石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津焼2 会津大塚山窯

2006年08月27日 | 会津の文化

蒲生氏郷が天目茶碗を焼かせた「会津大塚山窯」

会津古城研究会長 石田 明夫

会津若松市一箕町の大塚山   国史跡「会津大塚山古墳」の大塚山斜面にあり 磐越道会津若松ICから10分

0501_099 福島県会津若松市の市街地北東に位置している標高269.6メートルの大塚山は、4世紀前半の全長114メートルの前方後円墳があることで知られています。昭和39年に発掘調査が実施され、出土物は国指定重要文化財にしてされています。  その大塚山の斜面には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、蒲生氏郷氏郷の5大名だけが焼くことができた戦国時代の大窯が1基あります。会津大塚山窯では、天目茶碗や航路も皿が焼かれています。大窯編年では1590年から1610年に該当するもので、前田利家の越中瀬戸窯に非常に良く似ています。そのことから、蒲生氏郷が、職人を前田家から連れてきたことを示しています。出土遺物は破片で、天目茶碗や碗、菊花の押印の皿、窯道具が出土し、その製品は、若松城下、会津若松市神指町の東高久遺跡、高野町の上吉田遺跡、山形県米沢市、酒田市、福島県三春町から出土しています。

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