私の記憶帳

日々知り得た雑学や興味を持ったことを記録してある

真実には二つの真実がある。

2010年01月31日 23時14分27秒 | Weblog
真実には二つの真実がある。事実という真実と実感という真実だ。もし実感という真実が嘘だというなら明日から太陽が昇ると言えなくなる。何故なら太陽が昇るのは実感であって事実ではないからだ。事実は地球が回って太陽が見えるのだ。人間関係も同じだ。事実をみてチームワークが悪いと嘆いていても未来からの贈り物は受け取れない。チームワークがいいと理想の姿を思い浮かべてそれが実現していると感じながらお互いのことをお互いが褒めていたとしたら嬉しいということを実感して話し掛けていくことだ。信じるとは人が言うと書くのだ。実感から真実を求め真実から事実を作っていく。そうしないで嘆いてばかりいたのではいつまでたっても理想とすることに近づいていけない。

昭和レトロと平成デモクラシィー

2010年01月31日 14時22分19秒 | Weblog
今年の成人からみんな平成生まれになった。小渕さんが平成と書いたカードをかざしてテレビで記者会見をしたのはそんなに前のことだとは思えなかった。時代はどんどん先に進んでいく。心理学によると年を取るにしたがって一年が早く感じられるのは新たに記憶しなければならないことが少なくなるので時間が立ち止まる点が少なくなり通過してしまうからだという。そういえば子供の頃の記憶は今でも鮮明だ。初めて腕時計を買って貰った時の喜び、初めて焼き肉を食べに行った時の感動、見るもの、聞くもの、触れるもの、食べるものどれをとっても感動し感激した。女の子と初めて話した時も楽しかった。昭和レトロがブームになるのもわかるような気がする。でも現実はあの頃感動したり感激したことは懐かしさでしかない。何故なら物的には今の方がはるかに優れているからだ。しかし今は感動や感激は薄い。やっぱりあの頃のことが懐かしい。あの頃のことを思い出すだけでときめく。でももう一度あの頃に戻りたいとは思わない。これは不思議な感情だ。あの頃に戻りたいと思わ
ないのはなんだかんだ言っても結局今の方か良いからだ。でも暮らしいい(デモクラシィー)からなのだ。これはあの頃は努力の割に成果が小さかったことを知っているからだ。先のことつまり過去に戻ることは予測がつくことなのだ。だから瞬間だけ戻ることは懐かしさがあるから構わないのだがずうっととなれば嫌なのだ。では未来は未知だからどうなのかと言えばある程度予測がついてしまう。予測がつくことには感動やときめきは薄くなる。これがつぶやきのもとになる。平和とは退屈な世界なのだ。退屈を退屈でなくするためにどうすればいいのか。答えは簡単だ。感激し、ときめけばいいのだ。安全ばかりにこだわらないで冒険すればいいのだ。他人からどう思われるかより自分がどうしたいかを大切にすればいいのだ。

邪馬台国九州論に賛成

2010年01月30日 16時00分22秒 | Weblog
邪馬台国は南部九州に存在していたと思う。天孫降臨説によればニニギの尊は日向の高千穂の地に降臨したと古事記に記されている。日向は韓国読みでヒムカと読む。これは卑弥呼の名前の由来だと考えると日の皇女にも通じる。日の皇女である卑弥呼は祈祷師として崇められていた。それが248年9月5日に皆既日食があって太陽が隠れてしまいその権威を失った。これは天照大神の岩戸隠れの伝説に似ている。つまり何者かによって殺されたのだ。天照大神が岩戸に隠れると世の中は真っ暗になる。この記述は世の中が混乱になったと言うことだ。そして再び現れて明るさを取り戻す。この記述は再び卑弥呼の妹であるトヨという女帝によって混乱が収まったと書かれていることと重なる。トヨとは同じく韓国読みで豊野国つまり大分のことだ。大分にはワケノキヨマルが天皇の後継者として弓削道鏡が相応しいかとご神託に行った宇佐神宮がある。近くに天皇家にゆかりの深い伊勢神宮があるのにわざわざ大分まで来たのはトヨが天皇家にゆかりがあるからかも知れない。邪馬台国のトヨ等はさらに北上して北部九州のクヌ国と闘って敗れる。このクヌ国が新邪馬台国になる。次に大和国の仲哀天皇と神功皇后が三韓成敗という古事記の記述にあるようにクヌ国と闘ったのだと思う。仲哀天皇は祈祷の最中暗闇の中で死んで神功皇后が三韓を成敗して大和へ帰って来たことになっているが神功皇后は実在しない人物+だ。つまり大和国は仲哀天皇の死と記述されている通り新邪馬台国に負けてしまったのだ。この新邪馬台国の大王が大和に入って応神天皇になったのだと思う。現に古事記では応神天皇は難波に入ったと古事記に記述されている。旧大和国はここで王朝が交代されたのだと思う。従ってここから権威の象徴ともいえる天皇のお墓が前方後円墳に変わっている。

だじゃれは日本の文化だ。

2010年01月30日 12時04分09秒 | Weblog
だじゃれは日本の文化だ。そもそもだじゃれは音節数が少ないから言えるのだ。日本語は母音で終わる。母音で終わる言葉を言語にしている主な国は日本の他には韓国とイタリアがある。どちらの国にもだじゃれがある。日本の音節数は110だ。この音節数は原則としてひらがな、カタカナ一文字で表せる。拗音や吃音はきゃとかぎゃというように小文字が加わるという例外もあるが一文字なのである。ちなみに英語の音節数は八万位と言われているが正確な数はわからない。日本語では犬はいとぬの二音節だから反対から読めばぬいになる。ところが英語の犬はドッグで一音節なのだ。だから反対から読んでもドッグなのだ。音節数が少ないと同音異義語が沢山出来る。いしと言えば医師も意志も石も遺志も遺子もいしなのである。同じ言葉でもこうてんと言えば好天も荒天もこうてんだしれいぐうは冷遇も礼遇もれいぐうなのだ。同音異義語が出来るからだじゃれが生まれる。このだじゃれが数学の能力を高めるのに役立っている。九九が暗算で覚えられるのも歴史の年代が覚えやすいのももとはと言えば同音異義語、つまりだじゃれが役に立っているからだ。例えばいやわしも皇帝がいいとナポレオンと覚えればいを1にやを8にわを0にしを4に置き換えれば1804年になるのでナポレオンが皇帝に即位した年は1804年と応えられるのだ。だじゃれをおやじギャグだと馬鹿にしないで日本の素晴らしい文化だと考え直して欲しいものだ。音節数が少なくて一音節を原則ひらがな、カタカナの一文字で表せるということは幼稚園のレベルで話したことが書けるし書いたものが読めるということだ。これは文盲率が極めて低くなるということでもある。文化を知らないで言葉だけで外国語をしゃべっている人よりはこうした文化をよく知っていて堂々と日本語で世界の人と渡り合った明治の人たちは素晴らしいと思う。見習いたいものだ。

企業再建

2010年01月29日 13時37分26秒 | Weblog
実務家を誇りに思って仕事をしていたのでマクロ経済からミクロ経済は語れないと考えるようになった。マクロ経済とは評論家がよくやる分析だ。経済はあくまでもミクロ経済の積み重ねでできている。
本来経営再建とは企業を立て直すことではなくて企業の中で働いている人に生きがいを与えることだと思う。今の世の中では企業再建というと負債をカットしたりコストをカットしたり資産を売却したり人件費をカットして総資産を縮小することだと指導している。それでは企業は立ち直っても働いている人は恵まれない。これまで働いてきた人たちも報われない。折角蓄えてきた資産を二束三文で売却されてしまうからだ。バランスシート不況になるのは減損会計という会計システムに問題がある。現在その資産を活用して経営をしているのにその資産を売却したとしたらいくらになるかという考えで価値を割り出しその金額で会計する。これでは黒字の企業でも赤字になる可能性が高くなる。その結果銀行から繋ぎ資金が借りられなくなり破綻してしまうのだ。
破綻した企業は再建という名の下に二束三文で買いたたかれ金持ちが買う。今まで頑張ってきた企業より低い金利で借りたお金でだ。再建という名で生まれ変わった企業は安く手に入れた資産で人件費を含めたコストカットをドライにやって企業を再生する。再生が上手くいくのは沢山の犠牲があって成り立っているのだ。いい思いをするのは金持ちだけだ。さらに再生された企業は現在頑張っている同業者にも悪影響を及ぼす。理由は固定負債や人件費などのコストが低いので価格競争で勝ちやすいからだ。デフレスパイラルが生じるのはこうしたことも一因だ。品質や付加価値を高めて競争するのではなくて安いコストで仕入れた資産や原材料で安易に勝てる価格ダウンで勝負出来る環境が金持ちには出来ている。金融システムが金持ちに有利に作用しているのだ。
マクロ経済はそれを平均して分析しているからあてにならない。売上が不振な企業が考えることは資産の売却でもなければ従業員のカットでもない。売上や原価率を良くするという固定概念にこだわることをやめて利益の絶対額を確保するにはどうしたらいいか改めて考え直すことである。その為には資産や商品の有効活用、リピートの仕組みづくり、個人へのアプローチという三点から考え直す必要がある。

お正月がまたきたみたいに

2010年01月28日 21時05分20秒 | Weblog
ミネラルウォーターの他に大好きなメロンやイチゴ、バームクーヘン、マンゴー、すき焼き用の牛肉、クッキー等々いろいろな方からたくさん戴いた。お花もたくさん戴いてさながら我が家はお花畑のようになった。まるでお正月がもう一度きたみたいで嬉しい。おかげで今年も幸せな誕生日を迎えることができた。皆さんに感謝です。

ミネラルウォーターが送られてきた

2010年01月28日 15時06分13秒 | Weblog
滝さんからマハロというミネラルウォーターが石野さんからはビボというミネラルウォーターがそれぞれ24本づつ送られてきた。ミネラルウォーターは嬉しい贈り物だ。特にビボは嬉しい。今まで飲んだどの水より美味しいのがビボだからだ。ランクをつければその次が竹田の水だがその差は大きい。竹田の水の次は日田天領水といったところだ。

63歳の誕生日のランチは石神の丘で

2010年01月28日 12時58分49秒 | Weblog
今日は誕生日なので大好きな石神の丘でお昼のランチを楽しむことにした。石神の丘に向かう道の両サイドは真っ白な雪に覆われていてそこにちらつく小雪が夢の世界へ誘ってくれるようだ。 オードブルはきじのカルパッチョと大和豚の生ハムだ。きじのカルパッチョはケッパーと一緒に食べると美味しさが増す。生ハムの上に載せられている青々としたみずなは食欲をそそる。山芋とビクルスとの相性もいい。口の中で食べ物どうしが結婚式をしているようだ。
スープはオニオングラタンスープだ。薄味ながらしっかりしたヴィオンに玉ねぎの甘さが上手く溶け込んでいる。ベーコンの香ばしさと程よく効いたペッパーの刺激が何とも言えない。身も心も暖まる逸品だ。火傷するかと思うほどの熱さが喉を通る時には心地よい熱さに変わる。大好きなスープだ。
魚料理はホタテとキンメダイにバターを溶かしたブルーネァーソース仕立てだ。グリーンが一際鮮やかなアスパラが美味しそうに飾られている。キンメダイはもちもちした感じながら外側は香ばしいのでとても食感がいい。ホタテもアスパラもそれぞれ違う甘味があって美味しい。アイスティを飲みながら最高の贅沢を味わっている。
肉料理は近江牛のローストビーフ赤ワインソース掛けだ。ローストビーフはとても柔らかでボリュームがあったが五枚もペロリとたいらげた。ガロニは人参とじゃがいものキャロットグラッセ。ローストビーフとの合間に食べると新鮮な野菜の味がローストビーフの美味しさを引き立ててくれる。
サラダは盛り沢山なレタスのサラダだ。玉ねぎのドレッシングが美味しい。レタスは水分を含んでいてみずみずしいのにしゃきしゃきしていてとても美味しい。冷たく冷やされているのも嬉しい配慮だ。野菜はとにかく新鮮でどれも体に優しそうでありがたい。食べ終わる頃にアイスティも丁度なくなった。最後はデザートだ。窓の外には雪がちらついている。普段見える遠景の山は見えないが近くの山がうっすらと白くなっている。啄木がみた故郷の山だ。
デザートは焼きりんごのアイスクリーム載せ。リキュールと生クリームとカラメルのソースがりんごの酸味とマッチして優しい味になる。アイスクリームと交互に食べると焼きりんごのほんわりとした後のアイスクリームの冷たさが素敵な音楽を聞いているように旋律を奏でてくれる。美味しいひとときは正に至福のひとときだ。

リーダーシップとは

2010年01月28日 11時12分30秒 | Weblog
リーダーシップとは強い力を持って自分の意見を通すことではない。そういうやり方で通したリーダーシップは力が弱くなるとたちどころに崩れてしまう。もともと日本は和を大切にする国だ。だから話し合いによって決めるか先に話し合いによってルールを決めてそれに従う形を取らなければならない。従ってリーダーはミーティングを開いて出来るだけたくさんの人の意見を聞きその中で自分の考えに最も近い人の意見をとりあげてその人の意見を通したような形にするのがいい。そして通さなかった人の意見もけして正しくないとか間違っていると言ってはいけない。後でしこりが残ったり恨みをかうからだ。別の前提を持ち出して今はこのことが大切なことだからあえてこの意見を取り上げるそしてとりあげた以上全力を尽くしてみんなで取り組もうという形にしなければいけない。まどろっこしいようだがそれがコンセンサスづくりなのだ。何か新しいことをする時や集中してやりたい時の難しさの原因は主に外にあるのではなくて内にあるのだ。

今日は63回目の誕生日

2010年01月28日 09時42分15秒 | Weblog
今日は63回目の誕生日だった。12時になった直後から9時30分の間に58件のおめでとうメールをいただいた。ゴルフでいうエージーシューターに後少しで届きそうな数だ。誕生日のメールはいくつになっても嬉しい。顔を合わせて声をかけられるのとは違っていつも覚えてくれているというありがたさを感じるからだ。まさに友遠方より来るまた楽しからざるやの心境になる。お花もたくさん戴いたので華のある誕生日を迎えることができた。年賀状をだすのを止めてから二年になるが新年の挨拶と違って誕生日の挨拶は固有のものだ。だから形式的な気がしないので嬉しさが大きいのかも知れない。それにしても年賀状を出さない人にこれだけたくさんのメールを戴けるとはありがたいものだ。

最初のチャンス

2010年01月28日 01時00分38秒 | Weblog
リクルートでは事業部という部署に配属された。後になって考えればこれが最初のチャンスだった。会社の主導部隊は営業部だ。事業部は営業部が稼いできたお金を使って大学にリクルートブック(当時は企業への招待)を確実に配る仕事だった。自力でお金を稼いだのはプレスメントサークルという私学への就職情報の提供の会員集めと月刊リクルートへの私学の入広告の営業。稼ぎはわずかなものだった。リクルートは人生の大きな分岐点である就職先を決めるにあたって企業の具体的な情報を提供することを仕事にしている。情報の送り手は企業だ。だから企業により大きなメリットがある。メリットのある企業から広告という形でお金を貰う。情報の受け手である学生にその情報を受け取って貰えるように広告のフォーマットを統一して比較検討しやすいようにしてある。しかも学生はそれを無料で受け取れるのだ。まさにこれからの時代にふさわしい商品を考えた会社だと思った。出来ることなら事業部でなくて営業部で仕事をしたいと思っていた。リクルートブックの大学版
を配っているときは何とかして大学からお金を取れないかと考えていたが商品はせいぜい月刊リクルートへの入広告くらいだった。しかし高校版を配るようになってはたと壁にぶつかった。高校生は就職するとは限らないのだ。寧ろ進学を希望する人の方が多い位だ。当時勢いのある営業部からは進学を希望する人にもリクルートブックを配って就職希望に変えさせたら広告効果が高くなる。事業部はそのくらいのガイダンスをするべきだという意見が強かった。でもなにかおかしい。情報の受け手に取捨選択権を与えるならどの企業に行こうかと考える前に就職か進学かの選択をしているはづだ。進学の為のリクルートブックのようなものがあっても不思議ではないと思った。当時の進学情報は合格ラインを示すことが主なものだった。大学の建学の精神や校風など学生生活を送るにあたって大学側が伝えたい情報や高校生や父兄が知りたい情報はほとんど掲載されていない。そこでリクルート進学ブックの構想が生まれた。初めは時間もお金もなかったのでリクルートブック高校版の巻末に載せ
てもらった。新しい商品のスタートが出来た。もちろん営業部からは大反発。事業部は本をきちんと配ってくれさえすればお金は俺たちがいくらでも稼いでくるからというのだ。大学に営業して広告を断られてきまずくなりリクルートブックが配れなくなったらどうするのかという保守的な意見ばかりだった。でも情報化社会に心酔していたのでその位の意見には負けなかった。情報化社会は未来からの贈り物を受け取る仕事を構築することが先でコストや利益については5年先10年先に無理なく継続させる可能性があるか否かが大事なのだ。翌年結局リクルート進学ブックは発行されることになり大きな収入源となっていった。リクルートブックの営業にまけないほど収益性の高い商品になってきた。わずかな年数のうちにリクルートは進学情報の大きな担い手にもなったのだ。その後同じような発想でローカル版、転職情報、カー情報、結婚情報、住宅情報、旅行情報などを出している。このへんできちんとメンテナンスをしていくべきだと思っている

情報化社会という言葉に魅せられて

2010年01月27日 17時10分13秒 | Weblog
昭和43年の中央公論4月号で日本で初めて情報化社会という言葉が生まれた。京都大学の梅沢教授と一橋大学の坂本教授が提言した言葉だった。これまでは農業社会から工業化社会そしてその先は脱工業化社会という言葉が使われていた。物を盗んだら泥棒だが知識は盗んで学べと言われていた。それがお二人そろってこれからの時代は情報そのものが価値になる社会が訪れるという。それは形のないものに価値が生まれる社会だということだった。その時から情報化社会という言葉に魅せられた。そこでリクルートの社員総会で情報化社会の訪れというテーマで講演させて欲しいと頼んだ。学ぶ為には教えることが一番身につくと思ったからだ。何よりも嬉しかったのは情報化社会というテーマは初めてのジャンルだったということだ。スタートラインが一緒なら思い切り走ってみる価値はあると思った。情報化社会では情報の送り手の方がメリットが大きいので情報の受け手に取捨選択権を与えるように考えることという結論に達した。情報化社会は本来情報の受け手にメリットがあ
ると考えてしまう。受け手にメリットがあるということは情報が過多になることにも繋がる。だから送り手は自分たちの情報を確実に受け取って貰えるような工夫をしなければならないということだ。その時から本流で仕事をするよりは新規に始める仕事に興味を持つようになった。お客さんにメリットがなければ商品は買って貰えないという考えから全てのことを考えるようになった。工業化社会で当たり前のように考えていた原価率志向からどうやったら付加価値という利益の絶対額を生み出せるかという志向への変化だ。企業再生が出来るようになったのはこの考え方が基本にあるからだと思っている。

福田さんに電話してニュグランドマネジメントを20 冊購入した。

2010年01月27日 02時39分07秒 | Weblog
コンサルをしていると相手と自分に考え方の差がある。そうすると話が聞き流されてしまう恐れがある。そこで著書をよんでもらって腑に落ちないことやできそうもないことを言って貰うことにしている。自宅にやまほどあった在庫が今はほとんどなくなってしまった。嬉しいやら悲しいやら複雑な気持ちだ。

今まで書いた本23 冊

2010年01月27日 01時41分03秒 | Weblog
今までに書いた本は23冊。内3冊は書かれたもの4冊は中国、台湾、韓国で出版したもの日本では長谷川さんが書いてくれた柴田書店の「ホテル再建」湯谷さんのダイヤモンド社の「会社再建」朝日新聞社」の書いた「プロジェクトH 」自作はダイヤモンド社からは「ならば私が黒字にしょう」オータパプリケーションからは「21世紀のブライダル戦略」経済界からは中谷さんと「抱擁力」ビジネス社からは「伸びる人の法則」サンマーク出版からは「商売魂」講談社からは「人材とお客はいくらでもつくれる」第三文明からは「人生を立て直す36のヒント」財界からは「企業よみがえり学講義」総合ユニコムからは「ニュグランドマネジメント」かんき出版からは「自分と未来は変えられる」と「会社再建3つの戦略」の二種類致知出版からは「組織はこうして変わった」と「人生は努力した人に運という橋を掛けてくれる」他に「ダイエー戦略」や朝日、読売、毎日、サンケイ、日経、西日本、岩手日報、河北新報スポーツ紙などあらゆる新聞に考え方
を披露した記事が山ほどある。テレビも全ての局でとりあげていただいた。経済誌も日経、ダイヤモンド、経済界、財界、ボス、致知、オリコンなどあらゆる雑誌の表紙やグラビヤ、本文でもとりあげていただいた。講演のビデオやテープも200本以上あり10畳一間の棚六段では納まりきれないほどある。生きてきた証だ。コンサルをするに当たって時々読み返すことがあるがぶれていないのが嬉しい。
仕事も大学や専門学校からの広告営業や就職ガイダンス。学生名簿の収集、地方版リクルートブックの初出版、就職情報誌、住宅情報誌の創刊、盛岡グランドホテルの社長、盛岡グランドホテルアネックスの社長、安比高原ゴルフクラブの社長、安比高原スキー場の代表取締役、盛岡リクルート企画の社長、コンピュータプリント盛岡リクルートの社長、自動車教習所の代表取締役、プロ野球球団福岡ダイエーホークスのオーナー代行兼球団社長、福岡ドーム社長、シーホークホテル社長、ダイヤモンド社社長などをほぼ同時期に兼務した。おかげで素晴らしい友人にめぐり会えた。また本当にいい経験をさせてもらった。福岡の茶道協会の会長や表千家の岩手県支部長、盛岡商工会議所の副会頭、ホテル協議会会長、全国ブライダル振興協会の副会長、県知事の後援会会長など41歳~60歳の夏に燃え盛った。1歳~20歳の冬の時代は主にアルバイト21歳~40歳の春の時代は上級管理職。61歳からはまだ始まって間もないのだが実りの秋を満喫している。
今日も講演依頼二件と面談依頼が一件入った。内容が楽しそうであれば引き受けることにするがそうでない場合はお断りする。

酒屋の御用聞きをしながら思ったこと。.

2010年01月26日 23時52分26秒 | Weblog
ただ注文を取りに行くだけではそれぞれのお家で必要なものしか買ってくれない。1ヶ月でトータルしてみると売り上げの増加をほんのわずかだった。お客さんには商品のイメージがつかめないのだ。そこで荷台に他でよく売れているもの新しいものを積んで実物をみせながら売り歩いた。なにをもっていけば喜ばれるかだんだんわかってきた。意外性、話題性、実利性、ニュース性の4つの要素を付加価値として加えると買って貰いやすくなるということを学んだ。これからはセールスプロモーションではなくバイニングプロモーションの時代だと感じていた。安いだけではだめでおしゃれであったり嬉しくならなければ買ってくれるお金が大きくならないとわかった。つまり必要なものは最小限のお金で買い嬉しいもの最大限で買いたいと思っていることなどわかった。データベースはマクロからミクロをみるがマクロではミクロの実体はわからない。ミクロの積み重ねがマクロの実体なのだ。ビジネスはミクロを理解したうえでマクロの判断をすることが大事だとわかった。