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もうダマされないための「科学」講義

2012年08月01日 | リスク関連

もうダマされないための「科学」講義 もうダマされないための「科学」講義

 

 

科学を正確に伝えるとはどういうことなのかが書かれている本。
3.11以降の原発に関する報道についても、科学者(科学を知る立場のもの)としての自省をこめています。
科学の問題について、一般の立場のものが、その内容の良し悪しを知り、正しい行動をとるのが如何に難しいのかが分かります。
また、平成23年度 文部科学省「科学技術白書」のはじめで、科学技術の関係者が国民との科学技術コミュニケーション活動に真摯に取り組むことによって、「対話」に基づく「相互理解」、さらには「参画」へとつなげ、社会と科学技術との新しい関係を築いていくことが、今、求められている、とあり、ワークショップとのつながりを感じました。


以下、抜粋■
#抜粋する内容について???と思ったら、納得のいくまで調べるのをおススメします。
○「政府見解」「専門家の結論」への信頼が大きく揺らいでいる現実

○科学と非科学を線引きするための基準は「線引き問題(Demoarcation Problem)と呼ばれ、科学哲学のフィールドで長く議論され続けているが、まだ決着はついていない。

○メディアでは根拠が明確でない、時に明確に誤った情報が流通され続けている。その理由の一つが「人は”自分が信じたいと思うこと”を信じる」という心理的特性にある

○科学者は・ジャーナリストは、今まで以上に高度なコミュニケーションを求められている

○ニセ科学が批判させる理由は、単にそれが間違っているからではない。ニセ科学を選択すること自体が、さまざまな社会的損失を招くためである
・個人の損失よりもむしろ社会的損失が問題。意味のあるもの、意味のないものを作るにしても、人手がかかり、時間がかかり、お金がかかる。こういう社会資本を無駄に使うよりは、ちゃんとした意味のあるものを作ったほうがいい

○科学であるかのように装っている、つまり見かけ上は科学的であるもの。この「見かけ」が曲者で、誰にとっての見かけなのかを言わなければならない。科学の専門家の目にも科学に見えるのだったら、多分、それは科学。でも、一般の人には、科学と区別がつかずに科学に見えても、専門家には科学に見えないものがあり、そういうことを問題にしている

○「ニセ科学ではないもの」
・科学的な間違い。科学的な手順を踏んで学説を提唱したのだけれども、結果として間違いであったというもの。科学は、そうやって進歩してきた。こういうことを、ニセ科学というのはまずい。間違いを否定すると科学は進歩しない。科学というのは、間違いがあって、なぜそれが間違っているかというところから次へ進む。間違いを大切にしなければならない。科学の手順は踏んでいたが間違いだったというものをニセ科学とか非科学とかいってしまうと、それは科学の手続きそのものを否定することになる。そういうものはニセ科学ではなくて、単に「間違いだと分かった学説」である。
・メカニズムとしは確立していなくても、現象は科学的事実と考えられるものはニセ科学とは呼ばない

○「捨てられた学説問題」
とっくに否定された学説の問題。間違いだと分かって否定されるまでは普通の科学的な手順。ところが、そういうとっくに否定された学説を拾い上げてきて、あたかもそんな学説がまだ活きているかのように利用する人たちがいる。間違いそれ自体はニセ科学ではないけれど、それをどう使うのかによってはやはり問題が起きてしまう。

○ニセ科学の例
・血液型性格診断
・マイナスイオン
 :「イオン体内革命」
・水からの伝言と波動
 :科学的に間違っているものを教えるのはまずい
 :科学の結果を使って道徳を教えようとする危険性、科学の誤用。科学に期待しすぎ。
・ホメオパシー
・ゲーム脳
・EM菌
・天皇家のY染色体継承説
・磁気水や活水
・百匹目の猿
など、これいがいにもある・・・

○科学では答えられない問い
・科学は人生の意味は答えてくれない
・哲学、宗教の領域に入るもの

○客観的事実と個人的な体験の区別

○例えば、「祈って効果があった」というためには・・・
・祈って効果あり
・祈って効果なし
・祈らなかったけど効果あり
・祈らなかったけど効果なし
の4項目を調べなければならない

○科学を魔法にする?
科学用語が比喩として日常用語になっている場合。「言葉には人を動かすエネルギーがある」という表現は物理的には間違っているが、べつに表現自体は間違えていない。この場合のエネルギーは物理的でなく比喩。

○アーサー.C.クラークの第3法則
・高度に発展した科学技術は魔法と区別がつかない
・科学が魔法に見えるなら、魔法と科学は区別がつかない

○「絶対安全」と「ゼロリスク思考」は表裏の関係にあるが、ゼロリスクを求められたからといって、現実に存在するリスクを説明することをさぼって「絶対安全」を主張してはいけなかった。どんなリスクにもあり、問題なのは、その程度。

○ローカルの知[local knowledge]
・もともとは人類学で使われている概念
・ある特定の領域で用いることのできる、実際の経験の中で見出されてきた知、というようなニュアンスのある言葉
・モード2科学、モード2の知識生産とよばれる領域にある

○CUDOS
・科学者がもつ精神的な特徴を表す
Communalism(共有主義):発見を共有する
Universalism(普遍主義):えこひいきをしないこと
Disinterestedness(科学の超越):自らの利害関係を他人の研究についての評価に持ち込まない
Organized Skepticism(組織的懐疑主義):他人の言ったことを鵜呑みにしないで、懐疑的な気持ちできちんと吟味する
※この本では、社会学者マートンのバージョンを用いている

○伝統的生態学的知識(Traditional Ecological Knowledge)
保全生態学において、現地にずっと住んでいた人たちが持っている知識を利用させてもらおう、という研究

○順応的管理(Adaptive Management)
前もって計画を立てることができないので、実際にモニタリングしながらどんどん計画を変えていくこと

○霞が浦「アサザプロジェクト」
・NPOの人たちが参加して場所を選定し、地域住民への聞き取り調査をして、昔は、そこになにがいたのかを確認し、それを復元するようなかたちで対策を行った。

○「神経神話」
[Understanding the Brain]によると、脳神経科学の発達に伴って広まった、脳に関する俗信

○境界設定問題 Demarcation Problem における「科学」の尺度をつかう
#この本で著者が改めて重要性を訴えている
科学を唯一の基準として判断すべきだという主張をしなくてもよくなる。
科学だってあらゆる面で優れていると考える必要はない。こう考えることで、科学とローカルな知とがお互いの長所を活かしつつ対等に情報交換することが可能となる

○科学の定義
以下の所与の制約条件の中で、もっとも信頼できる手法を用いて情報を生産するような集団的知的営み
(a)その探求の目的に由来する制約
(b)その研究対象について現在利用可能な研究手法に由来する制約
 ※科学の定義に絶対に外せないのは「信頼性」

○暴露マージン MOE
・人の摂取量(暴露量)と動物実験などで発がん性が見いだせる量を比較して、もしも両方の値が近ければ(MOEが小さければ)、発がん性の可能性が大きいということにして規制する。両方の値が遠ければ、規制の優先順位はかなり下がる
・MOEが大きければ、対策の緊急性はなく優先順位は低い。小さければ高い。MOEが10000より大きければ対策の優先順位は低い

○遺伝子組換え商品に関するもの
・食用油や、清涼飲料水に使われている異性化液糖は、遺伝子組換え作物を原料として使っていても表示義務がない
・「カルタヘナ議定書」:生物多様性への影響を規制するための国際的な取り決め

○外来生物
明治以降の移入種。江戸時代に入ってきたものは在来種。

○科学を伝えることの難しさ
・自然は安全で問題がないが、人工物、高度な科学技術が作り出したものはとんでもないことを引き起こす、という予断が市民や報道機関、社会にあること
・科学の不確実性に関する根本的な無理解が社会にあること

○マスメディアを利用するのはいいが、頭から信じ込むのではなく、科学的事実を自分で調べることが大切。まず、「自分で調べよう」と思ってスタートすることが大事

○3.11を経験した日本社会のリアリティの変化
過酷事故が起こらないことを前提とし、事故は理論的にありえても、事実上は可能性を無視できる「想定外」とみなすことが許された社会

過酷事故が起こることを前提にせざるを得なくなった世界

○平成23年度 文部科学省「科学技術白書」
:はじめに
 ・科学技術の関係者が国民との科学技術コミュニケーション活動に真摯に取り組むことによって、「対話」に基づく「相互理解」、さらには「参画」へとつなげ、社会と科学技術との新しい関係を築いていくことが、今、求められている
  ※科学技術コミュニケーションとは、さまざまな科学の情報や知識、関連する疑問や意見について、専門家や政府、企業、市民、メディアの間でやりとりし、理解を深め合うこと
:第3章第3節 対話と相互理解、そして参画が生み出す新しい地平
 ・政府や研究者・技術者などの関係による適切な情報の公開を前提に、これら科学技術の関係者と国民が真摯に双方向の「対話」を行い、「相互理解」の上に、ともに科学技術イノベーション政策の形成プロセスに「参画」し、よりよい科学技術ガバナンスを実現させることが政策の重点となる

○PUS(Public Understanding of Science)
1.科学技術に対する一般の人々の興味、関心を高め、科学リテラシーを広めること
2.リスクが懸念される新しい社会技術を社会に受容してもらうために、人々に当該の科学技術についての科学的理解をうながすこと
 
○PUSから公共的関与(Public Engagement)へ
・科学者、政府、産業界、一般市民の間の双方向的な「対話」や政策決定への「参加」を重視するとスタイルのコミュニケーションへ
・科学の信頼性を回復し確保するためには、単に「一般の人びとを教育する」ということだけではダメで、専門的知見が生み出され利用されるプロセスそのものの透明性や説明責任、専門家の民主化が不可欠

○より深刻でより切迫したこの分断をどう埋め、和解をもたらし、復興にむけての「連帯」と作り出せるかが、この課題を乗り越えることなく、科学技術コミュニケーションはあり得ないだろうと思う。

○デマのパターン
・情報、知識の根拠や、元の情報を示さない
・できるだけショッキングな話にする
・「前例がない」という誇張。「何が起きても不思議ではない」という先の見えない怖さを主張
・数字のごまかし
・事実の誤認


○「夕凪の街 桜の国」 こうの史代 からの引用
原爆の惨禍を伝えるのは大切だけれど、正しく、というのが大前提。それが誇大に伝われば、無駄に不シアワセになる人が今もいるという事は、原爆の惨禍と必ず同時に伝えねばならない、と思って描こうと決めました


○情報は吟味して、情報拡散は慎重に

参考URL http://d.hatena.ne.jp/warbler/

 



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