ルターは、絶望のどん底で、キリストに対する信頼もなくしていました。でも、なんで?
Young Man Luther 『青年ルター』p.243の、最後の行の途中から。
このような急性の発作がなくなった時でさえ、ルターは、消化不良、便秘、痔に悩んでいました。また、ルターは、腎結石のために、死ぬほどの痛みを味わいました。耳がブンブン鳴るのも悩みの種でした。ルターはそれを、ドイツ語で「耳鳴り」とか、「囁き」と呼んでました。このブンブンなる耳鳴りは、もともとは中年の病気から来たものでしたが、ルターが身体の痛みと心の痛みの間を繋ぐものとなり、心の底から聞こえてくる声が放つ一本の矢になりましたね。
生老病死、と言ったら仏教では四つの苦しみ、四苦(しく)になります。ルターも社会的成功の陰で、様々な病気に苦しみ、キリストへの信頼さえ失くしていました。人間ですから、仕方がなかったのかもしれません。
でも、エリクソンの語り口はそうではありませんよね。特に、耳鳴り。それは、身体の痛みと心の痛みを繋ぐもの、心の声に気付くためになくてはならないものだといいます。
これは実に真実なことで、心が、魂が、大きく成長する時、それは生老病死を通して、心の声が語られる場合が非常に多い。その声を聴くことこそが、本物の祈りであり、その祈りを祈るものだけが、真の意味でのキリスト者なんですね。
ヘボなクリスチャンでも、理解できます。
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