私の父方の祖父は超能力(霊能力)者でした。
秋田県の山中の町で、呉服屋を営んでおりました。ソコソコ、
田舎の名士のようで、製造販売品の「紫根染め」が宮内庁に納
品されたり、東北六県連合共進会の賞牌を受けたり、郡の繊維
協会の理事長なんかも務めていたみたいです。
なかなか進取の精神に富んだ人物だったらしく、都会から旅人
がやってくると、何日も自宅に逗留してもらい、中央の話(情報)
を聞くのを楽しみにしておりました。
又、店先に、当時、最先端の情報機器である短波ラジオ(笑)
を置き、株投資などもしていたそうです。
大正から昭和の初めに掛けては、日本中が一種の霊能力・超
能力・神霊ブームであり、多くの新興宗教や心(神)霊術者が
現れました。祖父も、大変興味を持ち、東京での霊能力養成
講座みたいなものに積極的に参加し、時には、1週間から1ヶ
月も泊まり込んだ程の熱心さでした。
その結果、「大霊道霊○術」の極意をマスターしました。その時、
マスターした人は二人で、もう一人は東京で、霊能治療院のよ
うなものを開業したそうです<この人が、私の父と母を引き合わ
せたのですから、世の中はそれなりに面白いです(笑) >。
祖父は、呉服屋の本業があるので、身につけた霊能力は専ら、
家族や友人・知人のみに留めておりました。
サテ、昔、父が胃潰瘍になり、日本医大で胃の2/3の切除手
術を受けました。手術は無事に終わりましたが、その際、執刀
医が母に、「お宅のご主人は、以前、腹膜などをしましたね?」
と問い、母は全く記憶にないので「いいえ、主人からはそのよう
な話は一切聞いておりません」と応えたところ、「それはヘンだ
な~!? 確かに開腹して癒着を治療した痕が見られるのだが
な~」と不思議がっていたそうです。
母は帰宅後、ふと、あることを思い出したのです。
それは、父が若い頃、原因不明の難病にかかり、万策つきて、
どうせ死ぬのなら、東京ではなく、故郷の秋田で死にたい、と言
うことになり国に帰りました。秋田では、祖父が毎日、朝夕1時
間ばかり、父のお腹の上に手を当てて施術してくれたそうです。
すると、みるみる回復し、一ヶ月ばかりで完治し、無事、東京に
戻られた、と言うものです。そして母は、執刀医の言う「癒着治
療痕跡」とは、このことに違いないと確信したワケです。
それと先年、親族の盛岡での結婚式に参加した際、となりに座
った叔母さんが、「私が娘時代(20才くらい)までは、病気にな
ると、父がいつも手当療法で治してくれたので、薬を飲んだり、
病院や医者に掛かったことは一度もなかったのよ」と、ビックリ
するような話をしてくれました。
<叔母は優しく正直なうえ、岩手大(国立)の教授夫人ですので、
ウソを言うような人では無いですし、その必要もありません。又、
この項の下書きを書いている際、従兄弟から「3/1未明に亡く
なった」との電話がありました。とても不思議な気持ちとともに、
心よりご冥福をお祈り致しますm(_ _)m >。
母と、叔母の話からも、祖父がモノにした後天的霊能力は、相当
なものだったと想像されます。私が学生時代から、スピリチュアル
(精神世界)に大いに関心を持ち続けたことや、25才くらいから、
証券投資をするようになったのも、この祖父の隔世遺伝かも知れ
ません(笑)
<写真は父方の祖父>