淡路島が兵庫って感じがしない
弥生時代の銅鐸
あと古事記自体がわけわからないから、それを軸に考えるのは百済の捏造にしか見えない。
どんだけ天皇家をかばいたくても、あの血筋が天皇すべてだったんじゃないよ??
見苦しいごまかしを大人がやってるんだ!
そのごまかし行動すべてを児童に見せて、アンタの親 捏造してるよって言ってやんなきゃ。
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ごみ?いや青銅器だ 砂置き場で偶然「お宝」発見
2015年5月19日20時50分
古事記の国生み神話に最初に登場する淡路島で、弥生時代の銅鐸(どうたく)が一度に7個も見つかった。
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銅鐸(どうたく)は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された。
名称[編集]
語源となった「鐸」は古代中国において用いられた柄付きの青銅器の楽器である。上部が開口しており下側の柄を持ちもう一方の手にもった打器で鐸を打ち鳴らして音をだしていた。銅製で鐸のような形をしているので「銅鐸」と名付けられたが、下部が開口し吊るして使用されるものは本来「鐘」と呼ばれる。そもそも楽器であったかは定かではない。
銅鐸の名称がはじめて用いられたのは8世紀に編纂された続日本紀においてである。和銅六年(713年)に大和国宇陀郡において見つかった銅鐸が献上されたと記されている。他の記録でも銅鐸の名称が見られる[1]。
大倭國宇太郡波坂郷人大初位上村君東人得銅鐸於長岡野地而獻之高三尺口徑一尺其制異常音協律呂勅所司蔵之
大倭宇太郡波坂郷の人、大初位上村君東人、銅鐸を長岡野の地に得て献る。高さ三尺、口径一尺、その制、常に異にして、音、律呂に協う。所司に勅して蔵めしめたまふ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%85%E9%90%B8
歴史[編集]
中国江蘇省無錫市にある春秋戦国時代(紀元前770 - 同221年)の地方国家、越の貴族墓から、日本の弥生時代の銅鐸に形が似た青磁器の鐸が出土している。日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に発展したというのが定説だが、発掘調査を担当した南京博物院考古研究所の張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると指摘している[14]。
→そうか 越の貴族墓から出る
だから言ってるじゃんか。
あたしが唐 あと越 あと日本海側に楚 夏代から入ってるって。
あたしが教える。すべて朝鮮経由で朝鮮にあったものが流れてきたわけではないから。
多賀の多娥は古代中国でたぶん 賊と見なしてたんだろうけど 夏代だから。
殷が来た段階で、文明捨てて移動してんのさ 夏代って。
それの派生の一部は魏
それ 中国の沿岸からも出てるはずだよ 船。どこ使ってるか・・・一部は中国にあった
海神神社たってるとこ。
あと、うちらは魚とか食ってます 人肉は食いませんって書いてた件。
ちゃんと辻褄合うんだよ あたしら シャーマンの人食いじゃないから。
その中国本土から隋が奈良に入って、その隋からしたら うちらが賊扱いされたんだろうと
わかってるが、あたしからしたら 隋よっか 紀元前で日本に文明起こしてる民族
いたんだから、征伐だの言われる筋合いねぇーんだよな。
奈良で作った古事記は、書いてるのが百済と隋カッコ漢民族、それがその人たち自称の倭。
とーこーろーがー
倭は魏も越も楚もいたわけさ。
あたしが魏の倭
魏志倭人伝の倭にはうちら。
奈良や京都では秦韓の倭とでも言うべきか??
きっぱり言える。朝鮮は日本と中国の間で通り道になって物流がとおったとこだから
いろんな質屋があったのさ。
日本に文明くれたのは韓国人って言うのは大間違い。
中国と直接 やりとりしてんの うちらは。
その朝鮮経由の部分をとりあげて、物が出土する、あるいは朝鮮のものばっかりってなって
これは天皇家の出目では??ってなるから、
宮内庁で考古学者にすべての公開を制限してたのさ。
そんな状況を あたしは 日本の天皇は北朝もいたが南朝もいたんだから、北朝の人間が
天皇やってたからと言って、南朝のものを意図的に壊したり公開しないのはおかしいって
言ってきたわけで。ちなみに三種の神器が天皇の持つべきものという
あの連中の言い訳は、もう通用しませんから。あれは、天皇に関係ない。
あたしに関係ない。それを持ってるものが天皇だと言い張るならば、取りにいくだけ!
持ってるだけの権威ならば。
大嘘つきの北朝の出目は人食いの嘘つきカルト集団の教祖的血だ。
さて 淡路が弥生時代のものあるとなると、どういう民族入っていたかだなー
銅鐸では、やっぱり百済の血 殷なのではないか??
鉄製の鈴 鉄製の鐘
巨大なもので1m
いったい どんな場面でどんな時に使うのに 必要としてどういう流通したのか・・・