前回、秋田の祖父は「呉服商」とお話しました。
その際、商売道具として写真にあるようなカラーの「紫根染チラ
シ」を用いました。考えてみますと、これは、当時としては、と
ても画期的でハイカラな販促ツールと思えます。
何しろモノクロが当たり前の時代、しかも雪に半年は閉じこめら
れ、鉄道も開通していなかった秋田の山中の田舎町にあって、
カラーのチラシなど、地元の人達にとっては見るも初めてで、恐
らく度肝を抜かれたことでしょう。人によっては、呉服より、この
カラーのチラシを欲しがったに相違ありません(笑)
祖父の商売のアイデアとセンスが光ります<何で、私に隔世遺
伝してくれなかったんだろう!(笑) >。 これも、霊能修行
で大都会・東京に通った賜でしょう(都会ではカラー広告が普及
し始めた頃)。
「角昌呉服店」は、東北北部では結構知られた存在だったそうで
すが、祖父が死に、後を次いだ長男以降、時代の推移もあって
かウダツがあがりません(*_*)
ところで去る4月、秋田の実姉が我が家(大阪)に滞在しました
が、その時のお話です。
以前、姉が、紫根染に興味を持ち、当時、伝統工芸士(秋田県
指定の無形文化財)の栗山文一郎さんの所に話を聞きに行った
そうです。その際、「私は角昌の孫なんです」と伝えますと、
栗山さんはビックリして、「実はね~松五郎さんの奥さん、つ
まり貴女のお祖母さんは、紫根染の名手だったんですよ!」と
聞かされて、大いに感激した、と言う話をしてくれました。
つまり、角昌呉服店は夫婦二人三脚で繁昌していたわけですね。
<紫根染を詳しく>
紫根染(戦後すぐ、国の無形文化財に)は、秋田県鹿角地方に
産する野生のムラサキやアカネの根を染料に使い、古代紫(鎌
倉時代から続く)とも云われている鹿角の文化の古さを代表す
る染色の技法であり、全国的にみても鹿角地方にのみ伝承され
続けてきた秘法と言える。
紫根は殺菌性が強く、伝染病予防効果に勝れていること、決して
変色しないこと、着物や夜具は湿気を呼ばず、身に着けると病気
にならないとか、難病を防ぐと云われた。特に痔・肺病・くさ・瘡
などには効果があると口伝され(紫根染のシーツはダニなどの虫
も避ける)、こうした効果を利用して、湯治の人に湯見舞として
紫根染を贈ると云う風習もあった(華岡青洲の作った痔の妙薬
「紫雲膏」の主原料は紫根である)。
三越呉服店名産品陳列会に於いても、夜具・布団・襦袢・下着用
として好評を博した。そして、秋田県の各種競技会に出品して、
幾度となく入賞するなどして、鹿角の紫根染は秋田県もしくは東
北地方の特産品として名声を高めた(江戸時代は、南部藩が保
護・普及したので、「南部染」とも)。
近年は主に羽二重などを使い、高級反物として知られている。
現在は、手間(人手)と時間がかかり過ぎることや、原料のムラ
サキ・アカネの入手難から、染色の技法を継続していくことははな
はだ困難な状況になり、一部でしか行われていない(そのため高
価です)。
ただ、とても優雅で気品があり、長く使用できるところから、今
でも根強いフアンに支えられているようです。
有名なところでは、盛岡・紺屋町の「草紫堂」さんが知られてい
ます(二枚目の写真は草紫堂さんのパンフレット。私のセミナー
の先生から、先日頂戴しました)。
<写真の文字>
製造発売元
角昌商店 ●●松五郎(父方の祖父名)
陸中国 鹿角郡 花輪町
鹿角特産 紫根染
宮内省お買上げの光栄を賜る
御大礼奉祝の為 陸軍より献上したる御太刀装束品 謹んで染
めの大栄を蒙る
立太子礼奉祝の為 陸海軍より献上したる御太刀装束品 謹ん
で染めの大栄を蒙る
於 奥羽六県連合共進会賞牌を受く