先ず、欧州を見ると、1939年にドイツがポーラン
ドに侵入したことで、英仏が宣戦布告し、ここに
第二次大戦が始まります。独はソ連と不可侵条約
を結んで後方を固め、破竹の電撃作戦により、独
仏国境のマジノ線(フランスの対ドイツ超要塞線)
を突破、英軍を欧州大陸のダンケルクより叩き出
し、パリを陥落させ、アレヨアレヨと言う間に、
ソ連を除くホボ全欧州を掌中に。
その間の日本は、1937年7月 盧溝橋事件<日中戦
争勃発。いわゆる支那事変。今日、中共軍の劉少
奇将軍が日中両軍に発砲して日中を争わせた、が
定説に?(*)>から続く中国・国民党軍(蒋介
石軍)との長い闘いに突き進んでいた訳。
しかし現実は、蒋介石軍は日本軍に追い回され、
連戦連敗<つまりは日本軍の連戦連勝! とにか
く前線(現場)の日本軍は強かった。最後の一兵
(玉砕)まで戦ったので。こんな軍隊は世界広し
といえども日本軍だけ! 通常は3割ほど損傷す
れば、白旗を揚げて、ゲームオーバー>。首都・
南京を失い、遙か後方の重慶に後退、ここで、日
本軍と対峙することに。同年9月、国共合作が誕
生し抗日民族統一戦線が成立。それでも共産党軍
(八路軍)の実体は陝西省延安にヒタスラ閉じこ
もり、ただタマにチョコマカと動き回るだけ(敗
戦により、日本軍の武器弾薬を多数押収し、ここ
に初めて力を付けてくる)。
この蒋介石軍を助けたのが、英米独ソ(独は三国
同盟締結前に抜ける。ソ連も日ソ中立条約後から
は、支援は形だけ)で、世に言う【援蒋ルート】
<英領インドから、ビルマ(現、ミャンマー)、
雲南省を経由する長大な補給線>により蒋介石を
支援。この時、日本の軍事力は頂点にあり(ミッ
ドウエー海戦あたりまで)、もしその時点でイン
パール作戦を実施し援蒋ルートを少しでも断って
おけば(主力の英軍は、欧州戦線でドイツと死闘
を演じており、無傷の日本軍と闘う余力無し。ア
メリカは国民の総意で、未だ参戦できず)、孤立
無援となった中国は簡単に降伏!(の筈)
実際、蒋介石は英米に支援されている最中でも、
日本と降伏に近い講和を考えていた(と戦後、語
っている)。それを近衛首相が、「国民党政府を
相手にせず」(1938年1月)と宣ったばっかりに、
折角の講和の機会を自ら断ってしまった!
何れにせよ、チョビットでもインパール(又は、
その類似の)作戦を行い支那と和平していたら、
国際連盟(当時、有名無実化してたが)にも悠々
と復帰し(何しろ日本は大国なので。また、国際
連盟自身も復帰を望み活動を再開したがっていた
ハズ)、大戦の歴史(推移)は様変わりしていた
事でしょう。
例えば、ドーリットルの日本初空襲も無く<中国
での帰投地が無いので>、続くミッドウエー島攻
略戦(初空襲で頭に血が上った大本営が考案)も
必然、有り得なかった次第。
それを、よりによって何を血迷ったのか、負け戦
が決定済みの44年に、補給(兵站)も考えず、牟
田口廉也中将の強硬な主張により、多くの反対を
押し切りインパール作戦は決行された(**)。
杜撰な作戦により、白骨街道(***)と称された
悲惨な敗退路は、つい先日のNHK特集でも明ら
かな通り(死者の6割ほどは、戦闘死では無く、
餓死・病死だそうです)。
サテ、再び欧州に目を転ずれば、こちらも何を狂
ったかヒトラーは、41年6月、不可侵条約を破り
突然、独ソ戦を開始<バトル・オブ・ブリテンで
負け戦だったため?(この時も、ヒトラーはロン
ドンを空襲し続けたが、本来は工場地帯を徹底し
て叩くべきだった)>。イギリスとの二方面に戦
端を開いてしまう。が当初は、この独ソ戦でも、
電撃戦が功を奏し(不意を突かれたソ連の準備不
足も有り)、ソ連領に怒濤の侵攻!
<続く>
(*)2014年のウクライナ政変では、ヒラリー指
示の元、現地でヌーランド国務次官補が指揮し、
政府側、デモ側双方に発砲させ、違法クーデター
を成功させた(と言われている)のと同じ図式
<この政変劇では、ロシア系住民を守るため即行
でクリミア半島を押さえたプーチン大統領を、一
方的に悪と決めつけ、西欧社会は未だに経済封鎖
を続けている。ワルは、正当な政権を違法クーデ
ターで倒した、オバマ・ヒラリーに決まっている
のに!)。
(**)日清・日露と今次大戦に於けるリーダー
の大きな違いは、前者は、幕末・維新で白刃の下
を生き抜いた(死線を越えた)、即ち現場を知る
人物がリーダー! 対して後者は、軒並み陸大・
海大出身のペーパーテストでのエリート組(専ら
机上作戦ばっかり)。この差は、大きかった!
言わずと知れた、今日の旧帝大出身の霞ヶ関官僚
にも続く弊害でしょう。三橋 貴明著『財務省が
日本を滅ぼす』(2017/10/31刊)の言う通りと思
います<実際、お公家さんのような近衛(実は、
回りはスパイだらけ。当人も?)と、陸大・海大
出身の現場(実情)を無視した、ペーパーエリー
トによって国が滅ぼされました!>。
(***)日本軍のインパール(山岳地)への行軍
路は、当然のように、多くの村落がありました。
世界の軍隊は、食料が無くなれば、兵隊は、周辺
で略奪行為を働きます。これは常識しすぎる程の
現実です。必ずです! 所が、ミャンマーは今日
に至るも親日国です。何故でしょう?
それは敗退する将兵は、村落から略奪してまで生
きようとはせず、自死(餓死)を選んだ結果なの
です。恐らく、目の前には食料となる水牛が草で
も食(は)んでいたに違いありません。しかし、
これを食べてしまえば、自分は生きても、村人は
翌日からの農作業に行き詰まってしまうのを良く
知っていたからです(農村出身の将兵が多かった
事もあり)。もし略奪に走れば、村民・国民の恨
みは今日にも及び、大の反日国家になっていた筈
です。
これは、どれほど、日本人の民度(高潔さ)が見
事であったかを表すエピソードの一つだと思いま
す(無論、不心得者は何処にも居りますが)。