に対する考え方は実にシンプルで分かりやすい。顧客対象をしっかりとセグメントして商品の満足度を明確にされている。創業以来赤字になったことが無かった経営スタイルをレクチャーして戴いた。問題はこれからなのだそうだ。後を任せる人がいなくて悩んでおられた。身内はいないから中から育てるか外から連れてくるかだがなかなか社長の目に叶う人は見つからない。あげくのはての相談であった。年間30万人のお客様年商45億円の温泉リゾートを新田社長と一緒になって支えていく人材はそう簡単には見つからない。
温泉観光地の入り込み数は多い順に〓箱根温泉18905千人〓伊東温泉6941千人〓日光湯本温泉6224千人〓湯河原温泉5134千人〓那須温泉郷4856千人〓上諏訪温泉3853千人〓湯布院温泉3650千人〓那須塩原温泉郷3382千人で登別温泉3078千人白浜温泉3056千人草津温泉2988千人となっている。那須塩原温泉郷は全国で8番目の入り込みだ。5番目の那須温泉郷と会わせると実に8238千人となり箱根温泉に次いで二番目の入り込みになる。今日は那須塩原のホテルサンバレーの新田社長と夏野さんにOさんTさんの五人で親しくお話をさせて戴いた。新田社長の経営
デパートで100〓330円の豚しゃぶ肉を300〓買った。今迄はしゃぶしゃぶと言えば牛肉が当たり前だと思っていた。理由は豚肉は生では食べられないけれど牛肉なら生でも食べられるからだ。しゃぶしゃぶは煮立った鍋の中に肉をしゃぶしゃぶさせて食べるので生に近い感じで食べるから美味しい。従って豚肉では何となくしっかり火を通さなくてはという思いからあのやわらかな食感が得られにくいのではと思っていた。Eさんの薦めで試してみた。甘みがあってかえって牛肉より美味しいと思った。これからはしゃぶしゃぶは豚肉にすることにした。
実はこの九蓮宝燈はその前にそうずのリャンウー待ちであがっていた。そこにKさんからメールが入ったのでなぜだかあがるのをやめてしまった。そしたら次にイイピンを持って来たのでスウソーを切っていったんテンパイをくずした。そこへまたKさんからメールがきた時にウーピンを持って来てテンパイ。そしたらまたKさんからメールが来た。その瞬間になんとトイメンからイイピンが出て来た。思わず力を込めて九蓮宝燈と叫んでしまった。幸運の女神の三度にわたるラブメールによってこの九蓮宝燈はあがることが出来た。正に奇跡の一手だった。
本当ににびっくりすることが起きた。運というタイトルでブログを書いた後久しぶりに仲間うちで家庭麻雀を楽しんだ。そこでなんと一生の間に一度でもお目にかかれたら凄いといわれている九蓮宝燈をやってしまった。正に最高の運を捕まえてしまったのだ。
そしてこの努力が運を運んでくるのだ。「人生は努力した人に運という橋をかけてくれる」つまり成功する秘訣に王道はないのだ。成功するまでチャレンジする心を失わないことなのだ。
果報は寝て待てというがそれは精一杯やることをやったら後は運次第だということだ。成功する秘訣は〓に運〓に失敗に学ぶことだと思う。失敗することはけしてだめなことではない。無難なことだけをしていれば失敗も少ないだろう。でもそれでは大きな成果は望めない。難しいことにチャレンジするから失敗することがあるのだ。でも本当はこれは失敗ではない。思い通りに行かなかっただけなのだ。ここで大切なことはこれを悔しいと思うことだ。悔しいと思うから再チャレンジする気力が生まれてくる。この再チャレンジする気力が努力なのだ。
今日は遠野のふるさと村へ行った。とてものどかでのんびりした空気がただよっていた。12時30分に遠野のふるさと村の中にあるこびる館で昼食にひっつみと汁粉とみそにぎりとところてんを食べた。名所にしてはなかなか美味しかった。15時頃遠野の道の駅にも寄ってそこでまた団子とジンギスカンのラム肉75〓とマトン肉75〓を食べてしまった。とても美味い。団子とかき氷も食べた。18時半に恐る恐る血糖値を計ってみた。250位は覚悟していたらなんとわずか88だった。なんでこんなに低いのかびっくり。もしマトンのせいだとしたら凄い。
体内時計は25時間環境時計は24時間その時間のずれを調整する為に睡眠があるという。でも体内時計のほかに人には体感時計というのがある。楽しいことをしていれば早く過ぎるし辛いことをしているとなかなか進まない。60歳位で人生を振り返った時20年位先を走って来たと思えたら後はゆっくり散歩をしたい。年齢を3で割ったら残りの時間が出てくる。60歳は20時だ。そろそろ夕食を終えて晩酌でも始めるかという人もいれば、まだ残業している人もいる。26時27時と24時以降に起きている人もざらにいるようになった。時も人それぞれで違うものだ
みてあげることは最高の教育で見られることは最高の学習だ。例えば料理の世界一つを取ってみても料理人の切磋琢磨だけでは技術はあがらない。食べてくれて誉めてくれたり要求してくれる客がいて伸びるものだ。でもみてあげる人にもそれを認めてあげる優しさと力が必要だ。だから自分なりに努力されている方々にささやかでもいいからみてあげる機会をもてた時はとても感動する。
良いこととは人が喜んでくれる顔をみて自分が喜べることだ。つまり他人に良いことをしているときが自分に対しても最善を行っているときなのだ。だからやっていることをわかってもらおうと思ってはいけない。いいわけはもっといけない。本当に相手のためになると思うことなら続けることだ。
桃栗3年柿8年柚子は9年で成り下がり梨の馬鹿めは18年迄は知っていたけどこの続きがあった。銀杏の気違い30年妻の不作は60年亭主の不作はこれまた一生ああこりゃこりゃと続くそうだ。
血糖値が食前で138だった。今日は七回採血をする。手の甲からする採血はことさら痛い。二回は甲から採血をしてもらったが次は腕からして貰うことにした。どこにしても痛いことには変わらないが手の甲に比べれば腕の方がはるかに痛くない。
明後日の26日に退院になってしまう。のんびりした時間がなくなるのは早いものだ。用意した本も後一冊100ページを残すのみとなった。もう少し居たいような気もするが怠け癖がついてもいけないので諦める。寝たい時に寝て、読みたい時に読んで、適当な時間に食事を運んでくれて、健康管理もしてくれる。ありがたいことだ。治療のための注射はこれでよくなると思うから我慢出来るが検査の為の注射はただ痛いだけでなんとかならないかと思う。優しい看護婦さんがしてくれるのでまだ我慢のしがいがあるがそれも失敗されたらショックは大きい。
思ってもいないようなことが出来ることをまるで夢のようだという。本当に夢とは思ってもいないことなのだろうか?最近良く夢をみる。確かなことは夢は夢の中でリアルであることだ。なんとなく夢の中の出来事は過去の経験がヒントになって組み合わされているような気がする。でも時と場所が超越しているし夢の中の出来事は現実的てはない。正夢とか逆夢とか言われるが何が原因でそんな夢になるのか良く解らない。寝る前に怖い映画をみると夢に出てくるからというので怖いもの見たさで見てみるが出てきたことはない。夢は全く不思議なものだ