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るものを求めました(送料共5,980円)。面白
いように、古いネガ写真をPCに取り込め、とっ
ても便利です(^-^)
初めて先祖の墓に詣でた時のネガが見つかりまし
たので、早速、2012年09月07日付け、「陰徳あれ
ば陽報あり」より、木脇の墓に関する部分を抜き
出し、加筆修正のうえ改めてここにアップ致しま
す』。
祖母の話によりますと、代々医系の木脇一族は
『 家訓 』として、とにかく、【 医は仁術 】
を実践し、善行・積善に努めたそうです。
祖母が父の木脇良(つまり、私の曾祖父)に連れ
られ県内を歩くと、文節様(曾々祖父。戒名は
『法雲院文翁道節居士』)の孫が来た、と各地で
大歓迎された事を、つい昨日のように語ってくれ
たものです。木脇文節の墓は何故か、日向市細島
と宮崎市佐土原の2カ所にあります。
大学1年の夏、ひとりで初めて、夢にまで見た母
方の故地・宮崎に赴き、祖母の細々とした記憶を
頼りに、やっとの思いで2つの墓所を探し当てま
した。写真にあるように細島の文節の墓は、墓石
の一部が欠けており、佐土原の墓は草むらの中に
打ち捨てられておりました(*_*)
昼の細島に続き夕刻は、佐土原の、既に廃寺とな
った墓地に踏み込みましたが、背丈ほどの夏草が
ボ~ボ~と繁り、どこが道やら墓石やら分からず
じまいの荒れようでした。
クモの巣やヤブ蚊と戦い、倒れた墓石を踏み超え
ながら(踏んで初めて墓石と分かる)しばらく進
みますと、一番奥の方、夏草の頭越しに、スック
と起立する大きな石碑が見えて参りました。
これが子供の時から聞かされていた、懐かしい先
祖の墓に違いないと思った瞬間、まるで、「そう
だよ!」 と言わんばかりに、丸く大きな真紅の
夕陽が、この墓石をバァ~! と朱色に照らし始
めたのです(この感動は今でも忘れられません)。
何れも、苔むし倒れ朽ち果て夏草に覆われた、
文節たち祖先の墓石と初めて対面した際は、線香
の煙と共に哀れを催し、般若心経を唱えながらも、
しばしの落涙を留めることは出来ませんでした
<まさに、「夏草やツワモノどもの夢の後」の情
景>。と同時に、俺は木脇の一員なのだ、との強
い自覚が沸々と湧いて来たのも確かです。
写真1枚目「先祖代々之墓」の左脇にあるのが文
節の墓です。高さは約1m程あるので、「先祖代
々」の石碑は優に3mは超えるでしょうか? と
にかく圧倒されるほどの巨大さでした。
でも、最早、この光景を目にすることはありませ
ん。25年ほど前、遠縁の爺さんが、この有様は
忍びない、と供養のうえ、撤去してしまったから
です。
木脇の偉功の残り香を伝える物は、もう、この写
真しか無い上に、その木脇氏も父系はとうの昔に
絶家し、母系の私を以って、実質、オシマイと相
成ります(*_*) <偉功とはオコガマシイですが、
木脇良は、日本に博士号が制定(明治20年)さ
れる10年前に、ドイツで医学博士号(ライプチ
ヒ医大)を授与されましたので、一応、日本初の
博士と言うことで・・・(汗!)>
2枚目は、細島の文節の墓。
3枚目は、木脇城跡