるなというような取り上げ方で、いかにも一億総白痴化の申し子らしい取り上げられ方だと妙に納得しました。


青島さんの都知事としての負の遺産は決してこれだけではないのです。

都の税金の使い方に関して住民の情報公開の請求に誠実に答えなかったり、在任中の不祥事など、この人の都民に与えた失望といかりは数知れなくあったはずです。


死んだと言えば、橋本元総理も昨年死にました。

この政治家が死んだ時、週刊文春が意外なことにこの政治家をかばいむしろなぜか小泉さんを貶めるような書き方であったように思いましたが、その点は今確認できません。

実はその後、週刊文春が生前、橋本さんに関してどのような報道をしていたのか、自分なりに思い出してその証拠のようなもののも探した上で書こうと思っていたら年末になり、新年になってしまいました。

でも書かないわけには行かないので書かせてもらいますが、週刊文春はこの政治家のスキャンダルを執拗に追いかけていたのではなかったでしょうか。

そのことを思い出させてもらったのがたしか、昨年の年末の週刊文春の「今年なくなった人」みたいなモノクロの特集でそこには「諜報部員と思しき中国人女性と交際するなど脇の甘いところも見せた」という表現でした。

実はこの直前の行財政改革に関する部分も自分としてはひっかかるのですが、ここはさておきまして、この「思しき」ってなんだよ、と思いました。

自分はネットなら何でも勝手に書いていいとは思っていません。

ですから、できれば週刊文春が以前どのようなことを橋本さんに関して書いたのか調べようとしたのですが、その手間隙を惜しんでしまいました。

しかし、週刊文春が「思しき」というふんに書いているわけですから、自分だって週刊文春がかくかくしかじかと書いたと推測して書いたとしても批判されるいわれはないと今書きながらつくづく思うわけであります。

今までもそういうことは少なからずあったわけですが、推測で書いてもいいというより、一々前回のエントリーのように何年何月何日号のこの雑誌にこう書いてある、などと証拠を突きつける必要もないな、と思いました。

とにかくこの橋本という政治家がいかに日本の舵取りを誤ったかということについては今さらいうまでもないでしょう。

とにかく、週刊文春は橋本さんの中国自分女性との交際をスキャンダラスに何べんも取り上げていたのではなかったでしたっけ。

それを死んだ時には「思しき」などと言ってごまかすのはマスコミとして最低のことです。

「思しき」で書くのかよ。それでは「推定無罪」ならぬ「推定有罪」ではないか、なぜ生前きちんとしらべて白黒はっきりさせなかったのか、と思われてなりません。

ちなみに自分は当時この報道に興味はありませんでした。

ようするにこういうことだからです。


週刊文春以上に問題なのははっきり言って橋本さんやその遺族の対応、というよりきちんと対応しなかったことに問題があります。

それが事実無根であるなら法廷で争うなどすべきでこのようにうやむやにしたまま、死なせてしまうなど、とんでもない話です。

むろんこの政治家の恥知らずさ加減はあれだけの経済失政をしながら再び総理に立候補した時点で国民誰もが分かっているわけですが、それにしてもひどい政治家でした。

自分はこの人物が勉強会のようなものを作ったときに記者会見で「また総理に立候補するのか」という質問が出たときに「嫌だね、そういう質問が出ること自体」とふてくされて言っていたのを思い出します。

それ以外にもなにかの討論番組でフジの黒岩キャスターが「財政赤字をどうしますか」と聞いたら、逆に「今財政赤字がどれだけあるのか知っているのか」と訪ねて黒岩がなきそうになったのを思い出します。

その後で黒岩が橋本をなにかのことでご機嫌をとったら「ほめてくれてありがとう」などと言い、黒岩は「これだけいじめられてほめるのもつらいものがあるんですが」などと苦笑していたのを思い出しますが、ようするにこの人は議論をさせない名人でした。

自分の嫌なことをきかれるとこわい顔をして人をにらみつけて怒る人で、いかにも昔の政治家だった印象があります。

いつだったかの選挙での自民党のCMはこの人が剣道をやっているCMだったと思いますが、それにか限らず、政党助成金という税金をこのような使いかたされたらたまらん、ということもされてしまいました。

したがって、この人が総理のあとに行革大臣?をやったこと自体が税金の無駄だったと思います。



政治家は後世の歴史家の判断に任せるなどと言って国民の意に沿わない政策をやることが時としてあるようです。

橋本の増税の時にもそのようなことが言われたかは分かりませんが、とにかくこの人の消費税値上げでどれだけこの国の経済が破壊され国に借金がふくらんだか、これもこの人が死んだ時にそれほど取り上げられなかった気がします。

政治家は鬼籍に入ればみんな「立派な政治家」なってしまうんでしょうか。

政治家のほうもようするにマスコミがこんなものだとみなたかをくくってるわけでしょう。

死んだ後には遺族には肩書きや名誉だけが残ります。

国民や都民は莫大な文字通りのつけが残されるというわけです。

橋本龍太郎に関してはサイトぐらいもういい加減更新するなり、消すなりしたらどうかと思いますが、ようするにどうでもいいってことですかね。


スーダラ節でも歌いたい気分です。


統一してませんが、ところどころ文中敬称略です。





朝日が早実斉藤投手を利用しているように見えた

2006-09-09 00:58:15 | マスコミ批判

すごい久しぶりになってしまいました。

おととし10月からはじめたこのブログですが、ついに先月は全くエントリをアップしないまま過ごしてしまいました。

見ていて下さった方々にお詫び申し上げます。


もちろん書きたいことはいろいろあったのだが、明日書こう、明日書こうなどと思っているうちに今日の日を迎えしてしまいました。


さて最近気になっていることはたくさんあって、この話題もすでにピークをすぎた感じだが、それにしてもまだまだ早実の斉藤投手はすごい人気。


人気者が出れば当然マスコミはそれを話題にして追いかけまくるのは常のことながら、やはり朝日は高校野球の主催者だからということで目いっぱい早稲田実業や斉藤投手を利用している気がしてならない。

まず甲子園が終わった直後に早実ナインが大阪の朝日新聞本社をおとづれている映像を見てすごくいやな気がした。

朝日新聞が高校野球の主催者だということもテレビでは言われていたようだが、どうして疲れている高校生を呼び出して(かどうか知らないが)大阪の朝日新聞のえらい人が長い説教をたれねばならないのか、またその映像をテレビ朝日が流さねばならないのか。

また、早実のナインが早実に帰った時には出迎えの観衆がみな朝日新聞の小旗を振っているではないか。

学校にここまで朝日の宣伝を押し付けるというのはいくら何でもやりすぎではないだろうか。

それとも早実に限らずこの国の高校というものは朝日に頭が上がらないのっだろうか。

自分たちの宣伝に高校生を使う朝日の大人たちには困ったものである。


朝日が昭和天皇の靖国A級戦犯合祀に関するメモを政治利用世論操作に宮内庁は抗議すべし

2006-07-26 17:25:33 | マスコミ批判

日本経済新聞に掲載された昭和天皇の靖国神社のA級戦犯合祀に関するメモについては非常にまずいことだと感じている。

まずご本人が生前公式にご発言されていないことに関して、今のタイミングで近くにいた公務員のメモという形で発表されたことはまずもって倫理に反することではないだろうか。

歴史家などは信頼に値するなどと言っているむきもあるようであるが、これを認めるのは非常にまずい。

もちろんわれわれは側近の日記などによって昭和天皇の人となりをうかがうこともあったのであろうが、これからはそういうことはまずやめるべきで、皇室・宮内庁もこういうことになぜ抗議しないかということは一考に値する。

もちろん「言論の自由」などということもあるのかもしれないが、それは違うだろう。

つまり昭和天皇も、発言を聞いたという本人も亡くなってしまっているのだから、ほんらいこういうものは確かめようもないことであって、本来発表すべきではなかった。

宮内庁がこのことに抗議しないというのであれば、ようするにこれからもこうした事が起こることを自らに許しているととられても仕方ないだろう。

非常に問題なのは朝日新聞が欣喜雀躍してこのメモを大々的に政治利用してしまっていることである。

7月25日の社説(すぐ消えるかもしれませんが、こちらです)で自民党の総裁選挙の論点にすることを要求してしまっている。

朝日は21日の社説(すぐ消えるかもしれませんが、こちらです)で以下のように述べている。

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だれもがこぞって戦争の犠牲になった人たちを悼むことができる場所が必要だろう。それは中国や韓国に言われるまでもなく、日本人自身が答えを出す問題である。そのことを今回の昭和天皇の発言が示している。
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ようするに朝日は国立の追悼施設をつくるという民主党の案(こちらはまだずっと消えないはず)
を後押しするに当たって昭和天皇の「発言」を勝手に利用してあたかも御意に従え、とばかりに国民に自分たちの意見を押し付けたのである。

しかし、これはようするに政教分離の原則に反することである。

国立の宗教施設そのものが政治と宗教の結びつきを強めるものであるし、その意見を押し付けるのに昭和天皇のご発言に関するメモを持ち出すのはまるで自分たちは錦の御旗、御意にしたがえ、という大本営発表をそのまま流した戦前の姿そのものではないか。

しかし22日の天声人語(これももうすぐ消えるでしょうが)では以下のように述べている。

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メモは一つの史料として冷静に受け止めたい。政治などの場で過大に扱うのも控えた方がいい。もっと大きく、昭和の歴史と向き合ったり、あの悲惨な戦争を考えたりする時の手がかりにしたい。戦争で隈どられる時代が二度と来ることがないように。
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つまりここでは自分たちが昭和天皇の「発言」を政治利用している印象を弱めようとしていたわけだろうが、それにしてもこの朝令暮改そのもののような変節ぶりはどう考えればいいのかと思いきや、今度は世論調査を持ち出して25日の社説(すぐ消えるかもしれませんが、こちらです)で以下のように述べている。

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今回の朝日新聞の調査は、これが報じられた後に行われた。参拝の是非をめぐる判断でメモを重視したかどうかを尋ねると、63%が重視したと答えた。
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朝日の社説が昭和天皇のメモを重視するように言っていながらまるで国民自身が主体的な意見形成をしたかのごとく書いているのはあまりに見え透いた自分たちの世論操作を隠すというよりむしろ自ら示しているかのようにも思える。

おそらく総裁選では靖国参拝が争点になる可能性が大である。

しかし、この国ではまず何が一番問題かといえば、増税である。

おそらく増税も争点の一つにはなるであろうが、扱われる比重は少なくなる可能性が大きい。

そして候補者によって意見の違いが見られなくなりそうであることも問題である。

自分は増税には反対である。

行財政改革ははっきり言って全く不充分であり、靖国のような宗教という公の場で論じるには向かない問題で行財政改革のような問題がないがしろにされてゆくとしたら残念であるが、ようするに今までもマスコミがそうしてきたわけであろう。

むろんそのことが問題にされない事が小泉首相にとって都合がよいことだという見方も充分なりたつ。

マスコミが靖国を問題にしているというのはまさにそのとおりであるが、マスコミが靖国を問題にすることで小泉首相が困るというわけでもないだろうと自分は思う。

朝日は国民は自分たちの社説に従っているのでそれが正しいと言いたいのだろうが、これはまさしく最初に昭和天皇のご発言に関するメモを利用して政治利用していることに他ならない。

日ごろ政教分離をさかんに喧伝しながらある日突然昭和天皇のご発言に関するメモを取り上げて世論操作するなど、国民をバカにするのはいい加減やめてほしいものだ。

なおこの一文をそうするに当たってはネット上の議論の場で教わること大であった。

その場でも申し上げましがあらためて深甚の謝意を表します。

朝日の社説を書いてる人は本当は自分たちの方が間違ってると分かっているのではないか?

2006-06-30 22:26:34 | マスコミ批判

朝日の社説は相変わらずおかしなことを書いてるな、と思う。

自衛隊のイラクからの撤収に関してどうしてこんなことを書けるのか不思議でたまらず、何をどう書いていいのかずっと迷っていたらその社説はweb上では見られなくなってしまった。

一々図書館で確認する気も今は起こらないが、要するに自衛隊が今まで無傷でいられたのは「幸運」だったと書いてあった。

それはたしかにそういうこともないとは言えないけれど、戦闘地域だったら、本当に無傷ですむのだろうか。

もちろん戦闘地域にいて無傷でいることもないとは言えないけれど、無傷とはいえ自衛隊を目標にした攻撃もあってそれでも無傷であったわけだから、自衛隊が活動していたところに致命的な攻撃をするほどテロリストが近づけない地域性のあるところで自衛隊は活動していたように自分には思える。

日本の自衛隊は一応自分たちに被害の及ばないような状況で活動していたことは認めるべきであろう。

これだけイラクでテロが続発して、他国の軍隊やジャーナリストなどに犠牲者が耐えない状況で自衛隊は一応今のところ無傷でいるということは、どう考えたって戦闘地域と非戦闘地域の境界があってそこの見極めがよくできていたということではないだろうか。

もちろん他国の軍隊に保護されていたことは忘れてはならないし、これからも絶対に安全が保証されているかどうかは必ずしもわからない。

たしか電力供給の活動はまだ行われるはずだと思うが、とにもかくにも自衛隊の活動には少しは感謝すべきではないだろうか。

今現在必ずしも安全な状況ではなくなってきたから撤退するようであることは残念だが、そうした判断自体があれほど国会などでかまびすしく議論された戦闘地域と費戦闘地域があるや無しやという議論に関してかなり重要な証拠が提出されていると私は思っている。

もしかりに自衛隊に犠牲者が出て小泉が「運が悪かった」などと言ったら朝日新聞はそれこそ目の玉をひんむいて怒るであろう。

自分もそういうことはいうべきではないと思う。

もちろん自衛隊が今まで無傷であったことに関してそれを祝う気持ちで幸運というならいいが、自分たちの主張が間違っていることを「幸運」という言葉でごまかされる幸せな神経の人たちが朝日をはじめとするマスコミにいかに多いかあらためて愕然とする。

こちらの6月25日の朝日の社説では最高裁判決に関してまたおかしなことを書いている。
 
一連の靖国参拝訴訟では、地裁や高裁で、「首相の参拝は違憲」という判決と、憲法判断をしない判決に二分されている。

などと書いているが、朝日はテレビなどでも「首相の参拝は違憲」という判決ばかり取り上げてきたことをどう思っているのだろう。

今頃こんなことを書いて少しは反省でもするのかと思いきや、「最高裁が判断を避け続ければ、『憲法の番人』としての役割を果たせないのではないか」などといっている。

自分たちの気に入った判決はその判決に従わないのはけしからぬなどということをさんざんいい散らかしておいて、「首相の靖国参拝に対する司法判断を求めて提訴した原告には、肩すかしの判決となった」とは一体どういうことなのか?

朝日こそ肩透かしを食らわしているのではないのか?

「いずれにせよ、最高裁は首相の靖国参拝を認めたわけではない」というがでは、参拝を禁じたのか?


自分たちに都合のよいことばかり書いて国民を惑わせるのはやめてくれませんか?

「首相らが政教分離に反する行いをしたと国民が考えたとき、どこに訴えたらいいのだろう」と書いているが、「最高裁は97年、愛媛県が靖国神社に納めた玉串料などの公費支出について『宗教的活動にあたる』として、違憲判決を出した」と書いているではないか。

普通にまっとうな主張をすれば訴えをしてそれなり判決が出ることは分かっているくせになんでこういうことを書くのか。

ようするにこれは国民がこういう書き方でだまされると思って書いているということだろう。

この裁判における原告は「01年の首相の参拝によって精神的な苦痛を受けたとして、損害賠償を求めていた」わけだが、その損害賠償が妥当なものであるかどうかは朝日はまったく論じていないようだ。

外交とかそうした問題に話をすりかえているようにも見える。

肩透かしは朝日のほうではないか?


週刊新潮の「非国民」と罵倒された日本人女性の「ある行為」という記事はひどい人権侵害ではないか?

2006-06-22 23:14:58 | マスコミ批判

自分はそれほどサッカーは詳しくはないのだが、2002年のW杯の時には「にわかフアン」になって、それなりに熱狂した覚えがある。

今回はあまり熱狂しているわけでもないが、それでもテレビで何試合か見て、「いい試合だった」とか、「つまらない試合だった」などと思ったりはしていて、具体的な感想をどこに書こうかいまだに迷ったりしている。

しかし、それ以前にまずここにで訴えたい事が一つ生じたので、書きたいのだが、まず日本人ならば、みな日本代表を応援しなければならないというこの風潮についていけないものを感じることを正直に申し上げたい。

はっきり言ってしまえば自分はサッカーに関して言えば(何に関してもかもしれないが)非国民なのである。

しかし、この「非国民」という蔑称はよくよく考えて使う必要があると思う。

これはよほど国益に反することをした人間にのみ使うべきであることは言うまでもない。できれば使わずに済ませた方がいいに決まっている。

もう一度あらためて前置きのようなことを書かねばならないが、自分はW杯を観戦もしくは応援に行く一般の人たちというのは、よほどお金と時間のある人たちだと前から思っていて、自分などはうらやましいというしかないものを感じている。

これは今回に始まったことではなくて、フランスの時にも大勢の日本人がフランスの田舎のほうにまで行ったということなどで話題にもなったのは記憶に新しい。

さて、今回のW杯に関しては日本のサッカーは今の時点ですでに成績も決してよいとは言えず、内容もよくないと思っている。

本当はもっと言いたいことがたくさんあるのだが、とりあえずブラジル戦の結果が出てからまたあらためてどこかに書こうと思っているのだが、今回はまずクロアチア戦にまつわる変なエピソードのようなものについて書きたい。

やっと本題に入りつつあるわけだが、この試合に勝てなかったのは日本にとって非常に痛かった。

それ以上に自分はオーストラリア戦の敗北がまず痛かったわけだが、中田(英)も言ってるように「次は勝たなきゃいけない」と前からマスコミも選手も言ったわけで、にもかかわらずクロアチ戦で引き分けたというのはあまり喜べない事態であったことも確かであろう。

自分はテレビでこの試合を見ていたが、試合終了とほぼ同時にある日本人女性が大写しになったのだが、試合の結果を喜んでいたようなので、自分は反感を感じた。
そのことについても、自分は書こうかとも思ったぐらいなのだが、週刊新潮ではこの女性がネット上で「非国民」呼ばわりされていることを報じている。

こういうことは今回に限ったことではないが、ひどくさげすむべき行為である。

ネット上なら何をしてもいいなどというつもりはないが、ようするに週刊新潮はネット上で行われている心無い行為を取り上げて、騒いで面白がっているととられても仕方がないだろう。

詳細については週刊新潮をごらんになっていただきたいが、ようするにこういうことを週刊誌が取り上げること自体がネット上の騒ぎどころではない人権侵害だと自分は思う。

自分たちがこの女性に文句があるなら、自分たちの意見として書けばいいものをネット上で非国民呼ばわりされているなどとして責任を転嫁して、自分たちがこの女性にたいしてすさまじいばかりの人権侵害をしていることをごまかそうとしているとしか思えない。

もちろん私は週刊新潮はひどい人権侵害をしていると思うし、修整がほどこされているとは言え、顔が写っている画面まで出しているとなると、それなりに誰かが法手続きをして今さらではあるが、回収をするぐらいのことはすべきであると思う。

もちろん週刊新潮だけでなく、一人の女性を写しすぎたという責任がテレビ局に問われてくる可能性もあるだろう。

一般の一人の女性が自分たちの気に喰わない反応をしたからと言って「非国民」呼ばわりする人たち、さらにその騒ぎを面白がって取り上げる週刊誌、自分にいわせればこういう人たちこそ同じ日本人として恥ずべき「非国民」ではないのだろうか。

ネットと週刊誌、それも週刊新潮のように巨大な発行部数を誇る週刊誌とでは全く影響力が違う。

もちろん自分だってその女性の反応には強い疑問を感じたし、ここで取り上げることもさらに騒ぎを広げる可能性もあるとは思う。

しかし、もうすでに週刊新潮にこれだけ取り上げられた以上、そのことの是非については考える必要があると思う。

前回のW杯では、客席にいた韓国の女性がきれいだということで、騒がれてテレビなどにも出るようになった。

しかし今回、こういうことが起こった以上は、今後はスタンドにいる観客の肖像権ということも考える必要があるかもしれないとまで思わされた一件であった。



藪本ブログ炎上再考「あなたと日テレ」がきいてあきれる日テレの隠蔽体質とふてぶてしさ

2006-06-19 22:18:35 | マスコミ批判

自分が書いたことと似たようなことがあとになって新聞などに書かれているような気がすることがある。

同じことというより、実際にはそういうことではないのだろうが、自分の見方が少しは取り入れられた、あるいは自分の書いたことを意識して書かれたかのような気がして仕方がなくなってしまうことがあるということだ。

たとえば以前、自分は野田聖子が国が借金を重ねてきたことを批判していることに関して、野田が郵政大臣だった小渕内閣がものすごい借金をしたことについて書いた。

しばらく後に金子勝慶大教授が「週刊文春」に小泉政権がその在任期間全体にわたってしてきた借金が今まででもっとも莫大であることを長々と書いているのを見て、これは自分のようなことを書いている人間に対する反論?ととることも可能だと思った。

しかし、あの文章には小泉の在任期間がすでに歴代首相と比べて長いことや、国債費についてあまり触れられていなかったので、自分の勉強になるようなものではなさそうで、まともに読まなかった。

最近の朝日でも靖国訴訟に関して朝日が特に重要視している判決とはやや違った判決が高裁ででていることにほんの少し触れている部分を社説で見たりしたが、全くいい訳にもならず、ごまかしにもならないものだと思ってそのまま無視した。

もちろん無視すればいいのだけれど、やっぱりこうして書いているのは心のどこかでこうしたことが引っかかっている証左であることは認めざるを得ない。

またしてもずいぶん間があいてしまったが、前回のブログで藪本のブログについて書いた際、自分は日テレの不祥事を植草教授(この人はどこかの大学の教授にまたなったそうなので「元・早大教授」という書き方が適当かは分からなくて「週刊文春」はもしかしたらその点を意識した書き方になっていたのかもしれない)の事件と比較してあまりに日テレの対応などが甘すぎるということを書いた。

もう先週号になってしまうが、「週刊文春」は植草教授だけでなく、田代まさしなども例に挙げて、日テレの自分たちに対する抗議に対してさらに強く抗議していた。

「週間文春」と意見があってしまうのはあまり愉快ではないけれど、実際昔から意見が合うどころか、いろいろ読んでいて共感する部分も多いのだから今回も仕方がない。

それにしても藪本のブログは一時的に完全に閉鎖されたりしたようだが、なんとも後味の悪い対応をしているように思えてならない。

繰り返しになるが、まずこれは「オフィシャルブログ」でしかも見た感じはLivedoorがかなりカスタマイズしているようにも見えるわけだから、けっして個人が趣味でやっているブログではなく、Livedoorもしかるべき対応を取るなりサポートをするなりすべきではなかったか。

記事を消したりアップしたり、また消したりでは本当にわけが分からなくなるし、その間の藪本のコメントなども感情に流されたものだったようだ。

自分も初めてトラックバックを送ってみたが、ものの見事に消された。

ここ数年、性犯罪のたぐいがあるたびに、「被害者に落ち度があった」と主張しているかのごとき発言があり、それがたたかれ、またそれをたたき、などという応酬がよく見られるようだが、今回も同じようなことが繰り返された印象を持つのは自分だけではあるまい。

藪本の書き方が誤解を招くような書き方であったことは事実であったろう。しかし、具体的にどういう点がまずかったのかもう少し吟味すべきだったのではないかという気も自分はしているのだが、そういうことはなされずに終わってしまったようで残念である。

よく本屋に行くと「万引きは犯罪です」という貼り紙のようなものを見かける。
駅でも「痴漢は犯罪です」という貼り紙のようなものを見かける。

そのうち「盗撮は犯罪です」という貼り紙が駅の階段などにされるようになるかもしれないとさえ思う。

言っておくが、藪本のブログが盗撮が犯罪ではないかのごときニュアンスを伝えるものであったとまでは言わない。

むしろ日テレがこの件が不起訴処分になったことでできるだけ具体的なことは公開せず騒ぎを沈静化しようとしていることがまず何よりも問題で、その流れと藪本のブログの炎上はけっして無関係ではない。

薮本にしても日テレの処分が甘いことをまず嘆いていたはずだ。

これでは日テレは不起訴処分になってしまえば犯罪ではないと主張しているようなものではないだろうか。

日テレは日曜の早朝に「あなたと日テレ」という番組をやっていて、一般の視聴者から番組に対する意見を募ってるらしい。

こちらが番組のサイトです

自分たちの不祥事を明確にする事もなく、こうした番組をやっている人たちの神経にはあきれるばかり。

それとこの事件を起こしたアナウンサーはこれだけ世間を騒がせておいて、今でもこの会社にいるのだろうか?

考えてみるだに恐ろしい会社である。


                      (文中一部敬称略)