ほぼ一週一ネタgoo

2016年の投稿を最後に滞っていたブログを提供元の閉鎖を機に引っ越し。今後の更新は不明瞭。

お盆の帰省とキツネ村

2024-08-20 21:39:05 | 動物

 今年のお盆は、カミさんを盛岡に残し、オレと息子が車で実家の茨城に帰り、そこで娘と合流し、2泊ののち白石蔵王でカミさんと合流し、温泉に一泊して、仙台に寄り、墓参りをして盛岡に戻るという日程である。
 なんでそんな日程になったかというと、ウチにネコがいるからで、お留守番は一泊が限度ということ。
 13日が移動日で、ほぼ日中は車の移動で費やされる。何しろ盛岡から実家の坂東市までは500キロくらいあるので、お昼を挟んだり昼寝をしたりすると、7~8時間かかるのだ。
 お盆や正月の高速道路は、その休みの前半で、東京から地方に流れる方は大渋滞になったりする。こちらは逆方向なのでそこまでの渋滞に巻き込まれることはないのだが、時期が時期なのでそれなりに混雑はしている。SAやPAなどは、入口の大分手前のところから渋滞が始まっていたりする。
 そういう混雑しているPAやSAを避け、空いてそうなところまでトイレも空腹も我慢する。食事を済ませると、眠くなるまで車を走らせ、眠くなったところでパーキングに入り、20分ほどの昼寝をすませる。毎日の昼寝が習慣になってから、起きてる間に強い眠気を感じることは少なくなった。
 翌日は、留守番と茨城県自然博物館で企画展「花はないけど華はある」と題されたシダ展を見に行くことにする。
 オレの実家のあたりでは、お盆に親戚を回り、仏壇を拝みに行くという風習があり、親戚中が行ったり来たりするので、留守にすることは出来ない。姉が親戚を回り、オレが留守番となるのだ。
 自然博物館は、もう毎年、何年も行っているので、常設展は見たいところだけ再見し、主に企画展を見る。今年のシダは、タイトルにもあるとおり花はないので、わりかし地味なのだが、生物学科に所属している息子がときおり豆知識的な解説もしてくれるので、なかなかに楽しめた。
 写真はシダとも常設展とも関係ない「ウミウシ」。親指くらいの大きさで色鮮やかでかわいい。

 そして15日はまた移動日だが、白石蔵王までなので、盛岡までより2時間くらい短い旅程。なんで白石蔵王かというと、蔵王キツネ村に行くことにしていたから。
 ホームページなどで情報を仕入れていたものの、実際に見ると、いやあ、そこら辺にキツネがいて、人を怖がることもなく、威嚇することもない。もうそこら辺がキツネである。そんなキツネの近影。

 この日の宿泊は白石温泉薬師の湯。公共施設っぽいところだったが、お湯も食事もなかなかのものだった。廊下に流れる音楽のボリュームがやけに大きかったことを除けば満足の宿である。
 翌日は初盆となる仙台へ。カミさんの実家にある仏壇と、秋保にあるお墓に手を合わせる。
 息子と2人で盛岡から実家の坂東市、実家から白石まで娘と息子と白石蔵王、そして家族揃って白石蔵王から仙台、そして盛岡まで戻ってきた。
 一晩だけ留守番していたネコのサチは、文句言うこともなく、事故もなく「ニャー」と迎えてくれた。


衝撃の告白

2024-08-14 17:24:10 | ノンジャンル

 夏休みと冬休みには、盛岡劇場で、子ども演劇ワークショップをもう20年くらいやっている。正式なタイトルは「こどもエンゲキ体験・はじめの一歩!~夏組~/~冬組~」という。この講座、当初は小学校3年生から6年生まで、途中から中学生にも門戸を広げ、現在は小3から中3までの募集である。
 アイスブレイクやシアターゲーム的なものを経て、小グループに分かれてお話を考え、短いお芝居を作り、オープニングとエンディングを合わせて、6日間で30分くらいのエンゲキを作ろうというもの。 
 オリジナルの曲に合わせた歌まであったりして、なかなかに盛りだくさんで、歌まであるということは、伴奏もあったりするわけで、それはピアノだったりする。劇中の伴奏も生演奏のピアノが入るぜいたくな講座だったりするのだ。
 そのピアニストは当意即妙とか臨機応変とかが求められ、なおかつテーマ曲の作曲まで引き受けてもらうという、これまたなかなかにハードルの高いポジションである。作詞は中学生が担当し、場合によっては補作もする。
 これまで歴代7、8人にお願いしていると思う。ここのところは自らも演劇ユニットを率いているという、ピアノは独学のIくんが担当していた。就職してからもお願い出来ていたのだが、部署替えかなんかで、ちょっと難しくなったらしい。
 そんなわけで次の誰かを探さなければならなくなったのだが、Eくんが、面白い情報を持ってきてくれた。

「Sさん○オンにいたっけよ」

 Sさんというのは、Iくんの前にピアノをお願いしていた子で、小柄で可憐な少女、といった風情の女性である。最初にお願いしたのは大学生の頃で、就職してからも何度かお願いしている。
 そんな彼女が○オンにいたのである。
 なんでそんなところに?
 Sさんは、盛岡で就職したのだが紆余曲折あって実家の青森の方に戻り、その先はどうなっていたかわからない状態だったのである。それがなんと南○オンにいたというのである。
 こりゃ渡りに舟ってことで、お願いし、上手い具合に引き受けてくれて、素敵なテーマ曲も作ってくれた。大学生の頃と変わらない、可憐な少女風情は衝撃の告白とは結びつかないものだった。
 コロナも明けてしばらく経ち、打ち上げも気にせず行えるようになった席上で、その事実が明らかになった。

「あの・・・Tってわかります?」

 わかるも何も、去年までもりげきにいたTくんのことだ。モリシミの担当で頑張り、夜中の「かつや」で飯を食っていたTくんである。筋トレマニアで聖地と言われる仙北町のとあるジムに通いたいがために盛岡に就職した男である。学生時代には某二郎系ラーメン店でバイトし、まかないのラーメンを食べては腹を下していたTくんである。その店の秋田支店開店のときには、スタッフとして学生ながらひと月くらい秋田暮らしをした男である。マッチョの大会前の減量では、タンパク質とともに糖質は絶対に必要だと力説していたTくんである。良質なタンパク質の代名詞、鶏ムネ肉をレアに加熱してこれまた腹を下したTくんである。コロナ時代にマスクをした顔しかわからなかった頃、マスクを外したらあごひげがあって、予想通りの唇の厚みと相まって、ワイルドな顔をしているTくんである。
 あっという間にこのくらいのエピソードを思い出してしまうくらいの男である。まあ、なんか間違いがあってもご愛敬ってことで。

「あたし、マッチョ好きなんですよ」

 とまあそんなわけで、SさんとTくんがお付き合いしているという、衝撃の告白だった。聞いてみると、大学時代は軽音楽部で同期ということで、当時はお付き合いしてはいなかったのだが、卒業してからお互い数年経って、なんかの機会で久しぶりに会い、なんかそう言う流れになったみたいだった。
 なんというか、SさんにもTくんにも、幸せになってほしいなぁ、と思っていたので、まとまって幸せになってくれると、なんだか面白いやね。
 


早池峰神社

2024-08-04 11:10:11 | エンターテイメント

 ナレーションでお世話になっているSさんから電話があったのは8月1日の前の晩のこと。
「明日だった」
 一瞬何のことかわからなかったが、早池峰神社の例大祭のことだった。とある企画の準備で、早池峰神楽のお囃子を録音する予定でいたのだが、うっかり連絡を忘れていたというのだ。オレも行くつもりではあったが、たまたま1日は日中に特に予定がなかったので、ICレコーダーを持って同行することにした。
 思えば何十年かぶりの早池峰神社である。以前行ったのは、例大祭の前日の夜に行われる宵宮の早池峰神楽を見るためだった。
 そのときは、薄暗くなる頃を目指して車を走らせ、早池峰神社の境内に着くと、神楽殿の周りはびっしりと観客で埋まっていて、人里離れた山奥の神社に、こんなに人が集まってるのだと感動したものである。
 昔は夜通しやっていたとの話も聞いたことがあるが、その日の夜神楽は、大体夜10時頃までだった。
 それ以来の早池峰神社のような気がする。
 お祭りなので、露店があったり、子どもたちが駆け回ってたり、昼日中から大人たちは飲んでいて声高に喋っていたりして、録音環境としてはあんまりよろしくない。とはいえ、どこか使える部分もあるだろうとお囃子にマイクを向けた。
 昔見た頃とは世代が替わって若返っている。
 思えば郷土芸能とは縁のない幼少期を過ごしてきたが、岩手で初めて見た早池峰神楽は衝撃だった。特に大償の名人と呼ばれた、佐々木隆さんの舞を見たときは、なんと表現すれば良いのかわからない感動を覚えたものである。何が違うのかはわからないが、なんというか見入ってしまったのである。
 型の力と、途方もない長い時間の修練が、目を離せない魅力を培うのだろう。
 そういえば、毛越寺延年の舞「老女」を舞う南洞頼賢さんを見たときもなんとも言えない感動を覚えたものだ。この舞は、のちに「花の塔婆」という芝居の中で、なんちゃって老女の舞で、コピーさせてもらった。ま、そんな簡単にコピーできるもんじゃないですがね。
 久しぶりの早池峰神社は相変わらず巨木があたりを囲んでいて、なんともしみじみした風情だった。