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『何度も死にそこなった、どうでも良いお話』

2013-05-08 22:04:04 | 日記
私の満2才の冬は雪国・秋田で過ごしておりました。
ヨチヨチ歩きでしたが、ある時、頭にズキンをかぶり、大人達の団らんの
場をひとり抜けだし、玄関の戸を開けて外に出た瞬間、突然、ドドド~ッ!
と言う音と共に、屋根の雪が一気に落下し、私は埋もれてしまいました
(この状況を未だ、微かに覚えています)。その後の記憶は有りません。
秋田の姉が知っているはずなので、いつか聞いてみようと思っています。
これが生まれて早々の、死にそこなった栄(ハ)えある第1回です(笑)

2度目は、東京の小学校に併設されていた幼稚園時代。
友達数人で、先生の目を盗み教室を抜け出し、氷の張った小学校の
プールに行き、そこで石投げをして遊んでおりました。プールの淵も氷が
張っており、私は足を滑らし、そのままプールにドボン! 気が付いたら、
養護室のベッドの上でした。無論、友達が先生を呼びに行ってくれ事な
きを得たわけ。
余談ですが、この幼稚園で、一泊の金沢八景(横浜)における海水浴が
ありました(母も参加)。 初日の浜で、先生が父兄や園児を前に、注意
事項などを話しているとき、私一人だけが突然走り出し、海に入っていっ
たものだから、先生や母は大いに慌てたとの話です(帰宅後大変叱られ
ました)。

3度目は、小学校2~3年次。当時、通学路の途中に竹の問屋があり、
店先には、いつも太い孟宗竹が何十本も立てかけられておりました。
登校時に、それがナンと一斉に倒れてきて下敷きになり、私の頭はコブ
だらけになってしまいました。幸い大事には至らず、店主は平謝りでし
たが、今なら、さしずめ、慰謝料のひとつかふたつは貰えたかも知れま
せん(笑)<店は過失傷害を問われるでしょうし>。
何より、私の頭が悪いのは、このせいだと、未だに恨んでいる3度目の
情けない体験です(爆)

4度目は高校2年の11月。冬富士で滑落し、正に「九死に一生」を得る
強烈な経験をしました(滑落中、「走馬燈のように」と言う神秘体験も)。
この話だけで長くなりますし、次々回ブログ(仮題『エッセネ派・軍神マル
スと最後の一厘』)にも大いに関わると思われるので、次回に。

5度目。以前からの「若い時分に肉体労働の経験を積んでおくべし」との
信念に基づき、大学卒業の翌年、失恋を契機に会社を辞め<大した会
社じゃ有りませんので(笑)>、半年間の季節労務者になり、冬の北海
道で炭坑夫として肉体労働に従事しました。
ある時、地底1100mのムキ出しの坑道の壁を背もたれにして座り込み、
昼食の弁当を広げていると、突然トロッコが暴走してきて、危うく轢き殺
される所でした。又、足元でゆるんでいた鉄のワイヤーが突如、ピーンっ
と引っ張られ、危なく大ケガをする所でした(場合によっては命までも)。
「怪我と弁当は自分持ち」とは、炭坑夫が共有する、 有名な格言の一つ
です(笑)

6度目以上、幾度も。
東京に戻ってからは、しばらく、「陸送」のアルバイトをしました(当時は
今と違い幾らでも仕事があり、新聞は求人広告で溢れていた)。東京の
卸店から地方の中古車店へ、車を自分で運転して運ぶワケです(帰路
は鉄道で)。日中は道路が混むので、いつも夜間に東京を出て、朝方、
現地到着です(青森、新潟、富山・・・など)。
長距離・ひとり・夜間運転、となりますと、途中、どうしても睡魔に襲われ
ます。実際、幾度となく危機的状況に見舞われました。
「山中のまがり道で危うく壁に激突しそうになったり」、「路肩を踏み外し
て崖から転落寸前とか」、「対向車と正面衝突避けられず! これで
人生オシマイだ~! 南無さん!」などなど・・・。
しかし、普通なら絶対に大事故間違いなし、否、即、あの世の住人、とな
るべき極限的状況下にあっても、ナゼか不思議と、ギリギリの所で奇跡
的に回避でき、一度も事故ったことはありません。

これら以外にも、沖縄西表島のジャングルを8時間掛けて単独縦断中、
何度も道に迷い、それはそれは恐ろしい体験をしたこと。同じく、福島の
西吾妻山でも、ひとり道に迷い、遭難一歩手前で助かったこと・・・・。

以上、私の人生の前半を振り返るとき、何とマ~ 今日まで無事に過ご
せてきたことか! まさに奇跡の連続としか言いようがないのです。
こんな経験・体験を幾度も致しますと、私は自然と「何者かに守られてい
る」、「これは試練だ」と密かに自覚するようになった次第です。


次回は、烈風吹きまく冬富士で『九死に一生を得た』キョーレツなお話。