日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-08-16 23:41:40 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(325)

4.近代の教会の夜明け

 ―宗教改革とその後―

わたしたちの世界の新しい時代は西方社会の16世紀の宗教改革から始まったといっても過言ではない。もちろん、われわれは東方の東の最先端の小さな島国であり、中国大陸との関係の中で小さな独立社会をつくっていた。しかも戦国時代といって国家としてのまとまりを失いつつあった。1549年ザビエルの来日によってその変化の影響を受けることになる。

すなわち、この時代に起こった西方の宗教改革という運動の展開の効果一つは、西方キリスト教がコロンブスの影響からヨーロッパの状況の外へと拡大したことである。(ここまで前回)ヨーロッパでは16世紀初頭から17世紀中葉までの大航海時代が始まるのであるが、キリスト教的にはその象徴的なその拡大の最初の事件は、1620年、メイ・フラワー号の帆船に乗船した120名ばかりのイングランドの清教徒(ピュ―リタン)共同体がマサセチュー湾に到達したことによって更なるキリスト教拡大時代の幕が開かれたといってよい。このことは特に現代、アメリカ学として神学的に重要になって来た。

従って、キリスト教神学の歴史の要となり、出発点となっているのは、いわゆる宗教改革である。そのため、今まで述べてきた1520年代の初頭のルターとカルヴァンの宗教改革があった。しかし、この二つ出来事とは、そのはじめ関係なしにスイスのチュリッヒ(つづく)


聖書研究

2015-08-16 23:40:07 | 大分中央ウィークリー

創世記21章21節である。「彼がハランの荒れ野に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えた。」という。「妻をエジプトの国から」というが、ハガルがもともとエジプト人(16・1)であったので、イシュマエルのためにエジプトから妻を迎えたことは人間的な関係からは不自然ではない。 

しかし、イシュマエルはアブラハムが認知した、アブラハムの子である。神の約束の系列からこの段階から一層遠くなり、異教社会に近づくのである。異教社会と関係がいかに深くなっても、アブラハムの血を引いていることには間違いなく約束の絆の中に入っている見るべきである。18節の、天からの神のみ使いの言葉としての「必ずあの子を大きな国民とする」という約束の言葉は薄められることはない。 

22節である。「そのころ、アビメレクとその軍隊の長ピコルはアブラハムに言った。「神は、あなたが何をなさっても、あなたと共におられます。~」とある。ここの「アビメレク」は、ゲラルの王であり、20章2節、「アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは使いをやってサラを召し入れた」といわれている。 

しかし彼、アビメレクは、アブラハムの妻であることを知って、何の害も加えずに、かえって多くの賠償を与えてアブラハムへ返した。こんどは、アビメレクが、アブラハムの族長としての重要な地位を認めて、彼と和解して、同盟関係を一層強化するためにその契約を申し出る(E)のであった。「ピコル」はアビメレク王の軍の長であった。ただ、26章26節では、イサクの時代にもなお健在であったという(J)


牧 会 通 信

2015-08-16 23:22:56 | 大分中央ウィークリー

ダンテの「神曲 地獄」編 第10歌(カッコ内は筆子、その14) (原 光訳 2000年、沖積舎)

◯自身の罪にヅキヅキ責められてでもゐるやうに、わたしは言つた、「ではあの倒れたものに言つてた下さい、あのものの息子はまだ生者たちと交はつてゐると。

  わたしがあのとき答へしぶつてゐたのは、あなたがいま解いてくれた疑念に、わたしがすでにとりつかれてゐたからだと知らせて下さい。」

 すでに師がわたしに戻れと呼びかけてゐたので、わたしは大急ぎでこの霊に頼んだ、誰があなたとともにゐるのか言つて下さいと。(ここまで前回)

◯すると答えた、「わたしはここに千以上のものとともに横たはつてゐる、その中にはフェデリコ二世と、あの枢機卿がゐる、他のものたちについては言わぬ。」

さう言ふなり隠れてしまった、わたしは古代の詩人の方へ歩き出した、わたしには不吉に思はれたあの言葉について考へながら。

師は動きだした、それから歩きながらわたしに言つた、「なぜそんなに取乱してゐるのだ?」わたしはその質問に満足できる返辞をした。(つづく)

 

◯2015年8月16日は、今年の第三十三主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「主の約束は変わらない」の主題であり、聖書はイザヤ書59章16~21節、その17節「主は~情熱を」の「情熱(キヌアー)」は「ねたむ」とも訳される神の愛の強さを表す旧約聖書の大事な言葉。十戒の第二戒偶像禁止のとき「情熱の神」(出20・5)という。主(ヤハウェ)独自の栄光を他の偶像の神々に渡すことの禁止である。

 

写真は、先週。8月9日礼拝後の夏期学校。史(し)栄龍兄、藤川宣子姉が出席。