2013-08-30 02:00:55 | エリクソンの発達臨床心理
「夢のスクリーン」、いかがでしたでしょうか?夢も集団のヴィジョンの影響を受けやすいけれども、たほう、患者のヴィジョンは、集団のヴィジョンを超越する新しい人間を示すヴィジョンたりうることに、ハッとさせられる思いです。
さて、今日からは、第三章 「『共に見る』ヴィジョン」 第3節 「アインシュタインのパズル」に入ります。
仏教に「三昧」という言葉がありますね。サンスクリット語のSamādhiの音写、すなわち、音を漢字に当てはめた言葉だそうですね。
サンスクリット語のSamādhiは、「集中する」ことを意味するようです。インドで行われていた瞑想で、精神集中が深まっている状態を示す言葉であるようです。仏教やヒンドゥー教、あるいは、ヨーガでも用いられる言葉でもあるようですね。
その三昧を用いた言葉に、今日のタイトルでお示しした「一行三昧」があります。もともとの仏教的な意味は、「90日間、全身全霊で只管打坐、座禅に集中すること」だと言います。そして、「これは私がやっている『約束に基づいた遊び』セラピーとも共通するなぁ」と感じました。「約束に基づいた遊び」セラピーも90日してもらっているからです。したがって、「約束に基づいた遊び」セラピーは、仏教的でもある、ということですね。
ところが、お母さんの中には、次の次くらいまで段取りが決まった状態で「絵本の読み聞かせ」をする場合があるんですね。それが「能率的」なことかもしれません。しかし、それは文字通り、心を失っている状態「忙」そのものです。
こういう場合は、「○○さん、次の段取りに気持ちが言っていると、『眼の前の子どもさんよりも、次の段取りの方が大事だ』と子どもさんにメッセージすることになりますけれども、それでもいいんですか?」と問うことにしています。さらに、「全身全霊で、絵本の読み聞かせをすると、眼の前の子どもに対して、『大事です』とメッセージすることができます」とも伝えます。
「絵本の読み聞かせ」セラピー、それは只管打座と同じような全身全霊の心的態度「一行三昧」が、何よりも大事ですね。
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