エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

念仏=感覚の覚醒

2014-10-09 11:11:33 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 集中するのは、≪いまここ≫を生きること。

 p106第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 「自分の対話」もせずに、集中する、なんてできません。これはどういう意味でしょうか? いつも自分のことを考えなさいってこと? 自分を分析しなくちゃいけないの? 一体どういうこと? 私どもが機械に敏感であることについて話をしたいんだったら、それがどういうことかを説明するのは、さほど難しいわけじゃぁない。たとえば、誰だって、車を運転する人は、車に敏感です。ちっちゃな、聴きなれない音がすりゃぁ、モーターの加速に小さな変化があるんでしょ。同じように、運転手は、道路の表面の変化や、前後の車の動きにだって、敏感です。でもね、その人も、これらの要素すべてを考えてる訳じゃぁ、ない。その人の頭がリラックスしながら注意していて、その人が集中している状況、つまり、安全に運転する状況に関係する変化に心を開いているだけです。

 

 

 

 

 

 集中している時は、考えない。覚醒しているのに、考えるんじゃぁなくて、五感が研ぎ澄まされてる状況ですね。

 そして、この前の「般若心経」100分de名著によれば、念仏を唱えると、この集中の状況、すなわち、非常に覚醒しているのに、何かを考えてるんじゃなくって、感覚が研ぎ澄まされてる状況が生まれると言います。

 面白いですね。 

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