バングラデシュ独立から今年で40年が立ちました。
バングラデシュでは戦争の集結した12月16日は戦勝記念日です。
日本で報道された1971年12月16日の記事です。
■東パキスタンの政府軍 停戦を申し入れ
昭和46年12月16日(1971年) 読売新聞
□事実上の降伏 インドが一応受諾
【ニューデリー=丸山特派員十五日発】
東パキスタンの先頭は15日午後5時(日本時間同日午後8時30分)停戦状態にはいっ
た。
パキスタン政府軍の東パキスタンか威厳司令官ニジア中将は同日午後2時30分、駐ニ
ューデリー米国大使を通じて、東パキスタンの停戦を申し入れ、これに対してインド
陸軍参謀長マネクショー大将は一応これを受諾、とりあえず同日午後5時から空から
の攻撃に限って、インド軍、ムクチ・ビハニ(バングラ・デシュ解放軍)停戦を命じ
た。同大将は同時にパキスタン軍と降伏交渉のために2回線のラジオ集多数を設定し
た。
停戦は16日午前9時(日本時間同日午後0時30分)まで有効で、パキスタン軍が
全面的にインド側の申し出に応じて降伏することは確定的である。これにより東パキ
スタン全域での停戦が実現する見通しとなった。
【ニューデリー15日発=AP】
インド政府は15日夜、東パキスタンのパキスタン政府軍司令官がインド陸軍参謀長
に対し東パキスタンでの停戦を直接申し入れてきた、と発表した。
インド政府スポークスマンによると、マネクショー・インド陸軍参謀長は、この申し
入れをしたニアジ東パキスタンか威厳司令官にただちに回等を送り、インド側として
は、パキスタン軍がインド軍に降伏させることを確認し次第、停戦を命ずる意向であ
ると伝えたという。
なお、インド側によるとマネクショー参謀長がニアジ戒厳指令官の停戦要請を受け取
ったのは15日午後2時半(同午後6時)で、24時間にわたり、インド軍がダッカ
を砲撃、さらに3.2キロ足らずの地点からダッカ市に対する迫撃砲攻撃を開始した後
という。
□解放軍にも停戦指示
【ニューデリー15日発ロイター、UPI=共同】
インド軍スポークスマンが15日明らかにしたマネクショー参謀長の会頭は次のとおり。
1.私は停戦に関するあなたのメッセージを15日午後2時30分(日本時間同6時)
1.私は停戦のしるしとして、午後5時(同8時半)以降、ダッカ上空での空軍活動
を行わないよう命令を出した。
1.あなたから(降伏条件に対する)前向きの回答を受け取り次第、私は直ちに東部
戦線のインド軍・バングラ・デシュ軍司令官あるオーロラ将軍に対して、パキス
タン軍に対するいかなる空軍、地上活動もとらないよう指令するであろう。
1.私は人命の損失を嫌悪するものであり、あなたの部隊に対して不必要な損害をあ
たえることは望んでいないことを保証する。
1.しかし万一、あなたが私の述べたこと(降伏条件をさす)に同意しない場合、私
には選択の余地は無く、16日午前9時(同午後0時半)を期し、全力を挙げて
攻撃を再開せざるを得なくなるであろう。
1.私としては、あなたが戦闘停止の願望を示した以上、東パキスタンにおける指揮
下の全軍に対して直ちに停戦し、位置を問わずわが軍に降伏するよう、命令を出
すことを期待する。
□交渉始まる
【ダッカ15日発=AP】
事実上の降伏を意味するインド軍と東パキスタン軍当局の”停戦交渉”が15日、
ダッカで開始された。
ダッカでは、なお、インド軍の東パキスタン軍兵営地域の爆撃が続いているが、ヤヒ
ア・パキスタン大統領は14日午後4時(日本時間午後7時半)、ニアジ東パキスタ
ン戒厳指令にあってて、ダッカの現地東パキスタン当局に対し「戦闘停止に必要な措
置をとる」権限を認める旨の電報をすでに打っていたと伝えられる。
□パ軍が住民虐殺か
【カルカッタ15日発=AFP】
インド人報道関係者が15日伝えたところによるとパキスタン軍は東パキスタン南西
部のクシチア(インドとの国境から50キロ)じゃら退却するさい、市民227人
(大部分は婦女子)を虐殺したといわれる。この報道関係者たちは軍に護衛されて同
市を取材、カルカッタに帰ったもので、被害者っちは機関銃でなぎ倒されたという。
※クシチア=現クスティア、カルカッタ=現コルコタ
□西パの停戦は難航か 強引なベンガル国擁立 米中の出方注目
【カルカッタ武田特派員15日発】
印パ戦争の最大のヤマ場だったダッカの事実上の陥落により、インド側の目的はほぼ
終了し、今後の焦点は西部戦線での戦闘の成り行きとダッカを首都とするバングラ・
デシュ(ベンガルの国)政権の擁立に絞られることになった。これまで国連の即時停
戦呼びかけを無視してきたインドも、これをきっかけに西部戦線での停戦に応じる見
通しで、なお多少の波乱は予想されるものの、印パ戦争そのものは収拾の方向に動き
出す可能性が濃厚である。
ガンジー政権が米中など大国の苛烈な圧力にもかかわらず、これまで東パキスタンで
大規模な軍事行動を続けたのは、何よりも980万人に達した東パキスタンからの難
民を送り返すためと、東パキスタンからパキスタン軍を追い出すことにすべてをかけ
たからである。インド軍は、さる3日の開戦と同時に大量の部隊を東パキスタンにつ
ぎ込み、攻勢に出る一方、西部戦線ではむしろ防衛に回って大規模な進行を差し控え、
ガンジー首相自身もインドに領土的野心の無いことを幾度も繰り返し言明した。これ
は大国の直接介入によりバングラ・デシュ開放が流産することを警戒し、インドとし
ては戦争の焦点を東パキスタンにしぼったためである。
東パキスタン進攻もバングラ・デシュ解放軍の構成の形でパキスタン軍を徹底的に挑
発し、ヤヒア政権が宣戦布告に踏み切らざるをえないようにしむけたうえ、パキスタ
ン空軍のインド空港空襲を理由に行動を起こしている。この点インドの意図はダッカ
陥落でほとんど達成されたとはいえ、これまでソ連の拒否権でかろうじて持ちこたえ
てきた停戦圧力にインドが応じる条件は整ったといえる。
問題はすでに停戦を受け入れる意向を示していパキスタン側の出方である。パキスタ
ンが国連の介入を急いだのは、東パキスタンでの停戦持込により、インド軍侵攻をパ
キスタンの枠内でのバングラ・デシュ問題の解決に希望をつないだからだが、東パキ
スタンのパキスタン軍が総崩れになった現在、こうした見通しはまったく無くなった。
しかも東パキスタンを失った見返りになるような戦果を、西部戦線でもこれまでのと
ころ収められないまま、行き詰まり状態になっている。このためヤヒア・パキスタン
大統領としてすんなりと停戦を受け入れられるか、西パキスタンの内政上からも疑問
である。
それにパキスタン保持に全力を挙げた米中両大国が、インドの強引なやり方に押し切
られた形で引き下がるかどうかもわからない。米第七艦隊のベンガル湾派遣、中国の
動きの活性化が伝えられるだけに今後の国際舞台での駆け引きは不気味だ。6日イン
ドの承認を得たバングラ・デシュ臨時政権は軽かったにある同政権代表部で目下行政
組織作り及び挙国一致内閣の組閣工作を進めているといわれるが、何よりもまずダッ
カに政権を移すものと思われる。
アワミ連盟のほか、親ソ派の民族アワミ党ムザファル派やバングラ・デシュ共産党の
参列する内閣樹立を待って、ソ連や東欧諸国がバングラ・デシュ承認に踏み切るので
はないかとの見方も有力だ。ただ、9ヶ月の間、破壊の続けられた東パキスタンでう
ぶ声をあげたバングラ・デシュ政権がすぐさまどれだけの統治能力を示せるかまだ未
知数で、順調に新生独立国家として歩みだし、国際的にも認められるかどうかは、予
断を許さない。
むしろ、国際的にこれから印ソ、米中のコンビでバングラ・デシュをめぐって猛烈な
やり取りが繰り広げられるのではないかとみられる。これに西部戦線での戦闘も絡ん
で複雑な様相を示すことになるだろう。もしバングラ・デシュ政権がもたつくようで
は、さらに収拾のつかない事態になることも予想される。
□バングラ承認 ソ連が通告か
【ニューデリー 15日発UPI=共同】
インド政府筋が15日語ったところによると、ソ連は東パキスタンの州都ダッカ陥落
を待って、バングラ・デシュ人民共和国政府を承認する方針だといわれる。同筋によ
るとソ連のこの方針は現在訪印中のクズネツォフ第一外務次官かた伝えられたもの。
▼独立宣言(1971年3月26日)の記事はこちら「バングラデシュのニュース(1971/03/27)」
そしてその前後「バングラデシュのニュース(1971/3/16、3/28,6/2,3)」
#40年前のバングラデシュのニュース
バングラデシュでは戦争の集結した12月16日は戦勝記念日です。
日本で報道された1971年12月16日の記事です。
■東パキスタンの政府軍 停戦を申し入れ
昭和46年12月16日(1971年) 読売新聞
□事実上の降伏 インドが一応受諾
【ニューデリー=丸山特派員十五日発】
東パキスタンの先頭は15日午後5時(日本時間同日午後8時30分)停戦状態にはいっ
た。
パキスタン政府軍の東パキスタンか威厳司令官ニジア中将は同日午後2時30分、駐ニ
ューデリー米国大使を通じて、東パキスタンの停戦を申し入れ、これに対してインド
陸軍参謀長マネクショー大将は一応これを受諾、とりあえず同日午後5時から空から
の攻撃に限って、インド軍、ムクチ・ビハニ(バングラ・デシュ解放軍)停戦を命じ
た。同大将は同時にパキスタン軍と降伏交渉のために2回線のラジオ集多数を設定し
た。
停戦は16日午前9時(日本時間同日午後0時30分)まで有効で、パキスタン軍が
全面的にインド側の申し出に応じて降伏することは確定的である。これにより東パキ
スタン全域での停戦が実現する見通しとなった。
【ニューデリー15日発=AP】
インド政府は15日夜、東パキスタンのパキスタン政府軍司令官がインド陸軍参謀長
に対し東パキスタンでの停戦を直接申し入れてきた、と発表した。
インド政府スポークスマンによると、マネクショー・インド陸軍参謀長は、この申し
入れをしたニアジ東パキスタンか威厳司令官にただちに回等を送り、インド側として
は、パキスタン軍がインド軍に降伏させることを確認し次第、停戦を命ずる意向であ
ると伝えたという。
なお、インド側によるとマネクショー参謀長がニアジ戒厳指令官の停戦要請を受け取
ったのは15日午後2時半(同午後6時)で、24時間にわたり、インド軍がダッカ
を砲撃、さらに3.2キロ足らずの地点からダッカ市に対する迫撃砲攻撃を開始した後
という。
□解放軍にも停戦指示
【ニューデリー15日発ロイター、UPI=共同】
インド軍スポークスマンが15日明らかにしたマネクショー参謀長の会頭は次のとおり。
1.私は停戦に関するあなたのメッセージを15日午後2時30分(日本時間同6時)
1.私は停戦のしるしとして、午後5時(同8時半)以降、ダッカ上空での空軍活動
を行わないよう命令を出した。
1.あなたから(降伏条件に対する)前向きの回答を受け取り次第、私は直ちに東部
戦線のインド軍・バングラ・デシュ軍司令官あるオーロラ将軍に対して、パキス
タン軍に対するいかなる空軍、地上活動もとらないよう指令するであろう。
1.私は人命の損失を嫌悪するものであり、あなたの部隊に対して不必要な損害をあ
たえることは望んでいないことを保証する。
1.しかし万一、あなたが私の述べたこと(降伏条件をさす)に同意しない場合、私
には選択の余地は無く、16日午前9時(同午後0時半)を期し、全力を挙げて
攻撃を再開せざるを得なくなるであろう。
1.私としては、あなたが戦闘停止の願望を示した以上、東パキスタンにおける指揮
下の全軍に対して直ちに停戦し、位置を問わずわが軍に降伏するよう、命令を出
すことを期待する。
□交渉始まる
【ダッカ15日発=AP】
事実上の降伏を意味するインド軍と東パキスタン軍当局の”停戦交渉”が15日、
ダッカで開始された。
ダッカでは、なお、インド軍の東パキスタン軍兵営地域の爆撃が続いているが、ヤヒ
ア・パキスタン大統領は14日午後4時(日本時間午後7時半)、ニアジ東パキスタ
ン戒厳指令にあってて、ダッカの現地東パキスタン当局に対し「戦闘停止に必要な措
置をとる」権限を認める旨の電報をすでに打っていたと伝えられる。
□パ軍が住民虐殺か
【カルカッタ15日発=AFP】
インド人報道関係者が15日伝えたところによるとパキスタン軍は東パキスタン南西
部のクシチア(インドとの国境から50キロ)じゃら退却するさい、市民227人
(大部分は婦女子)を虐殺したといわれる。この報道関係者たちは軍に護衛されて同
市を取材、カルカッタに帰ったもので、被害者っちは機関銃でなぎ倒されたという。
※クシチア=現クスティア、カルカッタ=現コルコタ
□西パの停戦は難航か 強引なベンガル国擁立 米中の出方注目
【カルカッタ武田特派員15日発】
印パ戦争の最大のヤマ場だったダッカの事実上の陥落により、インド側の目的はほぼ
終了し、今後の焦点は西部戦線での戦闘の成り行きとダッカを首都とするバングラ・
デシュ(ベンガルの国)政権の擁立に絞られることになった。これまで国連の即時停
戦呼びかけを無視してきたインドも、これをきっかけに西部戦線での停戦に応じる見
通しで、なお多少の波乱は予想されるものの、印パ戦争そのものは収拾の方向に動き
出す可能性が濃厚である。
ガンジー政権が米中など大国の苛烈な圧力にもかかわらず、これまで東パキスタンで
大規模な軍事行動を続けたのは、何よりも980万人に達した東パキスタンからの難
民を送り返すためと、東パキスタンからパキスタン軍を追い出すことにすべてをかけ
たからである。インド軍は、さる3日の開戦と同時に大量の部隊を東パキスタンにつ
ぎ込み、攻勢に出る一方、西部戦線ではむしろ防衛に回って大規模な進行を差し控え、
ガンジー首相自身もインドに領土的野心の無いことを幾度も繰り返し言明した。これ
は大国の直接介入によりバングラ・デシュ開放が流産することを警戒し、インドとし
ては戦争の焦点を東パキスタンにしぼったためである。
東パキスタン進攻もバングラ・デシュ解放軍の構成の形でパキスタン軍を徹底的に挑
発し、ヤヒア政権が宣戦布告に踏み切らざるをえないようにしむけたうえ、パキスタ
ン空軍のインド空港空襲を理由に行動を起こしている。この点インドの意図はダッカ
陥落でほとんど達成されたとはいえ、これまでソ連の拒否権でかろうじて持ちこたえ
てきた停戦圧力にインドが応じる条件は整ったといえる。
問題はすでに停戦を受け入れる意向を示していパキスタン側の出方である。パキスタ
ンが国連の介入を急いだのは、東パキスタンでの停戦持込により、インド軍侵攻をパ
キスタンの枠内でのバングラ・デシュ問題の解決に希望をつないだからだが、東パキ
スタンのパキスタン軍が総崩れになった現在、こうした見通しはまったく無くなった。
しかも東パキスタンを失った見返りになるような戦果を、西部戦線でもこれまでのと
ころ収められないまま、行き詰まり状態になっている。このためヤヒア・パキスタン
大統領としてすんなりと停戦を受け入れられるか、西パキスタンの内政上からも疑問
である。
それにパキスタン保持に全力を挙げた米中両大国が、インドの強引なやり方に押し切
られた形で引き下がるかどうかもわからない。米第七艦隊のベンガル湾派遣、中国の
動きの活性化が伝えられるだけに今後の国際舞台での駆け引きは不気味だ。6日イン
ドの承認を得たバングラ・デシュ臨時政権は軽かったにある同政権代表部で目下行政
組織作り及び挙国一致内閣の組閣工作を進めているといわれるが、何よりもまずダッ
カに政権を移すものと思われる。
アワミ連盟のほか、親ソ派の民族アワミ党ムザファル派やバングラ・デシュ共産党の
参列する内閣樹立を待って、ソ連や東欧諸国がバングラ・デシュ承認に踏み切るので
はないかとの見方も有力だ。ただ、9ヶ月の間、破壊の続けられた東パキスタンでう
ぶ声をあげたバングラ・デシュ政権がすぐさまどれだけの統治能力を示せるかまだ未
知数で、順調に新生独立国家として歩みだし、国際的にも認められるかどうかは、予
断を許さない。
むしろ、国際的にこれから印ソ、米中のコンビでバングラ・デシュをめぐって猛烈な
やり取りが繰り広げられるのではないかとみられる。これに西部戦線での戦闘も絡ん
で複雑な様相を示すことになるだろう。もしバングラ・デシュ政権がもたつくようで
は、さらに収拾のつかない事態になることも予想される。
□バングラ承認 ソ連が通告か
【ニューデリー 15日発UPI=共同】
インド政府筋が15日語ったところによると、ソ連は東パキスタンの州都ダッカ陥落
を待って、バングラ・デシュ人民共和国政府を承認する方針だといわれる。同筋によ
るとソ連のこの方針は現在訪印中のクズネツォフ第一外務次官かた伝えられたもの。
▼独立宣言(1971年3月26日)の記事はこちら「バングラデシュのニュース(1971/03/27)」
そしてその前後「バングラデシュのニュース(1971/3/16、3/28,6/2,3)」
#40年前のバングラデシュのニュース
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます