よく考えてみれば阿片戦争で疲弊し切った中国で写真技術が盛んであるとは考えにくいです。ホントに失礼しました。
本題に戻ると、その写真技師は長崎で写真館を開き、日本人の弟子を抱えて技術を広めたそうです。さらに上京して当時の政界の大物の写真を撮ったりして日本人との交流が深かったそうです。
彼(西洋人)の目から見て
1、日本人は命(切腹や人斬りが日常的にあった)を大切にせず、時間にルーズだった。多分正確な時計が普及していないせいもあったのでしょう。
2、所属する藩同士の対立があって、愛国心が育ってないと見えた。
そうです。
現代においては真逆だと見えますが。
再考すれば、
日本人は小さなグループを作ってその中で異議を滅多に唱えず同調する事を旨とし、グループの規範から外れた人を異端視する傾向が強いです。
幕末においても藩単位で動く武士がいて支配下で心を一つにしてますね。さらにいざとなると頭で分析せずに感情的に動く傾向が強いです。例えば親しい仲間のネットで個人攻撃すると殆どの人がその人物の悪口を言い出す。この傾向が強いと見えます。戦後に会社単位で一丸となって成功しますが、いざ個人の主張をするとなると弱い、人の意見に動かされ易く、事実に基づいて自分の頭で考えることに弱い、そこら辺が日本人の特徴ではないかと思えます。
その写真技師は客観的にこの現象を記しています。
そして新聞記者である編者はより客観的に彼の話を記載してます。
新聞と言わず何処のマスコミでもこうあるべきと言う見本に思えます。
モノを客観視して正確に伝えるのは相当難しいです。
情に棹して「なあなあ」が長く通用した日本の土壌で、客観的意見と言うとAI的な画一的な考えを想像する方も多いようです。ただし人はAIを動かす存在でAIに動かされる存在ではありません。
私も先程のような思い込みを常に気をつけて、文章を作っていきたいです。
要は民族同士で意見の違いがあった時に、その民族に対する既成観念を捨て、客観視できる力を持てば、日本人もより国際的に活躍できるのではないかと思います。