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<『567=666=ミロク』 の種明かし>

2014-12-30 19:00:03 | 日記

皆様は、「567」をミロクと読むことをご存じ
でしょうか? 主に、大本教(出口王仁三郎師)
によって唱えられた説です。私は、四半世紀ほど
前、当時、福知山市にあった愛善苑セミナー(開
祖・出口ナオ派で無く、聖師・王仁三郎を信奉す
る派)で学びました。
 <この時以来、王仁三郎聖師のお孫さんである
 出口三平氏と親交を結ばせてもらっています。
 先年、女性霊能者・友人・私の3名共々、三平
 氏に、綾部の大本教の聖地各所を案内していた
 だきましたm(_ _)m  
 尚、この女性は現在、世界で8台あると言われ
 る宇宙翻訳機のひとつを所持し、日々天界と交
 信しています。その能力は半端ではないですが
 宣伝もしないので、ほとんど知られておりませ
 ん。本物だからでしょう!<偽物に限って派手
 な宣伝を好むようです(苦笑)>。 
 ただ、時代は本物を求める時節でもあり、やが
 てこの女性は自然と世に出てくる筈です。私の
 先生でもあり、2012-06-03付けブログ、「紫根
 染について」のパンフレットをいただいた方で
 もあります>。

サテ、釈尊滅後の今日は平安時代以降、末法の世
と言われています(よって現在の、政治・経済、
社会、人心の荒廃、悲惨さも、末法とおり、と言
うわけです)。そして、未来(将来)我々を救っ
てくださる御方が、唯今天界で修行中です。その
名を弥勒菩薩(マイトレーヤー。ミトラ神とも)
と言い、その方が修行を終え、地上の万物を救う
べく、下界に降臨してくることを、「弥勒下生
(みろくげしょう)」と申します。
弥勒を数字で表すと、36、369、666、999(ひっ
くり返すと666)となり、これらは分かりますが
それでは「567」を何故、同じく弥勒と呼ぶので
しょうか? 
これには、深い意味が隠されているのですが、簡
単に申しますと、先ず、神道では、【ゝ】を「ホ
チ・素・ス・素神・ス神」と呼んで「神」を表し
又、大ざっぱに、この宇宙を、天界・中界・下界
の3つに分けています。
図のように、666(六六六)を縦に並べ、ひっく
るめて、弥勒と言います(正しい六は上が「、」
ではなく、【ゝ】となります)。
この時、天界の六のス神、「ゝ」が、下界(地上
世界)に降りてくるので、下界の六は一つ加わっ
て七。天界の六は一つ減って五。中界はそのまま
の六。よって、五六七となり、弥勒下生後の567
を、ミロクと言うのです。
<以降は私の勝手な推測です(汗!)>
仏教では言うまでも無くその降臨時期を、末法入
りより五六億七千万年後(これは比喩の年数。何
故なら、五六億年後には恐らく、地球は存在しな
いし人間もいないでしょう。そんな所に下生して
も、無意味なので。降臨なら、人類の危機が叫ば
れる今しか無い筈です)と言うわけですが、仏教
の年数は、この手書図(ヘタッピーで、相すみま
せん!)の説明から導き出されたものでもあるの
です。
以上、666は下生前(天界で修行中の弥勒菩薩)。
下生後(下界で万物を救済中)は567が正しいミ
ロクとなるのです。人の戒名(俗名→あの世の正
式名)と同じで、降臨前後での区分けが必要と思
います。尚、未来仏と言われるように、この際は
弥勒如来(仏)と称されるはずです。

次回は、<エッセネ派・軍神マルス・日月神示に
よる最後の一厘>で、ス神も絡んだお話しです。

【この一年、私の拙いブログにお付き合い下さり
心より感謝致します。それでは皆様もどうぞ良い
お年をお迎え下さい】


<私の身に起こった数々の符牒や奇跡>

2014-12-11 18:08:21 | 日記

符牒とは、例えば販売者間で秘密裏に伝えあう方
法を言うそうですが、今回は、あえて、「天(見
えない世界)&私」 との間での 『印』、と言う
意味で使わせて貰います。

●東京時代、25名の仲間(先年、惜しくも鬼籍に
 入られた「太田 竜さん」も)と共に3年に亘り、
 全て無料で西洋密教を学んだ事。メキシコ人の
 ミゲルさん(先生とは呼ばせませんでした)に
 よれば、これは、日本人に初めて伝える「隠さ
 れた真実の教え」であり、古来からの深いエニ
 シのある人達が一同に集められた、とのこと。
 ミゲルさん(メキシコの大地主の一人息子と聞
 いている)は日本滞在中、奥さん(日本人)の
 実家の2階の6畳間に寄宿。住所は、「川崎市大
 師町」。ミゲルさんは実は大師(マスター、グ
 ル、尊師、教父)なので当然と言えば当然。 
 尚、スペイン語の通訳は奥さんで、何と、ルー
 ツは秋田の山奥の雪深い、私と同じ小さな村の
 出(同姓)!?  これには両者ビックリ!
 全ては繋がっている?(笑)
●2歳の時から、何度も死にかけたが(2歳時、屋
 根からドド~と落ちた雪に埋まり九死に一生)、
 その都度、不思議と助かっている。何と言って
 も冬富士で「奇跡の奇跡の奇跡」によって助か
 った! 絶対にあり得ないことが起きた! 天の
 試練としか思えないような出来事でした(注1)。
 更に、人生上での大ピンチも、結局いつも避け
 られた!(今にして思えば、これも色々な「辛い
 経験」を積ませるための天の配慮かも知れない)。 
●貧乏商家のシガナイ小せがれに過ぎないのに、
 母方に、善行を積んだ偉大な曾々祖父(高祖。
 適塾出身)や曾祖父(明治3年、アメリカ・ドイ
 ツに8年留学)をもった不思議(奇跡)。更に木
 脇一族の、残された唯一の子孫である事(注2)。
●父方には超能力者の祖父を秋田に持つ。その遺
 伝か、たまに、ピ~ンとひらめく時がある(注3)
●人を殺していない父(戦地に行かなかったので)
 を親に持つ。私の世代では、ある意味、奇跡に
 近い事。
●丑寅(ウシトラ)の北国・秋田(父)と、未申
 (ヒツジサル)の南国・宮崎(母)の気質をそ
 れぞれ持つ両親の元、ホボ真ん中の東京生まれ、
 東京育ち。 よって、暑い夏の海水浴も好き、寒
 い冬のスキーも好き(笑)。
●人生の前半は東の中心地、東京。後半は西の中
 心地、大阪住まいで、バランス良く等分に生活
 (どうやら当地で骨を埋めそう)。しかも血液
 は進化型と言われる、日本人に9%のAB型<こ
 れじゃあ、バランス感覚が良くて当然だ~(笑)。
 右にも左にも与(クミ)しない>。
●学生時代は浪人を含め5年を鎌倉の禅寺で熱心に
 参禅。その後、西洋密教を学んだ訳。ここにも
 天の配慮によってか、思想が偏らぬよう、バラ
 ンス良く学ばされた気がする。
 尚、子供の時から、勇ましいことが好きで、そ
 れで大学では空手部に入ったのかも?(無論、
 鍛える意味もあって)。
●日月神示の言う、二重丸の刻印(因縁のミタマ)
 が、生まれた時から体に付されている(注4)。
●私の本名を「アルファベット法」数置変換する
 と、『666』となる<西洋では悪魔の数字。
 東洋ではミロク>(注5)。
●叔父を戦地から無事生還させた、祖母の祈念力
 (?)が、幼児の時から、『坊やは神の子 仏の
 子!』として、私に降り注がれた。前回ブログ
 及び[注6]。
●そして同じく、前回にある、天の恩寵によって
 か、「毎朝、奇跡的に水ごりを取らせて貰って
 いる数少ない者」との自覚。

(注1)『何度も死にそこなった、どうでも良い
     お話』(2013-05-08) 
(注2)『朽ち果てた先祖墓所(;_;)初墓参の記』
     (2014-02-24)
    『木脇氏・陰徳あれば陽報あり』(2012
     -09-07) 
(注3)『超能力者になった祖父』(2012-03-02)
    <神懸かった「年賀状」?>(2012-02-06)
(注4)『因縁のミタマには【カミ】の印がつけ
     てあるぞ』(2013-07-08)
(注5)<フリーメーソンが好む『666』(下)>
     (2014-08-04)
(注6)<凜とした明治の祖母> (2014-02-22) 

★「天(?)と私」 との、『数々の符牒や奇跡』
 をザッと思い起こすと、以上となります。


次回は、<『567=666=ミロク』の種明かし
(仮題)>か、1年以上前に、『因縁のミタマに
は【カミ】の印がつけてあるぞ』 で予告した、
<エッセネ派・軍神マルス・日月神示よる最後の
一厘>のどちらかを予定。


<祖母の祈り & 秘かな自覚>

2014-12-08 21:21:03 | 日記

「生長の家」の熱心な信者であった祖母には3人
の子がおりました(尚、私も母も無宗教です)。 
女・女・男で、母は次女となります。余談ですが、
親族が言うのも何ですが、長女の伯母は本当に綺
麗な人でした(傾城と言うほど)。母ととても仲
良しでしたが、残念ながら、60早々にしてクモ
膜下で他界してしまいました(母の悲しみは如何
ばかりか、と)。
サテ、私の叔父ですが、戦前、三和銀行員(今は
三菱UFJ)のまま徴集され、当時、玉砕報道がた
くさん流されていた(ガダルカナル、ペリリュー、
マキン、タラワ・・・)南方の戦地に赴きました。
祖母にとってはたった一人の大事な総領息子です。
毎日、朝晩、神仏にひたすら、息子の無事な帰還
を祈念しておりました(この事は、子供の時に母
から良く聞かされていました)。その祈りが通じ
たのか、叔父は、戦後直ぐ、五体満足で無事復員
して来ました。
話はズ~ッと下って、私が大阪転居後のことです。
叔父が我が家に逗留した際、戦地での驚くべき体
験話をしてくれたのです。ある時、10人程でトラ
ックに乗って移動中、トラックごと谷底に転落し、
一人を除いて全員死亡。叔父だけが助かった! 
しかも無傷で!!! と言うのです。 
この時、私は、祖母の祈りは決して無駄ではなか
った、「至誠天に通ず」 とはこのことに相違な
いと確信したわけです。
こんな奇跡は(五体満足で直ぐ帰国したことも含
め。これが満州なら、ソ連に5~6年も抑留され、
更に苦しい重労働が待っていた)、偶然であるは
ずはなく、祖母の祈りが奇跡を呼んだ、と思うほ
うがヨッポど自然と思うからです。
ついでに申しますと、私の父は強健だったお陰か、
本土決戦要員として、戦地には行かず、日本に温
存されました。代わりに内地で徴用され、軍事工
場の「日本鋼管」で働きました。当時、日本「鋼
管」は命の「交換」と揶揄されたほど(笑)、厳
しい仕事だったそうです。
戦地に赴けば、否応なく人を殺すことになります。
私は、この世に生まれる際、どの人を父親に選ぶ
かにあたり、やはり、人を殺していない人が良い、
と言うワケで父を選定したものと思われます<死
後、ハッキリするでしょう(爆)>。

話かわって、私には秘かな自覚があります<記事
にした時点で秘かではありませんが(笑)>。
毎朝、水シャワーを浴びていますが、前々回、書
きましたように、これは現代版 「水垢離」 だと
確信しました。人類70億として、毎朝、水シャ
ワーを浴びている人は一体何人居るでしょう?
(そもそも、水ごりを取る民族は日本人以外に居
るのでしょうか?)  しかも、『水ごり』 と自
認した時点で、単なる水シャワー(健康や趣味な
ど)を離れ、崇高な使命感(志)もが湧き上がっ
て来る気がするから不思議です(世のため人のた
め、のような)。
このように『志』 をもって水ごりする人は更に
絞られ(限られ)、つまりは今日、全人類中、使
命感を持って水ごりする人間は、ほとんどいない
ワケで(宗教家などプロを除いて)、正に「天の
恩寵を受けた人だけが出来る行為」 と思わざるを
得ないのです<ですので私は、天の配慮を受けて
いると(勝手に)思い込んでいるので、この世に余
り怖いモノは無いのです。命も惜しいとは思いま
せん>。

天の支援・了解・指導等がなければ、たとえ水ご
りしたいと思っても、風邪を引いたり、体を壊し
たりで、継続は困難かも知れません。この点、早
や3年に亘って、風邪一つ引くことなく元気に続
けられるのは、天の援助(恩寵)あってこそ、と
思っています。
近頃の寒い朝など、時に挫けそうになりますが、
この自覚のお陰で、何とかガンバッテいる次第
です^^; 

次回は、『私の身に起こった数々の符牒(仮題)』
です。