ほぼ一週一ネタgoo

2016年の投稿を最後に滞っていたブログを提供元の閉鎖を機に引っ越し。今後の更新は不明瞭。

衝撃の告白

2024-08-14 17:24:10 | ノンジャンル

 夏休みと冬休みには、盛岡劇場で、子ども演劇ワークショップをもう20年くらいやっている。正式なタイトルは「こどもエンゲキ体験・はじめの一歩!~夏組~/~冬組~」という。この講座、当初は小学校3年生から6年生まで、途中から中学生にも門戸を広げ、現在は小3から中3までの募集である。
 アイスブレイクやシアターゲーム的なものを経て、小グループに分かれてお話を考え、短いお芝居を作り、オープニングとエンディングを合わせて、6日間で30分くらいのエンゲキを作ろうというもの。 
 オリジナルの曲に合わせた歌まであったりして、なかなかに盛りだくさんで、歌まであるということは、伴奏もあったりするわけで、それはピアノだったりする。劇中の伴奏も生演奏のピアノが入るぜいたくな講座だったりするのだ。
 そのピアニストは当意即妙とか臨機応変とかが求められ、なおかつテーマ曲の作曲まで引き受けてもらうという、これまたなかなかにハードルの高いポジションである。作詞は中学生が担当し、場合によっては補作もする。
 これまで歴代7、8人にお願いしていると思う。ここのところは自らも演劇ユニットを率いているという、ピアノは独学のIくんが担当していた。就職してからもお願い出来ていたのだが、部署替えかなんかで、ちょっと難しくなったらしい。
 そんなわけで次の誰かを探さなければならなくなったのだが、Eくんが、面白い情報を持ってきてくれた。

「Sさん○オンにいたっけよ」

 Sさんというのは、Iくんの前にピアノをお願いしていた子で、小柄で可憐な少女、といった風情の女性である。最初にお願いしたのは大学生の頃で、就職してからも何度かお願いしている。
 そんな彼女が○オンにいたのである。
 なんでそんなところに?
 Sさんは、盛岡で就職したのだが紆余曲折あって実家の青森の方に戻り、その先はどうなっていたかわからない状態だったのである。それがなんと南○オンにいたというのである。
 こりゃ渡りに舟ってことで、お願いし、上手い具合に引き受けてくれて、素敵なテーマ曲も作ってくれた。大学生の頃と変わらない、可憐な少女風情は衝撃の告白とは結びつかないものだった。
 コロナも明けてしばらく経ち、打ち上げも気にせず行えるようになった席上で、その事実が明らかになった。

「あの・・・Tってわかります?」

 わかるも何も、去年までもりげきにいたTくんのことだ。モリシミの担当で頑張り、夜中の「かつや」で飯を食っていたTくんである。筋トレマニアで聖地と言われる仙北町のとあるジムに通いたいがために盛岡に就職した男である。学生時代には某二郎系ラーメン店でバイトし、まかないのラーメンを食べては腹を下していたTくんである。その店の秋田支店開店のときには、スタッフとして学生ながらひと月くらい秋田暮らしをした男である。マッチョの大会前の減量では、タンパク質とともに糖質は絶対に必要だと力説していたTくんである。良質なタンパク質の代名詞、鶏ムネ肉をレアに加熱してこれまた腹を下したTくんである。コロナ時代にマスクをした顔しかわからなかった頃、マスクを外したらあごひげがあって、予想通りの唇の厚みと相まって、ワイルドな顔をしているTくんである。
 あっという間にこのくらいのエピソードを思い出してしまうくらいの男である。まあ、なんか間違いがあってもご愛敬ってことで。

「あたし、マッチョ好きなんですよ」

 とまあそんなわけで、SさんとTくんがお付き合いしているという、衝撃の告白だった。聞いてみると、大学時代は軽音楽部で同期ということで、当時はお付き合いしてはいなかったのだが、卒業してからお互い数年経って、なんかの機会で久しぶりに会い、なんかそう言う流れになったみたいだった。
 なんというか、SさんにもTくんにも、幸せになってほしいなぁ、と思っていたので、まとまって幸せになってくれると、なんだか面白いやね。
 


南相馬

2013-07-30 10:33:00 | ノンジャンル
相馬野馬追いを見てきた。
28日の武者行列と神旗争奪戦。前日27日に原ノ町のぺーたくん(大学時代の芝居仲間ね)のアパートに泊まって、んで、近所の雲雀ヶ原祭場へと徒歩で赴く。
初の野馬追いは、なかなか見応えがあって面白かった。

とまあ、ここで久しぶりに書いておこうと思ったのは、そっちのことではない。
27日は夕方4時くらいに原ノ町に着いたのだが、まあ、祭りの会場を下見して、さてまだ夕食には早いってことで、ぺーたくんの実家に行ってみるかということで、車で15分くらいの小高に行ったのだ。ペーたくんの両親が、片付けたりなんだり、週末には来ているという。

避難指示解除準備区域。

昼間は家とかに入っていいけど、泊まっちゃダメよってことになってるらしい。
20キロ圏内に入るところにゲートがあったけど、今は撤去されて、一応見張りみたいな感じで車がいる場所とか、そんなところを通過して、農村地帯に入っていく。
20キロ圏内に近づくにつれて、というか、原ノ町、南相馬に入ったあたりから、何となく違和感を感じる風景が続く。
どういう違和感かというと、まあ、田んぼとか畑とかみんな耕作放棄地になってるわけ。広大な耕作放棄地が続いて、たまに作ってるところとか、草刈りしてあるところとかがある。

作っても売れないとか、作らないで賠償金をもらうとか、まあそういういろいろなことはあるらしい。しかし、これほどの耕作放棄地が続いているところなど、この福島以外には見られないだろう。
20キロ圏内に入ると、結構車は走っている。信号も点いている。ただ、家には人がいないし、歩いている人や自転車に乗っている人もいない。
真新しい家や、風格のある農家などにも人は住んでいない。
町が破壊されて人影がなくなっているのも、悲惨な光景だ。
一方で、信号も点いていて、家も普通にあり、道路も通れる、そんなところに人影がなく、田んぼには雑草が生い茂っている、そんな光景は不気味だ。

ぺーたくんの実家では、お母さんが、会津坂下から持って来た水でお茶を入れてくれた。テレビを見ながらくつろいでいるが、水道とガスは復旧していないし、小高で出たゴミは原ノ町で燃やしてくれない。
一歩外に出れば、耕作放棄地が広がっている。
みんな表情は暗くないのだが、何を話したらいいのかわからない。もう昔話でもするしかない。
ぺーたくんの今のアパートは、カギがナンバーロックで、わりとこぎれいなんだけど、お母さんは。
「もうちょっときれいにしてればなあ」
などという。
「いやもう学生の頃のぺーたくんのアパートに比べれば、ものすごくきれいですよ」
「そんな風に教育した覚えはないんだが、あたしが神経質な方だから、ちょっと手をかけ過ぎちゃったのかねぇ」

小高に入っていいということになってから、家を掃除しに来た頃は、ネズミがものすごくたくさんいて、片付けをして最近はようやくいなくなったとか、納屋の方にはまだいるとか、帰れるかどうかもわからないのに、掃除しに行ってるのか? と、近所の人に言われるとか、いろいろな話を聞く。

小高の商店街や駅を最後に回ってくれた。崩れて道路を塞いでいた建物なんかは撤去されている。駅前まで水が来た(あふれた下水かもと言っていたが)小高駅の駐輪場には、震災時からそのまま放置されている自転車が並んでいた。
外から水を持ち込んで再開している床屋さんや、移転してしまった美味しいラーメン屋さんなどを案内してもらって、無人の商店街を抜けようとしたら、とある広場で、提灯をともして、お祭りでもやってるのかという一角があった。
商店主たちだろうか? 
「意地で盆踊りでもやろうってのか?」
とぺーたくんは言った。

何ともやりきれない気持ちで、小高を後にし、6号線を双葉の方までちょっと行ってみようと、車を走らせた。途中、6号線は通れるけど脇道に入っちゃダメらしく、そこには警備員のような人たちが立っている。
そして、許可証持っていないと入れないゲートのところまで来た。
許可証は持っているのだが、アパートに置いてきたので、そこでUターン。
帰りもとにかく周りは耕作放棄地。
こんなに田んぼが放棄されていても、米は足りなくなったりしないんだなぁ、とか、妙な感慨に浸りながら原ノ町のアパートまで戻った。

「東京とか大阪にも原発作るなら再稼働してもいいよ」

とペーたは言った。

相馬野馬追いは千年以上続く伝統行事だ。
祭りを楽しみながらも、祭りの喧噪のすぐ隣に、いかんともしがたい現実が広がっていることを忘れてはいけないのだなと思う。




入学式だったり

2010-04-10 09:09:00 | ノンジャンル
7日に娘の新学期が始まり、8日は息子の入学式。年に数回しか着ないスーツなど着込んで、いそいそと出かける。
まだ1年生はなんというか目にかすみがぼんやりかかっていて、いろいろとはっきりしていない感じである。

そんな一年生を眺めながら、ふと自分の一年生の頃を思い出す。入学式のことなどカミさんは覚えていないと言うが、俺は覚えている。まあ断片的にだけど。確か入学式の最中に居眠りをしてしまって、回りの子たちに起こされていたという記憶。

入学式で居眠りって、緊張感がないね。それに比べると、息子は緊張しまくっていて、鼻の穴はふくらみ、口はとんがっていた。

案外と知りあいが多いということに気づいた。香活のYえちゃんの息子も一年生だったり、以前盛岡タイムスの学芸記者でお世話になったB場さんの息子もいたり、「はなやもめ」でフラダンスを教わったMMさんの双子の息子がいたり、もちろん、保育園の同級生や、毎日のように遊んでいる近所の子がいたりと、賑やかだ。

昨日9日は、登校初日で、ご近所姉弟とウチの姉弟の計4人で仲良く登校。
なんだか娘の時より心配なのは、やはり男の子だからだろうか、なんというか幼い感じなのである。

ま、そのうち慣れるでしょう。ってことで。

昨日の夜は稽古。なんだか体調を崩すメンバーが続出している。無理もない、この寒暖の差では体調を崩すなと言う方が酷だ。体調を崩しながらもセリフは入れてもらって、んで、そろそろ台本は上げましょうと。

通常2ヶ月かかるところを1ヶ月半くらいで書き上げるようにしよう。今日は稽古後顔合わせの飲み会。そんなわけで体調を崩している人が多く、揃いは悪いけれども、やっぱやらないとね。

だからホントはそれに合わせて台本が書き上がると美しいんだけどなぁ。今からダッシュです。

年度も明けて

2010-04-05 16:08:00 | ノンジャンル
年度末から年度初めは、仕事がヒマ。だからといって、ホントにヒマかというとそういうわけでもないのは、台本が上がってないからだ。

それはさておき(置くな!)

3月末からいろいろと・・・。

27日、保育園の卒園式。足かけ7年通ったS保育園ともお別れ。今書いてる芝居がまあ、保育園生活の集大成みたいなモノになるのかしら? 保護者会会長のあいさつで泣いてしまう。

なにやってんだか。でも、最近もう泣くのを堪えることをやめました。もうただ漏れ状態でもいいや。朝は晴れてたのに昼の帰りにはものすごく雪が降っていた。

夕方は離散会。保育園の先生と用務員さんと、卒園生の保護者とこどもら。浅岸のA月。実に賑やかで、名残惜しい会となったが、心を鬼にして稽古に向かう。キャストの揃いが悪かったが、スタッフがイイ感じにそろっていたので、スタッフ会議をする。

28日、卒園入学祝いに、ディズニーランドでもなく、旭山動物園でもない、石巻の石ノ森萬画館に行く。
これはむしろ、入学祝いというより、姉の進級祝い的な場所だ。
無料では入れるところもあり、有料展示はビッグコミックオリジナルの表紙を手がけている、松村誠展。実に可愛らしく癒される絵だ。

夜は追分温泉というところ。旧北上町の山奥に入ったところの一軒宿。榧で作られたお風呂と、山の中でありながら石巻直送の海鮮料理が自慢の宿である。
美味しい海産物で満腹。

29日は、石巻に戻って、サン・ファン・パークへ。ここもなかなか面白いところ。何しろ復元された船サン・ファン・バウティスタが圧巻。50坪の家64軒分の木材が使われているらしい。乗組員が180人いたってんだからスゴイ。

30日だったか31日だったか1日だったか、カミさんが俺に誕生日プレゼントだといって手帳を買ってくれやがった。まあ、最近自分のスケジュールを把握してなくて迷惑をかけてしまったこともあり、で、ちゃんと予定を管理しなさいというわけだ。

はあい。

3日の稽古にようやく最後のキャストが合流。岩大生のYくん。まずまず勘所は悪くない。さあて、これから終盤を書くぞぉ。
ってな感じで意気込みつつ、一気に6ページ進んだ。俺にとっては結構快挙。書き始めてからどうしても2ヶ月かかるのだが。何とか短縮する努力をしている。

ゴールデンウィークも入るから、稽古期間がそんなにないのよね。まあ、頑張りましょう。

で、かててくわえて、なんと、5月八芝もやることに。架空の本番の1週間ちょっと後。何とかするんですね。というか、何とかするアイデアを思いついたのですね。
一度はギブアップしたのですが、ギブアップした瞬間に、何とかなりそうなネタを思いついたのです。

いろいろ調整は必要ですが、なんとかするぞぉ。

商品名

2010-03-26 00:45:00 | ノンジャンル
「ピーチチョコ」と書いてあったので「桃のチョコか、珍しいな」と思って、期待して小袋を開けると、予想よりゴツゴツした印象。

喜び勇んで口に入れると、やや香ばしい、ナッツの香りが。
そうです、それは「ピーチチョコ」ではなく

「ピーチョコ」だったのです。
チの一文字が、チョコの印象をここまで変えるわけです。