2005/11/28(月)休日の鎌倉獅子舞の黄葉
今日はオフ。久しぶりに鎌倉の獅子舞に黄葉を見に行こうかと思っている。朝起きて、新聞と煙草を買いに出あとて、洗濯を済まし、花に水をやり、今ひと休み。あと部屋のかたづけが残っているけど、それは夕方。今始めると、貴重な一日がつぶれてしまう。とりあえず、同居人(?)を起こして朝飯を食べさせなければ。最近奥方は体調が優れない。もう一週間寝込んでる。多分この一週間一歩も外に出ていないのでは。でも、夕方になると元気になるのだけれど。
今、桐野夏生の「玉蘭」を読み始めた。この間、宮本輝の「星宿海への道」を読み終えたので。まだ読みたい本とか、しなければいけない事が多いのに、なかなか手が回らない。
パソコンの環境を整備して、アクセスとエクセルを使ってデータベースの作成。
古いIBMのノートパソコンにLinuxをインストールしたいし、スカイプもやりたいし。(ハード、ソフトは購入してあるのにまだ手をつけていない。)あと一番大事なことも始められない。頭の中ではなんとなくあるのだけれど、まだ、イメージ段階で具体的にならない、機が熟していない(自分の中での)感じがするし、仕事に追われて(昔みたいに期限に追われないけれど)それを、こなしているだけ。あとお酒を飲んで一日が終わってしまう。この仕事が主になってしまいそう。
もう少し時間が取れると思っていたのだけれど。でも時間は自分で作るのだろうけれど、楽なほう、居心地のいい方に流れてしまう。反省ーーーー。
このあいだ、飲み友達にお説教された。逃げてばかりいて、向き合おうとしないと。確かに言うとおりなので、耳に痛い。又も反省。でも反省は猿にもできるとか。
今日はオフ。久しぶりに鎌倉の獅子舞に黄葉を見に行こうかと思っている。朝起きて、新聞と煙草を買いに出あとて、洗濯を済まし、花に水をやり、今ひと休み。あと部屋のかたづけが残っているけど、それは夕方。今始めると、貴重な一日がつぶれてしまう。とりあえず、同居人(?)を起こして朝飯を食べさせなければ。最近奥方は体調が優れない。もう一週間寝込んでる。多分この一週間一歩も外に出ていないのでは。でも、夕方になると元気になるのだけれど。
今、桐野夏生の「玉蘭」を読み始めた。この間、宮本輝の「星宿海への道」を読み終えたので。まだ読みたい本とか、しなければいけない事が多いのに、なかなか手が回らない。
パソコンの環境を整備して、アクセスとエクセルを使ってデータベースの作成。
古いIBMのノートパソコンにLinuxをインストールしたいし、スカイプもやりたいし。(ハード、ソフトは購入してあるのにまだ手をつけていない。)あと一番大事なことも始められない。頭の中ではなんとなくあるのだけれど、まだ、イメージ段階で具体的にならない、機が熟していない(自分の中での)感じがするし、仕事に追われて(昔みたいに期限に追われないけれど)それを、こなしているだけ。あとお酒を飲んで一日が終わってしまう。この仕事が主になってしまいそう。
もう少し時間が取れると思っていたのだけれど。でも時間は自分で作るのだろうけれど、楽なほう、居心地のいい方に流れてしまう。反省ーーーー。
このあいだ、飲み友達にお説教された。逃げてばかりいて、向き合おうとしないと。確かに言うとおりなので、耳に痛い。又も反省。でも反省は猿にもできるとか。
2005/11/21(月)星宿海への道
宮本輝「星宿海への道」。読み終わった。やはり、宮本輝の作品はいい。
中国旅行中にタクラマカン砂漠近郊の村から、自転車に乗ったまま忽然と姿を消した瀬戸雅人。彼の帰りを待つ千春と幼子のせつ。血のつながりのない弟、紀代志がその足跡を辿るうちに明らかになる兄の人生ーーー。
瀬戸内海で千春が体験する夜景、「島と海とは点在していたが、それは仄かな濃淡の差で判別がつくのではなく夜空の星の映り具合によって、どれが島でどれが海なのかわかるのだった。けれども再び湯気が立ちのぼると、光の加減は変化して、島だったはずの陰影に星が映り、海面だったはずのところの波光は黒く静まりかえって樹木の密生する島と化し、その絶え間ない変化はいつまでも繰り返された。」
この文章を読むと、その光景が目に浮かび、まさに自分がそこに居て、自分がこの夜景を体験しているような気持ちになる。
自分の体験と、創造と何かが交じり合って、そのように感じるのだろうか。
宮本輝「星宿海への道」。読み終わった。やはり、宮本輝の作品はいい。
中国旅行中にタクラマカン砂漠近郊の村から、自転車に乗ったまま忽然と姿を消した瀬戸雅人。彼の帰りを待つ千春と幼子のせつ。血のつながりのない弟、紀代志がその足跡を辿るうちに明らかになる兄の人生ーーー。
瀬戸内海で千春が体験する夜景、「島と海とは点在していたが、それは仄かな濃淡の差で判別がつくのではなく夜空の星の映り具合によって、どれが島でどれが海なのかわかるのだった。けれども再び湯気が立ちのぼると、光の加減は変化して、島だったはずの陰影に星が映り、海面だったはずのところの波光は黒く静まりかえって樹木の密生する島と化し、その絶え間ない変化はいつまでも繰り返された。」
この文章を読むと、その光景が目に浮かび、まさに自分がそこに居て、自分がこの夜景を体験しているような気持ちになる。
自分の体験と、創造と何かが交じり合って、そのように感じるのだろうか。