私の記憶帳

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凄いサラリーマン

2011年01月13日 00時55分17秒 | Weblog
1950年。戦後まもない頃、川崎造船所に勤務していたサラリーマンの西山氏は社名変更した川崎重工業から製鉄部門を独立させた。57歳の時に千葉製鉄所を造るという大事業を計画してそれを実行に移した。日本を加工貿易立国にするためには海外から安くて質の良い原材料を輸入してそれを加工生産してその製品を輸出するという計画の基に世界で初めて臨海に工場を立地する計画をたてた。臨海という地盤の柔らかいところに大規模な工場をつくることしかも海外からわざわざ原材料を買ってまたそれを輸出するという二重に無謀な計画に日銀の総裁はじめ多くの金融機関から反対を受けた。ところが西山氏は直接世界銀行と交渉して70億円強にあたる1000万ドルの借り入れを受けた。その信用のもとに全国から必要経費である163億円の資金調達にも成功した。その後日本は加工貿易立国として目覚ましい発展を遂げたわけだがその礎になったのは西山氏の誰に反対されてもやり遂げるという信念のもとに造ったこの製鉄所の成功だ。オーナー経営者でもない一介のサラリーマン社長が戦後まもない復興期に当時の常識を越えてこれだけの事業をやり遂げた信念に敬服する。今の経営者にはそうした信念を持った人がいないのが残念なことだ。

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