エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ナチと管理教育はご親戚筋 改訂版

2015-03-06 07:05:55 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ナチと言えば、那智の滝。滝そのものが神道のご神体だそうですね。残念ながら、私はまだ一度もこの滝を拝んではいません。ただ、大学1年の時に尾鷲から大台ケ原まで沢登りをしたことがあります。台風が3つも紀伊半島に集合したときだったからかもしれませんが、とにかく雨が多い、川の水量が猛烈です。自然の勢いを感じましたね。それが、人間を超える存在を感じさせているのかもわかりません。

 でも、今日は那智の滝のお話でありません。Nazi(Nazis)「ハイル・ヒットラー」の方です。その残虐性は、今更繰り返す必要がないくらいでしょ。まだ実感のない方は、映画「戦場のピアニスト」か、フランクルの『夜と霧』(霜山訳でも、池田訳でも)をご堪能ください。徹底的なサディズム。それは文字通り、真正「人間を上下2つに分けるウソ」の信者です。Naziは、サディストとして、人を徹底的に支配しようとしました。フロムの言葉を借りれば、「サドの人は、自分を大きく立派に見せようとします。それも、自分を崇めまつる誰か他の一人を自分の手下、部品にすることで、自分を立派に見せようとします」。

 かたや、管理教育。厳しい叱責、不機嫌な顔つき、怒鳴り声、「正しいこと」で子どもたちを裁く態度。通常は「指導」と呼ばれています。何を指導しているのかな? 私の理解をはるかに超えています。私が、その「指導」とやらから感じることを、敢えて申し上げれば、「あなたはつまらない価値のない人間ですから、私の言う通りにしてけばいい」、「世間はそんなに甘くない」、「人間は信じられないぞよ」ということでしょうか。まあ、絶望的なメッセージ。あるいは、表向きだけ、物腰が柔らかそうに見えるけれども、それは見せかけ。その人の心から響いてくるのは、「あなたは信頼できないから、何もしないでね、せいぜい遊んでてね」、「ほかの人の邪魔だけはしないでね」「見張ってますからね」ということ。相手とやりとりをするんじゃぁない。相手をコントロールしようとします。この人たちも、真正「人間を上下2つに分けるウソ」の信者です。しかも、実はサディズム。自分が相手をコントロールできた時だけ、自分が相手より、「上」と感じる一瞬だけ、一時の解放感を感じてんですね。それは先のフロムの表現がそっくりそのまま当てはまります。「サドの人は、自分を大きく立派に見せようとします。それも、自分を崇めまつる誰か他の一人を自分の手下、部品にすることで、自分を立派に見せようとします」。その手下、部品が「児童」や「生徒」などになります。

 ナチと管理教育は、親戚筋なんですね。くわばらくわばら‼

 

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