負け豚の遠吠え

(連絡メール:aboboa@mail.goo.ne.jp)

【初詣】 神社参拝作法を身につけましょう 【日本の神様】

2012年12月31日 12時28分42秒 | 日本伝統文化

■もうすぐ初詣!正しい神社の参拝手法を身に付けよう!

さて、今年も終わりに近づきました。
すぐに新年を迎え、日本人なら初詣に行くでしょう。

という事で、去年一昨年も掲載しましたが、
正しい神社の参拝手法をお伝えします。
日本人たる者、正しい神社の参拝手法くらいマスターしておくべきでしょう。
つーか、学校で教えろ!日教組!



■今年はお礼参りを


ここ数年は、多くのこの国を心配する人たちは

某売国政党からの政権奪還を願ったのではないでしょうか。

そしてそんな皆様の思いと、日々の弛まぬ努力を

日本の八百万の神々はちゃんと見ておられました。

先日の総選挙においてついに政権を日本人の手に奪還したのであります。

まさに念願叶ったり!でありました。

もちろん、まだまだ反日左翼との戦いは終わったわけではありませんが、

まずは政権奪還達成へのお礼参りと

来年もこの勢いが続くように、反日サヨクの息の根が止められるように

初詣に行って神様に祈願しなければなりませんね。


という事で、今日は日本の文化伝統である

神社への参拝作法について紹介します。

このブログの見出しにもあるように日本の文化伝統の礎たる

神社参拝手法のお勉強です。

日本人であるなら、事ある毎に神社に参拝する事は少なく無いでしょう。
初詣はいうに及ばず、お初参りや七五三、厄除けや縁結び、

合格祈願に病気回復、商売繁盛などなど。


神社は日本古来の神様ですから、結構人生の中でお世話になるわけです。

でも意外と参拝時の正式な作法について知らない人も多いのでは無いでしょうか?
とりあえず、賽銭入れて鈴鳴らして手を叩いて祈って・・・終わり!?
こんな感じで済ましていたりしませんか?

せっかく、神の国日本に生まれて来たのですから、

正式な作法を身に付けようではありませんか。


そうすれば御利益もあがるかも知れませんし、

一緒に行く仲間からも一目置かれるかも!?

参拝作法1 ←ここをクリック
参拝作法2 ←ここをクリック

さぁ、皆さん正式な作法を覚えて、初詣では政権奪還のお礼と

反日左翼達息根をとめるよう

日本の神様にお祈りしましょう!


しかし、日本古来の神道神社の参拝作法は

学校教育でキチンと教えるべきじゃないでしょうか。


いや、親から子へ、子から孫へ、自然に受け継がれるべきものか。

 

ということで、皆様今年も一年ありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

では、よいお年を。。。


 


【英霊に】 夏の風物詩、靖国神社 みたままつりのご紹介 【感謝の意を】

2012年07月07日 10時11分40秒 | 日本伝統文化


■英霊の御霊に感謝を!来週「靖国神社みたままつり」が開催されます!


梅雨も終盤になって来て、夏の気温を相まってなんだかムシムシしてきました。

節電を強要される日本人は何とも暑苦しく大変不快な時期ですが

皆様、仕事に家庭に護国活動に励んでおられる事でしょう。

私など負け豚なので、節電するもなにも

元からクーラーの無い生活を送っているので、

いつもと変わりない夏の暑さを堪能しております。

しかし、やはり暑いものは暑いので、夜くらいは何とか涼しく過ごしたいもの。

いい夕涼みは無いものでしょうか。


と言ったところで、夕涼みにもってこいの毎年恒例の夏祭りのご紹介です。


来週の7月13日(金)~16日(月)東京の中心、九段下にある靖国神社において
英霊の御霊に感謝をと「靖国神社みたままつり」が開催されます。


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■みたままつり
日本古来の盆行事に因み昭和22年に始まった「みたままつり」は、今日、東京の夏の風物詩として親しまれ、毎年30万人の参拝者で賑わいます。
期間中、境内には大小3万を超える提灯や、各界名士の揮毫による懸雪洞が掲げられて九段の夜空を美しく彩り、本殿では毎夜、英霊をお慰めする祭儀が執り行われます。
また、みこし振りや青森ねぶた、特別献華展、各種芸能などの奉納行事が繰り広げられるほか、光に包まれた参道で催される都内で一番早い盆踊りや、軒を連ねる夜店の光景は、昔懐かしい縁日の風情を今に伝えています。

・祭儀日程
前夜祭 7月13日 午後 6時
第一夜祭 7月14日 午後 6時
第二夜祭 7月15日 午後 6時
第三夜祭 7月16日 午後 6時

 

 

 

 

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私たちの日本が今こうして平和で高い生活水準での

暮らしが送れているのも

その昔「日本人が欧米列強の奴隷になるものか!」と

命を投げ出してくれた私たちの先祖様のおかげによるのです。

なんの歴史も経てなく、今の私たちの生活がある訳ではないのです。

普段、そんな事意識することも少ないですが、

こんな夏祭りを切欠に考えてみるのも大切かもしれません。

 

と、言ったところで、やっぱり夏祭りと言えば、

涼しい神社の風に吹かれながらビール片手に

出店で美味しいものを頬張り、プラプラとしながら祭りの雰囲気を楽しむ。

きれいで涼しげな浴衣なんて着ていけばバッチリ!

これでしょう。日本の夏の楽しみは。

靖国神社は敷地も広大なので、出店の数も相当です。

中では3万を超える提灯が飾られ、それは見事なものです。

 


提灯には献灯者の名前が書かれているので

 

芸能人や政治家の名前を見つける事も出来ます。

 

そんな楽しみもあります。

また、青森ねぷたや神輿振り、カッポレ踊りや盆踊りなど

見どころ満載です。


場所も都心ですし夜も22時頃までやっているのようですので、

仕事帰りでも、フラッと寄れますね。


真夏のひと時の夕涼みに

英霊に感謝を込めて

靖国神社みたままつり

ご家族お友達同僚をお誘いあわせの上、

是非足を運んでみてください。

英霊の御霊は、私たち日本人の

逞しく育った若者達の姿を見る事が

何よりの喜びのはずです。

自分たちの投げうった命が

決して無駄ではなかった、

今こうして、存亡の危機にあった

日本国が繁栄し

若者が逞しく育って

そして

自分たちと同じく、

誇り高き日本人精神を胸に秘め

国を護る気概に満ちている。

そして靖国神社に足を運んでくれる。

我々に感謝もしてくれる。

頼もしい日本人。

 

お祭りに参加する前に

はやる気持ちを抑えて

まずは拝殿で手を合わせ

英霊に感謝の意を伝えましょう。

 

 

みたま祭りポスター・パンフレット
http://www.yasukuni.or.jp/img/120713mitama.leaf.pdf

 

靖国神社
http://www.yasukuni.or.jp/index.html?mode=skip

 

 

 

 

 


【天誅必至!】  神木を枯らしたのは誰だ! 【地獄へ落ちろ!】

2012年06月11日 12時32分25秒 | 日本伝統文化

 ■神木を枯らし破壊する、この日本人離れした犯行は誰だ!?

 

このブログでも時々触れますが、

国家でも家柄でも素晴らしき歴史や伝統・文化をもつ事は

非常に価値があり高貴に思われ羨望の対象になります。

私たちの日本は歴史や文化伝統といった事では

建国以来2600年に渡り国家として不変であり

元首である天皇におかれましては、125代の万世一系という

神話の時代から繋がる奇跡を成し遂げる世界でも希有な存在であります。

よって、全国に数千年の歴史を持つ神社などが未だ存在し、

やはりそこには樹齢数百年以上の樹木が神々しくそびえ立っているのです。

まさに世界が羨むような歴史・文化を誇っております。

 

一方、何かと日本に絡んでいちゃもん付けたりする

お隣の朝鮮半島の国は、建国60年足らず、

それどころか未だに同じ民族が南北に分裂し国家統一すら出来ておりません。

近代、日本が併合するまで、殆どの期間を中国の属国として過ごし

世界最貧国の一つで以下の写真に見るような未開の民族でありました。

 

 

よって、悲しいかな、まともな自国の誇れる歴史や

伝統・文化など有しておらず、

幾ばくかあったものも、内部争いの過程で自分らで破壊してしまったりと

伝統といえばキムチくらいしかないのではと言うのが現状です。

 

つまり、この日本の高貴で悠久の歴史・文化は

妬ましくって仕方ありません。

「日本の癖に、歴史とか伝統とか、気に入らないニダ!」

 

 

 

そして下の許しがたいニュース。

まだ犯人も捕まっておらず、早計に断定はできませんが

この日本人離れした犯行は、

ある在日の民族を思い浮かべてしまうのは私だけじゃないでしょう。

 

 

 

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<誰が何のために?高知県内各地で樹齢数百年の御神木を人為的(ドリル穴開け毒薬注入)に枯らされる事件多発>

6/10高知新聞より

http://www.kochinews.co.jp/?nwSrl=289484&nwIW=1&nwVt=knd

県内各地で、クスノキやヒノキ、スギの大木が人為的に枯らされる被害が相次いでいる。ワシントン少年はおのを使ったが、こちらはドリルで根元に十数カ所の穴を開け、薬剤を注入するという悪質さ。樹木医の懸命の治療でも回復しなかったようだ。

 

神社の「ご神木」として、地域の住民らに古くから親しまれてきた大木も含まれている。「罰当たり」というほかないが、手間をいとわない周到な手口からみて、単純ないたずらとは考えにくい。いったい誰が、何のために…謎は深まる。

 

日本樹木医会県支部はボランティアの協力を得て、早急に見守り体制をつくるという。

広い県土ゆえに難しさはあるだろうが、地道な努力が再発防止につながればと願う。むろん、警察の捜査にも期待したい。

大地に根を張った巨木は、その地域の自然や歴史などを体現したような存在だろう。これ以上、悲しませないで。

 

 

 

動画

 http://www.youtube.com/watch?v=vNWy_GpEz2A

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人間、極稀に殺意を覚える時があるとすれば

こういう時だろう。

 

犯人が分からないので、断定はできないが、

まともな日本人では出来ない犯行であるのは明らか。

 

「日本の歴史文化が妬ましい、破壊したい」

という自国に歴史文化の乏しい嫉妬深い、とある民族。

普段の行いからみても

真っ先に疑われるのは致し方ない事だと思う。

 

しかし、もしこれが本当に朝鮮人の犯行だと判明した時、

その時は報道されることなく、闇に消えてしまうのが今の日本。

 

 


【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その8 【最終回】

2012年03月19日 23時06分57秒 | 日本伝統文化

 

■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


えーと、しばらく「東国三社巡り」の旅行記を書いていましたが、

香取神宮と鹿島神宮を書き終わったところで、

最後の一つ、息栖神社が書けないままでいました。

ということで、間が空いてしまいましたが、

東国三社の最後の神社「息栖神社」を書いて、この旅行記を終わりにしたいと思います。

 

今回の東国三社巡りの流れは以下の通り


●まずは頭出し

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その2

 

●最初に訪れた香取神宮の散策記

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その3

 

●東国三社中、最も有名で最大規模の鹿島神宮散策記

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その4

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その5

 【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その6

 【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その7

 

 

そして今回の最終回が息栖神社になります。

 

さて、この息栖神社は、壮大なスケール及び歴史や伝説、知名度を誇る

「鹿島神社」「香取神社」に比べると、そのすべてにおいて

地味な存在になってしまう事は否めません。

(もちろん、デカくて古くなければならないという事はありません)

逆にいうと、この二つの大社からこちらに訪れると、

その落ち着き?に少しホッとする感じでした。

森の中に位置し、参拝者も鹿島香取に比べれば圧倒的に少なく

静粛感は一番ですね。

お土産屋などもありません。

 

 こちらは鳥居ですね。

きちんと「東国三社息栖神社」とあります。

 

 

 

鳥居を潜って参道です。

奥に小ぶりな門が見えます。

   

 

 

鹿島香取の楼門と比べてはいけません。

味わいで勝負です。

 

 

 

 手水舎

 

 

おみくじは結構な数ですね。

 

 

門を入るとすぐに、本殿は現れます。

やはり小ぶりですね。

   

 

まずは神様に祈ります。

「今までの私たちへのご加護、大変ありがとうございます。。。」

「民主党はじめ、反日左翼達が消えてなくなりますように。。。」

 

 

 

はい、ご神木です。

 結構立派でしょう。

 (鹿島・香取と比べないでね)

 

      

 

 

おっと、こちらの神社も石が出て来たぞ!

要石か?

 

 

いいえ、鹿島・香取には地震を封じているとされる要石がありましたが

 息栖神社の石は力石だそうです。

名前が示す通り、祭礼の際に若者たちが力比べをしたと伝えられる石だそうです。

 

 神社から出ると、向かいの水路にも鳥居がありました。

この地帯は「水郷」と呼ばれ、至る所に水路があります。

昔の人は小舟でユラユラとこの地に参拝に来たのでしょうか。

 

 はい、息栖神社はこんなもんです。

何度も言いますが、鹿島・香取と比べてはいけません。

でも小さいながらもこの神社にはこの神社たる存在感があります。

東国三社の一角をなす訳ですからね。

 

 これで東国三社、鹿島神宮・香取神宮・息栖神社をすべて廻り終えました。

その1、その2でも書きましたが、日帰りもよし、ゆっくり一泊も良し、

観光客も多すぎず少なすぎず

東京からのドライブにもちょうどいい距離だし

バイクのツーリングにもいいでしょう(実際多くのバイク乗りが来てました)

 

ふと空いた週末に思いつきで行ってみるもよいでしょう。

悠久の歴史、2600年の歴史に触れる事で

日々の喧噪を忘れ、自分を、そして日本を見つめなおすいい機会になるかも知れません。

 

6月にはこの近辺で「あやめ祭り」等の催しもあるので、

合わせて計画するのがおすすめです。

 

 http://www.city.itako.lg.jp/cgi-bin/kanrisystem/kaview.cgi?no=103

 

 

■浮かび上がる謎のトライアングル?

神栖市観光協会によると、東国三社を直線で結ぶと謎のトライアングル?が浮かび上がるという。
こういう話も神秘的で興味をそそりますなぁ。


以下神栖市観光協会HPより
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この東国三社を地図上で結んでみると形のよい直角二等辺三角形が浮かび上がってきます。鹿島神宮と香取神宮を結ぶ線は約12000m、 鹿島神宮と息栖神社の間は約9000m、息栖と香取は約8600mとのデータがあります
そしてこのトライアングル内では様々な不思議な出来事が起こるといううわさも…
更にこのトライアングルを中心に周辺の神社を結ぶと、とても意味のありそうなラインがいくつも浮かび上がってくるといいます。


 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その7

2012年02月24日 13時06分22秒 | 日本伝統文化

 

■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


さて、先日「東国三社巡り」に行って来たので、珍しく旅行記を書こうということで、
簡単に頭出しとして、その1、その2を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その2

 

まずは最初に訪れた香取神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その3

 

そして、続いて東国三社のなかでは、最も有名で規模が大きく、観光としても確立している鹿島神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その4

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その5

 【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その6

  

今回で鹿島神宮の最終回です。

 

 前回では、奥に延びる鹿島の森にある伝説の地震を起こす大鯰を封じているという「要石」を取り上げました。 

 

 

 

そして、まだまだ奥に延る「鹿島の森」

足を進めると現れるのが、有名で神聖なる

御手洗池(みたらしいけ)

 

 

 

 

奇麗な湧き水の神聖なる御手洗池です。

 

この御手洗池では、真冬の1月に、ふんどし一枚で池に入り身を清める

鹿島神宮大寒禊

といわれる儀式が執り行われています。

詳しくは以下のURLを見てください。

うわ、寒そうだ。。。

 http://wadaphoto.jp/maturi/kasima2.htm

http://wadaphoto.jp/maturi/kasima3.htm

 

 

 そしてこれは、この御手洗池の裏の山から御手洗池に向かって伸びている松の木。

この松、何かに似ていませんか?

 

 

 

 

 もしかしたら、写真では分かりにくいかも知れませんが(しょぼいデジカメなんですみません)

凄く龍ににているんですね。

 

まるで、この神聖なる御手洗池を護っているかのように見える龍の松。

いやはや、偶然の産物かも知れませんが、心に来るものがあります。

 

これは、勝手な想像ですが、こういう神社仏閣での不思議な現象って

悠久の年月の中で、無数の人々の「」が募る事で

現象・事象として体現されるんじゃないかと思うようになって来た。

昔の人たちは、高度な医療技術等なかった。

そもそも、一部の金持ちくらいしか、医者にかかることもままならなかっただろう。

とすると、殆どの人は、苦しい時の神頼みしかなかった。

子供の病気、親の病気、そんな時は必死に神社仏閣に行って祈ったのだ。

お百度参りというものがあるように、雨の日も風の日も雪の日も

必死に祈った昔の人々。

今のように車も電車も自転車すらない時代。

自分の足で、わらじ一足で、通ったわけだ。

暑かったろう、寒かったろう。

ただ、神様に願いを伝えたい一心で。

そんな中で参る人たちの、その思い(念)は、現代で観光気分でお参りする人の思いの比ではないであろう。

こういった1000年を超えるような神社、格式高い神社になれば、

いままで、想像を絶する人たちが、想像を絶するほどの強い念で参拝した訳だ。

そういった悠久に渡り多くの人たちから送られた

強い念の蓄積

が、こういった神聖な地を作り上げ、

そしてこういう数々の神秘的な現象・事象を

体現するようになるんじゃないかと。

この神聖なる御手洗池を護る龍の松。

これも、この地を信じ、御手洗池を神聖と感じた

長年に渡る多くの人たちの強い念が、導いたんじゃないかなーと。

まぁ、あくまで勝手な想像ですが。

 

さて、シリアスな話もここまでにして、

 この御手洗池の脇に、軽食も出来るお土産屋さんがあり、

長い時間を歩いた後の休憩も出来ます。

 

 

私はここで、鹿島神宮の地酒を一本買って帰りました。

ここで、ボランティアの方とも別れとなりました。

約2時間に渡り、親切に案内して下さったボランティアの方に

感謝が尽きないので、お昼ご飯にでもと、1000円程手渡しました。

「いえ、ボランティアでやっているので、困ります」

と言われたが、結局、鹿島神宮ボランティア協会への寄付として受け取ってもらいました。

今回お世話になった鹿島神宮のボランティアの方、大変ありがとうございました。

おかげさまでとても有意義な鹿島神宮巡りが出来ました。

なお、ボランティアの人は、基本的に9時~11時位に

鳥居の前に立っているようですが

ボランティアの人の数も限りがありますので、

確実にお世話になりたいという方は、鹿島神宮ボランティア協会へ問い合わせた方がいいと思います。

 

はい、鹿島神宮もここまで。

もちろん、ものすごく広く、神宮の裏手には大きな公園も併設されているようで

まだまだいろいろありますので、興味が沸けば実際行ってみる事をお奨めします。

最後にこの鹿島神宮を紹介しているテレビ番組が

youtubeにありましたので紹介しておきますね。

磯山さやかの旬刊!いばらき『鹿島神宮』(24年1月6日放送)   ← ここをクリック

 

さて、あと残すは息栖神社のみ!


【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その6

2012年02月21日 22時49分27秒 | 日本伝統文化

 

■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


さて、先日「東国三社巡り」に行って来たので、珍しく旅行記を書こうということで、
簡単に頭出しとして、その1、その2を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その2

 

まずは最初に訪れた香取神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その3

 

そして、続いて東国三社のなかでは、最も有名で規模が大きく、観光としても確立している鹿島神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その4

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その5


今回も鹿島神宮が続きます。

 

前回では、参拝を済ませ、さらに奥に延びる鹿島の森に入ったところまでを書きました。 

 

しかし、ボランティアガイドの女性のおかげで充実感があります。

 

さて、まだまだ奥に延る「鹿島の森」

  

 

そして、前回も紹介した『悲惨な木』 『欲張りな木』

 

 

 

そして、さらに進んで左手はいる場所があり、 ガイドさんに誘導されて行ってみる。

すると。。。

 

これ、この岩、なんだか分かります?

  

 

これ、「さざれ石」の岩なんだそうです。

日本人ならだれでも知ってる国歌「君が代」

そこの歌詞に出てきますよね、「さざれ石」 

「さざれ石の巌となりて~♪苔の生すまで~♪」 

のさざれ石です。

小さな石が 幾年の月日を経て、一つの大きな岩になる。

初めて見ました。

ちなみに日本の国歌「君が代」は明治二十六年日本国歌に制定され大正時代ニューヨークにて開催された世界の国歌コンクールで特等となったことがあります。

 

 そのさざれ石の横にあった国旗についての説明された碑。

 

そして、その奥には鹿島神宮らしく鹿が飼われていました。

そういえば香取神宮にもいましたね。

前は餌やりも出来たようですが、今は見るだけです。

 

 

そして、森をさらに奥に進むと、またちょっと小ぶりなお社が。 

これは「奥の宮」というお社です。

 

 

 

 

この「奥の宮」とは、もともとむかーしの鹿島神宮の本殿だったようで、

1619年、徳川秀忠が現在の社殿を奉納した際に、その前の社殿をこの奥宮として移設したものらしいです。 

ガイドさんがいるとこういう話を聞きながら散策できるので楽しいです。 

 

さて、ここでまた登場するのが、

要石

です。

香取神宮にもありました、要石。

地震を起こす悪者の大鯰を封じ込めているといわれる石です。

この鹿島神宮にもあります。

ガイドによると、鹿島神宮の要石が、大鯰の頭を押さえ、

香取神宮の要石が、大鯰の尾を押さえているとのとこ。

 

 

 

 

この石柵の中にある要石。

でも、もう騙されません。

大きくないのは分かっております。

 

 

 

はい、これが大鯰を押さえてる要石。

分かりますか?

香取神宮のよりもっと小さいです。

 

もう一度香取神宮の要石を見て見ましょう。

 

ふむふむ、どちらも大鯰を抑え込んでるというには心もとないサイズですね。

でもちゃんと、香取が凸、鹿島が凹の形をしており、相まってます。

 

この要石、見た目は小さいが、

香取神宮の時も言いましたが、見えてる部分はほんのごく一部で、

地中に埋まってる部分は

トンデモなくでかい

らしい。

ちなみに、昔、じゃあどんだけデカいんだよと、思い興味深々に掘った人が居たらしい。

要石を掘ったのは徳川光圀で、七日間かけてこの要石の周りを掘ったそうですが

石の根元に辿り着く ことが出来ず断念したそうです。

そして「七日七夜 掘っても掘りきれず」」という言葉を残しています。

 

 はい、これは地震を起こす大鯰を封じ込めている鹿島神宮の神様の碑になります。

勇ましいですね。

 

 

 鹿島の森はまだまだ深いです。

次回も続く。次回で終わる!?


【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その5

2012年02月16日 12時51分06秒 | 日本伝統文化

 

■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


さて、先日「東国三社巡り」に行って来たので、珍しく旅行記を書こうということで、
簡単に頭出しとして、その1、その2を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その2

 

まずは最初に訪れた香取神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その3

 

そして、続いて東国三社のなかでは、最も有名で規模が大きく、観光としても確立している鹿島神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その4


今回も鹿島神宮が続きます。

 

前回までは、先の3.11の大地震で鳥居が倒壊してしまい、

無残に鳥居の柱の跡(下の写真)が残っている状態だという事を書きました。 

 

前回にも書きましたが、この倒壊の直前までイベントの片づけで多くの人が居たけど

ちょうど片づけ終わった直後の発生だったため、

幸いにもけが人が出ずにすんだという事です。

 

ボランティアの女性によると、現在、この鹿島神宮の森から、

鳥居にふさわしい大木を伐採し、山形県にある適した環境で乾燥中だそうで、

二年後を目途に再建を目指しているという事です。

早く、この鹿島神宮にふさわしい立派な鳥居を見て見たいですね。

 

ちなみに倒壊前の鳥居はこんな感じ(拾い物)

良い感じですね。

 

さて、鳥居は無いけど、この鳥居跡地で、軽く一礼をし、神社の境内へ

しかし、鳥居を潜らずに、神社に入るのは、何とも妙な気分だ、落ち着かない。

ましてや2600年の歴史を誇る格式高い神社となるとなおさら。

 

境内に入ると、早速こういった樹齢何百年の巨木が迎えてくれます。

容もなんか神々しいです。

香取神宮もそうでしたがこういった歴史を誇る神社では巨木が付き物ですね。

悠久の時を経て、一体この巨木は今まで何人の参拝者を見てきたのでしょうか。

 

 

参道を進むと、すぐに綺麗な楼門が見えてきました。

胸が高鳴ります。

 

 

 

はい、これが有名な鹿島神宮の楼門になります。

いやーめちゃくちゃ立派です。すごい!。 

 

 

ボランティアの女性によると、この楼門は1634年に水戸初代藩主の徳川頼房公(水戸黄門の父)により奉納されたとのこと。

なんでも、 徳川頼房がこの神社を参拝したところ、非常にご利益にあずかることが出来たため、えらく感激した頼房が感謝の気持ちを込めて寄贈したらしいです。

ボランティアガイドと一緒に行くと、ポイントポイントでこういった話が聞けるので参拝も楽しいものになります。

 

楼門をくぐって、いくとこんな感じ。空気が変わります。

奥の方にも巨木が立ち並んでいるのが見えるでしょう。

 

絵馬の後ろにもこんな巨木が。

でもご神木ではなさそうだ。 

 

 

 おっ、本殿の一部が見えてきた。 

この鹿島神宮は入ってから結構すぐに本殿までたどり着きます。

ちょっとあっけない感じもします。

ある程度、神社の森の中の参道を歩きながら、

いろいろなポイントを経て期待を高めながら本殿にだんだんと近づく

香取神宮の方が、こういう部分での演出?は上かも知れませんね。


 

 

本殿です

 

 

香取神宮より少し小ぶりで地味ですが、威厳を感じる本殿です。

さっそく、例のお祈りを。

「今までの私たちへのご加護、大変ありがとうございます。。。」

「民主党はじめ、反日左翼達が消えてなくなりますように。。。」

 

 

ガイドの方が、「本殿の裏側にも回れますよ」ということなので行ってみる。

これが、裏側。

ここに見える巨木が神木で、高さ50メートルくらい?

ガイドによると鹿島神宮の神様は、この巨木をつたって天からこの聖地におりて来るとか。

 

 

本殿の参道を挟んで向かいの片隅に、小さなお社があります。

 

ガイドによると、これは仮殿と呼ばれるもので、

本殿を修理する時など一時的に神様がここに住まわれる社殿ということです。

つまり、本殿で職人が修理などの為にバタバタ右往左往する時などに、

そんな状況に神様をさらす訳には行かないので一時的にお引越しなされる仮住まいというところ。

さすがは神様でありますので、きちんとした対応がされますね。

1619年に徳川秀忠が建立したものらしいです。

国の重要文化財に指定されています。

 

さて、広大な鹿島神宮は、まだまだ奥に参道が延びます。

まさに「鹿島の森」といった雰囲気です。

香取神宮同様に夏はとても涼く、清々しそうな感じです。

 

 

 

ガイドさんと共に、この森を歩いていると、

「ちょっと、この木を見てください、珍しいでしょ」と言われた。

 

これはご覧のように一本の巨木の両傍らに一本ずつ二本の木が生えております。

つまり、一本の木が計三本の木で構成されているという状態。

 一本の木にプラス一本の計二本の木はままあるらしいが、

この三本の木は非常に珍しいとの事。

なんでも、この木は『欲張りな木』と言われているそうな。

奥さんを二人も抱えているからだとか。。。

でも、この両脇の二本の木は、真ん中の旦那さんの木から栄養分をとっているという事で、

欲張りというより、実は二人に寄生される悲惨な可哀想な木なのかも。。。

 

さて、鹿島の森は奥深くまだまだ続きます。。。

つづく。。。


【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その4

2012年02月13日 12時32分59秒 | 日本伝統文化

■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


さて、先日「東国三社巡り」に行って来たので、珍しく旅行記を書こうということで、
簡単に頭出しとして、その1、その2を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その2

 

そして、まずは最初に訪れた香取神宮の散策記を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その3

 

で、今回の「その4」は鹿島神宮になります。

 今回の、東国三社のなかでは、最も有名で規模が大きく、観光としても確立しているのがこの鹿島神宮になります。

歴史はやはり2600年余りで、先の香取神宮とは兄弟のような関係になるのようです。

 車では東関東自動車道の潮来ICからものの10分くらい
東京駅八重洲南口からも高速バスが運行されているようです。

 

鹿島神宮のホームページによると
http://www.kashimajingu.jp/wp/jingu/jingu01

御由緒
 
遙かな神代の昔、高天原(たかまのはら)の八百万神(やおよろずのかみ)達は、我が国を「天孫(すめみま)(天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御孫)の治める豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」とすることを決められ、これに先立ち、まず国中の荒ぶる神々や夜も昼も騒がしい世の中を言向(ことむ)け平定(やわ)することが先決であると衆議一決しました。
 
御祭神
 
「古事記」「日本書紀」によりますと、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は、宇宙自然の創世に成りませる陰陽の神、イザナギ、イザナミの両神より生まれた火の神カグツチより誕生された、とされています。即ち原初の自然創世の頃に成りませる神であります。

 
 ということで、なんかよくわかりませんが、なんか凄そうです。

 香取神宮同様、2600年以上前からこの地に鎮座されている神様なのでそれだで十分すごいのですが。

 

さて、まずは、神社からちょっと離れた無料駐車場に車を止めます。

もっと神社のそばにも有料駐車場があり、安いです(200円くらい)

でも今回は神社まで軽く歩きたかったので、無料駐車場の方に。

 

そして、神社に向かってテクテク歩きます。。。

 

 

すると、こんなオブジェが。

 

そうですね、鹿島といえば、サッカーの鹿島アントラーズの本拠地でもありますね。

だからサッカーボールのオブジェがあるんですね。納得。

 

そしてまたオブジェが。今度は鹿の親子?鹿島だから鹿ですね。

そもそもこの鹿島神宮の神様は白い鹿に乗ってこの地に来たと言います。

 

 

はい、ものの5分程度歩いたら、鹿島神宮に着きました。

 

でもなんか、感じが変!って思ったら、

鳥居がないじゃん!

えーなんでー!

 

と、まごついているところ、一人の赤い服を着た、妙齢の女性がこちらに近づいて来ました。

女性 「あのー、今日は鹿島神宮への参拝ですか?」

負け豚 「はいそうです」

女性 「わたくし、無料案内ボランティアなのですが、よろしかったらご案内差し上げましょうか?」

負け豚 「え?団体じゃないですが、本当によいのですか?」

女性 「はい、大丈夫です」

負け豚 「それはありがたい、ではお願いします!」

 

という事で、なんと無料案内ボランティアをしていただけることになりました。

 

この鹿島神宮では、こういった無料案内ボランティアの方が何人かいて、参拝客に見どころや、いろいろな逸話などを案内してくれているのです。

初めての人は、絶対にお勧めですよ。

今回もとても親切に案内して頂けました。

この場を借りてお礼をしたいと思います。

どうもありがとうございました。

 

で、話を戻すと

「鳥居がなーい!」

 で早速、このボランティアの女性に聞くと

「これを見てください」

と言われてみたのがこの写真。

 

 「今回の3.11の大震災で、鳥居は崩れてしまったのです。」

「ここがその鳥居の柱があった跡になります。」

 

あの大地震で鳥居は倒れてしまったのです。

そうですね、ここは茨城県。

東北みたく騒がれていませんが、立派な被災地だったのですね。

 

案内ボランティアの女性が続ける。

「あの3.11の二日前にこの神社で祭りがあり、この辺りは出店や飾りなどで賑わっていた場所でした。そしてまさに3.11の日の祭りの後片付けをしており、片付けが終わったのが午後2時ごろ。そして震災が来て鳥居の崩壊が3時過ぎ頃。
もし、もう少し大震災の日が早かったら、鳥居に倒壊で大勢の参拝客に悲劇が。
もし、もう少し大震災の時間が早かったら、鳥居に倒壊で大勢の後片付け者に悲劇が。
まさに、片づけ終わって人が去った直後の震災そして鳥居の倒壊。
奇跡的にけが人も出さずに済んだ。
鹿島神宮の神様のせめてものご加護があったのだろう

なるほど、そんな奇遇な事があったのか。
いきなりこんな話を聞き神妙な気持ちになった負け豚でした。

つづく。。。

 

 


【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その3

2012年02月10日 21時48分21秒 | 日本伝統文化

■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


さて、先日「東国三社巡り」に行って来たので、珍しく旅行記を書こうということで、
簡単に頭出しとして、その1、その2を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その2

 


特にその2では、学校で教えない日本の歴史の凄さについて書きました。

そしてこの続き、やっと神社参拝を書きたいと思います。


さて、まずは香取神宮からのご紹介になります。
東関東自動車道の佐原香取ICから、ものの1,2分で着いてしまいます。
近いです。

香取神宮のホームページによると
http://www.katori-jingu.or.jp/index.htm
御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)<又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)>

<御祭神の神話>
皆さんは、出雲の国譲りの神話をご存じでしょうか?
  香取の御祭神経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様なのです。
 神話の内容は、はるか昔、天照大神(伊勢神宮・内宮の御祭神)が日本の国を治めようとしましたが、荒ぶる神々が争い、乱れていました。
 大御神は八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで遣わされましたが、  出雲国の大国主神(おおくにぬ しのかみ)に従ってしまったので、次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされました。 天稚彦もまた忠誠の心なく、 顯國玉神(うつしくにたまのかみ)の娘の下照姫(したてるひめ)を妻として、自ずから国を乗っ取ろうとしましたが、亡くなってしまいました。
 このようなことが二度つづいたので、大御神が八百万神に慎重に相談させると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと申し上げました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ・鹿島神宮の御祭神)が申し出られたので、 共に出雲に派遣されることになりました。
 経津主、武甕槌の二神は出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いて十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに突き立て、武威を示されると 大国主神は大御神の御命令に全く異議はありませんということで、平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、二神は日本の国を平定して、大御神の元へ復命されたのです。 

以上 香取神宮のホームページより

もっと見たい人は↓香取神宮のホームページをどうぞ
http://www.katori-jingu.or.jp/index.htm

 

さて、看板にしたがって車を走らせば、すぐに香取神宮の無料駐車場がありました。
そして駐車場に車を止めると、すぐに下の写真のゲートが現れます。


 

     

 

 

そして、そこをくぐると神社にありがちなお土産店が並んでいます。

寒い時期ですが、まぁまぁの人出ですね。

奥に鳥居が見えますね。

 

 

 

はい、鳥居に着きました。

鳥居をくぐると、それまでと空気が変わるのが体感できます。

生い茂った木々に囲まれた参道になります。夏は涼しそうです。

2600年前からある、参道。

私たち日本人の先祖達が、各々の思いと期待を胸に秘めて、一生懸命歩いた参道。

感慨深いものがあります。

 

    

 

 

参道を少し進むと、不思議な光景に出会いました。

写真では分かりにくいですが、この二本の木、参道を挟んで両脇に生えており、根元が崩れ、参道に向かって倒れかけているんです。

そして、偶然にも参道の真ん中でお互い寄り添う形で支え合い、お互いを保っているんです。

ほかの木は普通に直立している中、この2本だけ、お互いを求めるように参道に倒れ掛けこのような形になっている。

つまり、二本のうちどちら一方の木が、この状態になってなければ、もう一方は支えがなく倒れてしまう状態。

これって偶然なの?

倒れる二本の木の位置関係、タイミング、枝の形、木の大きさが揃わないとこうならないよね?

不思議!

いきなり神秘的光景に出会い、ちょっと興奮。

 (この写真は参道中央より上に向かい写した状態)

 

さらに進むと綺麗な池がありました。

そして小さいながら滝も。

癒される光景です。

2600年前からあるのでしょうか?

 

  

 

 

 

さらに進んで二の鳥居が現れました。

こちらは石づくりです。

 

 

 

その先に綺麗な門が登場。

ワクワクしてきます。

 

 

 

さらに、その奥にも立派な門が。

神社の格式の高さが見て取れます。

 

 

門をくぐると、また一段と空気が変わります。

そして本殿が現れました!

香取神宮です! 

 

 すごいです。さすがに格式があります。

2600年前から鎮座する東国の守り神です。

 まずは何より参拝。

「今までの私たちへのご加護、大変ありがとうございます。。。」

「民主党はじめ、反日左翼達が消えてなくなりますように。。。」

 

 

そして、目に飛び込んできたこの大木。

写真じゃわかりにくいですが、とんでもなくデカイです。

後ろに見える赤い屏?と比較して見るとわかるかも知れませんが、

大人10人位手を繋がないと回りきれない位に感じました。

いやーさすが、日本建国期からある神社です。

おそらく樹齢1000年を優に超えているでしょうね。

 

 

 

しかし、上の大木は御神木でなく、御神木は別にありました。

いや、こちらもデカイ!さっきのよりデカイ!

やっぱ神秘的すぎるわ、この神社。

 

 

 

 まだ奥に進む道がありました。

 

 

 そしたら何とも渋い、お土産屋が。

いい味してますね。

このお土産屋も2600年前から、、、

あるわけないですが、

かなり年季が入ってますね。

昔の人も参拝したらここで一服したのでしょうか。

お土産にここで飴玉買っていきました。

ちなみにこの渋いお土産屋の上は見晴台になってました。

 

 

さらに奥にはカワイイ鹿さんがおりました。

 

 さて、ここで折り返して、参道をもどるのですが、

途中に気になる看板が

「要石?」

 

実はこの東国三社の香取神宮と鹿島神宮は、地震を納める神様とされており、

この要石が、その地震の悪を封じていると言われております。

で、その要石とはどんな巨岩かとおもいきや、、、↓

 

 

 

 

 

 なんてことはない、ご覧のとおり大きな漬物石が地中半分埋まっているという感じ。

 しかし、言い伝えによると、この石は地上に見えているのは、ほんの頭の一部だという。

つまり、この地中に埋まっている部分は、

トンデモなく大きい

らしい。

もちろん、神様が地震を抑えている石なので、

興味本位で掘り返すなど、絶対に御法度。

そんなことしたらとんでもないことになるのは容易に想像出来るので、誰もやりません。

2600年間、誰もやりません。。。

 

はい、香取神宮はこんな感じです。

もちろん、もっと細かい部分色々有りましたが、概ね主要な写真を出しました。

 

非常に、歴史深く、格式ある神秘的な神社でありました。

皆様もお時間があれば是非どうぞ。。。

 

最後に。

このとおり、とてもいい神社参りだったのですが

神社を出発し宿泊予定のホテルに着いてみて、飛び込んできたのがこの写真。

 

あー \(◎o◎)/!

   

 


【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その2

2012年02月08日 20時43分39秒 | 日本伝統文化


■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


さて、先日「東国三社巡り」に行って来たので、珍しく旅行記を書こうということで、
簡単に頭出しとして、その1を書きました。

【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

そしてこの続きを書きたいと思います。
ただ、ちょっと旅記に入る前に、豆知識を書きたいと思います。
なにせ「東国三社」の「鹿島神宮」「香取神宮」においては
2600年の歴史を誇る神社ですから、
「2600年って、どんなん?」
「日本の歴史ってどんなん?」
って、ところから知っておきたいです。


■現存する世界最古の独立国家 ― 日本


まずは、下の図を見てみましょう。
これは、よく歴史の教科書の最後のページ何かに折り込みであったりする
「世界史対照年表」
というものです。

 

 

何となく誰でも学生時代にチラ見した事はあるでしょう。
まぁその時はたいして気を止めて見てはいないと思いますが
その土地土地の国の入れ替わり、が見て取れる訳です。
ローマ帝国やらイスラム帝国やら聞き覚えのある名前も沢山出ております。
こう見ると、長い歴史の中、様々な国がまさに入れ代わり立ち代わり、で変わっていくといった感じですね。
その時代は強固に繁栄してても、他民族に滅ぼされたり、
何かの理由で国が消滅し、また別の国が出来るという繰り返しです。
だからどこの地域もつぎはぎだらけの年表図になるわけです。

さて、それでは、私たちの国、日本を探してみましょう。
すぐに見つかりましたね、一番下で細長~い、のが日本です。

え?日本すごくね!?

2672年前から全くつぎはぎないじゃん!!!

そうです、2672年前の建国以来、一度も国が変わることなく
ずーと、日本は日本なんですね。

他の国とかを見れば分かるけど、これってハッキリ言って奇跡と言える事じゃないでしょうか?
そう、
<現存する世界最古の独立国家 ― 日本>

2672年前のアマテラス大御神の思し召しにより
2月11日、初代天皇の神武天皇が即位され建国された国日本。
このように歴史が神話と繋がる唯一の国日本。
(そういえばもうすぐ2月11日建国記念日ですね)

これって私たち日本人は世界に誇れる事なんですよ。

でも、こんな凄い事、学校で教わった記憶ないですね。
日本人に日本の文化や歴史に誇りや自信を持たせたくない、
所謂、左翼教育、日教組教育の方針でしょう。

これ、逆に海外では結構有名な事で、
外国人から日本が神秘的に見える一因であるんです。

皆さん、是非知っておきましょうね。
こういった学校で教えてくれない誇るべき日本を。


もちろん、こんな日本の凄い事、凄い歴史文化に対して
羨ましくて悔しくて妬ましく思う国が日本の近くにありますね。
そう、中国や韓国です。

よく、中国の歴史は3000年だの5000年だの吹いてますが、
この年表を見れば分かるとおり、中国の歴史なぞたった60年ちょい。
日本から見れば、まさにハナクソ程度。
そりゃ、その土地には何千年か人は暮らしていただろうが、
国は変わりまくり、民族も変わりまくりで、
しかも変わる度に、新しい王が前の王の文化を全否定で全壊するんで殆ど残さない。
歴史も伝統もあったものじゃない。
ぶっちゃけ、今の中国は漢民族ですが、前の清は満洲族(女真族)、元寇で有名な「元」などはモンゴル族と民族的にも入れ代わり立ち代わり。
有名な黄河文明も当然今の中国人と全く関係ない。先祖じゃない。
つまり3000年だの5000年だのは、全くありえない話ですね。

ちなみに韓国の歴史は8000年とか言ったりしてます(笑)(笑)(笑)
60年ちょい前の1948年が建国の癖に。
しかも今の朝鮮人のルーツはエベンキ族(笑)
もはや相手にしたくもありません。


ということで、現存する世界最古の独立国家
2672年なる悠久の歴史を誇る国、日本。

その日本の創世記からあるとされる神社が
「東国三社」の「鹿島神宮」「香取神宮」なんです。
すごいですね、日本。
すごいですね、東国三社。
2600年も鎮座する神様ですから、相当のパワーでしょうね。


ということで、また次回に続きます。。。
次回は香取神宮の散策記です。

 


【旅行記】 東国三社巡りに行ってきた その1 

2012年02月07日 12時40分02秒 | 日本伝統文化


■2600年前の空気に触れながら、神州日本の神々を巡る。


いつも政治や、いやらしい隣国達の問題ばかり書いて、書いてる本人も書きながらイライラしてましたが、
今回は、ちょっと落ち着いた旅行記を書いておきたいと思います。


この度、ちょっと時間を取って東国三社巡りというものに行ってきました。
東国三社とは茨城県鹿嶋市の「鹿島神宮」千葉県佐原市の「香取神宮」 茨城県神栖息町の「息栖神社」の3つの神社を指し
古来から厚い信仰を集めて来たこの3つの神社の総称になります。

 

 

 

 

 

 

 

現地観光協会によると以下のように説明されてます。

=============================
茨城県南部と千葉県にまたがる地域に「東国三社」と呼ばれる三つの神社があります。
鹿島神宮、香取神宮、息栖神社は東国三社として信仰の篤い神社であり、現在でも東国三社参り(三社詣でる事)が行われています。
三つの神社が「東国三社」と併せて呼ばれるのは、それぞれに祭られるタケミカヅチ、フツヌシ、アメノトリフネの三柱の神が、アマテラスに天界から派遣されて、地上を譲るように迫った「国譲り」神話に由来しています。
=============================


日本で、歴史的文化的な旅行・観光と言うと、
何と言っても京都、そして奈良や鎌倉がメジャーですね。
確かにそれらは、素晴らしい歴史文化を感じる事が出来る世界的優良な観光地です。
でも、それらに決して引けを取らない、むしろ見方によっては超越している感さえある東国三社巡り。
オススメです。


★オススメの理由


1.東京から近い

  東京から東関東自動車道で、1時間足らずです。
  京都鎌倉ほどメジャーじゃないのでシーズンでも悲惨な渋滞は無いと思います。


2.空いている

  土日連休の京都鎌倉はごちゃごちゃ人だらけで、ゆっくり歴史を堪能って余裕が無かったりしますが、
  土日でも程よい程度の人の数で、騒がしくもなく寂しくもなく、ちょうどいい感じ。


3.旅費が安価

  東京から近いから車での交通費も安いですし、
  メジャーじゃないので、駐車場代や、ホテルなども観光地にありがちなボッタクリ料金じゃないです。
  3社とも無料Pもありますし、有料Pでも2~300円位と安い。
  (祭りの日などは上がるかもしれませんので注意)
  あと、旅行会社から東京駅辺りから直通バスやバスツアーが出てるようですので
  車をもたない方などは利用してみるのも手かも。ガイドも付くし。


4.時間的にちょうどよい

  東京目線になりますが、基本的に3つの神社を巡るので、それだけであれば
  朝早く出れば、1日日帰りで出来ます。
  1泊2日取れば、余裕もある感じです。
  各神社間は車で30分程度で移動出来ます。


5.京都鎌倉を凌ぐ圧倒的な歴史

  ご存知のとおり、京都平安京遷都は794年、鎌倉は1192年。
  京都で1300年弱、鎌倉は900年弱の歴史(もちろん、それ以前からの歴史物も多数ありますが)
  で、この東国三社、とりわけ鹿島神宮、香取神宮においては、2600年!の歴史を誇ります。
  建立が初代神武天皇ですから、まさに神話の時代から存在する神社です。
  殆ど、この日本が建国された時と同じ位の歴史の長さになります。
  行ってみればわかりますが、その歴史の長さを証明するかのような巨木が境内内に沢山見ることが出来ます。


6.パワースポットを体感

  今、東京原宿の明治神宮では「清正の井戸」という場所がパワースポットとして大変注目を浴びているようです。


  なんでも、整理券まで配られ、休日は数時間待ちだとか。
  でも、この「東国三社」も物凄いパワーを感じるパワースポットとして有名です。
  鳥居を潜り、神社の森に入った時からジンジンと感じるパワー。
  2600年に渡り鎮座される神々のパワーを体感する事が出来るのであります。


7.その他の観光も可能

  この水郷地帯は、この三社以外にも、結構な観光が出来ます。
  小舟での水郷巡りとか、佐原の古い街並みを散策とか。
  探せば結構出てきます。
  また、成田空港も近いので、遠方から飛行機でディズニーランドに来たときに、さらにプラスαでって計画も出来るかも。

    鹿島はサッカーファンおなじみのアントラーズの本拠地でもありますね。


ということで、また次回に続きます。。。


【豆知識】 神社参拝作法について 【日本の神様】

2011年12月30日 12時44分21秒 | 日本伝統文化

■もうすぐ初詣!正しい神社の参拝手法を身に付けよう!

さて、今年も終わりに近づきました。
すぐに新年を迎え、日本人なら初詣に行くでしょう。

という事で、去年も掲載しましたが、
正しい神社の参拝手法をお伝えします。
日本人たる者、正しい神社の参拝手法くらいマスターしておくべきでしょう。
つーか、学校で教えろ!

以下、去年掲載したものです。


===========================
もう一年も終わりに近づきました。
今年は、某売国政党が政権を取ってしまったため散々な一年になってしましましたね。
おかげで私負け豚も余計なエネルギーを使う羽目になってしまいました。
まだまだ反日左翼との戦いは始まったばかりですが、
来年は良い年になるように、初詣に行って神様に祈願しなければなりませんね。

という事で、今日は日本の文化伝統である神社への参拝作法について紹介します。
いつも民主党や中国韓国朝鮮の反日国家に対する怒りばかり書いて腹立ててきましたが、
このブログの見出しにもあるように日本の文化伝統の素晴らしさについても触れて行きたいと思ってます。

皆さん、日本人であるなら、事ある毎に神社に参拝する事は少なく無いでしょう。
初詣はいうに及ばず、お初参りや七五三、厄除けや縁結び、合格祈願に病気回復などなど。
神社は日本古来の神様ですから、結構人生の中でお世話になるわけです。

でも意外と参拝時の正式な作法について知らない人も多いのでは無いでしょうか?
とりあえず、賽銭入れて鈴鳴らして手を叩いて祈って・・・終わり!?
こんな感じで済ましていたりしませんか?

せっかく、神の国日本に生まれて来たのですから、正式な作法を身に付けようではありませんか。
そうすれば御利益もあがるかも知れませんし、一緒に行く仲間からも一目置かれるかも!?

参拝作法1 ←ここをクリック
参拝作法2 ←ここをクリック

さぁ、皆さん正式な作法を覚えて、初詣では反日左翼達を日本から叩き出すよう、日本の神様にお祈りしましょう!


しかし、日本古来の神道神社の参拝作法は学校教育でキチンと教えるべきじゃないでしょうか。
いや、親から子へ、子から孫へ、自然に受け継がれるべきものか。


【英霊に】 8・15終戦の日 靖国神社に参拝しましょう! 【感謝を】

2011年08月09日 12時21分31秒 | 日本伝統文化

■ 総理大臣はじめ、閣僚参拝0人!英霊を粗末にする国に未来はあるのか?

 子供の頃、よくおじいちゃんおばあちゃんに
「亡くなった御先祖様は大切にするんだよ。御先祖様がいたからこそ、お前たち今こうしているんだよ」
なんてことを度々言われた人も多かったのではないでしょうか。
その時は、「なんか説教されてるみたいで、ウザいなぁ」なんて感覚だったような気がしますが、
でも、お墓参り行くよって言われると、なんか家族・親戚で遠足みたいな感じで、ちょっとわくわくして楽しかった。
そして、お墓参りを率先してくれたおじいちゃんおばあちゃんも段々と年を取り、思うように遠方までのお墓参りもままならなくなってくる。
子供たちも大きくなると、友達と遊んだりする方が優先になってきて、家族・親戚でお墓参りなんてのもめっきりと少なくなってくる。
いま振り返ると、家族の絆が薄れて行くかのようで、ちょっと寂しい感じですね。
そしておじいちゃんおばあちゃんらもお墓参りを、家族の絆の為、家族と楽しい時を過ごす為の口実に使っていたような気がします。


さて、それはさておき、もうすぐ8月15日、終戦の日が近づいてまいりました。
ご存じのとおり、日本が自存自衛、そして白人の支配からアジアを解放すべく戦った大東亜戦争の終結の日です。
アメリカの違法行為、戦争犯罪と言える、原爆などの民間人大虐殺などにより、敗戦という憂き目となりましたが、
私たちの先祖達は日本の為、アジアの為、そして未来の私たちの為に、勇敢に戦ったのです。

そして彼らは、戦地に向かうとき、もう会うのは最後かも知れない、家族に、友人に、恋人に、そして戦友にこういって別れたのです。
「靖国で会おう」「靖国で待ってるから」
まだ10代の彼らにとって、生きて帰れぬ覚悟で戦地に向かう。それは本当に辛かった事だろうと思う。
日本の為、家族の為、恋人の為、そして未来の私たちの為に、素晴らしい志ですが、辛く苦しい事には変わりません。
そんな中でも彼らには死を覚悟出来る一つの後押しがあったのです。
それは「靖国神社に祀られる」という事。
命を投げ出したとしても、自分は国家最高の名誉を持って、靖国神社に祀られるんだ。
家族にとっても最高の誇りとして称えられる。
天皇陛下が、総理大臣が、国会議員が、そして日本国民が皆、最高の栄誉で称え、そして参拝してくれる。
この名誉を持ってして、自分の命を掛けてでも、日本の為に戦える、こう思って戦地に赴き、そして散ったのです。
まだ10代の少年達が。

 

 

そしてご存じのとおり、彼ら若き英霊の魂を無視し、民主党左翼の総理大臣は靖国神社に足を運びません。
総理大臣だけじゃなく、政府閣僚で参拝した人は「0」です。
なんでも、中国韓国がいちゃもん付けて来るので、中国韓国の感情に配慮してという事だ。
政府閣僚にとって、日本の為に命を捧げ、そして最高の栄誉の下に総理大臣に参拝されると信じて、命を投げた英霊より、中国韓国の感情の方が大切なんですね。
中韓に媚びて英霊を裏切るんですね!
英霊を粗末にする国に未来はあるのか?

今の日本の閣僚たちは、靖国神社に参りません。
子孫が残せなかった若き英霊は、親兄弟がお参りに来ていましたが、その多くは年老い、また亡くなっており、年々参拝してくれる近親者も少なくなり、いなくなっています。
最高の栄誉のはずが、あまりにも寂し過ぎるのではないでしょうか。

政府閣僚が行かないなら、近親者が年老いていけなくなってしまったのなら、

国が国家として当たり前の事が出来ないんだったら、
じゃあ、私たちが行こうではありませんか。

靖国神社は「靖国の森」と言われるように、九段下という都心にありながら、広く木々が生い茂り、裏手には日本庭園もあり、単に都会のオアシスとしてもとても素晴らしい場所です。
また都心のパワースポットとしても有名で、全身にパワーがもらえます。
そして時間に余裕がある方は、「遊就館」という戦争博物館のようなところにも行ってみてください。
但し、ハンカチは必須です。


終戦の日は8/15ですが、月曜日ですので、その前の8/13、14の土日を使っての参拝でもよいでしょう。
また、遠方の方は、各県に一つはある「護国神社」に参拝する事をお奨めします。
靖国神社の出張所のような位置づけですから。

政府閣僚が行かないなら私たちが行こう。
「ご先祖様は大切にするんだよ」
子供の頃、おばあちゃんに教えられた言葉の真意を是非、靖国神社で確かめてみましょう。


参考動画
三宅氏、靖国神社で号泣           ← ここをクリック

 【花嫁人形】靖国神社と特攻隊員         ← ここをクリック

 

靖国神社ホームページ

http://www.yasukuni.or.jp/

 

【全国の護国神社】

函館護国神社(函館市) 札幌護国神社(札幌市) 北海道護国神社(旭川市)
福島県護国神社(福島市) 宮城県護国神社(仙台市) 山形県護国神社(山形市)
岩手護国神社(盛岡市) 秋田県護国神社(秋田市) 青森県護国神社(弘前市)
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【英霊に】 夏の風物詩、靖国神社 みたままつりのご紹介 【感謝の意を】

2011年07月06日 18時53分34秒 | 日本伝統文化


■英霊の御霊に感謝を!来週「靖国神社みたままつり」が開催されます!


いつの間にやら、すっかり真夏の日和になって来た今日この頃、皆様は如何お過ごしですか?
連日30度を超える猛暑に耐えながらも文句を言わず節電に励む日本人はさすがですね。

私など負け豚なので、節電するもなにも元からクーラーの無い生活を送っているので、いつもと変わりない夏の暑さを堪能しております。

しかし、やはり暑いものは暑いので、夜くらいは何とか涼しく過ごしたいもの。
いい夕涼みは無いものでしょうか。


そんな思いのところで一つ、夕涼みに打って付けの夏祭りをご紹介します。


来週の7月13日(水)~16日(土)東京の中心、九段下にある靖国神社において
英霊の御霊に感謝をと「靖国神社みたままつり」が開催されます。


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■みたままつり
日本古来の盆行事に因み昭和22年に始まった「みたままつり」は、今日、東京の夏の風物詩として親しまれ、毎年30万人の参拝者で賑わいます。
期間中、境内には大小3万を超える提灯や、各界名士の揮毫による懸雪洞が掲げられて九段の夜空を美しく彩り、本殿では毎夜、英霊をお慰めする祭儀が執り行われます。
また、みこし振りや青森ねぶた、特別献華展、各種芸能などの奉納行事が繰り広げられるほか、光に包まれた参道で催される都内で一番早い盆踊りや、軒を連ねる夜店の光景は、昔懐かしい縁日の風情を今に伝えています。

・祭儀日程
前夜祭 7月13日 午後 6時
第一夜祭 7月14日 午後 6時
第二夜祭 7月15日 午後 6時
第三夜祭 7月16日 午後 6時

 

 

 

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私たちの日本が今こうして平和で高い生活水準での暮らしが送れているのも
その昔「日本人が欧米列強の奴隷になるものか!」と命を投げ出してくれた私たちの先祖様のおかげによるのです。
なんの歴史もなく、今の私たちの生活がある訳ではないのです。
普段、そんな事意識することも少ないですが、こんな夏祭りを切欠に考えてみるのも大切かもしれません。

 

と、言ったところで、やっぱり夏祭りと言えば、涼しい神社の風に吹かれながら
ビール片手に出店で美味しいものを頬張り、プラプラとしながら祭りの雰囲気を楽しむ。
きれいな浴衣なんて着ていけばバッチリ!
これでしょう。日本の夏の楽しみは。
靖国神社は敷地も広大なので、出店の数も相当です。

中では3万を超える提灯が飾られ、それは見事なものです。


提灯には献灯者の名前が書かれているので、芸能人や政治家の名前を見つける事も出来ます。
そんな楽しみもあります。


場所も都心ですし夜も22時頃までやっているのようですので、
仕事帰りでも、フラッと寄れますね。


真夏のひと時の夕涼みに
英霊に感謝を込めて
靖国神社みたままつり
ご家族お友達同僚をお誘いあわせの上、是非足を運んでみてください。

 

 

 

 


【豆知識】 万歳の正しいやり方 

2011年06月02日 22時51分01秒 | 日本伝統文化


■うれしさ目出度さを表す万歳もやり方によっては。。。

 


結婚式や選挙の当選、スポーツで優勝した時など、目的を達成し、うれしい時や目出度い時に、必ずと言って良いほど行われる「万歳」
皆様も「万歳」をした事は一度や二度ではないでしょう。

ウィキペディアによると
・万歳(ばんざい、ばんぜい)とは、喜びや祝いを表す動作などを指していう言葉。動作を表す場合は、「万歳」の語を発しつつ、両腕を上方に向けて伸ばす。 また、より強調して、「万々歳(ばんばんざい)」と言われる場合もある。

とある。

「万歳」は皆で一斉にやることで士気高揚にもなり、一体感も生まれる。
古来中国から伝わったようだが、昔の人は良く考えたものだ。


さて、下の写真、自民党麻生元総理と民主党の菅・小沢の万歳を見比べて見てください。

 

 

 

麻生元総理と菅・小沢の違いが分かりますか?

注目は手のひらの向き。

そうです、正式な「万歳」は両手の手の平を向い合せた格好で両腕を高く上げるのが正式な作法。

さすがは麻生元総理。
きちんと作法通りに出来ていますね。

一方、菅・小沢の方は、両手の手の平を前に向けています。
これは、「万歳」でなく「降参」「お手上げ」つまり「ごめんなさい、まいりました」の意味。

似たような動作ではありますが、この微妙な違いで、
「喜び」や「祝い」の意が、まるで正反対の「降参」「お手上げ」になってしまうのです。

これ、豆知識ですのでしっかり覚えておきましょう。
目出度い席上で決して「お手上げ」しないように。


しかし、さすがは麻生元総理、そして政治家のくせにこんな事も知らない菅・小沢。

どうでもいいが、菅・小沢。
お前らは誰に「降参」してるんだ?
中国か?韓国か?

それとも朝鮮では「万歳」の仕方は違うのか?それは朝鮮式のやり方か?