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葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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【戦後80年】「湯の花トンネル列車銃撃」

2025年01月28日 | 戦後80年

「鳥肌がたった」20歳女性の犠牲者が新たに判明 東京・八王子の中央本線 最大規模の列車空襲から80年を経て慰霊碑に名を刻む #きおくをつなごう #戦争の記憶

「鳥肌がたった」20歳女性の犠牲者が新たに判明 東京・八王子の中央本線 最大規模の列車空襲から80年を経て慰霊碑に名を刻む #きおくをつなごう #戦争の記憶

「八王子湯ノ花トンネル」の悲劇は、アメリカ軍戦闘機P-51マスタングからの機銃掃射によるものです。

老生が住んでいた杉並区井荻1丁目(現・善福寺一丁目)は、近くに中島飛行機東京工場がありました。

1944年11月、中島飛行機武蔵野工場と東京工場にアメリカ軍戦略爆撃機B-29の空襲がありました。

近くの畑に500キロ爆弾が落ちて大きな穴が空いたので、老生も見に行きました。自宅の階段の踊り場に銃弾が飛び込みましたが、憲兵が来てその銃弾を持ち帰りました。

父は、「長男大事」と考えて、知り合いの元八王子村に縁故疎開をさせ、元八王子国民学校三年生に編入しました。「東京ッ子」といじめられました。

元八王子国民学校三年生の記念写真(最前列の右から二番目が老生)

拡大

1945年8月3日、空襲警報が鳴ったので、防空壕に逃げ込みました。畑すれすれに飛来した戦闘機のパイロットの顔が見えました。戦闘機の先が尖っていた事はハッキリと記憶しています。

八王子市郷土資料館で調べたら、P-51マスタングであることが分かりました。P-51マスタングのロケット砲で校舎は壊滅しました。

【アメリカ軍は日本本土空襲においてB-29の護衛としていたが、大戦末期に組織的な迎撃が不可能になったと判断し任務を対地攻撃に切り替え、爆撃機から離れ低高度まで侵入する許可を出した。当初は工場や鉄道などインフラを狙っていたが、次第に漁船や家屋など徴用された可能性のある目標を攻撃し、最終的には走行中の自動車や民間人を直接機銃掃射するようになった。顔が見えるほどの低空で飛来し『動く物は全て狙う』というマスタングは、絨毯爆撃を行うB-29と共に民間人にも知られた存在であった。これらの様子は搭載されたガンカメラにより記録されている。(Wikipediaより)】

杉並の自宅に戻り、ブラブラしていましたが、翌年、杉並区立桃井第四小学校三年生に編入しました。

(了)

 

 

 

 

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