今日松原社長と以前からお誘いを受けていた福岡のぶどうの樹に行った。当日、時間が空いたのでとお伝えしたら全ての予定をキャンセルして案内してくれた。ぶどうの樹もすでに予約でいっぱいだったがなんとか席を作ってくれた。せっかくの機会なのでY社長も誘って欲しいとお願いしたところY社長もすでに予定が入っていたのにそれを別の予定が入っているY専務にお願いして来て戴いた。ありがたいことだ。しかもぶどうの樹では大阪に出張の予定だった小役丸社長が出張をキャンセルしてお付き合いしてくれた。しかもお食事迄ご馳走になった。実は昨日も突然友人の黒田先生を呼び出してS社長にみんなで夕食をご馳走になったばかりである。時間が空いたからと言って特に用事があるわけでもないのに声をかけると予定を変えて迄駆けつけてくれる優しい知り合いに恵まれている。ありがたいことだ。今日もまた感謝の一日だった。
友人の美恵子から久しぶりのメールが届いた。暫く連絡がなかったので心配していたら突然一日違いの1月29日ですが赤ちゃんが産まれましたとの知らせ。すでに外国人の彼と入籍を済ませていて今、最高にハッピーとのこと。後数日で40歳になる彼女にとって嬉しさはこのうえないとのことだ。本当におめでとう。
組織を変えて行きたいと考えるなら理想の形が出来上がっている姿を想像して実現していると信じて働きかけていくことだ。相手を変えたいなら自分が相手をみる目を変えなければいつまでたっても相手は変えてくれない。自分の部下の今の姿が悪いからと嘆く前に考えて欲しい。あなたの見ている現在の部下の姿は過去の姿であることを。そう前向きな組織にとって現在はすでに過去なのだ。だから現在を未来に変えて部下と接する必要がある。過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来だけである。大切なことは現実を受け入れることではない。未来からの贈り物を受け取ることだ。それは可能性を求めて歩く旅人のようなもの。あきらめたら最後そこで迷い人になってしまう。
今日は誕生日。朝から沢山のメールを戴いた。メールがなかった頃はこんなに沢山の手紙を戴いたことはない。メールは気楽で便利なものだとつくづく思う。メールを戴いた方々に感謝です。ありがとうございます。
あやまちを恐れるな。人間は努力するからこそあやまちをするのだ。でもあやまちが人間をより高い段階に引き上げる為の梯子を用意してくれる。その梯子をのぼりながら人間は多くの貴重なことを学んでいく。発展するということは先例がないということだ。そう自覚することがやる気という力を与えてくれる。新しいことを強い意志力で冒険的にやる勇気。これは本来誰でも潜在的に持っているものだ。だから友人がその背中を押してくれると思わぬ力が湧いてくる。この力が自身力だ。自立と連携とは必ずしも相手から何かを受け取らなくても成り立つものだ。
人間は長い歴史の中で逆境にあうとしばしばエネルギーを振り絞って新しい革新を行ってきた。革新を遂行する為には従来の枠組みを制度の点においても理念の点においても乗り越えなければならない。枠組みからはずれることは不安なことだがそれを実行し成功させさらにもう一度全体の枠組みをその成功した実績にもとづいて古い枠組みを吸引して新しい枠組みに組み換える努力をすることが大切だ。奇抜なことや珍しいことは長続きはしない。まして発展には結び付かない。だからそれを当たり前化する為に情報公開するのだ。過去の成功体験にしがみついていたのでは未来からの贈り物は受け取れない。
衣食足りて礼節を知ると言われたが今は衣食足りて礼節忘れ知力増して勇気なくなり愚痴が増える時代になった。戦後の日本で失ったものの一つに飢えとの戦いがある。飢えの心配がなくなったこと自体は有難いことだが飢えが人間を協同させ人間に規律を与えてきた成果は大きい。ところが飢えていなければその次に何をするかということになる。つまり目標が多様になってしまう。またそれを達成させる手段も多様になるしその評価も多様になる。つまり価値基準が曖昧になってしまう。そうすると一つ一つのことについて相対的価値が下がってしまい何をやっても手応えがないという状況に悩まされる。飢えの悩みはいくら困難であっても解決は可能でこれ以上食べれないという満足がある。しかし、飢えの次にくる多様な目標は満たされることはない。もっと美しくなりたいとかもっと充実した生活をしたいと考えれば考える程新しい欲望がさらに増幅されてきりがなくなる。小さなことに大きな喜びを感じる感受性が大事な時代になってきた。でもそれはせっなてきなお笑いで満足するこ
とではない。自分で自分を誉めてあげられるような行動をした後に受け取るものだ。
とではない。自分で自分を誉めてあげられるような行動をした後に受け取るものだ。
これからは益々中年の女性を対象にしたマーケットの時代になると思う。多くの女性は短大や専門学校という総合レジャーセンターに行って遊ぶことの楽しさを知りそれを実現させる為にアルバイトをしてお金を稼ぐ。必ずしも勉強が目的ではない。結婚した後は三食昼寝付きで一日に四時間から五時間テレビをみて世界情勢に詳しくなる。情報が多くなれば成る程自分と比較するから欲求不満が強くなる。比較が人を不幸にするのだ。しかも旦那や子供は勤めや学校があるので家にはいない。テレビは一方通行だから口をきくチャンスがないから気持ちがモヤモヤした状態になってしまう。パートタイマーとして働いても手足はゆっくり動かして口はパーッと動かしているのはそのせいかも知れない。余暇があって教養があって遊んぶことを知っていて情報を沢山持っていて欲求不満不満でしかも内職位ならしてもいいと考えている。こういう人たちを相手にしたビジネスは必ず成長すると思う。反面中年の男は比較的貧しい社会を知っているのでいくら不景気と言っても昔に比べればまあまあ良
くなったと思っている。だから昼食は妻はセレブで俺セルフという川柳のような状況が起こる。付加価値の高い商品を販売するなら中年女性をターゲットにしたほうが効果的だ。男の暮らしはデモクラシィーだ。このデモクラシィーは英語ではない。でも暮らしいいという日本語だ。男は過去の努力にすがっている。女は明日を夢見て現在に不満を感じている。だからもっともっとという精神を持っている。現実には消費すればする程また新しい消費が欲しくなるのだがこの消費のインフレーションが成長分野を沢山作っていく。
くなったと思っている。だから昼食は妻はセレブで俺セルフという川柳のような状況が起こる。付加価値の高い商品を販売するなら中年女性をターゲットにしたほうが効果的だ。男の暮らしはデモクラシィーだ。このデモクラシィーは英語ではない。でも暮らしいいという日本語だ。男は過去の努力にすがっている。女は明日を夢見て現在に不満を感じている。だからもっともっとという精神を持っている。現実には消費すればする程また新しい消費が欲しくなるのだがこの消費のインフレーションが成長分野を沢山作っていく。
不況と不安を作り出しているのは五つの害だ。一つは情報公害。マスコミはやたらに不安材料ばかり報道する。例えば倒産件数は史上最高でこのままでは中小企業はなくなってしまうような報道をするが新しく誕生した数はあまり報道しない。企業数はむしろ増えている。二つ目は公害。ゴミ問題でも公益を受けるものが負担をすることは不満をあおり、公害が発生することだけを問題にする。年金にしてもインフレにしても公害だ。何故なら公害とは公共団体が国民から委託されて預かっている財産に対して害が及ぶことも公害だから。インフレや年金は正に昔働いた老人の貯蓄の購買力を奪っているのだから泥棒と一緒だ。泥棒は何も家に忍び込んで現金を奪うだけではない。貨幣価値を下げてしまうことは泥棒と一緒だ。三つ目は老害だ。今までの成功体験から抜けきれない老人が実権を持って若い人に権限を委譲しない。これでは長期ビジョンのもとでの真の改革は出来ない。四つ目は銀行害だ。国民の貯蓄は1500兆円もあるのに銀行家の迷いと不決断と無責任によって貯蓄の行く先
が非常にゆがんで来てしまって本当に資金が必要なところにお金が回っていない。五つ目は政治害。国民の為にと言いながら政権争いに終始してお互いのあら探しばかりしている。この五つの害を取り除くことが今求められている改革なのだ。
が非常にゆがんで来てしまって本当に資金が必要なところにお金が回っていない。五つ目は政治害。国民の為にと言いながら政権争いに終始してお互いのあら探しばかりしている。この五つの害を取り除くことが今求められている改革なのだ。
日本の景気が悪いのは景気そのものが悪いことにもよるがマスコミや評論家が日本はダメになるしかないというような悲観的な情報ばかりを伝えて一層の閉塞感や不安感をかりたてているからだ。だめだった原因を追求して改善するより良いことをみつけて明るい展望を描かせて自信をつけさせることが大事だ。
今までの日本は古くは中国の模倣、近くは欧米の模倣をすることによって成長してきた。これからは模倣すべきものはなく自己の発展がテキストブックの時代である。思い通りにいかなかったことから学び良かったところを引き伸ばして理論を立て行動の指針にしなければならない。失敗を恐れ他人の目を気にしていたのでは成長はない。
最近のニュースすなわち情報は世の中の道徳心を低下させている。その結果何でも他人のせいにして自分で努力する気持ちを少なくさせ精神の病弱をもたらしている。マスコミ公害だ。
コンサルタントは自分が主体になってはいけない。あくまで客体であるべきだ。ビジネスは方針を決めることが難しい。そこにコンサルタントが客体として参加する意味がある。しかし方針を決めても実行しなければ意味がない。実行は主体が行うものだ。実行するのに船頭は多くいらない。臨機応変の対応が求められるからだ。後は前進あるのみと感じたら顧問先からの金取り虫になってはいけない。コンサルタントはコンサルタント先の会社が自立するためにもある時期になったら身を引くことが一番の仕事かも知れない。
コンピュータはデジタルな場の提供をする。コンピュータというプラットホームにソフトというコンテンツをたてることによって知りたいことを受け取る。それに対してサービス業はアナログな場の提供だ。商品というプラットホームにサービスというコンテンツをたてる。商品はコンテンツのたてかたによって必ずしも提供者がもともと目的としていたもののままではない。消費者の目的の為の手段に過ぎないのだ。それを取り違えてしまうとかえってわずらわしいものになってしまう。いいサービスはいいコンテンツによって安らぎや癒しという満足を提供するものだ。