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読書の森

占い師眉子の死 最終章 再篇

男は立ち上がって哀しげに角谷を見つめた。
「真弓は今も私の妻なのです。戸籍上では離婚していないのですよ」
たじろぐ角谷の前で男、殿村翔吾はポツポツと語った。


会社が倒産する直前まで、翔吾と真弓は会社再建を信じていた。その為に働いていたと言っていい。
虚しくその夢が消えた時、二人は生活の基盤を固める事を先ず考えた。
予定していた式も披露宴も取り止め、郊外のアパートで新婚生活を始めた。いざとなれば、女は強い。派遣の仕事を見つけがむしゃらに働き続ける若妻は翔吾にとって、全く別の生き物に見えた。
真弓を元の長閑で優しい女に戻したい。

その為にも金儲けをしたいと焦った翔吾は、SNSで知り合った男から儲け仕事を持ち掛けられ、騙されて虎の子の退職金を失くすどころか多額の借金を抱える身となった。
最初の内は、翔吾と共に借金を返そうと必死に頑張った眉子だが、利息を返却するだけの毎日に疲れ果てた様子だった。
ある休日、買い物に出掛けると行ったまま、妻は二度と戻って来なかった。
使用していたスマホも彼女名義の預金通帳もそのまま置いてあったが、預金残高は0でスマホの記録は全て削除してあった。
衣類もアクセサリーも置いてあったが、かなり処分したらしく安価な品物しか無かった。
彼女の実際に持っていったのは、現金と手帳のみだった。
狂気のように妻を追い求める翔吾を見て共通の友人が呆れたように諭した。

「こんな状態じゃ奥さんが居なくなるのは当然だ。先ず最初に自分の借金の始末をつけろ。今のままじゃ真弓さんも借金を負う事になるから」
然るべき手続きをとって翔吾は破産宣告を受けた。受けるのを躊躇った理由は、破産すればいつか真弓が帰ってくると信じていたアパートを引き払わねばならなかったからである。

知己の家を転々とした挙句、翔吾は履歴を問わなくても高額の賃金が出るアルバイトに就いた。裏社会のアルバイトである。
そして、やっと住む部屋と表向きの仕事を得たのである。

元々理系だった彼は電器店で修理工として雇われていた。その電気店が眉子(真弓)のマンションの近くにあったからだ。
近眼でも無いのに素通しの眼鏡をかけて、時世柄マスクをかけて仕事場に居る彼をかっての一流証券マンと見る人は皆無だった。


真弓がどういう伝手でどういう知識を得て眉子と言う占い師になったか、翔吾は知らない。知りたいとも思わない。
真弓は眉子なんかじゃない、未だ自分の妻である。

決して元に戻れない事は承知しているが、いつかは真弓と一緒に暮らしたい。彼女の柔らかい笑顔に頬ずりして、抱きしめてみたい。
そのまま死ねるなら、暖かい身体を抱いたまま共にこの世から消えてしまいたい、そんなディスペレートな妄想が彼の頭を占めていた。



そして、犯行当日の午後、彼は、眉子から調子がおかしいからと空調の点検を依頼された電気店の修理工として訪問してしたのである。

帽子を被り、眼鏡をかけマスクをした作業服の彼は約束の時間に眉子の部屋を訪れた。
彼は殿村翔吾と言う個性を持った男でない、小さな電気店の修理工に過ぎないのだ。

眉子は笑顔で彼を迎えた。
「お待ちしてました。いらっしゃると言うので午後はまるまる空けておきましたのよ」
(そんな言い方やめろ。まるで調子良いホステスだ)
心と裏腹に翔吾は笑いを含んだ声で言った。
「ありがとうございます。お代金は先払いでいただいてますので、先ず点検させていただきます」
エアコンのフィルターは素人でも分かる程埃に塗れていた。
その時、翔吾は不意に二人で過ごした初秋の休日を思い出した。

「あなたお願い!エアコンのフィルター外してもらえない。綺麗にしたいのよ」
「何だ。自分で外せば良いじゃないか?」
「だって私の背じゃ踏み台無いと届かないし、踏み外すの怖いから」
「お前俺にモノを頼む時は、重い荷物を持つ時と高い所から物を取る時だけだな。俺って人夫かよ」
そして、、口を尖らせた真弓は笑い崩れて翔吾を拝む真似をしたっけ。

一瞬よぎった昔の幻に首を振って翔吾は手早くクリーニングを済ませた。
「終わりです。ご自分でテストしていただけますか?」
眉子は、如何にも嬉しそうな顔をして、リモコンを動かす。


「まあ、お陰で気持ち良く治りました本当に助かります。どうですか。お紅茶でも」
「恐縮です。お言葉に甘えていただきます」
業者を労う場合、真弓は昔からお茶を振る舞う習慣があった。
それを翔吾はよく覚えていた。

ポットを温め直して、彼女はカップに湯を注ぐ。そのカップが何故か新婚時代と同じ柄に見えて翔吾は躊躇った。
しかし、それは実行せねばならない。
眉子が棚のお菓子を取ろうと背を向けた瞬間、翔吾はポケットから用意した青酸カリの包みを素早く一つのカップに開けた。
それは、彼が裏社会で生きていた時代に入手した青酸カリだった。

そしてお菓子の入った茶棚の上に目がいって硬直した。小さな写真立てが置かれて、それは社員旅行の際仲間と一緒の思い出の写真だった。そこに入社したての彼と彼女がいた。

気付かないのか、無心な顔をして菓子をテーブルに並べ、眉子はカップを手にした。
「お宅も遠慮せずに召し上がれ❣️」
「やめろ。真弓!飲むの」
翔吾は眼鏡もマスクもかなぐり捨てた。
(占い師のくせに自分の命の危機も分からんのか)と勝手極まりない事を考えた。
しかしその時すでに遅かった。
眉子はゴクンと紅茶を飲み干したところで、彼が翔吾である事にやっと気づき、大きく目を見開いたまま動けなくなってしまった。そして次の瞬間激しくもがき出した。

「苦しい。あなた、、どうして。苦しい。翔吾助けて」
ここで大声出されたらまずい。翔吾は彼女を強く抱いてその口を抑えた。

意味がわかったのかどうか、眉子は観念したように目を閉じながら、末期の苦痛に身を捩った。
どれ程の時が過ぎたか、翔吾はよく覚えていない。
腕の中の女の息が絶えたのを確かめた後衣服や姿勢を整えてやった。苦痛の消えてない表情が昔の妻が戯けて見せた顰めっ面みたいで、軽くオデコにキスをした。
その後、ゴム手袋をはめた手で紅茶カップを綺麗に洗ってしまい、お菓子を棚に戻す。

そして、作業員姿の大柄な男は部屋を出ていった。予め用意しておいた合鍵でドアを閉めた。マンションの部屋の暗証番号も熟知していた。その日の午後マンション裏口から出た作業員の姿は勿論防犯カメラが捉えていた。
しかし、予定通りの工事だったし、修理の時間だとすれば不自然に長くもない。
一年前からその電気店で働く彼は愛想の
ない無口な店員に過ぎなかった。
まるでその現場にいたのは修理ロボットのようだった。




半年後、郷里の親の病を理由にその電気店を辞めた。しかし、孤児だった彼には血の繋がった親戚がいなかった。赤の他人が戸籍上の両親として存在している。
真弓も幼い時に母を亡くしている。
お互いに特殊な生い立ちを打ち明けた事で急速に親しくなったのである。

翔吾は未だ誰も追って来ないうちに、全て自分の始末もつけるつもりだった。自分と妻の間に起きた悲劇は何もかも無に帰して欲しかった。
しかし、、自分の存在をこの世から抹消するのは思いの外難しかった。
彼自身生きているのか死んでいるのか分からない。
狂いそうな日々を過ごして、眉子の墓参に来たのである。

「それにしても刑事さん、戸籍が変わってもないのに真弓は僕の妻のままなのに、何故僕を追跡しなかったのですか?」
「勿論君は真っ先に疑われた存在だった。しかし君は行方不明になっている。そして破産宣告を受けていた事は原則公にされない。
これが二人の離婚じゃなくて別居だね、それが原因で被害者は前歴をひたすらに隠し、彼女の素顔を近所にさえ露出出来なかった事も皆知らない。謎の占い師と言う肩書きに幻惑されたのだよ。
そこが盲点だった。戸籍謄本を他人が見ることは原則禁じれていた、刑事の特権はあるけれどね。
今回は離婚したと言う単なる噂を周りの人々が真実と思い込んでいた。それが捜査の重大な盲点になったからだ」
角谷は「奥さんの死亡した場合当然戸籍上で抹消する必要がある。その時気付かない我々が大馬鹿だった」
角谷も翔吾も肩を落とした。

翔吾は呟く。
「もっと甘く考えれば、ひょっとして彼女、自分の占いの儲けで俺の借金返すつもりだったのだろうか?いやそんな筈がない。こんな男に、、」最後の言葉は切れ切れになった。
角谷も同じような哀しげな目になって哀れな犯人を見つめた。
沈黙の後、突如翔吾は地面に突っ伏した。
「どうして俺は彼女を殺しちまったんだ。大馬鹿だった。
生きた真弓に会いたい!生き返ってくれ」
狂ったように地を叩く男の肩を、身を屈めた角谷は優しく叩いた。

「俺は君の自首に同行する。いいね」



お目障りな追記:なんか最近(もっと以前からですが)ずっとおかしいと思ってたら、blog の個人設定がいじられてた。これじゃフォローどころか(これは別に実力ですから良いんですが)励ましになる読者の方「いいね」ボタンもも押してもらえぬ状態になっていた拙blog。
誰ですか?ずうっと犯人の方々?
ともあれ今度年金おりたら、何をおいてもネットの保護に使おうっと^_^




読んでいただきありがとうございました。

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