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読書の森

文芸部の思い出

第一回東京オリンピックを挟んだ高校時代、私文芸部に入ってました。
ほぼ同数の男女共学でしたが、何故か文芸部は女子ばかりでございました。

こんな感じ。
黒一点(?)が顧問の先生です。とっても個性的な方(芸術家みたい)でおぼろげな記憶では芸術家一家だったそうです。

古文の時間に、和歌の解釈を求められた生徒(確か額田王の立場について)が「愛人」(当時普通恋人と言ってた)と答えた時、「生の言葉だ。新鮮だなあ❣️」と心を込めて仰ったのが、非常に印象に残ってます。

つまり「生の言葉」お仕着せで無い「自分の言葉」を追及されてた熱血教師でした。
後に大学で教鞭をとられたそうです。

上の写真が当時のサークルで出していた冊子です。
昭和40年発行(私はこの年卒業致しました)

上の写真は同誌上のサークル仲間の創作です。

その中の一部抜粋します。
「私の欲しいもの。それは優越感。
真実に生きるということに対し、私はすでに優越感を持っていた。しかし、それだけでは足りなかった」(真実)
「十一月三日の朝、パン屋のフルフルはいつもの通り七時に店の戸を開けた。
古びたガラス戸がギーギーと朝の街路を舞う木の葉を震わせ、、、」(二つの心)
「『何にいたしましょうか』可愛い声だった。声の主の女の子の顔を俺はぼんやり見つめた。『俺はたぬき、中治は何にする?』
『えっ、ああもり。もり頼むよ』
『たぬきともりでございますね』女の子は胡散臭そうな目で俺を睨むと、、、』
(幸福な時間)

などなど青春の思いをぶっつけた作品揃いでありました。ちなみに『幸福な時間』は拙作です。

時は無常(無情)に流れていきます。

文芸部に属してはおりましたが、とてもじゃないけどその道の才能はございません。
お陰様でかっての楽しみをblogで果たしてます。
いつまでこの楽しみが続くか分かりません。

「17、8が二度そろうかよ、枯れ木に花が
咲きそうかよ」でございます。帰り来ぬ日々を反芻してます。
いつの時代も若い日は苦しみと隣り合わせ(字体が似てます)、振り返ると珠玉の思い出です。





読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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