前回の、ビルマ山中の援蒋<中国国民党軍(蒋介
石軍)支援>ルート断ちが、「二次大戦の図式を
一変させる程のインパクト」には、納得できない
人も多いことでしょう。
それは、援蒋断ち→蒋介石の降伏に近い状態での
和平成立(この時、毛沢東の共産軍は、支援する
ところも無く、殆ど無力状態。せいぜいゲリラ戦
程度)→中国大陸平穏化→よって、日本は大陸の
兵を幾らでもソ満国境にも、東南アジアやインド
方面にも移動可能→ソ連のシベリア軍団は欧州戦
には向かえず(モスクワ防衛に投入出来ず)、国
境地帯に釘付け→よって、ドイツ機甲軍団のモス
クワ猛攻勢により<この時点(1941年10月あたり)
では、アメリカからのソ連への武器援助は無いか,
あっても極く少数>→「タイフーン作戦成功」で,
ついにモスクワ陥落→極東のホボ無傷の日本軍と
に挟撃されソ連降伏→ヨーロッパ全土が枢軸側に
握られ、残る英国も風前の灯火に!
イギリスが陥落すれば、アメリカが世界の孤児と
化してしまう訳で、何という面白いストーリー展
開ではありませんか!!!<でも、そうは成らな
かった(*_*)>
援蒋断ちは、以上のような、とてつもない大図式
を成立させる程のインパクトなのです。如何に中
国大陸での和平が重要であったか、少しはご理解
頂けたでしょうか?
実は、援蒋ルートの入口は、今のバングラデシュ
(ベンガル湾)辺りです。12/8の宣戦布告後は、
速やかに、ここらの揚陸港(港湾施設)をチョコ
ッと叩いて破壊するだけで<例えば、連合艦隊の
大和・武蔵による世界最大18インチ砲の艦砲射
撃(メチャメチャ保有していた、その他の戦艦・
巡洋艦も使い)や空爆など>、援蒋ルートはお終
いです。わざわざインパール作戦など発動する必
要すら無い訳です。
<続く>
次回は、主力戦場はソロモン海域(ガ島)では無
くインド洋! を記したいと思います。