アカツキですけど

百戦錬磨 もう百戦越えてますけど その先に何があるのか

枳風っていうのはうちの家系にいたヤツ ほんで相馬藩が書いた本のキフウは鬼風と書く

2016-12-12 20:36:20 | 日記
これ 

うちの家系の枳風を相馬藩の呉服屋がいろいろとパクって成りすましした可能性が出てきた

そう書こうとしたらヤフーが障害起こしたからこっちに書く

その呉服屋家系からするとあたしんちは「旧家豪商」と位置づけしてる

鬼風の本が実際そーなんだから。

松尾芭蕉の芭蕉庵に出資してた枳風はうちの家系にいた人間

ほんでその金 うちの金

ほんでおかしいのが 枳風は出てきても鬼風とは認知が低い

相馬の西山にいた斎藤笹舟が書いた本にはキフウは京都生まれそうだったと書かれてる。

鬼風という人間はうちにいた枳風のものをもらい受けたか 盗んだかして

鬼風と書きキフウの真似した可能性がある

昔から強奪に踏みつけ 土足であがってくる相馬藩には俳句作ってた有名人というキフウの

パクリをされていた可能性がある。

俳句の刷った紙なんかも確かに残ってるんだ うちには!

もちろん墓もある。その墓は南相馬で勝手に文化財扱いし、管理者はうちには関係のない

ヤツが掲載されてた。これだけでも驚愕なのにこんなんで南相馬と相馬のエリアの人間が

まともだと????? これを盗人と呼ばずに何と言う??

コイツらは墓地まで分筆登記にしてたみたいだが、それの時期さえ定かでない。

なぜならその登記に使われてるうちの家系の人間は文四郎だからだ。

まず うちに土足で出入りし家系図や古文を常に物色してた記録がある。

どういうわけか うちの吉左衛門に関わるものをほとんど見つけられない。

しかし文四郎の兄弟だ 時期がそーだから。

そして文四郎の時代というのは江戸幕府後半・明治頃。その頃だ 最後の吉左衛門は。

吉左衛門に子供がいたかどーか まったく記録ナシ

あたしはこの吉左衛門は暗殺されたのか??という見方をしている。

鬼風っていう当て字使ってキフウのパクリしてた呉服屋ってか??

その呉服屋と鬼風の子孫と語る連中がうちの事を旧家豪商という位置づけしてたのも

あの本で確定している。

鬼風というヤツの本を書いたヤツも偉人扱いしてた連中もすべて盗賊行為や放火行為し

続けた相馬藩だ。それもあの本で確定。

その本一冊だけで人権侵害。旧家豪商?????コイツら馬鹿じゃねーの

つーかなんでそんな本がそいつらに作れんの

なんでうちの家系の人間の名前が出てくんの

なんでうちが家系のものを知ることできずに他者の相馬藩はコソコソと口裏あわせして

んの

なんでそのあげくにうちに冤罪かぶせてんの

なんなの コイツら????


あとここではっきりさせておかないと。

松尾芭蕉は江戸時代初期の人

ほんで枳風っていうのは江戸時代中期の人

芭蕉庵に出資した枳風がつかんでた金はうちの金 うちの稼ぎ




なのに相馬藩はその枳風をなぜか 唯野鬼風とし有名人扱いしうちの家系の人間の名を

家系図に記してる。これは現実だ。




だいたいにおいてその本には鬼風は京都生まれと書いている。

しかし御子神社には呉服屋で生まれたと石碑に書いている。

まずやってることが矛盾してんだろ

矛盾はてんこ盛り吐き気がするぐらいある。

そういうのを役所関係はかばって、うちに加害してきた事実を認めようともしない。

そろどころか うちの先祖の墓の前をうちの家系図パクってる連中が通過し

野馬追いをやってきた。これにどれほど血圧があがるか 

ここの連中は無神経もはなはだしい




そしてその御子神社になぜ鬼風のなんたらがあるかと言えば鬼風がそこに対し俳句を

書いてたからだと言う。そこになぜ韓国人が数ヶ月調査にきていたのか。

うち 韓国は関係ないんだけどなんで??




そーいうことが集合してくると今気づいたことがある。

それを書こうとしたらヤフーが邪魔した。なのでこっちに書く。たぶん事実なんだろう


それが。書かれては困る?? とんでもない話だ 書かずにいたうちの事実を妨害するとは。

こうやってきたんだ うちの家系は何人も何人も何人も。




なんで御子神社に調査に韓国人がくんだよ まず。

そーすると、鬼風というヤツと韓国人はどっかで接点があるということじゃないか。

そーだろ??

それを知るべきは本来はうちだぞ??? 何人が調べきれなくて死んでいったか・・・

考えてみろ これだけで発狂するから。

妨害して生きてきたここらの人間がいかに、何代にもわたって妨害してたきたか

加害されてると認識あんのにそれを調べられないうちの家系のそれぞれの人間たちが

どんな不幸を押し付けられて死んでいったのかを。

それ考えただけで血圧もあがるが、それだけでは済まない。





こんな事を何代にもわたってごまかししてきた連中をたたり殺すぐらいの力がある。

この嘘つきどもが過去やってきたことはこの先も何十年何百年と残される。

しかしここの連中が捏造や脚色で言い逃れしてきたこと

それをうちの家系の子供が子供時分から嘘ついた連中に囲まれて生きては死にしてきたこと

を、えんえんに語り継がなくてはならない。

そしてここらの連中のストーカー行為は顕家の子第三子から始まっている。

それは大昔から。

それがストーカーしかっぱらいしてきたうちの家系への加害事件ひとつ。

そしたら枳風という松尾芭蕉の弟子 これはうちの家系にいた人間だ。この人で江戸中期。




ここらのクソどもの嘘っぱち窃盗人生は、実はとんでもない大昔から始まっている。

ここらのクソどもがいつも盗んだ その盗み働いてたきた相手は毎度うち。

これに殺意がわかないとでも????

枳風の成りすましすんのに、枳風のものをうちから窃盗したと思っている 今。

そしたら顕家第三子という架空のもの 

ここらでなぜか影で作っているそれも相馬藩のヤツ。 

これ ストーカーと呼ばずに何と言う??



あげく 借用書まがいのものが多々ある。それは文四郎以前のものもある。

しかし崩し字なので読めない。いつか奈良とどこかの先生が古文を読むのにと

ソフトを開発したらしいが、あいにくそのソフトでは字が古すぎる。

そこまで昔でもないとあたしはヤフーに書いている。



うちにタカリと集団で武力行使して金を出させてきたんだ ここらの連中の先祖というのは。



それをその子に教えてやらなきゃいけない。

古い字で読めない。あたしにそんな事をさせてる連中はお前らの先祖だ!

うちの家系で何代か前にそれを調べることができてれば、あたしが今それを解読する

必要なんてなかった。それをここらの連中は妨害した。

これに殺意がわかないとでも??




何代ぶん 騙して生きてきたんだ?? ここらの古い連中は。



あたしんちはとてつもなく古い家系だ。

これに発狂しないと??




もうすぐ死ぬって老人は、最後にいいことして死んでいったらどうだ??

古文がまだ解読できていない。ここらの人間は信用できないので物を渡せない。

ちゃんと解読してくれて、それをちゃんとあたしへ返してくれる人に

ここにある古文やなんかを解読してもらいたい。

しかしそれを解読すれば、そこでどこか とあるとこが加害者だと浮上してくるかも

しれない。それをかばってる連中は絶対に解読しない。

インチキ天皇家の外野が加害者だとはっきりしてんだ。それと何の関係もないとこに

頼まなきゃいけない。圧力かけられるから解読できないっていう人が大多数だろう。

ふざけた話だ。そのインチキ天皇家のおかげであたしんちの家系の人間はこんな人生を

何代も生きてたなんて・・・・

これに殺意がわかないとでも??

常にぷっつんするから。えんえんと。







これでダキアマと読むんだ??

2016/12/12(月) 午後 6:29

この枳っていう字

枳風の枳だな

ここのエリアの人間は鬼風って書いてキフウと使ってたようだが。

ほんで密教な

密教はまず 馬が目障りだ それが土台にあって真言宗もクソもねぇーから!

あと枳風って芸名だから

つーか ここの連中が呼んでる鬼風ってほんとに枳風か??

今とっさに、別人が売名で同じ名を名乗ってたんじゃないか??とも思ったんだが。

放火に泥棒に窃盗 そういう資質なんだから。それを隠して生きてただけ。

その毎度盗まれたり被害にあうのがうち

ここの古い人間たちはそれを隠して何十年と生きてる連中だ。

あたしんちに加害してんの はっきりしてんの

泥棒なの ほんとーに。

つーことが土台にあって、こいつら うちの過去帖窃盗してな。

うちに養子で入ったとされてる京都生まれの枳風を利用してたんじゃねーのか??

あの斎藤笹舟っていう西山の人間は本に京都生まれだったようだと書いてるんだぞ??

なのに、御子神社では鹿島の呉服屋で生まれたって石碑に書いてるんだよ。

これって、うちの人間の過去帖窃盗して売名したい相馬一族の誰かが

鬼風という当て字を使って、うちの家系の枳風をパクり売名してたんじゃねーのか??


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BC%E6%9E%B3%E5%B0%BC%E5%A4%A9

荼枳尼天の起源であるインドのダーキニーは、裸身で虚空を駆け[4]、人肉を食べる魔女である[5]。ダーキニーの起源は明らかでないが、仏教とヒンドゥー教に取り込まれた[4][注釈 1]。
中世[編集]
中世になると、天皇の即位灌頂において荼枳尼天の真言を唱えるようになり、この儀礼で金と銀の荼枳尼天(辰狐)の像を左右に祀るという文献も存在する[15]。また、平清盛や後醍醐天皇の護持僧・文観などが荼枳尼天の修法を行っていたといわれ、『源平盛衰記』には清盛が狩りの途中で荼枳尼天(貴狐天皇)と出会い、この修法を行うか迷う場面が記されている[16]。ただし、『源平盛衰記』はあくまでも後世に書かれた文学作品であり、清盛が実際に荼枳尼天の修法を行っていたとする根拠はない。
この尊天は祀るのが非常に難しく、一度祀ると自分の命と引きかえに最後までその信仰を受持することが必須とされ、もしその約束を破ると、その修法を止めた途端に没落する、あるいは災禍がもたらされるとも考えられていた。したがって、これは外法として考えられることもある忌まれる信仰でもあった。荼枳尼天の修法を外法と呼んだ例は中世文学に見られ、『平家物語』には「かの外法行ひける聖を追ひ出さんとす」、『源平盛衰記』には「実や外法成就の者は」、『太平記』には「外法成就の人の有けるに」との記述がある[17]。

狐と荼枳尼の結びつきは既に中国において見られるが、狐(野干)に乗る荼枳尼天の像というのは中世の日本で生み出された姿であり、インド・中国撰述の密教経典・儀軌には存在しないものである[注釈 6]。

戦国[編集]
戦国時代には、各地の武将が城鎮守稲荷として荼枳尼天を祀るようになる。武将たちの生命のかかった城に祀られる稲荷は、怨敵退散を祈願し闘戦に勝利するため荼枳尼天が大部分だったと考えられている[18]。現在でも、久保田城跡(秋田県)、小諸城跡〈長野県)、浜松城跡(静岡県)など、城跡で稲荷社の祭祀が続けられる所は少なくない[要出典]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BC%E6%9E%B3%E5%B0%BC%E5%A4%A9

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ほら 地震きた

2016-12-12 19:37:42 | 自然と天災
天と地がひっくりがえっても、これは延々と続くから

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ヤフーでまた始まったな

2016-12-12 19:31:20 | 日記
これ 何度目か

もう手遅れ

ある程度は改善を待てるが改善どころか またあたしの労力を削ぐ・・・・

ブチブチくんな ほんとーに

こっちのブログ使ってんの みんな知ってるから

あっちだけ規制しても遅いの

そして あたしは記憶してることは ある程度時間経っても書けるの

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