ほぼ一週一ネタgoo

2016年の投稿を最後に滞っていたブログを提供元の閉鎖を機に引っ越し。今後の更新は不明瞭。

腰痛と敷き布団~敷き布団を買いに

2023-06-26 16:50:24 | 健康

 職人というか専門家というか、とにかくそういう人がいなくなっては困る。しかし、現実にはどんどん少なくなっているのも動かしがたい事実である。「ああ、職人てすげぇなぁ」と思う機会はそんなにないのだが、たまーに遭遇するとそれは深く記憶に刻まれるのである。

 しばらく前、姉がウチの娘にくれた腕時計のバンドが壊れた。当時まだナナックが健在で、その中に時計の電池交換や修理をする小さなお店もテナントで入っていた。何となく記憶にあったので、娘を伴って修理をお願いしてみた。すると、ためつすがめつ確認の後、このように説明してくれた。

「あのー、この腕時計のバンドのサイズ、一般的なモノじゃなくてちょっと小さいんですね。で、このバンドと時計部分をつなぐ金具があるんですが、ここにはそのサイズの在庫がなくて、もしかして、古いお店だったらそのサイズの金具があるかも知れません。まあ、ウチではちょっと交換出来ないです」

とまあそんな感じのことを言われた。なるほど、そんなこともあるのかと、しばし熟慮をし、そういえば、と思いだした。確か八幡町からもりげきに曲がるあたりに古い時計屋さんかあったはずだ。で、行ってみると、オレの記憶に間違いはなかったようで、古い時計屋さんがあった。店の中に入ると、もう商売っ気は全然ないよ、という潔さに溢れていた。

 で、ナナックのお店で言われたことを言ってみると、ノギスでサイズを測りながら
「んー、確かにこのサイズの金具は無いんだけど、ちょっと削っていいですか?」と聞かれた。

 なるほど、本体の方をちょっと削って、ちょっと大きい金具を入れちまおうってわけだ。削ったところで目立つところでもないし、本人も気にしていないので
「んじゃ、お願いします」ってことにして、バンドも娘が気に入ったヤツを選び、しばし待つ。

 待ちながら店内をうろうろしてみる。うろうろしてみるったって、そんなに広い店じゃないから、そこら辺に置いてあるモノを見て「へぇー」とか「ほぉー」とか言ってるだけなんだが、なんと時計屋さんだけあって、宝石も置いてある。値段を見ると結構良いお値段のモノなのだが、わりと無造作に陳列してある。流石に、手に取れるような棚に置いてあるわけではないのだが、エメラルドだのサファイヤだのルビーだの、いろんな指輪だったりネックレスだったりがあった。

 そうこうしているうちに修理も仕上がった。

サイズ違いで金具がない状態でも、本体を削れば入れられるということを思いつき、それを提案し、滞りなくやってのける技術。まさに職人の技だろう。多分ナナックの人も、削って入れてしまうという選択肢を持っていれば、出来るくらいの腕はあると思う。しかしそれは経験に裏打ちされた予想と判断と腕が必要なのだ。

 まあそんなこともあって、敷き布団を買うにしても、○トリとか○cmとかじゃなく、布団屋さんで買うことにした。まあ、それまで使ってた敷き布団は、○トリで買ったんだけどね。

 目指すは「ふとんの菅原」。以前20年使った羽毛ふとんをリフォーム出来るか相談しに行ったお店だ。そのときは、いろいろと確認して、リフォームは難しいという結論になり、新しいのを買ったのだが、その説明などがいろいろ腑に落ちるもので、またなんかあったら来ようと思っていたからだ。

 そんなわけで前回書いたように、腰痛と敷き布団について一通り説明し、店にある敷き布団を試させてもらった。敷き布団と言っても、現在の主流はマットレスで、高反発やら低反発やら点で支えるやら、とにかくそういうモノらしい。なるべく硬いモノが良くて、出来ればコンパクトになるヤツ、という希望は言ったのだが、コンパクトになるモノはあんまり無いようだった。

 主に2種類のマットレスを試し、ついでに大谷翔平が使ってるらしい西川のマットレスにも寝てみた。そうやって試しているあいだにも、枕を選ぶ際に見るべき、立っている姿勢との関係だとか、大谷翔平のマットレスの調整に、西川の職人が渡米しているとか、いろいろと説明してくれる。

 結局、一番最初に試した、一番硬いマットレスを選び、その上に敷くパッドも購入。そして一週間が経った。朝起きたときに腰痛はない。このマットレスで良かったようである。


腰痛と敷き布団

2023-06-16 09:42:45 | 健康

 左腰の痛みが慢性化してしばらく経つ。常に痛いわけではないし、何かの拍子に激痛がするわけでもない。ずっと立ったままでいると、じわっと痛くなってきたりする。特に台所に立って料理してたりするときが要注意で、最も痛みが出やすい。わずかに前屈みの姿勢で立っている、というのが良くないのだろう。材料を切って炒めて、ついでに副菜も作ってと、同じ姿勢が続くと10分くらいで、段々じわじわと痛んできて、仕方ないので両手を膝について姿勢を変える。そうするとわりとすぐに痛みも引くので、まあ重症ではないのだろう。

 こういうのが案外やっかいである。耐えられないほどのものであれば、こまめな積極的治療を選んだりしようものだが、そんなでもない。三週間に1回くらい整体に行けば、それなりに軽快するので、現状維持のまま、微妙な腰痛を抱えていたのである。

 特に朝は腰に違和感があり、起きたときにどうしても動き出しまで時間がかかる。ブレスエアーの中綿の敷き布団も腰の部分が大分へたってきていたので、それも影響しているかも知れない。

 そう思って、ある日、敷き布団無しで直接畳に寝てみた。

 昔、公演を控えて台本の進みがはかばかしくないとき、仮眠を取る際、布団に寝ちゃうと仮眠にならないので、畳で直接寝てみることにした。すると流石に寝心地が悪いので、しかも、なんとか起きようとしていたので、わりとすぐ起きることが出来た。そしてまた執筆にとりかかり、遅々としながらも台本は進んでいった。
「これはいいぞ」
と思って、毎日仮眠を畳で取ることにして数日・・・人は慣れるものである。畳でも熟睡出来るようになってしまったのである。その後無事に台本は書き上がったと思うのだが、畳で仮眠を続けたわけではなかった。

 とまあ、畳に直接寝ることにそんな思い出もあるのだが、ちょっと寝づらいだろうけど、まあやってみよう。

 その結果、ビックリすることに、朝、起きたときに腰が痛くない! あまりに即効性があったので、何しろ驚いた。それでも日中に同じ姿勢で立っていると、やはりじわりと腰痛が来る。流石に慢性のものはそう簡単になくなるわけではない。

 というわけで、毎日直接畳に寝てみようと考えたのだが、流石に毎日直接畳は憚られるので、中綿のブレスエアーを抜き、カバーだけにした。新しい、硬めの布団を調達しようかとも考えたのだが、1日だけでそう決めるのは早計だと思ったので、数日畳に近い硬さで大丈夫なのか試してみた。カバーだけなので、ほぼ畳の硬さである。結果、寝起きの腰は快調である。

 腰痛と敷き布団の関係は、かなり重要だとみた。どういう布団がいいんだろう? 出来れば硬くてコンパクトになるものが良い。やはりここはちゃんとした布団屋さんで相談してみよう。


激混みのコーヒーフェス

2023-06-06 09:22:24 | 盛岡

 タイトル通りです。

 基本的にあんまり人混みが好きではないので、そういうところは避けるようにしているのだが、たまにそういうところに行ってもいいかとカミさんが思いついたようで、前売り券を調達していた。6月3日土曜日のことである。午前中にトーサイクラシックホールとなった県民会館で、全国大会に出場する水沢高校演劇部の壮行上演があるというので、折角だからと観に出かけた。10時半からの上演で約1時間、その後昼食を挟んでコーヒーフェスに突入しようというのだ。

 水沢高校のお芝居は、大ホールの上演と言うことで、どうしてもセリフが聞き取りにくいところがあり、そこら辺はなんとかして欲しい。これは発声訓練とかそういうことだけではなく、大ホールという環境が、そもそも演劇に適していないので、場所を変えるとか、マイクを導入するとか、これは高校演劇関係者に議論を期待するところである。水沢高校伝統のバンカラ応援団とジェンダー問題を組み合わせた意欲作で、これは高校演劇として上演するにふさわしい構えだと思った。主人公は応援団に入りたい女子を応援するという立場で、メタ構造も効いていると言える。主人公はクラスでの振る舞いと、ダンス部での振る舞いに差があり、クラスではあまり上手くコミュニケーションが取れないという設定だったのだが、これが序盤にもっと伝わっていれば、終盤に主人公が言えなかったことを言うくだりがもっと盛り上がったことだろう。具体的には、冒頭、一人踊る主人公に、応援団に入りたいダンス部の「あきら」同様、応援団に入りたいと、クラスメイトが話しかけるのだが、その受け答えにもっとよどみやためらいがあっても良い。もしくは、ほとんど喋らない、という選択肢もあったかも知れない。

 とまあそんな感想を抱きながらも、鹿児島での全国大会は頑張っていただきたいと思う。

 雨模様だったかと思えば日が照りつけるような変な天気で、県民会館まで何で行くか迷っていたのだが、結局自転車で行くことにした。そして、そこから歩いてコーヒーフェスの会場もりおか歴史文化館に向かうことにする。
 お昼時である。どこかで何かを食べていこうと思いながら、ぷらぷら歩いていたが、コーヒーフェスにも食べ物ブースがあるだろうということで、会場までとりあえず行ってみる。

 挫折した。コーヒーの行列もだが、食べ物も行列である。一通り会場を歩いてみるが、人を避けるのが難儀である。仕方ないので肴町の方まで足を伸ばしてお昼にすることにした。問題はどこで食べるかである。そこでハタと思いついた。肴町アーケードを抜けたところに韓国料理の店っぽいのが出来ていた。何となく気になってはいたが、入ったことはない。というわけで思い切って入ってみることにした。

 コーヒーフェスの喧噪が嘘のように店の中は誰もいない。こういうところが我々のホームグラウンドである。店に入ると日本語のたどたどしいお兄さんが、麦茶を出しながら「注文は、このQRコードを読み込んで・・・」と、説明をしている後ろから、店主と覚しき声が、これまたたどたどしい日本語で聞こえてきた。「直接注文でもいいよ」というわけで、QRコードは読み込まなくても良いようである。

 カミさんが韓国冷麺、オレがキムチチーズチヂミを頼んでしばらく待つ。そば粉の入った細い韓国冷麺は何度か食べたことがあるが、盛岡冷麺とはまた違って良いものである。しばらくして二品到着。どちらも美味しい。案外とボリュームもある。で、食べていると店主が「ウチは唐揚げのお店ですよ」と言って甘辛の唐揚げを二つサービスで出してくれた。これもなかなかであった。

 で、そんな風に食べていると、一人の老婦人が入ってきた。「ランパス大丈夫?」とのこと。この店はランチパスポートに掲載されているらしい。聞くともなく聞いていると、ランパスメニューとなんかのデザート、チヂミ、それから「マッコル」も呑んでみたいという。なかなかの健啖家である。店のお兄さんが「マッコリ」と言っても、老婦人は頑なに「マッコル」であった。まあ「マッコルリ」とも書くから、あながち間違いでもないのだろうが、なんとなく面白かった。

 店を出て、いざコーヒーフェスである。前売り券は内丸側の受付で3つのシールとデミタスカップと交換である。なかなかにかわいらしいカップ。シール1つで一軒のお店、都合三軒飲み歩けるようである。当日受付もあるのだが、すでに行列はとんでもないことになっている。これ当日入れても良いんだろうか?

 なるべく遠いところのお店に並んでみようと、まず最初は大分の3CEDARS COFFEEに並ぶ。ここは行列も比較的少なかったこともあり、30分と待たずにコーヒーにありつくことが出来た。そして二軒目、ちょっと長めの行列に並んでみたのが山梨のAKITO COFFEE。大分も山梨も大学時代の友人の出身地である。これが長かった。まさに長蛇の列で、1時間は並んでいただろうか? 隣の行列をふと見ると、プラスチックの丸椅子に座っているご夫婦と覚しき2人がいた。

(行列慣れしている!)

 その椅子は、円盤状に折りたためる優れもので、フリスビーくらいの大きさになるようであった。前に並んでいる学生風の3人組はまだシールが3つ残っていて、これから三軒かぁ、と気が遠くなった。大体のお店がハンドドリップで入れていて、それはもう待つのは仕方ないんだけど、それにしても待たせすぎである。これはお店の人が悪いわけではなく、運営の問題である。二軒とも個性的で美味しいコーヒーだったが、三軒目はあきらめて帰ることにした。お土産は3CEDARS COFFEEのグァテマラ。

 県民会館まで歩いて戻る道中、りあすぱーくの看板。復興支援センターが運営している、沿岸の産品などを販売しているお店だ。

「和ぐるみソフトまだ食ったことないんだよなぁ」というとカミさんが
「美味しいよ」と言うので入ってみることにした。

 ここに入るのは2度目である。1度目は、某Kさんに、バスセンター関係の資料を借りるために来たのだが、そのときは和ぐるみソフトをスルーしてしまっていた。確か最初はもりおか町屋物語館で営業していたと思ったのだが、いつの間にかこちらに来ていた。というわけで和ぐるみソフト初体験である。1番人気は和ぐるみソフトに、和ぐるみのフレークをかけたものらしいが、とりあえず純粋に和ぐるみソフトを味わってみようと1番シンプルなものにした。1人1つはちょっと最近多いので、2人で1つをシェアすることにした。椅子とテーブルもいくつかあって、イートイン出来るようである。他にもちらほらお客さんはいるのだが、コーヒーフェスとは比べようもなく閑散としている。やはりこういうところが我々のホームグラウンドである。やたら落ち着く。

 和ぐるみの風味は感じられるものの、乳脂肪の感じは比較的少なく、さっぱりといただけるソフトクリームであった。ジェラートっぽいと言ってもいいかもしれない。ついでに、平庭高原の白樺樹液も購入した。400円と、ちょっとお高めなのだが、かねてから白樺樹液は飲んでみたかったのだ。ここで買わないと一生買わないかも知れないと思って買ってみたがまだ飲んでいない。

 激混みのコーヒーフェスに行ってみたが、やはり我々のホームグラウンドは、行列のないところのようで。