#生きている実感 = #世界平和の基盤 = #仲間になる風
#神様とも相手とも一心同体にしてもらった自分自身 #心からの自由 #認め合う心からの歓び #ピッタリな2人 現世考 : 国谷裕子さんの,イメージを聞く力 ......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Identity :Youth and Crisis 『聖書の神様と一心同体に成ること : 若さと危機』のp.168。
p.170のブランクから。
今朝はp.171の16行目から。
備忘録的に,p.168の第2パラグラフも残します。
忘れてはならないのは,気持ちがピッタリと分かり合って腑に落ちることの反対は、人に馴染めず心がバラバラだ,ということです。つまり,1番親しい母親は,いまここにあると,母親には不都合な強さや不都合な人たちを,裏切り,見て見ぬふりをして,殺してしまいやすい、ということはね,忘れてはなりません。一纏まりの人や思いに馴染むことは,別のまとまりの人や思いを上手に裏切ることなしには,あり得ませんでしょ。このように,忖度と裏切り,それは,一番親しいはずの母親と一心同体に成ることできなかったために,最深欲求を満たすことができない人のいつもの心の態度になります。最深欲求が満足していない人って,自分の「良心」に確信を持てませんから,不正な誘いを断る賢さがありません。
…
いつも生真面目
一心同体に成り損ねることが深いと,務めを果たす者の心の習慣が非常におかしなことになります。それは,求められたことやそれとなく促されたことに集中できない形になるか,例えば本の読みすぎみたいな,つまらないことに破滅的に囚われます。このような患者さんが,治療中に,いったんは見失った,務めを果たす者の心の習慣を心の中に取り戻す活動を見付けることがありますが,それ自体がとても大切なことなんです。ここで心に刻んでおいたほうが善いのは,思春期や青年期の前の発達の舞台,すなわち,小学校の時期です。小学校の時期は,自分の文化社会の読み書きそろばんを分かち合うことが必須科目として教えられますし、務めを果たす者の心の習慣と務めを分かち合う心の習慣にピッタリな時期と聖書の神様のいのちを分かち合い全うする,お務めを与えられます。これまで見てきましたように,小学生のころエディプス期(訳注:だいたい3歳~6歳)の後に来ることが,とても深い意味がありますね。すなわち,男と女としてでも,馴染みとしてでもなく,お務めを果たす者として,聖書の神様を信頼する信頼を代々伝えた者として,両親ともう一度一心同体に成ることをやり直すことを,仲間たちが許す,仲間になる掟を身に着ける点で,単に陽気で楽しい歓びと言うのではない,実感のある段階を全うする,ということです。このようにして,親と共に育つ,親みたいになる可能性が少なくとも1つ,しかも,「自分ならではの」親みたいになる可能性を育てることになります。大元になる判断を実際に自分で判断してみるという手にとって分かる目標を,心豊かになる学びの場((訳注:アメリカ・インディアンの)「汗をかく家」,お御堂,釣り場,作業場,調理場,学校)では,同じくらいの年齢の仲間と分かち合うことになります。そういった場所は,場所的に家からも,母親からも,幼い時の記憶からも,切り離された場です。
小学校時代。「汗をかく家」も出てきますから,大人になる準備の始まりでしょう。
大人のなる通過儀礼の始まりです。
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