あほねんのブログ

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近代中国のロマン派詩人徐志摩「再別康橋」

2016-12-19 19:36:53 | 海外交流
1920年にロンドンのケンブリッジ大学に留学していた徐志摩は、国際連盟の仕事でイギリスに滞在していた林長民の家を訪れた。林長民の家でお茶を運んできたのが娘の林徽因で、若い二人はすぐに恋に落ちた。

しかし徐志摩にはすでに親が決めた結婚相手の張幼儀がおり、二人の間には子供もいた。徐志摩は何度もロマンチックな詩を林徽因に捧げたが、林徽因から帰ってきたのは別れを告げる詩だった。「私は帆を降ろして、大海の誘惑を拒絶するわ。あの打ちつける大波から逃げたいの。」

翌年に林徽因は父親と共に中国へ帰っていった。1922年に妻の張幼儀と離婚した徐志摩は林徽因を追って中国へ戻った。しかし時は既に遅く、林徽因はすでに梁啓超の息子の梁思成と婚約していたのであった。

徐志摩と林徽因の二人はその後も友人として交際を続けた。1924年にノーベル賞受賞のインドの詩人タゴールが中国を訪問した際に、タゴールの通訳と接待をしたのは徐志摩と林徽因の二人だった。

二人の別れは突然に悲惨な形でやってきた。徐志摩は1931年に林徽因の大学での講義を聞くため、南京から北京へ飛行機で向かう途中に墜落事故で亡くなった。詩人は最後まで林徽因への愛情に殉じたのであった。下は徐志摩の有名な詩「再別康橋」の私訳である。


「再びさらばケンブリッジよ」

私はこっそりと去っていく
こっそりと来た時のように
軽く手を振って
西の空に浮かぶ雲にさようなら。
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あの川岸の黄金色の柳は
夕日の中の花嫁だね。

光の波に映った影が
私の心の中で揺れ動いている。
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軟らかい泥の上の青草が
滑らかに水底でゆらめく。
ケンブリッジ川の柔らかな波の中で
私はこの一本の水草になりたい。
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あの楡の下の水の淀みは
清らかな泉ではなく、天上の虹だ。
浮草の間で揉み砕かれた
水に沈んだ虹のような夢だ。
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夢を探す?長い棹を持って
青草がさらに青い所へゆっくり遡る。
船に一杯の星の輝きを載せて
星の輝きがきらめく中で歌おう。
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でも私は歌えない
静けさが別れの音楽だからだ。
夏の虫も私のために沈黙する
沈黙が今晩のケンブリッジだ。
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私はこっそりと去っていく
こっそりと来た時のように。
私は袖を軽く振った
一片の雲も携えはしない。

野崎晃市(42)

※文殊菩薩記事から
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-8508.html

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