負け豚の遠吠え

(連絡メール:aboboa@mail.goo.ne.jp)

【まるで】 民主・前原 産経新聞を記者会見から排除 【中国】

2012年02月28日 12時58分09秒 | 民主党


■我々の批判は許さない!産経は弾圧せよ封殺せよ!


民主党のような、社会主義・共産主義イデオロギーをもった政党は

「独裁」というものに憧れを持っている。

本来、社会主義・共産主義って、競争のない平等な社会を目指す国家だと思うが、

なぜか、それがねじ曲がって独裁国家となる。

旧ソ連に中国、北朝鮮、東欧の共産圏。。。

まぁ独裁でも国がよくなるならいいのであるが、

独裁が恐怖政治を招き、民衆を弾圧するのが常。

だから民衆は改革を求める。

そうした中、社会主義・共産主義の親玉だった旧ソ連も崩壊し、

まかりにも民主化された。

そして、ベルリンの壁も崩壊し、社会主義・共産主義国家が次々と消え世界は民主化に沸いたのだが、

日本の隣国の中国北朝鮮はしぶとく独裁を維持している。

中国など共産党の癖に、平等社会どころか、世界一の格差国家になっているのであるから、殆ど冗談のようだ。

このように、世界で衰退の一途をたどる社会主義・共産主義国家であるが、

我が国の民主党は、そんな時代錯誤に憧れている。

まぁ左翼が権力を持つと「独裁」に走るのは歴史の常ではあるが、

この日本でも、前原さん、ついにやっちゃいましたね。言論封殺。

「言うだけ番長」(笑)

事実だろw

========================
<産経新聞を記者会見から排除 民主・前原政調会長 「言うだけ番長」に反発>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120224/stt12022400290002-n1.htm
2012.2.24 00:27 [民主党]

 民主党の前原誠司政調会長は23日、産経新聞の報道内容を理由に、本紙の取材を拒否すると通告、同日夕に国会内で開いた記者会見で本紙記者の出席を拒否した。さらに、民主党政策調査会への取材も認めないと通告。政権与党幹部が記者会見で特定のメディアを排除するのは異例だ。

 前原氏が問題視したのは、本紙が前原氏の言動に関して報じてきた「言うだけ番長」という表現。記者会見に出席した共同通信によると、前原氏は「人をおとしめるための悪口、ペンの暴力のたぐいが続き受容限度を超えた。記者に批判する権利はあるが、事実に基づかなければならない」と述べた。 

 同日の記者会見にあたり前原氏は、本紙記者が会見場にいることを念頭に「始められない」と拒否、その後別室で記者会見を開き、名刺の提出を条件に会見場への入室を認め、事実上本紙記者を会見場から排除した。本紙記者は名刺を提出したが、党職員が「産経新聞はお断りしています」と入室を認めなかった。

 前原氏は、具体的に本紙のどの記事を問題視しているのかについては「私からは控えたい」と明言を避けた。民主党関係者によると、前原氏は本紙18日付の「公務員給与、削減合意『言うだけ』また露呈」との見出しの記事などを念頭に置いているという。

 前原氏は23日昼、記事についての経緯を記した産経新聞としての文書を口頭で求めていた。

========================

 

日本の数少ない保守系新聞の産経新聞を支持・応援します!

 

このブログでも紹介するニュース記事は産経新聞のものが多い。

例えば、こんな歴史的大ニュースも報じた大手は産経新聞だけ。

【隠すな!】 報道されない民主党の重大事件 【マスゴミ!】

【工作資金】 菅総理の北朝鮮工作団体献金、原資はやっぱり民主党

 

内容からいっても、本来は大手メディアはこぞって一面で取り上げ、連日大騒ぎするべきものだが、

産経を除いてダンマリ。

つまり民主党をはじめとした左翼達は、殆どのメディアを抑えたが、産経だけは応じない

左翼達の目の上のタンコブであるんだね。産経。

逆に言えば、私たちが、良質の情報を入手する数少ないメディアになるわけ。

ぶっちゃけ、大手で産経新聞以外は左翼洗脳新聞と言っても良いレベル。

(実際、朝日新聞あたりから、産経新聞に切り替えて内容の違いにびっくりする人も多い)

そういったメディアに対する前原の仕打ち。

「俺たちの気に入らない事書くメディアは排除する」

中国人に聞けば分かるが、中国の新聞・テレビで共産党の批判は一切なし。

というか、殆どが共産党賛美で埋め尽くされているらしい。

北朝鮮は言わずもがな。

そしてこの前原の言動。

だんだん日本も中国みたいになってきたぞ!?

 

左翼が権力を握ると独裁に走る。

独裁は左翼の憧れであり夢であり野望である。

中国は民主党にとってはまさに理想の国家なんだろう。

日本の中国化をもくろむ民主党。

こういった民主党の腐った野望の阻止は、私たち国民にかかっている。

今年半ばで、あるであろう選挙で民主党の息の根を止めるために頑張りましょう。

 

前原よ、言論に対しては言論で対処すればよいであろう。

弁明でも反論でも裁判でもすればよい。

それを権力にモノを言わせ安易に「封殺」という手段で弾圧するな。

つーか、

「言うだけ番長」(笑)

くらいでムキになってんじゃねーよw

どんだけ器が小さいんだよw

 

「俺様は権力者だ。都合悪い事書くなら排除する」

排除されるのは産経でなく、朝鮮の飼い犬、前原お前だよ。

 

 

 

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【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その7

2012年02月24日 13時06分22秒 | 日本伝統文化

 

■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


さて、先日「東国三社巡り」に行って来たので、珍しく旅行記を書こうということで、
簡単に頭出しとして、その1、その2を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その2

 

まずは最初に訪れた香取神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その3

 

そして、続いて東国三社のなかでは、最も有名で規模が大きく、観光としても確立している鹿島神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その4

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その5

 【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その6

  

今回で鹿島神宮の最終回です。

 

 前回では、奥に延びる鹿島の森にある伝説の地震を起こす大鯰を封じているという「要石」を取り上げました。 

 

 

 

そして、まだまだ奥に延る「鹿島の森」

足を進めると現れるのが、有名で神聖なる

御手洗池(みたらしいけ)

 

 

 

 

奇麗な湧き水の神聖なる御手洗池です。

 

この御手洗池では、真冬の1月に、ふんどし一枚で池に入り身を清める

鹿島神宮大寒禊

といわれる儀式が執り行われています。

詳しくは以下のURLを見てください。

うわ、寒そうだ。。。

 http://wadaphoto.jp/maturi/kasima2.htm

http://wadaphoto.jp/maturi/kasima3.htm

 

 

 そしてこれは、この御手洗池の裏の山から御手洗池に向かって伸びている松の木。

この松、何かに似ていませんか?

 

 

 

 

 もしかしたら、写真では分かりにくいかも知れませんが(しょぼいデジカメなんですみません)

凄く龍ににているんですね。

 

まるで、この神聖なる御手洗池を護っているかのように見える龍の松。

いやはや、偶然の産物かも知れませんが、心に来るものがあります。

 

これは、勝手な想像ですが、こういう神社仏閣での不思議な現象って

悠久の年月の中で、無数の人々の「」が募る事で

現象・事象として体現されるんじゃないかと思うようになって来た。

昔の人たちは、高度な医療技術等なかった。

そもそも、一部の金持ちくらいしか、医者にかかることもままならなかっただろう。

とすると、殆どの人は、苦しい時の神頼みしかなかった。

子供の病気、親の病気、そんな時は必死に神社仏閣に行って祈ったのだ。

お百度参りというものがあるように、雨の日も風の日も雪の日も

必死に祈った昔の人々。

今のように車も電車も自転車すらない時代。

自分の足で、わらじ一足で、通ったわけだ。

暑かったろう、寒かったろう。

ただ、神様に願いを伝えたい一心で。

そんな中で参る人たちの、その思い(念)は、現代で観光気分でお参りする人の思いの比ではないであろう。

こういった1000年を超えるような神社、格式高い神社になれば、

いままで、想像を絶する人たちが、想像を絶するほどの強い念で参拝した訳だ。

そういった悠久に渡り多くの人たちから送られた

強い念の蓄積

が、こういった神聖な地を作り上げ、

そしてこういう数々の神秘的な現象・事象を

体現するようになるんじゃないかと。

この神聖なる御手洗池を護る龍の松。

これも、この地を信じ、御手洗池を神聖と感じた

長年に渡る多くの人たちの強い念が、導いたんじゃないかなーと。

まぁ、あくまで勝手な想像ですが。

 

さて、シリアスな話もここまでにして、

 この御手洗池の脇に、軽食も出来るお土産屋さんがあり、

長い時間を歩いた後の休憩も出来ます。

 

 

私はここで、鹿島神宮の地酒を一本買って帰りました。

ここで、ボランティアの方とも別れとなりました。

約2時間に渡り、親切に案内して下さったボランティアの方に

感謝が尽きないので、お昼ご飯にでもと、1000円程手渡しました。

「いえ、ボランティアでやっているので、困ります」

と言われたが、結局、鹿島神宮ボランティア協会への寄付として受け取ってもらいました。

今回お世話になった鹿島神宮のボランティアの方、大変ありがとうございました。

おかげさまでとても有意義な鹿島神宮巡りが出来ました。

なお、ボランティアの人は、基本的に9時~11時位に

鳥居の前に立っているようですが

ボランティアの人の数も限りがありますので、

確実にお世話になりたいという方は、鹿島神宮ボランティア協会へ問い合わせた方がいいと思います。

 

はい、鹿島神宮もここまで。

もちろん、ものすごく広く、神宮の裏手には大きな公園も併設されているようで

まだまだいろいろありますので、興味が沸けば実際行ってみる事をお奨めします。

最後にこの鹿島神宮を紹介しているテレビ番組が

youtubeにありましたので紹介しておきますね。

磯山さやかの旬刊!いばらき『鹿島神宮』(24年1月6日放送)   ← ここをクリック

 

さて、あと残すは息栖神社のみ!

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【日本の領土】 今日は竹島の日です  【2012/2/22】

2012年02月22日 12時36分56秒 | 政治ニュース


■国家として威信をかけて守るべき領土。竹島は日本の領土だ。朝鮮人は今すぐ出て行け!

今日2月22日「竹島の日」は2005年(平成17年)に「竹島の日を定める条例」(平成17年3月25日島根県条例第36号)により定められました。

ご存知の事と思いますが、竹島は韓国が「独島」として自国の領土だとほざき、喚いておりますが、

竹島は1905年(明治38年)1月28日に島根県への編入を閣議決定し、同年2月22日に島根県知事が所属所管を明らかにする告示を行った(明治38年島根県告示第40号)紛れも無い日本国の領土になります。

しかし盗人韓国が戦後独立した後の李承晩政権が昭和27年、竹島を韓国に組み込む「李ライン」を一方的に設定し、以来、竹島は日本固有の領土であるにもかかわらず、韓国政府が不法占拠を続けている状況です。

 

このように今日2月22日「竹島の日」は竹島が日本の領土であると国民が改めて意識する特別な日でありますので今年も松江市で返還を求める行事が行われる。

毎年、この日は島根県主催で「竹島の日」の式典が執り行われるのである。

当然、政府民主党の閣僚・役員らにも招待状が送られる。

しかし、去年同様、朝鮮政党の民主党は竹島は韓国のものにしたいとでも思っているのだろうか、

閣僚・民主役員の出席ゼロなのだ!

===================================
<「竹島の日」の式典、閣僚・民主役員の出席ゼロ>
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/546759/

「竹島の日」の22日、島根県主催の記念式典に招待された閣僚ら政府関係者7人全員が欠席することが21日分かった。藤村修官房長官は記者会見で「国会日程」を欠席理由に挙げたが、代理さえも派遣しない方針という。韓国に不法占拠される竹島の領土権確立を目指し、島根県が「竹島の日」を制定したのは平成17年。今回で7回目の式典となるが、政府関係者はまだ誰も出席していない。

 招待されたのは藤村氏、玄葉光一郎外相、鹿野道彦農水相、平野博文文部科学相の閣僚4人と、佐藤正典水産庁長官ら官僚3人。藤村氏は記者会見で「領土問題はオールジャパンで解決に当たる」と述べ、外交的配慮による欠席ではないと強調した。

 一方、国会議員は代理を含め衆参16人が参加予定。自民党は小泉進次郎青年局長、菅義偉組織運動本部長らが出席予定。民主党は4人が参加するが、党役員は含まれていないという。前回、党国民運動委員長として出席した渡辺周防衛副大臣は出席を見送った。

 一方、竹島が属する島根県隠岐の島町の松田和久町長は21日、竹島問題を所管する政府組織を設けることなどを求める要望書を首相官邸で藤村氏に渡した。藤村氏は「よい提案だ。十分検討したい」と応じた。
===================================

 

領土問題は本来、国が最大限に威信をかけて主導すべき問題だ。

それを政府がやらないから、当地の島根県が主催している。

というのに、

閣僚・民主役員の出席ゼロ

とは、どういうことなんだ!

政府民主党は率先して参加し

「一刻も早く奪還するぞ!」

と、声を張り上げてくるべきなんじゃないの?

忙しいなんて言い訳は出来ない。

日程が合わなくても代理くらい出せるだろ。


日本を代表する政治家が侵略している韓国に対して気遣い配慮するという異常。

配慮どころか、侵略国家に世界で最も厚遇支援を繰り出す民主党。

さすがは朝鮮政党民主党です。

そしてそんな異常な事を国民に全く報道しないマスメディア。

韓国朝鮮に牛耳られるマスメディア。

そして、そんなメディアに流され洗脳された挙句

朝鮮政党民主党に投票し、韓流と騒ぐ、脳内お花畑の一部日本人。


ドイツの法学者イエ―リングの著書「権利のための闘争」に次のような文章が出ている。「隣国によって1平方メートルの領土を奪われながら、よう懲の挙にでない国はその他の領土も奪われていき、やがては領土をまったく失って国家として存立が出来なくなってしまうであろう。そのような国民はこのような運命にしか値しないのである」。

イエ―リングが言うように領土というものは国家国民として絶対に譲ってはならないものなのです。
譲ったが最後その国は滅びてしまう。
イエ―リングの言葉は重いのです。

 

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【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その6

2012年02月21日 22時49分27秒 | 日本伝統文化

 

■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


さて、先日「東国三社巡り」に行って来たので、珍しく旅行記を書こうということで、
簡単に頭出しとして、その1、その2を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その2

 

まずは最初に訪れた香取神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その3

 

そして、続いて東国三社のなかでは、最も有名で規模が大きく、観光としても確立している鹿島神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その4

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その5


今回も鹿島神宮が続きます。

 

前回では、参拝を済ませ、さらに奥に延びる鹿島の森に入ったところまでを書きました。 

 

しかし、ボランティアガイドの女性のおかげで充実感があります。

 

さて、まだまだ奥に延る「鹿島の森」

  

 

そして、前回も紹介した『悲惨な木』 『欲張りな木』

 

 

 

そして、さらに進んで左手はいる場所があり、 ガイドさんに誘導されて行ってみる。

すると。。。

 

これ、この岩、なんだか分かります?

  

 

これ、「さざれ石」の岩なんだそうです。

日本人ならだれでも知ってる国歌「君が代」

そこの歌詞に出てきますよね、「さざれ石」 

「さざれ石の巌となりて~♪苔の生すまで~♪」 

のさざれ石です。

小さな石が 幾年の月日を経て、一つの大きな岩になる。

初めて見ました。

ちなみに日本の国歌「君が代」は明治二十六年日本国歌に制定され大正時代ニューヨークにて開催された世界の国歌コンクールで特等となったことがあります。

 

 そのさざれ石の横にあった国旗についての説明された碑。

 

そして、その奥には鹿島神宮らしく鹿が飼われていました。

そういえば香取神宮にもいましたね。

前は餌やりも出来たようですが、今は見るだけです。

 

 

そして、森をさらに奥に進むと、またちょっと小ぶりなお社が。 

これは「奥の宮」というお社です。

 

 

 

 

この「奥の宮」とは、もともとむかーしの鹿島神宮の本殿だったようで、

1619年、徳川秀忠が現在の社殿を奉納した際に、その前の社殿をこの奥宮として移設したものらしいです。 

ガイドさんがいるとこういう話を聞きながら散策できるので楽しいです。 

 

さて、ここでまた登場するのが、

要石

です。

香取神宮にもありました、要石。

地震を起こす悪者の大鯰を封じ込めているといわれる石です。

この鹿島神宮にもあります。

ガイドによると、鹿島神宮の要石が、大鯰の頭を押さえ、

香取神宮の要石が、大鯰の尾を押さえているとのとこ。

 

 

 

 

この石柵の中にある要石。

でも、もう騙されません。

大きくないのは分かっております。

 

 

 

はい、これが大鯰を押さえてる要石。

分かりますか?

香取神宮のよりもっと小さいです。

 

もう一度香取神宮の要石を見て見ましょう。

 

ふむふむ、どちらも大鯰を抑え込んでるというには心もとないサイズですね。

でもちゃんと、香取が凸、鹿島が凹の形をしており、相まってます。

 

この要石、見た目は小さいが、

香取神宮の時も言いましたが、見えてる部分はほんのごく一部で、

地中に埋まってる部分は

トンデモなくでかい

らしい。

ちなみに、昔、じゃあどんだけデカいんだよと、思い興味深々に掘った人が居たらしい。

要石を掘ったのは徳川光圀で、七日間かけてこの要石の周りを掘ったそうですが

石の根元に辿り着く ことが出来ず断念したそうです。

そして「七日七夜 掘っても掘りきれず」」という言葉を残しています。

 

 はい、これは地震を起こす大鯰を封じ込めている鹿島神宮の神様の碑になります。

勇ましいですね。

 

 

 鹿島の森はまだまだ深いです。

次回も続く。次回で終わる!?

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【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その5

2012年02月16日 12時51分06秒 | 日本伝統文化

 

■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


さて、先日「東国三社巡り」に行って来たので、珍しく旅行記を書こうということで、
簡単に頭出しとして、その1、その2を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その2

 

まずは最初に訪れた香取神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その3

 

そして、続いて東国三社のなかでは、最も有名で規模が大きく、観光としても確立している鹿島神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その4


今回も鹿島神宮が続きます。

 

前回までは、先の3.11の大地震で鳥居が倒壊してしまい、

無残に鳥居の柱の跡(下の写真)が残っている状態だという事を書きました。 

 

前回にも書きましたが、この倒壊の直前までイベントの片づけで多くの人が居たけど

ちょうど片づけ終わった直後の発生だったため、

幸いにもけが人が出ずにすんだという事です。

 

ボランティアの女性によると、現在、この鹿島神宮の森から、

鳥居にふさわしい大木を伐採し、山形県にある適した環境で乾燥中だそうで、

二年後を目途に再建を目指しているという事です。

早く、この鹿島神宮にふさわしい立派な鳥居を見て見たいですね。

 

ちなみに倒壊前の鳥居はこんな感じ(拾い物)

良い感じですね。

 

さて、鳥居は無いけど、この鳥居跡地で、軽く一礼をし、神社の境内へ

しかし、鳥居を潜らずに、神社に入るのは、何とも妙な気分だ、落ち着かない。

ましてや2600年の歴史を誇る格式高い神社となるとなおさら。

 

境内に入ると、早速こういった樹齢何百年の巨木が迎えてくれます。

容もなんか神々しいです。

香取神宮もそうでしたがこういった歴史を誇る神社では巨木が付き物ですね。

悠久の時を経て、一体この巨木は今まで何人の参拝者を見てきたのでしょうか。

 

 

参道を進むと、すぐに綺麗な楼門が見えてきました。

胸が高鳴ります。

 

 

 

はい、これが有名な鹿島神宮の楼門になります。

いやーめちゃくちゃ立派です。すごい!。 

 

 

ボランティアの女性によると、この楼門は1634年に水戸初代藩主の徳川頼房公(水戸黄門の父)により奉納されたとのこと。

なんでも、 徳川頼房がこの神社を参拝したところ、非常にご利益にあずかることが出来たため、えらく感激した頼房が感謝の気持ちを込めて寄贈したらしいです。

ボランティアガイドと一緒に行くと、ポイントポイントでこういった話が聞けるので参拝も楽しいものになります。

 

楼門をくぐって、いくとこんな感じ。空気が変わります。

奥の方にも巨木が立ち並んでいるのが見えるでしょう。

 

絵馬の後ろにもこんな巨木が。

でもご神木ではなさそうだ。 

 

 

 おっ、本殿の一部が見えてきた。 

この鹿島神宮は入ってから結構すぐに本殿までたどり着きます。

ちょっとあっけない感じもします。

ある程度、神社の森の中の参道を歩きながら、

いろいろなポイントを経て期待を高めながら本殿にだんだんと近づく

香取神宮の方が、こういう部分での演出?は上かも知れませんね。


 

 

本殿です

 

 

香取神宮より少し小ぶりで地味ですが、威厳を感じる本殿です。

さっそく、例のお祈りを。

「今までの私たちへのご加護、大変ありがとうございます。。。」

「民主党はじめ、反日左翼達が消えてなくなりますように。。。」

 

 

ガイドの方が、「本殿の裏側にも回れますよ」ということなので行ってみる。

これが、裏側。

ここに見える巨木が神木で、高さ50メートルくらい?

ガイドによると鹿島神宮の神様は、この巨木をつたって天からこの聖地におりて来るとか。

 

 

本殿の参道を挟んで向かいの片隅に、小さなお社があります。

 

ガイドによると、これは仮殿と呼ばれるもので、

本殿を修理する時など一時的に神様がここに住まわれる社殿ということです。

つまり、本殿で職人が修理などの為にバタバタ右往左往する時などに、

そんな状況に神様をさらす訳には行かないので一時的にお引越しなされる仮住まいというところ。

さすがは神様でありますので、きちんとした対応がされますね。

1619年に徳川秀忠が建立したものらしいです。

国の重要文化財に指定されています。

 

さて、広大な鹿島神宮は、まだまだ奥に参道が延びます。

まさに「鹿島の森」といった雰囲気です。

香取神宮同様に夏はとても涼く、清々しそうな感じです。

 

 

 

ガイドさんと共に、この森を歩いていると、

「ちょっと、この木を見てください、珍しいでしょ」と言われた。

 

これはご覧のように一本の巨木の両傍らに一本ずつ二本の木が生えております。

つまり、一本の木が計三本の木で構成されているという状態。

 一本の木にプラス一本の計二本の木はままあるらしいが、

この三本の木は非常に珍しいとの事。

なんでも、この木は『欲張りな木』と言われているそうな。

奥さんを二人も抱えているからだとか。。。

でも、この両脇の二本の木は、真ん中の旦那さんの木から栄養分をとっているという事で、

欲張りというより、実は二人に寄生される悲惨な可哀想な木なのかも。。。

 

さて、鹿島の森は奥深くまだまだ続きます。。。

つづく。。。

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【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その4

2012年02月13日 12時32分59秒 | 日本伝統文化

■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


さて、先日「東国三社巡り」に行って来たので、珍しく旅行記を書こうということで、
簡単に頭出しとして、その1、その2を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その2

 

そして、まずは最初に訪れた香取神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その3

 

で、今回の「その4」は鹿島神宮になります。

 今回の、東国三社のなかでは、最も有名で規模が大きく、観光としても確立しているのがこの鹿島神宮になります。

歴史はやはり2600年余りで、先の香取神宮とは兄弟のような関係になるのようです。

 車では東関東自動車道の潮来ICからものの10分くらい
東京駅八重洲南口からも高速バスが運行されているようです。

 

鹿島神宮のホームページによると
http://www.kashimajingu.jp/wp/jingu/jingu01

御由緒
 
遙かな神代の昔、高天原(たかまのはら)の八百万神(やおよろずのかみ)達は、我が国を「天孫(すめみま)(天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御孫)の治める豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」とすることを決められ、これに先立ち、まず国中の荒ぶる神々や夜も昼も騒がしい世の中を言向(ことむ)け平定(やわ)することが先決であると衆議一決しました。
 
御祭神
 
「古事記」「日本書紀」によりますと、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は、宇宙自然の創世に成りませる陰陽の神、イザナギ、イザナミの両神より生まれた火の神カグツチより誕生された、とされています。即ち原初の自然創世の頃に成りませる神であります。

 
 ということで、なんかよくわかりませんが、なんか凄そうです。

 香取神宮同様、2600年以上前からこの地に鎮座されている神様なのでそれだで十分すごいのですが。

 

さて、まずは、神社からちょっと離れた無料駐車場に車を止めます。

もっと神社のそばにも有料駐車場があり、安いです(200円くらい)

でも今回は神社まで軽く歩きたかったので、無料駐車場の方に。

 

そして、神社に向かってテクテク歩きます。。。

 

 

すると、こんなオブジェが。

 

そうですね、鹿島といえば、サッカーの鹿島アントラーズの本拠地でもありますね。

だからサッカーボールのオブジェがあるんですね。納得。

 

そしてまたオブジェが。今度は鹿の親子?鹿島だから鹿ですね。

そもそもこの鹿島神宮の神様は白い鹿に乗ってこの地に来たと言います。

 

 

はい、ものの5分程度歩いたら、鹿島神宮に着きました。

 

でもなんか、感じが変!って思ったら、

鳥居がないじゃん!

えーなんでー!

 

と、まごついているところ、一人の赤い服を着た、妙齢の女性がこちらに近づいて来ました。

女性 「あのー、今日は鹿島神宮への参拝ですか?」

負け豚 「はいそうです」

女性 「わたくし、無料案内ボランティアなのですが、よろしかったらご案内差し上げましょうか?」

負け豚 「え?団体じゃないですが、本当によいのですか?」

女性 「はい、大丈夫です」

負け豚 「それはありがたい、ではお願いします!」

 

という事で、なんと無料案内ボランティアをしていただけることになりました。

 

この鹿島神宮では、こういった無料案内ボランティアの方が何人かいて、参拝客に見どころや、いろいろな逸話などを案内してくれているのです。

初めての人は、絶対にお勧めですよ。

今回もとても親切に案内して頂けました。

この場を借りてお礼をしたいと思います。

どうもありがとうございました。

 

で、話を戻すと

「鳥居がなーい!」

 で早速、このボランティアの女性に聞くと

「これを見てください」

と言われてみたのがこの写真。

 

 「今回の3.11の大震災で、鳥居は崩れてしまったのです。」

「ここがその鳥居の柱があった跡になります。」

 

あの大地震で鳥居は倒れてしまったのです。

そうですね、ここは茨城県。

東北みたく騒がれていませんが、立派な被災地だったのですね。

 

案内ボランティアの女性が続ける。

「あの3.11の二日前にこの神社で祭りがあり、この辺りは出店や飾りなどで賑わっていた場所でした。そしてまさに3.11の日の祭りの後片付けをしており、片付けが終わったのが午後2時ごろ。そして震災が来て鳥居の崩壊が3時過ぎ頃。
もし、もう少し大震災の日が早かったら、鳥居に倒壊で大勢の参拝客に悲劇が。
もし、もう少し大震災の時間が早かったら、鳥居に倒壊で大勢の後片付け者に悲劇が。
まさに、片づけ終わって人が去った直後の震災そして鳥居の倒壊。
奇跡的にけが人も出さずに済んだ。
鹿島神宮の神様のせめてものご加護があったのだろう

なるほど、そんな奇遇な事があったのか。
いきなりこんな話を聞き神妙な気持ちになった負け豚でした。

つづく。。。

 

 

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【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その3

2012年02月10日 21時48分21秒 | 日本伝統文化

■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


さて、先日「東国三社巡り」に行って来たので、珍しく旅行記を書こうということで、
簡単に頭出しとして、その1、その2を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その2

 


特にその2では、学校で教えない日本の歴史の凄さについて書きました。

そしてこの続き、やっと神社参拝を書きたいと思います。


さて、まずは香取神宮からのご紹介になります。
東関東自動車道の佐原香取ICから、ものの1,2分で着いてしまいます。
近いです。

香取神宮のホームページによると
http://www.katori-jingu.or.jp/index.htm
御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)<又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)>

<御祭神の神話>
皆さんは、出雲の国譲りの神話をご存じでしょうか?
  香取の御祭神経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様なのです。
 神話の内容は、はるか昔、天照大神(伊勢神宮・内宮の御祭神)が日本の国を治めようとしましたが、荒ぶる神々が争い、乱れていました。
 大御神は八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで遣わされましたが、  出雲国の大国主神(おおくにぬ しのかみ)に従ってしまったので、次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされました。 天稚彦もまた忠誠の心なく、 顯國玉神(うつしくにたまのかみ)の娘の下照姫(したてるひめ)を妻として、自ずから国を乗っ取ろうとしましたが、亡くなってしまいました。
 このようなことが二度つづいたので、大御神が八百万神に慎重に相談させると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと申し上げました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ・鹿島神宮の御祭神)が申し出られたので、 共に出雲に派遣されることになりました。
 経津主、武甕槌の二神は出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いて十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに突き立て、武威を示されると 大国主神は大御神の御命令に全く異議はありませんということで、平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、二神は日本の国を平定して、大御神の元へ復命されたのです。 

以上 香取神宮のホームページより

もっと見たい人は↓香取神宮のホームページをどうぞ
http://www.katori-jingu.or.jp/index.htm

 

さて、看板にしたがって車を走らせば、すぐに香取神宮の無料駐車場がありました。
そして駐車場に車を止めると、すぐに下の写真のゲートが現れます。


 

     

 

 

そして、そこをくぐると神社にありがちなお土産店が並んでいます。

寒い時期ですが、まぁまぁの人出ですね。

奥に鳥居が見えますね。

 

 

 

はい、鳥居に着きました。

鳥居をくぐると、それまでと空気が変わるのが体感できます。

生い茂った木々に囲まれた参道になります。夏は涼しそうです。

2600年前からある、参道。

私たち日本人の先祖達が、各々の思いと期待を胸に秘めて、一生懸命歩いた参道。

感慨深いものがあります。

 

    

 

 

参道を少し進むと、不思議な光景に出会いました。

写真では分かりにくいですが、この二本の木、参道を挟んで両脇に生えており、根元が崩れ、参道に向かって倒れかけているんです。

そして、偶然にも参道の真ん中でお互い寄り添う形で支え合い、お互いを保っているんです。

ほかの木は普通に直立している中、この2本だけ、お互いを求めるように参道に倒れ掛けこのような形になっている。

つまり、二本のうちどちら一方の木が、この状態になってなければ、もう一方は支えがなく倒れてしまう状態。

これって偶然なの?

倒れる二本の木の位置関係、タイミング、枝の形、木の大きさが揃わないとこうならないよね?

不思議!

いきなり神秘的光景に出会い、ちょっと興奮。

 (この写真は参道中央より上に向かい写した状態)

 

さらに進むと綺麗な池がありました。

そして小さいながら滝も。

癒される光景です。

2600年前からあるのでしょうか?

 

  

 

 

 

さらに進んで二の鳥居が現れました。

こちらは石づくりです。

 

 

 

その先に綺麗な門が登場。

ワクワクしてきます。

 

 

 

さらに、その奥にも立派な門が。

神社の格式の高さが見て取れます。

 

 

門をくぐると、また一段と空気が変わります。

そして本殿が現れました!

香取神宮です! 

 

 すごいです。さすがに格式があります。

2600年前から鎮座する東国の守り神です。

 まずは何より参拝。

「今までの私たちへのご加護、大変ありがとうございます。。。」

「民主党はじめ、反日左翼達が消えてなくなりますように。。。」

 

 

そして、目に飛び込んできたこの大木。

写真じゃわかりにくいですが、とんでもなくデカイです。

後ろに見える赤い屏?と比較して見るとわかるかも知れませんが、

大人10人位手を繋がないと回りきれない位に感じました。

いやーさすが、日本建国期からある神社です。

おそらく樹齢1000年を優に超えているでしょうね。

 

 

 

しかし、上の大木は御神木でなく、御神木は別にありました。

いや、こちらもデカイ!さっきのよりデカイ!

やっぱ神秘的すぎるわ、この神社。

 

 

 

 まだ奥に進む道がありました。

 

 

 そしたら何とも渋い、お土産屋が。

いい味してますね。

このお土産屋も2600年前から、、、

あるわけないですが、

かなり年季が入ってますね。

昔の人も参拝したらここで一服したのでしょうか。

お土産にここで飴玉買っていきました。

ちなみにこの渋いお土産屋の上は見晴台になってました。

 

 

さらに奥にはカワイイ鹿さんがおりました。

 

 さて、ここで折り返して、参道をもどるのですが、

途中に気になる看板が

「要石?」

 

実はこの東国三社の香取神宮と鹿島神宮は、地震を納める神様とされており、

この要石が、その地震の悪を封じていると言われております。

で、その要石とはどんな巨岩かとおもいきや、、、↓

 

 

 

 

 

 なんてことはない、ご覧のとおり大きな漬物石が地中半分埋まっているという感じ。

 しかし、言い伝えによると、この石は地上に見えているのは、ほんの頭の一部だという。

つまり、この地中に埋まっている部分は、

トンデモなく大きい

らしい。

もちろん、神様が地震を抑えている石なので、

興味本位で掘り返すなど、絶対に御法度。

そんなことしたらとんでもないことになるのは容易に想像出来るので、誰もやりません。

2600年間、誰もやりません。。。

 

はい、香取神宮はこんな感じです。

もちろん、もっと細かい部分色々有りましたが、概ね主要な写真を出しました。

 

非常に、歴史深く、格式ある神秘的な神社でありました。

皆様もお時間があれば是非どうぞ。。。

 

最後に。

このとおり、とてもいい神社参りだったのですが

神社を出発し宿泊予定のホテルに着いてみて、飛び込んできたのがこの写真。

 

あー \(◎o◎)/!

   

 

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【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その2

2012年02月08日 20時43分39秒 | 日本伝統文化


■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


さて、先日「東国三社巡り」に行って来たので、珍しく旅行記を書こうということで、
簡単に頭出しとして、その1を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

そしてこの続きを書きたいと思います。
ただ、ちょっと旅記に入る前に、豆知識を書きたいと思います。
なにせ「東国三社」の「鹿島神宮」「香取神宮」においては
2600年の歴史を誇る神社ですから、
「2600年って、どんなん?」
「日本の歴史ってどんなん?」
って、ところから知っておきたいです。


■現存する世界最古の独立国家 ― 日本


まずは、下の図を見てみましょう。
これは、よく歴史の教科書の最後のページ何かに折り込みであったりする
「世界史対照年表」
というものです。

 

 

何となく誰でも学生時代にチラ見した事はあるでしょう。
まぁその時はたいして気を止めて見てはいないと思いますが
その土地土地の国の入れ替わり、が見て取れる訳です。
ローマ帝国やらイスラム帝国やら聞き覚えのある名前も沢山出ております。
こう見ると、長い歴史の中、様々な国がまさに入れ代わり立ち代わり、で変わっていくといった感じですね。
その時代は強固に繁栄してても、他民族に滅ぼされたり、
何かの理由で国が消滅し、また別の国が出来るという繰り返しです。
だからどこの地域もつぎはぎだらけの年表図になるわけです。

さて、それでは、私たちの国、日本を探してみましょう。
すぐに見つかりましたね、一番下で細長~い、のが日本です。

え?日本すごくね!?

2672年前から全くつぎはぎないじゃん!!!

そうです、2672年前の建国以来、一度も国が変わることなく
ずーと、日本は日本なんですね。

他の国とかを見れば分かるけど、これってハッキリ言って奇跡と言える事じゃないでしょうか?
そう、
<現存する世界最古の独立国家 ― 日本>

2672年前のアマテラス大御神の思し召しにより
2月11日、初代天皇の神武天皇が即位され建国された国日本。
このように歴史が神話と繋がる唯一の国日本。
(そういえばもうすぐ2月11日建国記念日ですね)

これって私たち日本人は世界に誇れる事なんですよ。

でも、こんな凄い事、学校で教わった記憶ないですね。
日本人に日本の文化や歴史に誇りや自信を持たせたくない、
所謂、左翼教育、日教組教育の方針でしょう。

これ、逆に海外では結構有名な事で、
外国人から日本が神秘的に見える一因であるんです。

皆さん、是非知っておきましょうね。
こういった学校で教えてくれない誇るべき日本を。


もちろん、こんな日本の凄い事、凄い歴史文化に対して
羨ましくて悔しくて妬ましく思う国が日本の近くにありますね。
そう、中国や韓国です。

よく、中国の歴史は3000年だの5000年だの吹いてますが、
この年表を見れば分かるとおり、中国の歴史なぞたった60年ちょい。
日本から見れば、まさにハナクソ程度。
そりゃ、その土地には何千年か人は暮らしていただろうが、
国は変わりまくり、民族も変わりまくりで、
しかも変わる度に、新しい王が前の王の文化を全否定で全壊するんで殆ど残さない。
歴史も伝統もあったものじゃない。
ぶっちゃけ、今の中国は漢民族ですが、前の清は満洲族(女真族)、元寇で有名な「元」などはモンゴル族と民族的にも入れ代わり立ち代わり。
有名な黄河文明も当然今の中国人と全く関係ない。先祖じゃない。
つまり3000年だの5000年だのは、全くありえない話ですね。

ちなみに韓国の歴史は8000年とか言ったりしてます(笑)(笑)(笑)
60年ちょい前の1948年が建国の癖に。
しかも今の朝鮮人のルーツはエベンキ族(笑)
もはや相手にしたくもありません。


ということで、現存する世界最古の独立国家
2672年なる悠久の歴史を誇る国、日本。

その日本の創世記からあるとされる神社が
「東国三社」の「鹿島神宮」「香取神宮」なんです。
すごいですね、日本。
すごいですね、東国三社。
2600年も鎮座する神様ですから、相当のパワーでしょうね。


ということで、また次回に続きます。。。
次回は香取神宮の散策記です。

 

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【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

2012年02月07日 12時40分02秒 | 日本伝統文化


■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


いつも政治や、いやらしい隣国達の問題ばかり書いて、書いてる本人も書きながらイライラしてましたが、
今回は、ちょっと落ち着いた旅行記を書いておきたいと思います。


この度、ちょっと時間を取って東国三社巡りというものに行ってきました。
東国三社とは茨城県鹿嶋市の「鹿島神宮」千葉県佐原市の「香取神宮」 茨城県神栖息町の「息栖神社」の3つの神社を指し
古来から厚い信仰を集めて来たこの3つの神社の総称になります。

 

 

 

 

 

 

 

現地観光協会によると以下のように説明されてます。

=============================
茨城県南部と千葉県にまたがる地域に「東国三社」と呼ばれる三つの神社があります。
鹿島神宮、香取神宮、息栖神社は東国三社として信仰の篤い神社であり、現在でも東国三社参り(三社詣でる事)が行われています。
三つの神社が「東国三社」と併せて呼ばれるのは、それぞれに祭られるタケミカヅチ、フツヌシ、アメノトリフネの三柱の神が、アマテラスに天界から派遣されて、地上を譲るように迫った「国譲り」神話に由来しています。
=============================


日本で、歴史的文化的な旅行・観光と言うと、
何と言っても京都、そして奈良や鎌倉がメジャーですね。
確かにそれらは、素晴らしい歴史文化を感じる事が出来る世界的優良な観光地です。
でも、それらに決して引けを取らない、むしろ見方によっては超越している感さえある東国三社巡り。
オススメです。


★オススメの理由


1.東京から近い

  東京から東関東自動車道で、1時間足らずです。
  京都鎌倉ほどメジャーじゃないのでシーズンでも悲惨な渋滞は無いと思います。


2.空いている

  土日連休の京都鎌倉はごちゃごちゃ人だらけで、ゆっくり歴史を堪能って余裕が無かったりしますが、
  土日でも程よい程度の人の数で、騒がしくもなく寂しくもなく、ちょうどいい感じ。


3.旅費が安価

  東京から近いから車での交通費も安いですし、
  メジャーじゃないので、駐車場代や、ホテルなども観光地にありがちなボッタクリ料金じゃないです。
  3社とも無料Pもありますし、有料Pでも2~300円位と安い。
  (祭りの日などは上がるかもしれませんので注意)
  あと、旅行会社から東京駅辺りから直通バスやバスツアーが出てるようですので
  車をもたない方などは利用してみるのも手かも。ガイドも付くし。


4.時間的にちょうどよい

  東京目線になりますが、基本的に3つの神社を巡るので、それだけであれば
  朝早く出れば、1日日帰りで出来ます。
  1泊2日取れば、余裕もある感じです。
  各神社間は車で30分程度で移動出来ます。


5.京都鎌倉を凌ぐ圧倒的な歴史

  ご存知のとおり、京都平安京遷都は794年、鎌倉は1192年。
  京都で1300年弱、鎌倉は900年弱の歴史(もちろん、それ以前からの歴史物も多数ありますが)
  で、この東国三社、とりわけ鹿島神宮、香取神宮においては、2600年!の歴史を誇ります。
  建立が初代神武天皇ですから、まさに神話の時代から存在する神社です。
  殆ど、この日本が建国された時と同じ位の歴史の長さになります。
  行ってみればわかりますが、その歴史の長さを証明するかのような巨木が境内内に沢山見ることが出来ます。


6.パワースポットを体感

  今、東京原宿の明治神宮では「清正の井戸」という場所がパワースポットとして大変注目を浴びているようです。


  なんでも、整理券まで配られ、休日は数時間待ちだとか。
  でも、この「東国三社」も物凄いパワーを感じるパワースポットとして有名です。
  鳥居を潜り、神社の森に入った時からジンジンと感じるパワー。
  2600年に渡り鎮座される神々のパワーを体感する事が出来るのであります。


7.その他の観光も可能

  この水郷地帯は、この三社以外にも、結構な観光が出来ます。
  小舟での水郷巡りとか、佐原の古い街並みを散策とか。
  探せば結構出てきます。
  また、成田空港も近いので、遠方から飛行機でディズニーランドに来たときに、さらにプラスαでって計画も出来るかも。

    鹿島はサッカーファンおなじみのアントラーズの本拠地でもありますね。


ということで、また次回に続きます。。。

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【工作失敗】 日本海を東海表記に変えようと目論む朝鮮人を許すな その4 【ざまぁみろ!】

2012年02月01日 21時07分03秒 | 韓国朝鮮

■ 朝鮮人のバージニア州での日本海→東海表記工作活動失敗!しかし一票差の紙一重


シリーズで書いて来た朝鮮人の日本海→東海表記工作問題。

【緊急】 日本海を東海表記に変えようと目論む朝鮮人を許すな その1

【緊急】 日本海を東海表記に変えようと目論む朝鮮人を許すな その2


1、2の概要は↓
=========================
世界的常識である「日本海」という名称を「東海と呼べ!」っと世界各地で喚き散らしてる朝鮮人。
世界は全く相手にせず、しかし五月蝿いから、アメリカイギリスが表明まで出して、世界もそれに追従し決着が着いたかに見えた。
つーか、普通ならそこで諦めるが、そこは朝鮮人。
今度は片っ端から図書館の地図の「日本海」「Sea Of Japan」の表記の上に「東海」「East Sea」というシールを張りまくるという犯罪行為の暴挙に出た。
アメリカイギリスをはじめ世界各国が総じて「日本海だろ」って表明してしまった現実。
さすがの朝鮮人も「こりゃ名称変更は無理ニダ」と悟った模様。
しかし彼らは諦めない。
今度は少し条件を下げて「東海/日本海」と併用表記を主張しだした。
=========================

 

それに基づきアメリカのバージニア州で行った工作活動が、
バージニア州議員を買収し、バージニア州の教科書に東海と載せさせよういうもの↓

【緊急】 日本海を東海表記に変えようと目論む朝鮮人を許すな その3


で、緊急アンケート協力を求めたのですが
結果はもうすでに知ってる人も多いでしょう。
いち早く、コメント欄で、マザーさんが知らせてくれた通り
結果は朝鮮人のバージニア州での日本海→東海表記工作活動は失敗に終わりました。

でも一票差、アブネ~アブネ~

 


=========================
< 「東海」併記法案、すんでのところで… >
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120131/edc12013103080000-n1.htm
2012.1.31 03:06 [産経抄]
 危ない、危ない。すんでのところで、米国首都のお膝元、バージニア州の子供たちが、韓国政府の言い分通りの授業を受けるところだった。州内の公立学校で使われる教科書に、日本海を「東海」と併記するよう求める法案が、州議会で否決されたものの、票差はわずか1票だったという。

 ▼日曜日付の小紙1面の記事を読んで、いやな記憶がよみがえってきた人も少なくないはずだ。5年前の夏、米下院の本会議で採択された、慰安婦問題についての対日非難決議案である。多くの誤りを含み、何より日本国民を侮辱する内容だった。

 ▼このとき法案を主導した民主党のマイク・ホンダ下院議員は、中国系反日団体から支援を受け、中国系実業家から献金を受け取っていた。今回の教科書をめぐる法案を提出したのも、韓国系団体の働きかけを受けた議員だった。

 ▼やはり韓国系米国人らが別の州では、日本人学校に対して日本の公民の教科書の使用中止を求めている。日本の国際的地位を貶(おとし)める企(たくら)みはまだまだ続きそうだ。頼みの綱となる日系人は、米国社会で台頭するアジア系のなかで人口がほとんど増えていないという。応援団を期待するのは難しい。

 ▼彼らにとって日本が、かつて敵国だったという問題も残っている。以前、米国史上最強といわれた日系部隊について書いたことがある。そのなかで日米開戦前に東条英機首相が、日系社会に対して米国に忠誠を尽くして当然、と手紙で伝えた事実を紹介した。

 ▼そんなお人よしの国で、外国人に参政権を認めようとする動きがある。外国で政治家をあやつり、世論を誘導するのが当然と考える国々が、何を仕掛けてくるのか。想像するだに恐ろしい。


=========================


いやー、とりあえず良かった良かった。
アンケートにポチッっとしてくれた方々ありがとうございました。
しかしまぁ、日本では民主党とマスコミを買収している朝鮮人ですが、
アメリカくんだりでもいろいろやってくれます。
こうやって工作してなんでも捻じ曲げて自分たちの思い通りにしようというやり方.
嘘・捏造・賄賂・買収。
連中の得意技。


州議員たちの良心を信じるなら、
「いやー、頑張っていいところまで行ったけど、あと一歩だったねー残念残念」
ってやっとけば、うるさい朝鮮人達も納得するだろうって作戦で仕組んだ演出だったのかも知れませんね。
だからあえて接戦を演じたと。
でも朝鮮人から見れば、「あと一歩だ!」って俄然活気づくかも知れないな。

しかも産経の記事にあるように、日本人学校の公民の教科書に対してまで使用中止を求めているって言うんだから、本当に腹立つ。
あーめんどくさい民族。

他国他民族の日本の教科書の内容が自分たちが気に入らないから使うなとか
どんだけ内政干渉だ。

100歩譲って、朝鮮人のこういった行いに対して
「日本人の教科書だぞ!ふざけたまねするな!朝鮮人!」
って大々的にニュースを報道するのが日本のマスコミの役目。のはず。
しかしご存じの通り、朝鮮人に買収されているマスコミ。
全く報じず。ダ・ン・マ・リ。
でも韓流韓流は相変わらず毎日しつこく報道は怠らない。
あー気持ち悪い。


福島はいま「早くしっかり除染しなければ」と頑張ってますが、
日本も同じく早くしっかり除鮮しなければ、未来は危ないですね。

まずは次回選挙で朝鮮政党民主党を引きずり降ろす。
まずはそれからだ。

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