読書の森

緩かった社会



古本市で買ったグラビア雑誌をパラパラめくっていたら、びっくりする写真を見つけました。

昭和24年5月昭和天皇が戦後の地方巡幸で福岡の公民館に出向かれた時の写真です。

最前列に穏やかな笑顔の天皇陛下と、何かを探してる表情のお婆さんが映っています。

ひょっとしたら、このお婆さん、「この中のどこに天皇陛下がいらっしゃるのかしら?」
と探していたのかも知れません。

何故だか、警備がとても緩いみたいです。
おばあさんはどうしてこのご一行に紛れ込んだのでしょうか?
MPもいないし、周りの人も見て見ぬ振りしてます。
ここに入らない部分では喜んで旗を振ってる人々が周りに並んでます。

新聞社のカメラマンがこの一瞬を捕らえて写真を撮ったのでしょう。

おばあさんにもカメラマンにももちろんお咎めもなく、この写真は今に残ってます。

困ったような、微笑んでるような天皇陛下のお顔と、多分一張羅の着物を着こんだお婆さんの無邪気な顔の対比が、まるで別世界に思えます。

思えば、緩い社会だったのですね。


緩い時代の名残りと言ってはなんですが、昨晩のオカズにイカと里芋の煮物を作りました。
イカを先に甘辛く煮て、その煮汁で茹でた里芋を煮るのがミソです。

それにしても、この社会、緩めるところをぐっと緩くして、きつくするところは厳重にきつくしてもらいたいものだと思いつつ、イカを噛み締めたのでした。



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コメント一覧

airport_2014
そうです、統制が取れて緩くなったのですね。私は昭和21年生まれです。両親は戦中派であります。訳あって戦火を抜けて全て失った年上の親戚に囲まれて、戦中の生活を頭の中で体験して、社会の劇的変動を非常に感じたものです。
そこで緩くなった社会が(陳腐ですが)歩ける人生の道幅は広いと思った次第です。
レキシ
緩い社会だったのではありません。緩くなったのです。終戦の年1945年にGHQの指示で治安維持法(言論統制の法律)が廃止されました。戦時中は天皇を批判したら死刑です。ひどい時代でしたが、戦争に総力を挙げるには仕方がありません。冷戦時にあれだけ「民主化ダァ~!」と言っていたアメリカが社会主義を公職追放するのですからね。
レキシ
そうですね。共感します。わたしはこの写真を撮影した方の意図をくみ取ってお話させていただきました。警備が緩いのは皆が天皇を尊敬しているからです。神だと思っているわけですから。教育現場でもどこでも「テンノウヘイカバンザイ」ですからね。自分たちが信じる神にだれが危害を加えましょうか。ここでも天皇が人間宣言を出した理由が暗示されていますね。
airport_2014
何を言っても許される時代が確かにあったと記憶してます。HOMEROOMなる時間がカリキュラムにあってディベート(小学生が)でどんなバカな事言っても許された覚えがあります。自由な意見をそれぞれ勝手に言える時代は幸せだったと思います。
airport_2014
戦前の神格化した天皇が敗戦を機に「人間宣言」された時期ですね。
実は私が言いたいのは、警備の緩さなのであります。リアルタイムで経験した私安全かつ
レキシ
そうですね、確かに緩かったのかもしれません。しかし、ここで伝えたいのはそういうことではありません。この写真は戦後にとられました。昔は天皇は神の子孫と民衆は信じていたため、まさか天皇が普通の人間と変わらないとは思わなかったのです。だから昭和天皇は人間宣言を出したのです。
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