創世記20章13節である。「かつて、神がわたしを父の家か
ら離して、さすらいの旅に出されたとき、わたしは妻に
『わたしに尽くすと思って、どこへ行っても、わたしのことを、この人は兄ですと言ってくれないか』と頼んだのです。」という。パレスチナに旱魃が襲ってエジプトへ逃避したときにも、これと同じことを12章13節でいっている。
人間の社会での習慣の違いもありアブラハムの言い分に説得力があったのか、不明である。さらに本文批評によれば、妹を妻にするというのは人間社会にありそうにない話なので、元来ここになかったものとの見解もある。しかし物語をそのまま受け入れ、神の働きとするなら、その解釈は、もはや、彼の相手が、妹が妻であっても、なかっても、どちらでもよい。
14節である。「アビメレクは羊、牛、男女の奴隷などを取ってアブラハムに与え、また、妻サラを返して、」という。とにかく相手の言い分はどうであれ、アビメレクは自分の得心の行くようにした。それによると先ず見える贈り物でその本心を表そうとしている。「牛、男女の奴隷などを取ってアブラハムに与え、また、妻サラを返して、」という。
9節で「あなたはしてはならないことをした」といって激怒したが、その怒りの大きさに応えるように、自分の本心、その気持ちを表し、謝罪の意味をこめて十分豊かな贈り物を用意した。6~7節の、夢の中の神の言葉に対するアビメレクの衝撃の大きさは、単なる古代の問題として済まされない。