日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

次週の礼拝と説教予告         所在地〒870-0036 大分市寿町4-17. ℡097-538-1120

2018-09-12 18:55:49 | 大分中央ウィークリー

2018年9月16日(日)朝礼拝、故人記念伝道礼拝  前10:20

説教「キリストは律法の目標であります。信じる者すべてに義をもたらすために」

聖書:イザヤ書8章11~15節、ローマの信徒への手紙10章1~4節.交読文42.讃美歌17,111,461.29.

 

同夕礼拝18:30

説教:「親と子」

聖書:,箴言(説本文)3:1~12,Ⅰヨハネの手紙2章12~17節.夕讃美歌149,403,532,29

 

 

2018年9月23日朝礼拝10:20

説教「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」

聖書:レビ記18章1~5節、ローマの信徒への手紙10章5~13節.交読文43.讃美歌152,443,474.24.

 

同夕礼拝18:30

説教「結 婚」,

聖書:箴言31章10~31節,エフェソの信徒への手紙 (説本文)5章22~32節.夕讃美歌169,402,530,24.


プロテスタントとカトリック

2018-09-12 18:49:12 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(473)  5.近代から現代へ(宗教改革とその後」

初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その113)

  最終篇に入ります。「神の国」出村彰訳より)

 第二十二編 神の国永遠の浄福

30,神の国の永遠の浄福と永遠の安息について。

わたしたちのなすすべての善きわざは、わたしたちのというよりは神のわざと考えられるが、しかもこの安息を得るためにわたしたちのわざとしてわたしたちに帰せられる。もしそれをわたしたち

自身のものとするならば、何の力もな前回はここまで)いものとなろう。「なんのわざをもしてはならない」(申命記五・一四)と記されているからである。預言者エゼキエルはこう言っている。「わ

たしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。

 

これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである」(エゼキエル書二〇・一二)。このことをわたしたちが完全な安息を喜びとし、神が神であることを完全に知るそのとき完

全に理解するであろう。

  

もしも世界の歴史の各段階を一日と数えるならば(そしてそれはそれが各時代を記録する仕方であるが)、安息日は第七の段階と考えられる。第一日はアダムから大洪水まで、第二日は大洪

からアブラハムまでである。経過した年の数は等しくないが、おのおの十年と考えられる世代の数では同じである。

 

そこからは、使徒マタイの示すように、キリストの来臨までの三つの時代が経過する。おのおのは十四代であるが、第一はアブラハムからダビデまで、第二はダビデからバビロニア捕囚まで第

三はキリストの肉における来臨までで (つづく)


聖書研究

2018-09-12 18:44:55 | 大分中央ウィークリー

創世記26章1節である。「アブラハムの時代にあった飢饉とは別に、この地方にまた飢饉があったので、イサクはゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクのところへ行った。」という。ここはアブラ

ハムの子、イサクで貫かれた唯一の章という特色がある。「飢饉」とは、ここでは干ばつによる水不測のことをいう。当然遊牧民は深刻な事態になる。何よりも羊とともに、はるばる遠くへと移動

を余儀なくさせられる。族長アブラハムもエジプトに移動した(創12:10以下)。

 

「ペリシテ人」が、21章32節と共に時代錯誤の記事としての問題とされる。ペリシテ人は12世紀ごろの民族大移動でパレスチナに入って来た民族には違いない。しかし後代(前12世紀)の民

族大移動だけに限定して考えないのがよい。その証拠に乏しいままでも、ペリシテ人移動を聖書資料として考えておかねばならない。

 

2節である。「そのとき、主がイサクに現れて言われた。『エジプトへ下っていってはならない。わたしが命じる土地に滞在しなさい。』」という。このようのイサクの直接語りかけた主な神は珍しい。

ここともう一か所この26章に見られる。イサク自身慎重に聞き取ったのはよくわかる。

 

「ゲラル」は、パレスチナの南部ガザの南方にあった町である(創10・19、歴代下14・13)、エジプトからいえば海岸沿いの通商路にあって、如何にも水の都エジプトに入って行きやすいところ

であった。しかしそれゆえ、神がここで語ったのであった。聞き取る方もよほどの心構えを必要とする。ここで聞き入れるかどうかは、イサク自身の人格が問われている。賢いか、どうか試されて

いたのであった。


牧 会 通 信 所在地:〒870-0036 大分市寿町4-17  ℡097-538-1120

2018-09-12 18:24:50 | 大分中央ウィークリー

ダンテ著〈1265~1321〉の 「神曲 地獄」編  (原光訳、2000年、沖積舎)

二十一歌 (その4)

◯わたしはよく見たが、瀝青(ピッチ)の中には沸騰によつて上げられる泡しか見られず、全体が膨れ上つては、また圧縮されて低くなつてゐた。

 わたしが下を凝視してゐると、「注意しろ、注意しろ!」と先達が言つて、わたしを立つてゐた所から自分の方へ引寄せた。前回はここまで)

◯突然の恐怖で力を奪ふ、逃げねばならぬものが見たくてたまらず、しかも見るために逃げ足を遅らせぬもののやうに、

 そのときわたしが振向くと、わたしらの後から黒悪魔が一人、岩橋の上を走ってくるのが見えた。(つづく)

 

◯本日9月9日、日本聖書協会の「聖書愛読暦」の主題は「主の神殿」という。聖書本文は、詩編150編1~6節。その2節「力強い御業のゆえに 神を賛美せよ」という。この詩編は全150編

の最後に位置を占めている。他の149編の詩編と同様に本篇こそが、全150の詩編の心を結ぶように、主をほめたたえることの楽しさを心から表して「主の神殿」で歌われたようである。わた

したちの世界のために心を込めて神の爽快な御支配を力いっぱい賛美し、締めくくっている。共に賛美しよう。

写真は、9月3日、一泊二日で福岡城南教会で開催された教職者会、釜山から宣教教師、金山徳教師を加えて14名集まった.