エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

メタノイア 視座を移す戦い

2015-12-09 05:37:43 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
ガザと飯舘村のあいだ 「人間の尊厳」を巡る戦い
  今日、ガザの弁護士ラジ・スラーニさんのインタヴューを伺いました。 http://www4.nhk.or.jp/kokoro/ スラー二さんのお話、ボン...
 

 メタノイア、と言われても、メンソレータムの一種かなぁ、と思う人もいるかもしれませんね。メタノイアは、ギリシア語で、μετανοιαです。μετα=変化+ νοια<心、理性、ですから、心を入れ替えることを意味します。でも、「心を入れ替える」、「ものの考え方を切り替える」、と言うと、知育中心主義、科学的真理しか教えないことが多い、それでも、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもだらけで、なかなか学習が進まない、現在の日本の学校教育制度の中では、その知育や科学的真理もままならない状況が、日本全国津々浦々を覆っている状況です。ですから、うまくはできないけれども、その考えを変える程度に、頭デッカチに理解されがちですね。これが、「愛着」や「根源的信頼」を知的に理解する誤解と一緒で、大間違いのもとです。

 メタノイアも、「愛着」や「根源的信頼」も科学的真理ではありませんからね。人格的真理です。それは、知的に十分に理解することなどできません。人格的真理は、それを生きてみなければ、真に理解したことにならないからです。「祈り」そのものも人格的真理ですから、単に知的に「お願」と理解すると、あちこちで街歩きをして、その時の自分の顔写真を撮って、フェイスブックで自分の顔写真を “見せびらかす” ことを「プレアオーク」「祈り」だ、神様の名までを出して正当化する、とする大間違いを犯すことにもなりますもんね。同じことです。気分だけの、偽物の「ヘボなクリスチャン」にありがちです。

 メタノイアは、従って、日々の生活の中での戦いと、ほとんど同じことですね。日本の社会の中にある、抑圧構造、イジメの構造、貧富の格差を広げる構造、得する者と損する者を固定化・拡大化する構造と、意識的に戦うことと、ほとんど同義語です。ですから、それは、国の政治だけではなく、日々の小集団の中で、権力的に、あるいは、弱い立場の人を陰に陽に、イジメるような、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちや、隣りの「アイヒマン」、組織のウジムシ、イジメの張本人と闘うことですね。

 これは、各地で良心的な働きをしている人、たとえば、釜ヶ崎の本田哲郎神父や、今晩のコラムのラジーニさんの働きから学べることでもありますね。

 

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