団塊の世代に生まれたおかげで日本の歴史上では初めてである働けば働くほど生活が豊かになる時代に生きてこれた。毎年10%~20%も給料は上がり次々に登場する電化製品を購入することで生活が一変していった。やがて自分たちの住宅や車も手に入るようになり働くことに苦労を感じるどころか喜びを感じていた。物を得ることを通じて素直に豊かさを受け取ることが出来た。この時代に生きてこれたことに幸福感を感じていた。例えば初任給が8000円だった頃モノクロテレビの値段は15万円もした。高値の花だった。だから手に入れた時の喜びは大きかった。それが今は1ヶ月分の給料で気軽に手に入れられるようになっている。最早物を通じてだけでは豊かさを受け取ることが出来なくなっている。豊かさの受けとめ方が人によって違うのだ。これからは経済成長だけでは豊かさが受け取れなくなったことだけは確かだろう。
前回の福岡行きも今回の東京行きも大雨の予想だった。事実どちらも大雨が降ったが新幹線から降りる時や道を歩いている時は必ず雨はやんでいた。ついていると思った。650円の定食を食べに行ってもお楽しみ抽選では200円と150円が当たった。小さな喜びがなぜかとても嬉しいものだ。
人生を楽しく過ごしていくには三つのかりをつくること大切なことだ。一つ目はしっかりというかり。なんと言っても基本は自分自身がしっかりしていること。その為にはものごとを一方向からみないことだ。自分よし、相手よし、社会よしの三方向からみてよいかどうかチェックすること。二つ目のかりはちゃっかりというかりだ。ちゃっかりとは人の力を借りること。だからありがとうという感謝の気持ちを忘れないということ。そうして三つ目のかりはうっかりというかり。人は誰でも失敗をすることがある。その時ごめんなさいと素直に謝る心を持つことだ。この三つのかりを忘れなければ人生は何とか気持ち良く暮らせる。
江戸時代の農民には土地の所有権もなく、職業選択の自由も移住の自由もなかった。明治になって表面的には農民の土地の所有権も売買の自由も職業選択の自由も移住の自由も認められるようになった。一見農民の暮らしは楽になったように思われるが実際は幕末より更に過酷になった。農民はこれらの自由と引き換えに重税に苦しめられた。幕末には収穫量の4割~5割の物納だった税が明治以降は更に過酷になった。収穫にかかわらず税額は政府の収入が安定するようにと考えて地価の3%と決められた。従って地価が上昇する度に収穫とは関係なく税額は上がっていった。幕末には農民の取り分が40%はあったものが明治6年の地租改正の頃には32%にまで落ち込んでいた。明治政府の国税の実に85%は農民から徴収していたのだからいかに農民には過酷だったか分かる。その税収で富国強兵、殖産計画を急激に進めるだけの財源とした。農民の年間所得は50円位である。ひとたび飢饉がくれば農村はたちまち飢えと病気で地獄と化した。その
一方で明治の元老や政商たちは優美な宴に酔い若い芸者と戯れていた。国家のためにと言いながらである。なぜかいつの時代も同じよう光景が目に浮かぶ。農民の暮らしが悲惨になったのはそればかりではなかった。今までは戦には自ら希望しない限りは駆り出されることはなかったが明治以降には徴兵制度が出来て好むと好まざるとに関わらず戦地に駆り出されるようになった。決して明治維新はもろ手を挙げて喜べることではなかった。
一方で明治の元老や政商たちは優美な宴に酔い若い芸者と戯れていた。国家のためにと言いながらである。なぜかいつの時代も同じよう光景が目に浮かぶ。農民の暮らしが悲惨になったのはそればかりではなかった。今までは戦には自ら希望しない限りは駆り出されることはなかったが明治以降には徴兵制度が出来て好むと好まざるとに関わらず戦地に駆り出されるようになった。決して明治維新はもろ手を挙げて喜べることではなかった。
今日は鮨文で鮨を食べる予定なのに昨日も重兵衛でたらふく鮨を食べてしまった。岩手ではかつおやうに、あじ、しんこなどのネタが美味しかった。もちろん本まぐろの中トロも脂ののりが良くて美味しかった。まぐろは分厚いのを4つと手巻きを1つ食べた。いつものことだがそれだけで柵一本分を使ってくれる贅沢な握りだ。鮨文の鮨は重兵衛とは逆にとても小ぶりに握ってくれる。だからたくさんの種類の鮨を食べる楽しみがある。贅沢さや豪華さでは重兵衛の鮨にかなわないが嬉しさではいい勝負をしている。今日の夕食は佐久間さんと地鶏を使った博多流の水炊きを食べることになっている。本来鶏肉は味がないのだが博多流の水炊きにして食べると鶏肉が柔らかくてほんのりとした甘みを感じる。とても美味しいのでつい箸がすすむのだ。先だって福岡で矢頭さんにも水炊きをご馳走になったがとても美味しかった。この味は何度味わっても飽きがこない味だ。盛岡でこの味が味わえないのは残念なこだ。
今の時代は明治維新後や第二次世界大戦後の日本に次ぐ第三の変革の時ではない。維新後や戦後はどちらもどん底から右肩上がりをした時だ。今は日露戦争後の日本と同じ時だ。豊かさを追求するにあたって軍事力を手段として先進国の仲間入りを果たした。ここで平和外交に力を注ぎ直して真の豊かさを追求するべきところだったが断片的な情報しか持たない世論に迎合するような形で更に軍事力を頼って拡大路線を進んだ。最後には大東亜圏の確立を目指し結局は世界から孤立してしまったあの時だ。参加する必要もない第一次世界大戦にも日英同盟を理由にして参加して火事場泥棒のようにドイツ領や中国での利権を拡大して米英欄の反感をかった。同じように戦後は豊かさを追求するのに経済力を手段としてその豊かさを手に入れてきた。そろそろ経済力という手段から解放されて真の豊かさを求めていかなければいけない時に来ている。しかし残念なことに歴史は繰り返している。手段が便利であればある程その手段から抜けきれないでいる。国民に迎合するような形で経済力によって得
るマネーをばらまいて人気取りのような政策に明け暮れている。国際的にも孤立に近い形になりつつある。国内で政治論争などしている余裕などないのだ。国の方向性が変わるたびに結局国民が犠牲になっている。
るマネーをばらまいて人気取りのような政策に明け暮れている。国際的にも孤立に近い形になりつつある。国内で政治論争などしている余裕などないのだ。国の方向性が変わるたびに結局国民が犠牲になっている。
昼食に昨日はすきやのミニ牛丼を食べた。200円とめちゃくちゃに安い。安いけどそれなりに美味しかった。今日は重兵衛でお寿司を食べた。とても美味しかったけど料金は7000円だった。実に牛丼の35倍だ。つまりお寿司を一回食べるところを牛丼に替えれば1ヶ月分の昼食代になる。昼食を毎日牛丼で済まそうと思えば出来ないこともない。仮に労働の大変さが賃金にスライドするなら毎日牛丼を食べてその分労働の大変さを軽減させた方がいいと思う人が増えてもおかしくないと思った。勤労意欲がなくなったのではなくて何とかなるから無理しなくてもいいと思うようになったのだ。以前は彼女を誘って食事をするのに200円の牛丼を食べに行こうとは思いもしなかった。それが店の中をみると当たり前のように若いカップルが食事をしている。日本は立派な国になりすぎたのだ。しかしこの状態をいつまでも満喫できるわけがない。中国や韓国、ブラジル、インド等々周辺国の若い人たちは豊かになりたいと懸命に努力している。以前日本がどん底からはい上がっ
てきた時と同じように。いやそれ以上かも知れない。このままではいけない。日本人には今、高い目標と高い気位を持たせることが何より必要なことだと昼食をしながらそう思った。
てきた時と同じように。いやそれ以上かも知れない。このままではいけない。日本人には今、高い目標と高い気位を持たせることが何より必要なことだと昼食をしながらそう思った。
夜更かし、過食、運動不足いけないことは全部やっている。こんなことをしていたら後でえらいめに会うと言われているがやりたいことはやれるうちにすればいいと考えている。自分の人生は一度しかないのだから自分と家族が認めてくれる幸せを求めていきたい。自分が学ぶより人に教える為に学び直すのは楽しい。意外なことをみおとしていた為に誤解して覚えてしまったことを自分なりに検証しなおすのは楽しい。自分の考えに自信が持てるからだ。人生をかんがえるうえで数学と心理学を参考にするが歴史も確認するには大切な参考書になる。恐れず大胆に自分なりに過去を実証をもとに推測して新しい時代の方向性を探っていきたい。
全国各地にゲリラ豪雨が発生。反面酷暑が続き熱中症で倒れる人も続出するなど異常気象が続いている。知人に被害者が一人もいなかったことがせめてもの幸いだが嫌な気持ちになる。第一次世界大戦という人災でバブル景気をつかんだ日本が関東大震災という自然災害で未曾有の不況を招いた状況にかぶさるからだ。自然災害は偶然起こるものではなくて起こるべきして起こるような気がしてならない。ある人が地球を守る為に地球上でもっとも不要な生き物は人間だと言っていたそうだがまさにその通りかも知れない。
明治維新後と戦後の日本は国の指導の下にひたすら拡大を目指してきた。利益よりも売上を大切にしてきたわけである。企業は大企業化してシェアー争いに明け暮れるようになった。その為に効率的で効果的なことこそ企業を成長させるかぎだと考えた。その考え方は今だに根強い。しかしこの考え方で競争していたのでは資本力の強いところにかなわない。格差はますます拡がるばかりだ。これから多くの企業が求めていくべきことは拡充である。拡充するにあたって大切なことはお客様に感動を与えることである。つまりお客様をあぜんとさせる工夫をすることだ。あぜんのあはあり得ないことを与えること。あぜんのぜは絶対お得だと思わせること。あぜんのんは運が良かったと思わせることである。今お肉でもお惣菜でも100グラム欲しいと思ってデパートに買いに行くと103グラムになりましたがよろしいですかと言われる。サービスがデジタルになっているのだ。これをアナログにする。つまり規則やルールを現場の現状にあわせるだけであり得なかった感動を与えることが
出来るのだ。基礎部分を安くしてトッピングで儲けるつまり集客商品と収益商品を組み合わせて売ることは資本力の強いところはやりやすい。だから零細企業は基礎部分の利益を原価率の設定できちんとキープしてその商品に飛び付きたくなるような目玉商品をパッケージがわりに原価あるいは原価に近い価格で上乗せする。そうすると少し高いが質の高いものが提供できる。その結果一人当たりの売り上げが増えて利益は変わらないがお客様の数が増えるのでトータルの利益は増える。更に仕入れが増えるので仕入れが楽になる。在庫を増やさない為に限定にする。買えたのは運が良かった、この店を知って良かったと思わせることがポイントになる。つまり商品に限りなく愛着を持って常に付加価値を高める工夫と努力をすることだ。安易に値下げをしても競争には勝てない。付加価値を付ける為にかけるコストは自分の愛する商品を売る為の手段だと考えれば大胆なおまけを付けることは可能だ。もともと大企業は数を売らなければ利益は確保出来ない。だからデジタルになる。アナログで勝
負せよと言うことだ。
出来るのだ。基礎部分を安くしてトッピングで儲けるつまり集客商品と収益商品を組み合わせて売ることは資本力の強いところはやりやすい。だから零細企業は基礎部分の利益を原価率の設定できちんとキープしてその商品に飛び付きたくなるような目玉商品をパッケージがわりに原価あるいは原価に近い価格で上乗せする。そうすると少し高いが質の高いものが提供できる。その結果一人当たりの売り上げが増えて利益は変わらないがお客様の数が増えるのでトータルの利益は増える。更に仕入れが増えるので仕入れが楽になる。在庫を増やさない為に限定にする。買えたのは運が良かった、この店を知って良かったと思わせることがポイントになる。つまり商品に限りなく愛着を持って常に付加価値を高める工夫と努力をすることだ。安易に値下げをしても競争には勝てない。付加価値を付ける為にかけるコストは自分の愛する商品を売る為の手段だと考えれば大胆なおまけを付けることは可能だ。もともと大企業は数を売らなければ利益は確保出来ない。だからデジタルになる。アナログで勝
負せよと言うことだ。
最近ドライフーズのスープで美味しいものがでてきた。その中でも香酢や雪待ちにんにくで有名なやずやでだしている体がよろこぶスープは特に美味しい。ほうれん草のポタージュ、ミネストローネ、タイ風カレースープ、サムゲタン、豚汁と五種類あるがどれも期待を裏切らない。夜中に食べても体に害があるとは思えないような優しい味だ。どれも具だくさんだが食べた後の重たさはない。後味もいいのだ。180ミリリットルのお湯を入れて15秒かき混ぜ1分まてばできあがりとお手軽に作れるのも嬉しい。味はそれぞれしっかりしているのにどれを食べても100カロリー以下と低カロリーだから小腹がすいたと思ったら何時でも安心して食べられる。もう一つアニーのオニオンスープもお気に入りのスープだ。こんなに美味しいスープが手軽に何時でも食べられるのは幸せだ。高級なお店で出す味とけしてひけをとらない味がする。今や我が家の常備スープになっている。
デフレを脱却するには現在発行している通貨の量を増やせばいい。デフレが起こっているのは流通している通貨の量より生産性が向上して物が溢れているからだ。通貨の中には当然信用創造も入る。現在はむしろ通貨より信用創造で出回るお金の方が多い。支払いも振り込みやカードによる決済がほとんどだ。いずれにせよ借金も含めて個人や企業の預金通帳の中にお金がたくさんあればデフレから脱却することは出来る。その為にはリスクを覚悟の上で金融機関が市場にお金を貸すか日銀が遊休資産や不良債券を高く買い取ればいい。増税して国の予算を増やしたり国債を発行して国の予算を増やしても結局個人が使うお金が減って国が使うお金が増えるだけでパイは膨らまない。
アメリカの経済が立ち直らない限り日本はデフレから脱却することは出来ない。アメリカの経済が良くならない限りは円安にならないからだ。このまま円高状態が続けば日本は国際競争で勝てなくなる。次々と海外から安いものが入ってくれば体勢として国内で生産されたものは対抗手段として価格を安くせざるを得なくなる。価格を安くする為には人件費も削らなければならないだろう。日本の人件費は国際社会の中では高いほうなのだ。だから企業の採用も本採から女老外になっている。人件費があがらなければ個人消費は伸びない。企業も利益を出しにくいので株価もあがらない。まさにデフレスパイラルになってしまう。
健康な人でも夏の水分管理は難しい。熱中症で死者まで出る始末だ。体の中の水分量は体重の60%だが2%失うと熱中症になる。透析患者は尿がほとんど出ないので水分を取っただけ体重が増えてしまう。透析直後のドライウェートから中二日の時で体重を4キロ以上は増やさないように管理しなければならない。水分の取りすぎは要注意なのだ。透析と透析の間に9回食事をする。1回の食事で800グラムは体重が増加してしまう。ただでさえ7キロ位の増加になってしまう恐れがある。コップ一杯の水を飲めば200グラムの体重増になる。暑いと一回に三杯位の水を飲みたくなる。三杯の水は一キログラム近くあるからたちまちウェートオーバーになってしまう。ウェートオーバーすると肺が溺れた状態になり横になると咳がとまらなくなる。夏は頻繁に体重を量ってみるがいつものように水を飲んでも体重は増えない。たぶん気が付かないうちに汗をかいているからだろと喉の渇きに合わせて水分補給をするとたちまちウェートオーバーになってし
まう。
まう。
文献はあくまで自分の考え方を説明して理解して貰う為の道具なのに文献に書かれていることをさも自分の意見のように羅列している人が知識人と言われる人に多い。学問のほとんどが過去からの受け取りになっているからだろう。本来学問とは未来からの贈り物を受け取る為にするものだ。今はそうなっていないけどそうありたい。そうしたいと考えてそこに到達する為の道を求めて行くものだ。冒険、アドベンチャー、わくわく、どきどきが必要だ。これらからの最大の贈り物が発見だ。お金儲けのリスクを覚悟する投資ばかりが実行されているが人生への投資が一番大切なことだと思うのにそのアドベンチャーが少なくなっている。