古賀茂明さんとニュースステーション27日(金)のニュースステーション、たまたま途中からみました。古賀さんと古館さんが言い争った後らしい。 安倍晋三政権は、いくら批判しても足りないくらい。政...
トラウマのことを話すと、理解されづらいですから、トラウマのことを話す場は、意識に意識を重ねて、創り出さなくてはなりません。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.246、ブランク下の、第2パラグラフから。
トラウマの痛みを表現するのに安全な場を見つけ出すって、猛烈に難しいでしょ。ですから、断酒会のようなサバイバーの団体ができるんです。アルコール依存症のアダルト・チュードレンの会、ニコチン依存症の会、他の支援団体は、とても大事になりますね。本気で本当のことを話すことが出来て、やり取りが出来る場を見つけることが出来て初めて、ビョーキから回復できるわけです。ですから、サバイバーには、本物のプロのセラピストも、また必要です。本物のプロのセラピストとは、サバイバー達の暮らしの中にある,苦悶に満ちた細部までも、聴き洩らさない、「心の耳」で聴く訓練が出来てる人のことです。
このように、発達トラウマ障害の人たちには、本気で語れる場が必要です。それは、本気で「心の耳」で聴く人がいて初めて成り立つ場でもあります。本気で「心の耳」で聴ける人は、同じ痛みを抱えている人と、本物のプロのサイコセラピスト(牧師さんや坊さんたちなんかが、資格はなくとも、かえって、本物のプロのセラピストという場合もありますから、そこんとこ注意。逆に、資格はあっても、看板倒れもいるので、そこんとこも注意ですね)だけです。それ以外の人(心理教育しかしない人)が関わっても、ビョーキは回復しませんから。
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