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南相馬

2013-07-30 10:33:00 | ノンジャンル
相馬野馬追いを見てきた。
28日の武者行列と神旗争奪戦。前日27日に原ノ町のぺーたくん(大学時代の芝居仲間ね)のアパートに泊まって、んで、近所の雲雀ヶ原祭場へと徒歩で赴く。
初の野馬追いは、なかなか見応えがあって面白かった。

とまあ、ここで久しぶりに書いておこうと思ったのは、そっちのことではない。
27日は夕方4時くらいに原ノ町に着いたのだが、まあ、祭りの会場を下見して、さてまだ夕食には早いってことで、ぺーたくんの実家に行ってみるかということで、車で15分くらいの小高に行ったのだ。ペーたくんの両親が、片付けたりなんだり、週末には来ているという。

避難指示解除準備区域。

昼間は家とかに入っていいけど、泊まっちゃダメよってことになってるらしい。
20キロ圏内に入るところにゲートがあったけど、今は撤去されて、一応見張りみたいな感じで車がいる場所とか、そんなところを通過して、農村地帯に入っていく。
20キロ圏内に近づくにつれて、というか、原ノ町、南相馬に入ったあたりから、何となく違和感を感じる風景が続く。
どういう違和感かというと、まあ、田んぼとか畑とかみんな耕作放棄地になってるわけ。広大な耕作放棄地が続いて、たまに作ってるところとか、草刈りしてあるところとかがある。

作っても売れないとか、作らないで賠償金をもらうとか、まあそういういろいろなことはあるらしい。しかし、これほどの耕作放棄地が続いているところなど、この福島以外には見られないだろう。
20キロ圏内に入ると、結構車は走っている。信号も点いている。ただ、家には人がいないし、歩いている人や自転車に乗っている人もいない。
真新しい家や、風格のある農家などにも人は住んでいない。
町が破壊されて人影がなくなっているのも、悲惨な光景だ。
一方で、信号も点いていて、家も普通にあり、道路も通れる、そんなところに人影がなく、田んぼには雑草が生い茂っている、そんな光景は不気味だ。

ぺーたくんの実家では、お母さんが、会津坂下から持って来た水でお茶を入れてくれた。テレビを見ながらくつろいでいるが、水道とガスは復旧していないし、小高で出たゴミは原ノ町で燃やしてくれない。
一歩外に出れば、耕作放棄地が広がっている。
みんな表情は暗くないのだが、何を話したらいいのかわからない。もう昔話でもするしかない。
ぺーたくんの今のアパートは、カギがナンバーロックで、わりとこぎれいなんだけど、お母さんは。
「もうちょっときれいにしてればなあ」
などという。
「いやもう学生の頃のぺーたくんのアパートに比べれば、ものすごくきれいですよ」
「そんな風に教育した覚えはないんだが、あたしが神経質な方だから、ちょっと手をかけ過ぎちゃったのかねぇ」

小高に入っていいということになってから、家を掃除しに来た頃は、ネズミがものすごくたくさんいて、片付けをして最近はようやくいなくなったとか、納屋の方にはまだいるとか、帰れるかどうかもわからないのに、掃除しに行ってるのか? と、近所の人に言われるとか、いろいろな話を聞く。

小高の商店街や駅を最後に回ってくれた。崩れて道路を塞いでいた建物なんかは撤去されている。駅前まで水が来た(あふれた下水かもと言っていたが)小高駅の駐輪場には、震災時からそのまま放置されている自転車が並んでいた。
外から水を持ち込んで再開している床屋さんや、移転してしまった美味しいラーメン屋さんなどを案内してもらって、無人の商店街を抜けようとしたら、とある広場で、提灯をともして、お祭りでもやってるのかという一角があった。
商店主たちだろうか? 
「意地で盆踊りでもやろうってのか?」
とぺーたくんは言った。

何ともやりきれない気持ちで、小高を後にし、6号線を双葉の方までちょっと行ってみようと、車を走らせた。途中、6号線は通れるけど脇道に入っちゃダメらしく、そこには警備員のような人たちが立っている。
そして、許可証持っていないと入れないゲートのところまで来た。
許可証は持っているのだが、アパートに置いてきたので、そこでUターン。
帰りもとにかく周りは耕作放棄地。
こんなに田んぼが放棄されていても、米は足りなくなったりしないんだなぁ、とか、妙な感慨に浸りながら原ノ町のアパートまで戻った。

「東京とか大阪にも原発作るなら再稼働してもいいよ」

とペーたは言った。

相馬野馬追いは千年以上続く伝統行事だ。
祭りを楽しみながらも、祭りの喧噪のすぐ隣に、いかんともしがたい現実が広がっていることを忘れてはいけないのだなと思う。




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