とめちゃん's 本ログ

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みんなの命を救う―災害と情報アクセシビリティ

2012年10月08日 | リスク関連

みんなの命を救う―災害と情報アクセシビリティ みんなの命を救う―災害と情報アクセシビリティ

 

 

 

 

東日本大震災以前に書かれた本。
もし、ここに書かれている提言が、もう少しでも多く活かされていたらと思わずにはいられない事項が多かったです。

平時からの準備、地域コミュニティとの関わりが大切ということを再認識しました。


以下、抜粋■

○リスク=(発生したときに生じる損害額)×(発生確率)

○P8 に 災害確認と安全確保の視点で被災者カテゴリーの位置づけ のマップが記載

○自治体という情報流通拠点がうまく機能しなくても、災害に対応ができるように準備する必要がある

○(1)災害発生直後の応急対応期に最初に流通する情報
  :火災などの緊急情報
  :人命などの安否を確認する情報
  :公共施設や社会基盤などの損傷程度を確認する情報
 (2)避難情報
  :避難所の場所
  :避難所で受けられるサービス
  :避難指示の解除
 (3)災害復旧期
  :「復旧」に関する情報
 (4)復興
 ※HCI147回で私が発表した内容ともマッチします。
 ※http://www.ipsj.or.jp/kenkyukai/event/hci147.html

○要支援者の通信の確保
 :連絡を取り合う人や関係機関などが誰であるか?
 :通信の内容はどんなものか?
 :どのような手段でどのように連絡をとるのかを、平時から確認すること

○防災基本計画の考え方「地域コミュニティの再構築」、近隣住民の互助がうまく機能するかかどうかで、人々の生死が分かれる

○生死を左右する災害の発生時に、個人情報を保護して、個人を犠牲にしても構わないのだろうか?
 ※googleファインダーは、まさに個人情報保護以上に安否確認をした人の気持ちが確認できたと思います。

○コミュニティFMによる、限定的な地域に、限定的な情報を送信する可能性を書いている
 ※東日本大震災時には、コミュニティFMが、機能していたことが分かっています。

○アメリカでは1次情報の発信にテキストデータが使われることが多い。文字として情報を提供できるだけではなく、音声データへの対応もしやすいなどのメリットがある。

○当時の新潟県知事が、災害時に、柏崎原子力発電所に確認連絡をとったところ、返ってきた返事は「所長の居場所が分からない」だった・・・
 ※緊急に対する考え方の甘さは昔から続いていたということか?


総論-災害と情報アクセシビリティ
第2部 第4章-新潟県中越大震災―インターネットにおける情報発信を中心に
第3部 第2章-災害復興の「新潟モデル」を目指した取り組みの現状と今後
第3部 第3章-ITを活用した災害時の情報アクセシビリティ
については、pdfが無料公開されています。
http://www.nttpub.co.jp/pr/pdf_dl_1723/
箇条書きの項目などは、このpdfを参照してください。

○P114 新潟県のHPを更新するにあたって、留意した点がまとめられている

○P117 情報提供の課題などのまとめ

○P121 今後取り組むべき項目がまとめられています。

○P150 新潟県の復興ビジョン の概要 をみることができます。

 

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巨大津波の記録 明治・昭和・平成

2012年09月22日 | リスク関連

巨大津波の記録 明治・昭和・平成 巨大津波の記録 明治・昭和・平成

 

 

 

なぜか、父親から、日本人としてこれは読むべきだと渡された本 2冊目。

明治三陸津波、昭和三陸津波、チリ地震津波について、当時の時代風景とともに描かれているので、東日本大震災の時に、これらの教訓の何が活かされたのか、活かされなかったのかを読み解くきっかけになります。

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日本人の底力 東日本大震災1年の全記録

2012年09月22日 | リスク関連

日本人の底力 東日本大震災1年の全記録 日本人の底力 東日本大震災1年の全記録

 

 

 

なぜか、父親から、日本人としてこれは読むべきだと渡された本。

震災から約11か月の記録がまとめられているほか、平成のご巡幸、原発、石巻の渡波小学校についても掲載されています。

原発の作業に息子を送り出した母親の手紙にこめられた思い、帰りたいけど帰れない人たちの思い、せつなかったです。

震災を振り返るにはお勧めです。

 

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「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる

2012年09月16日 | リスク関連

「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる 「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる

 

 

 

リスクとは何か?について分かりやすく書かれています。
福島原発から放出された放射線に関することも理解しやすいと思います。

Macの爆弾マーク、ひさびさに思い出しました。

以下、抜粋■
○リスクの高低 「(起きた時の影響の大きさ)×(起きる確率の高さ)」

○人にはリスクを見ないようにしたり、あるいはリスクを過大に見積もろうとしたりする、心の偏り(バイアス)が生じる

○ハーバード大学のリスク解析センター
 (1)恐怖心
 (2)制御可能性
 (3)自然か人工か
 (4)選択可能性
 (5)子どもの関与
 (6)新しいリスク
 (7)意識と関心
 (8)自分に起こるか
 (9)リスクとベネフィット
 (10)信頼

○確証バイアス 「嫌いなものは間違っているはずだ!」
 :同じ傾向の人が集まることでより強化される

○正常性バイアス 「大したことではない、日常親しんだ状況の延長で読み解ける」と過小評価する

○「ベテランバイアス」と「バージンバイアス」
 経験豊富な事柄に関してはリスクを低く見積もってしまい、初めての事柄に対してはリスクを課題に評価してしまう

○アンカリング効果
 :ある情報が与えられると、人の認識がそちらにひきづられてしまうこと

○リスクは放っておくと勝手に拡大し、とめどなく膨張していく

○「定性分析」「定量分析」
 分析したいものの中に、ある物質が含まれているのかどうかを調べるのが定性分析
 どれだけの量が含まれているのかを調べるのが定量分析
 定量分析の方が、前者よりも高い技術と知識が必要になってくる
 最近のリスク判断は、定性的な判断しかなされていないことが多いように思う

○完璧ではないが、魅力あるもの を許容できないおかげで、日本はずいぶんと損をしている気がする

○「面白いけど不確実な学説」の方が、「面白くないけど正しい学説」 より生き残る

○「合成添加物は人間の体で処理できない」は、はっきりとした誤り

○「天然」と「合成」という区分は思ったほど明確ではない

○寿命を延ばす科学的に証明された方法は、「腹7分目」。多種類のものをバランスよく食べる

○「危険なものを体に取り入れる」イコール「アウト」ではない。危険かどうかはあくまでも量によるのであり、極めて少量ならば、どんなものでも大丈夫(発がん性については通用しない)

○発がん性物質の分類
 http://monographs.iarc.fr/ENG/Classification/index.php
 携帯電話もリストに掲載 グループ2B

○がんは「時間が引き起こす病気」であり、長い寿命を持つ多細胞生物には避けられない宿命

○「ない」ということの証明はできない

○3種の放射線「アルファ線」「ベータ線」「ガンマ線」

○「アルファ線」
 :ウラン、プルトニウム
 :内部被ばくを警戒

○「ベータ線」
 :非常に高いエネルギーを持ち、衝突した周囲の原子を破壊
 :ヨウ素131、セシウム134、セシウム137、ストロンチウム
 :外部被ばくを警戒

○「ガンマ線」
 :殺菌作用などもあり、肉や果実などに照射して保存性を高める場合も(ただし日本では認められていない)
 :外部被ばく

○ベクレル
 :1秒間に何個の原子が崩壊して放射線を出しているか? を表す単位
 :福島第一から放出された物質は90テラベクレル 物質量としては、数百ぐらむから、数キログラム程度

○シーベルト
 :放射線の人体への影響を測るために考案された単位
 :シーベルト毎時 は、1時間の間に何シーベルト出るかという単位で、シーベルトとは違う。混同されて使わている場合もみられる

○原子・分子の世界と、原子核・素粒子の世界はまるで別物であり、前者の力で後者をとめることなどできない

○あまりに但し書きの多い物言いは相手に伝わりにくく、説得力に欠ける

○甲状腺のガンと、放射線ヨードとの関係
 :甲状腺がん とは
  http://ganjoho.jp/public/pre_scr/cause/part_distinction.html#prg19_1
 :甲状腺がん 受診から診断、治療、経過観察への流れ
  http://ganjoho.jp/data/public/qa_links/brochure/odjrh3000000ul06-att/117.pdf

○放射線を扱う労働者の被ばく量低減の考え方
 ALARA :  As Low As Reasonability Achievable

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奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」

2012年09月16日 | リスク関連

奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」 奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」

 

 

 

多くのボランティアを受け入れ、活動する場を与えるためには、それなりの組織力がなければいけないと痛感しました。

以下、抜粋■
☆☆成功の要因
 「ボランティアを受け入れる仕組み」
 「ボランティアにとって居心地の良い環境つくり」
 「ボランティアを継続的に募集するノウハウ」

☆分科会の設置
 (1)炊き出し 食糧支援
 (2)メディカル 医療支援
 (3)移送 被災者の移動支援
 (4)心のケア
 (5)キッズ 子ども支援
 (6)リラクゼーション
 (7)復興マインド
 (8)マッドバスターズ 瓦礫除去・清掃活動
 (9)生活支援

☆ボランティアに必要なものは「企画力」

☆自分のやり方を相手に押し付けない。

☆平時から「受援力」を鍛える

○半壊程度の家に住んでいる方の場合、一軒づつ声をかけて歩いて安否を確認するしかなかった

○住宅街では、路地ひとつ挟んで反対側の駐車場でやっている炊き出しに気づかない

○炊き出し支援の電話窓口開設

○刻々と変わる被災地のニーズに合わせて、被災者に届けるためには、大量の物資を保管できるスペースが必要

○被災地では人間の排泄物でさえ、地元の負担になる

○飲酒の問題をクリアできるかどうかが成功の鍵

○モンベル:辰野社長
 リスクマネジメントの極意は想像力

○IBM伝説 アメフト ブッグブルー

○企業のボランティアでは、会社の上下関係を持ち込まないことが鉄則

○iphoneなどで、日々の瓦礫処理前後の写真をとる。これがボランティアの士気、遠隔地への情報提供につながる

○アプリケーションを含む被災地支援の独自システムを、共同で開発できる技術者が現地にいる嬉しい。だいたいそういう人は被災地にやってこないので、出来上がったものが使いものにならないケースが多い

○ニーズ調査は大変なことだが、それをやるボランティアは最後まで責任を持つ

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遺体―震災、津波の果てに

2012年09月15日 | リスク関連

遺体―震災、津波の果てに 遺体―震災、津波の果てに

 

 

 

去年、石巻にお伺いした時に、遺体安置所に肉親を連れて行った方からのお話を聞いて気になっていたこと。
地元の人が、淡々と粛々と、でも心に深い何かを秘めながら行動していた様子が伝わってきました。


来年には、「遺体 明日への十日間」というタイトルで映画も公開されます。
http://reunion-movie.jp/
踊る大捜査線で有名な君塚良一さんが、脚本・監督するようです。
郡山出身の西田敏行さんが主演なので、見に行こうと思います。

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災害弱者と情報弱者: 3・11後、何が見過ごされたのか

2012年09月14日 | リスク関連

災害弱者と情報弱者: 3・11後、何が見過ごされたのか 災害弱者と情報弱者: 3・11後、何が見過ごされたのか

 

 

 

情報弱者が災害弱者になりうる。
地域の情報力の差が、災害の被害の大きさとなんらか関係がある。
こういう分析の仕方もあるのかと参考になりました。

以下、抜粋■
○シャント・アイエンガー
 報道の切り口(フレーム)
 :エピソード的フレームとテーマ的フレーム の2つに分類

○社会的問題に際して、人々の心に訴えかけ、行動に移させる力は、エプソード的フレームの方が強い。

○リスクのグローバル化と危険の分配

○格差社会は、金銭の問題だけではなく、リスクに関してもいえる。富めるものほどリスクは小さくなり、貧しいものはリスクが小さくなる

○災害を契機として社会構造の脆弱が顕在化する

○社会的脆弱性が進行するプロセス
 (1)根源的な原因
 (2)ダイナミックな圧力
 (3)危険な生活状況

○社会的脆弱性の問題は、そのまま各種リソースや情報、ひいては権力構造へのアクセスの差につながる

○本書の「情報格差」とは・・・
 (1)個々人の情報入手/利用環境の状況に付随する情報環境の格差
 (2)取り上げられる/関心を持たれる情報・トピックをめぐる格差

○日本におけるインターネット利用率の傾向
 (1)高齢者になるほどネット利用率が落ちる
 (2)低所得世帯におけるインターネット利用率が低い
 (3)地域ネット利用率を見た際、首都圏や関西都市圏に比べて地方の利用率が低い

○「口コミ」は、本来あらゆるコミュニケーションを下支えする重要なメディア

○震災時は、メディアの部分的機能が失われていたことや分業化など、さまざまな制約により、被災地では総体として「情報の断片化」が起こっていた。

○地域コミュニティが存在していた場合には、口コミこそが最良かつ確実なメディアだった

○ソーシャルメディアは、人と人との直接的なコミュニケーションを媒介し、見ず知らずの人からの励ましなども届け、被災者に「私たちは孤立しているわけではない」というつながりの感覚をもたらした。

○時間経過と伴い情報ニーズも変化することと裏表であり、そのようなニーズ変化に対応した情報流通とコミュニケーションのシステムが必要である

○スロウィッキー「専門家を追いかけることは間違いで、しかも大きな犠牲を伴う間違いだ。
 一人の専門家の意見よりも、みんなの意見、すなわち「集合知」が優ると説くということは、ともに人々の多様性を評価し、多様性の恩恵として高い問題解決能力があると主張

○↑しかしながら、多様な情報のなかで集合地による価値のランク付けが行われ、自然と、「注目を集める情報」と「切り捨てられる情報」との格差が生じてくる。これは表面的な情報の多様性を低下させる

○情報を精査する先触れとなり、整理する専門機能としての「ジャーナリズム」の働きや「メディア」の構造が重要となる

○ヴォークスのCDIを多様度指数に引き寄せてみると
 ・情報コンテンツの種類のカズ
 ・各コンテンツ種に含まれる情報量
 ・全体の情報量

○「情報が多様である」ことの逆は「情報が共振し、画一的である」ことといえる

○ヤフートピックスは、ただ機械的に集められているのではなく、サイト編集者の「いま、人々が知っておくべきニュースとは何か」という観点で吟味した上で掲載

○新聞に比べるとウェブメディアのほうが、震災および原発事故を「忘れやすく」早く日常に戻ろうとする傾向が強かった

○メディアのなかで「私たちはいま、何を議論すべきか」というメタな視点に基づいた、ジャーナリズム的な情報の編集行為が一定程度介在したほうが、多様になり得る可能性がある

○情報のなかに、どっぷり浸かっているにもかかわらず、気づかずして「情報弱者」になる可能性がある

○新聞のみに接している場合よりも、新聞に加えてウェブにも接したほうが、多様な情報にアクセスできる」ことが明らか

○「適切な介入を行うこと」 情報空間においてはさまざまなレベルで「編集の介在」が求められる

○見過ごされ、見落とされていったものとは、震災にまつわる直接的・間接的な被害者を産みだす、社会の「構造」でもある

○メディアの議題設定(Agenda Setting) から 議題構築へ(Agenda Building)へ

○スロウィッキーが指摘している、集合知が最大限に発揮されるための必要な条件
 :集合知の生成に関与する構成員は、それぞれができるだけ独自に到達した多様な意見を持っている必要がある
 
○オルタナティブ・メディア
 (1)政治的、社会的、文化的に急進性を持ったコンテンツをもち
 (2)ボランティアによる作業や普及技術を活用した、ジャーナリズム営為と報道様式の非プロフェッショナル化した運営体制を持ち、
 (3)読者は書き手になることを奨励される
 (4)調査から報道までが水平型の組織構造をもっている

○エコーチャンバー:多様な意見に触れているようでその実は、自分の声が反響している空間にいること。

○情報を伝えていくことで情報格差を埋め合わせ、伝統的メディアからオルタナティブ・メディアさらにはソーシャルメディアにある「薄がりのおしゃべり」まで、さまざまなレベルの議論に連続性を持たせることが現代社会(の情報)を構成する私たちにとって責務となっている

○「ジャーナリズムの原則」
 (1)ジャーナリズムの第一の責務は真実である
 (2)ジャーナリズムの第一に市民に忠実であるべきである
 (3)ジャーナリズムの真髄は検証の規律である
 (4)ジャーナリズムに従事する者はその対象からの独立を維持しなければならない
 (5)ジャーナリズムは独立した権力監視役として機能すべきである
 (6)ジャーナリズムは大衆の批判および譲歩を討論する公開の場を提供しなければならない
 (7)ジャーナリズムは重大なことをおもしろく関連性のあるものとするよう努力しなければならない
 (8)ジャーナリズムはニュースの包括性および均衡を保たなくてはならない
 (9)ジャーナリズムに従事する者は自らの良心を実践することを許されるべきである

○↑に +2007年に追加 (10)市民もまた、ニュースに対する権利と責任を持つ
 :真実に対する権利と責任
 :市民に対する忠誠を期待する権利と責任
 :独立性に関する権利と責任
 :権力の監視に関する権利と責任
 :公開フォーラムに関する権利と責任
 :均衡と参画に関する権利と責任

○プラーのシンプルな6つのチェックリスト
 (1)私はいま、どんなコンテンツに接しているのだろうか
 (2)この情報は完全か?そうでないとしたら何が欠けているのだろうか?
 (3)誰、あるいは何が情報源で、私は、なぜそれを信じられるのだろうか?
 (4)どんな証拠が提示されており、それはどのように検証されているのだろうか?
 (5)どんな別の説明や解釈が可能だろうか?
 (6)私は、私が必要なものを学べているだろうか?

 

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メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学

2012年08月01日 | リスク関連

メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学

 

 

自分がこれまでに得ていた食品に関する知識を、もう一度調べてみなくてはと考えさせられた本。
著書も、記載している内容が100%正しいとは限らないので、調べる努力をしてほしいと訴えているところが、信頼感をもたせてくれるかも。

以下、抜粋■
○「〇〇」がいい に共通していること
・分かりやすい話であること
・良いか悪いか一刀両断、白か黒かの二分法

○科学には「グレーゾーン」が必要

○施錠された金庫の中に厳重に封をしておいてある「青酸カリ」と、机の上においてある「4リットルのウィスキー」は、どちらが危険?
・化学物質のリスクが、化学物質の量の大小、使用される条件によって大きく変わることを問いかける質問

○単位を理解する
残留農薬0.01ppmとは?
・横20m長さ50m深さ1mのプールを例えば、ジュースで埋め尽くし、食塩10グラム(小さじ2杯)を振り入れて均質に溶かし込んだもの

○日本では、科学に関する話題全般を緻密に検討し、高く評価すべき点と誤った点を整理してトータルで判断することが行われにくい。

○NIMBY(Not In My Back Yard)症候群
処理推進には賛成、でも自分の家の近くに建てられるのは困る

○フードファティズム Food Faddism
食べ物や栄養が健康や病気に与える影響を課題に評価したり、信じたりすること
(例)親が厳格なベジタリアンの子どもに各種の栄養素欠乏が見られること
 (例)特定のビタミンを過剰摂取してしまうこと

○内分泌攪乱化学物質
・日本では「環境ホルモン」とよばれることも。

○メディアが「危ない」と書く方が楽なのは事実。あとで安全と分かっても避難されることはあまりない。逆に安全と書いて、あとで危険と分かったら、非難される可能性は極めて高い。
・マスメディアの人も会社員!

○二重盲検法
・被験者にも試験者にも、割り付けられた試験条件を知らせずに試験を実施する方法

○誤解されている例
・日本人は食品添加物を一日平均10グラム、年間4キログラムも摂取している
・ハムやソーセージ、明太子などに使われる合成発色剤「亜硝酸ナトリウム」は強力な発がん物質である
・化学調味料を食べすぎると、頭痛や腕の震えなどの「中華料理店症候群」が起こる

○多くのコンビニは、保存料を使わない代わりに、調味料であるアミノ酸の一種グリシンや酸味料の酢酸ナトリウムなどの抗菌性を利用するようになった

○化学物質無添加の石鹸はない
・一般的に言われている無添加とは、普段の製造工程に着色料や防腐剤などの合成化学物質を添加するかどうかという点。そもそも石鹸は脂肪酸にアルカリ塩(合成化学物質)を混ぜて作られる

○せっけんと合成洗剤 論争の今
生協は以前つけていたマークを「環境負荷が他の洗剤と比較して少ないとする客観的根拠をしめすことが困難」として外している。

○天然の農薬、リスクのトレードオフ
農薬が極力使われず、できた残留農薬がなかったとしても、作物の体内で有害な物質ができている可能性がある
植物も、ストレスに対して体内で自ら防御物質を作り、身を守る性質がある

○英国では、「2003年に有機食品が通常の食品に比べて、より安全とかより栄養があるという科学的な立証は現時点ではない」という見解を示している

○野菜の味を決めるのは・・・ 「大久保 増太郎著 日本の野菜 産地から食卓へ」
「氏」:品種
「育ち」:土作りや農薬、肥料、水やり、気象条件などの栽培環境の全て
「頃合い」:収穫や食べるのに時期が最適か
「たて」:もぎたて、とりたて、収穫日から食べるまでに何日かかっているか

○有機農業、化学合成農薬利用農業、双方のメリットを鑑み、ライフスタイルや懐具合などで食べる野菜は決めればいい

○科学の騙しのテクニック(遺伝子組み換え商品に関して、ある科学者が用いたもの)
1.立派な肩書をもっている
2.病名がちりばめられている
3.繁殖試験の結果である
4.悪役を作っている
5.世界で唯一の実験とうたう
6.自分たちに都合の悪い情報は徹底的に隠す

○科学報道を見破る10箇条
1.懐疑主義を貫き、多様な情報を収集して自分で判断する
2.「〇〇を食べれば・・・」というような単純な情報は排除する
3.「危険」「効く」など極端な情報は、まず警戒する
4.その情報がだれを利するか、考える
5.体験談、感情的な訴えには冷静に対処する
6.発表された「場」に注目する。学術論文ならば、信頼性は比較的高い
7.問題にされている「量」に注目する
8.問題にされている事実が発生する条件、とくに人に当てはまるのかを考える
9.他のものと比較する目を持つ
10.新しい情報に応じて柔軟に考えを変えてゆく


もうダマされないための「科学」講義

2012年08月01日 | リスク関連

もうダマされないための「科学」講義 もうダマされないための「科学」講義

 

 

科学を正確に伝えるとはどういうことなのかが書かれている本。
3.11以降の原発に関する報道についても、科学者(科学を知る立場のもの)としての自省をこめています。
科学の問題について、一般の立場のものが、その内容の良し悪しを知り、正しい行動をとるのが如何に難しいのかが分かります。
また、平成23年度 文部科学省「科学技術白書」のはじめで、科学技術の関係者が国民との科学技術コミュニケーション活動に真摯に取り組むことによって、「対話」に基づく「相互理解」、さらには「参画」へとつなげ、社会と科学技術との新しい関係を築いていくことが、今、求められている、とあり、ワークショップとのつながりを感じました。


以下、抜粋■
#抜粋する内容について???と思ったら、納得のいくまで調べるのをおススメします。
○「政府見解」「専門家の結論」への信頼が大きく揺らいでいる現実

○科学と非科学を線引きするための基準は「線引き問題(Demoarcation Problem)と呼ばれ、科学哲学のフィールドで長く議論され続けているが、まだ決着はついていない。

○メディアでは根拠が明確でない、時に明確に誤った情報が流通され続けている。その理由の一つが「人は”自分が信じたいと思うこと”を信じる」という心理的特性にある

○科学者は・ジャーナリストは、今まで以上に高度なコミュニケーションを求められている

○ニセ科学が批判させる理由は、単にそれが間違っているからではない。ニセ科学を選択すること自体が、さまざまな社会的損失を招くためである
・個人の損失よりもむしろ社会的損失が問題。意味のあるもの、意味のないものを作るにしても、人手がかかり、時間がかかり、お金がかかる。こういう社会資本を無駄に使うよりは、ちゃんとした意味のあるものを作ったほうがいい

○科学であるかのように装っている、つまり見かけ上は科学的であるもの。この「見かけ」が曲者で、誰にとっての見かけなのかを言わなければならない。科学の専門家の目にも科学に見えるのだったら、多分、それは科学。でも、一般の人には、科学と区別がつかずに科学に見えても、専門家には科学に見えないものがあり、そういうことを問題にしている

○「ニセ科学ではないもの」
・科学的な間違い。科学的な手順を踏んで学説を提唱したのだけれども、結果として間違いであったというもの。科学は、そうやって進歩してきた。こういうことを、ニセ科学というのはまずい。間違いを否定すると科学は進歩しない。科学というのは、間違いがあって、なぜそれが間違っているかというところから次へ進む。間違いを大切にしなければならない。科学の手順は踏んでいたが間違いだったというものをニセ科学とか非科学とかいってしまうと、それは科学の手続きそのものを否定することになる。そういうものはニセ科学ではなくて、単に「間違いだと分かった学説」である。
・メカニズムとしは確立していなくても、現象は科学的事実と考えられるものはニセ科学とは呼ばない

○「捨てられた学説問題」
とっくに否定された学説の問題。間違いだと分かって否定されるまでは普通の科学的な手順。ところが、そういうとっくに否定された学説を拾い上げてきて、あたかもそんな学説がまだ活きているかのように利用する人たちがいる。間違いそれ自体はニセ科学ではないけれど、それをどう使うのかによってはやはり問題が起きてしまう。

○ニセ科学の例
・血液型性格診断
・マイナスイオン
 :「イオン体内革命」
・水からの伝言と波動
 :科学的に間違っているものを教えるのはまずい
 :科学の結果を使って道徳を教えようとする危険性、科学の誤用。科学に期待しすぎ。
・ホメオパシー
・ゲーム脳
・EM菌
・天皇家のY染色体継承説
・磁気水や活水
・百匹目の猿
など、これいがいにもある・・・

○科学では答えられない問い
・科学は人生の意味は答えてくれない
・哲学、宗教の領域に入るもの

○客観的事実と個人的な体験の区別

○例えば、「祈って効果があった」というためには・・・
・祈って効果あり
・祈って効果なし
・祈らなかったけど効果あり
・祈らなかったけど効果なし
の4項目を調べなければならない

○科学を魔法にする?
科学用語が比喩として日常用語になっている場合。「言葉には人を動かすエネルギーがある」という表現は物理的には間違っているが、べつに表現自体は間違えていない。この場合のエネルギーは物理的でなく比喩。

○アーサー.C.クラークの第3法則
・高度に発展した科学技術は魔法と区別がつかない
・科学が魔法に見えるなら、魔法と科学は区別がつかない

○「絶対安全」と「ゼロリスク思考」は表裏の関係にあるが、ゼロリスクを求められたからといって、現実に存在するリスクを説明することをさぼって「絶対安全」を主張してはいけなかった。どんなリスクにもあり、問題なのは、その程度。

○ローカルの知[local knowledge]
・もともとは人類学で使われている概念
・ある特定の領域で用いることのできる、実際の経験の中で見出されてきた知、というようなニュアンスのある言葉
・モード2科学、モード2の知識生産とよばれる領域にある

○CUDOS
・科学者がもつ精神的な特徴を表す
Communalism(共有主義):発見を共有する
Universalism(普遍主義):えこひいきをしないこと
Disinterestedness(科学の超越):自らの利害関係を他人の研究についての評価に持ち込まない
Organized Skepticism(組織的懐疑主義):他人の言ったことを鵜呑みにしないで、懐疑的な気持ちできちんと吟味する
※この本では、社会学者マートンのバージョンを用いている

○伝統的生態学的知識(Traditional Ecological Knowledge)
保全生態学において、現地にずっと住んでいた人たちが持っている知識を利用させてもらおう、という研究

○順応的管理(Adaptive Management)
前もって計画を立てることができないので、実際にモニタリングしながらどんどん計画を変えていくこと

○霞が浦「アサザプロジェクト」
・NPOの人たちが参加して場所を選定し、地域住民への聞き取り調査をして、昔は、そこになにがいたのかを確認し、それを復元するようなかたちで対策を行った。

○「神経神話」
[Understanding the Brain]によると、脳神経科学の発達に伴って広まった、脳に関する俗信

○境界設定問題 Demarcation Problem における「科学」の尺度をつかう
#この本で著者が改めて重要性を訴えている
科学を唯一の基準として判断すべきだという主張をしなくてもよくなる。
科学だってあらゆる面で優れていると考える必要はない。こう考えることで、科学とローカルな知とがお互いの長所を活かしつつ対等に情報交換することが可能となる

○科学の定義
以下の所与の制約条件の中で、もっとも信頼できる手法を用いて情報を生産するような集団的知的営み
(a)その探求の目的に由来する制約
(b)その研究対象について現在利用可能な研究手法に由来する制約
 ※科学の定義に絶対に外せないのは「信頼性」

○暴露マージン MOE
・人の摂取量(暴露量)と動物実験などで発がん性が見いだせる量を比較して、もしも両方の値が近ければ(MOEが小さければ)、発がん性の可能性が大きいということにして規制する。両方の値が遠ければ、規制の優先順位はかなり下がる
・MOEが大きければ、対策の緊急性はなく優先順位は低い。小さければ高い。MOEが10000より大きければ対策の優先順位は低い

○遺伝子組換え商品に関するもの
・食用油や、清涼飲料水に使われている異性化液糖は、遺伝子組換え作物を原料として使っていても表示義務がない
・「カルタヘナ議定書」:生物多様性への影響を規制するための国際的な取り決め

○外来生物
明治以降の移入種。江戸時代に入ってきたものは在来種。

○科学を伝えることの難しさ
・自然は安全で問題がないが、人工物、高度な科学技術が作り出したものはとんでもないことを引き起こす、という予断が市民や報道機関、社会にあること
・科学の不確実性に関する根本的な無理解が社会にあること

○マスメディアを利用するのはいいが、頭から信じ込むのではなく、科学的事実を自分で調べることが大切。まず、「自分で調べよう」と思ってスタートすることが大事

○3.11を経験した日本社会のリアリティの変化
過酷事故が起こらないことを前提とし、事故は理論的にありえても、事実上は可能性を無視できる「想定外」とみなすことが許された社会

過酷事故が起こることを前提にせざるを得なくなった世界

○平成23年度 文部科学省「科学技術白書」
:はじめに
 ・科学技術の関係者が国民との科学技術コミュニケーション活動に真摯に取り組むことによって、「対話」に基づく「相互理解」、さらには「参画」へとつなげ、社会と科学技術との新しい関係を築いていくことが、今、求められている
  ※科学技術コミュニケーションとは、さまざまな科学の情報や知識、関連する疑問や意見について、専門家や政府、企業、市民、メディアの間でやりとりし、理解を深め合うこと
:第3章第3節 対話と相互理解、そして参画が生み出す新しい地平
 ・政府や研究者・技術者などの関係による適切な情報の公開を前提に、これら科学技術の関係者と国民が真摯に双方向の「対話」を行い、「相互理解」の上に、ともに科学技術イノベーション政策の形成プロセスに「参画」し、よりよい科学技術ガバナンスを実現させることが政策の重点となる

○PUS(Public Understanding of Science)
1.科学技術に対する一般の人々の興味、関心を高め、科学リテラシーを広めること
2.リスクが懸念される新しい社会技術を社会に受容してもらうために、人々に当該の科学技術についての科学的理解をうながすこと
 
○PUSから公共的関与(Public Engagement)へ
・科学者、政府、産業界、一般市民の間の双方向的な「対話」や政策決定への「参加」を重視するとスタイルのコミュニケーションへ
・科学の信頼性を回復し確保するためには、単に「一般の人びとを教育する」ということだけではダメで、専門的知見が生み出され利用されるプロセスそのものの透明性や説明責任、専門家の民主化が不可欠

○より深刻でより切迫したこの分断をどう埋め、和解をもたらし、復興にむけての「連帯」と作り出せるかが、この課題を乗り越えることなく、科学技術コミュニケーションはあり得ないだろうと思う。

○デマのパターン
・情報、知識の根拠や、元の情報を示さない
・できるだけショッキングな話にする
・「前例がない」という誇張。「何が起きても不思議ではない」という先の見えない怖さを主張
・数字のごまかし
・事実の誤認


○「夕凪の街 桜の国」 こうの史代 からの引用
原爆の惨禍を伝えるのは大切だけれど、正しく、というのが大前提。それが誇大に伝われば、無駄に不シアワセになる人が今もいるという事は、原爆の惨禍と必ず同時に伝えねばならない、と思って描こうと決めました


○情報は吟味して、情報拡散は慎重に

参考URL http://d.hatena.ne.jp/warbler/

 


震災のためにデザインは何が可能か

2012年05月22日 | リスク関連

 

 

「震災」と「デザイン」、一見すると結びつきそうもない感じですが、美しいデザインが、この本の中にちりばめられています。

・継続を促す
・決断を支える
・道を標す
・溝を埋める
・関係をつむぐ
のデザイン。見るだけでも参考になることが多い本です。