2005/9/23(金)「カーマスートラ」
K、ローレンツは「文明化した人間の八つの大罪」の中で、現代人は「不快を触発するあらゆる刺激状態にたえず敏感になり、快を触発するあらゆる刺激的状態に対してますます鈍くなる方向」に進んでいると書いている。誰しもがそれぞれの喜びを見つけることに困難を感じており、また、ちょっとでも不快なことにはすぐ苛立ち、突然相手に切りかかるような手合いがどんどん増えている。どうしてそんなことになってしまったのだろうか。
この文章は植島啓司さんの「性愛奥義」(官能の「カーマスートラ」解読:講談社現代新書)という本の序文の書き出しである。
昨日、本屋さんでこの本を見つけて、また衝動買いをしてしまった。
「人間にとって果たして生きる意味とは何なのか。かってプラトンは「ファイドロス」の中で、「人間の生きる目的とは、エロス(恋)を通して、ひたすら美しいものに憧れ、地上に生きながら「できるだけ神に似たものになること」以外にないと、述べている。さらに、古代インドの賢者は、われわれにもっとも必要なものは、ダルマ(美徳)、アルタ(富)、カーマ(性愛)の三つである、と明確に述べている。」
と、植島啓司さんは「性愛奥義」で書いている。
私も、「カーマスートラ」と言う言葉は知っていたけれど、一度も読んだことがない。本屋の立ち読みで序文を読んだら、つい買ってしまった。
「エロス(恋)やカーマ(性愛)についての古代最大の智慧、カーマスートラは、
「魂の中に生じうる最大の快楽と苦痛を同時に引き受けざるをえない活動」、それこそ人間にとってもっとも根源的な体験であることを、つまりエロス(恋)やカーマ(性愛)こそが、いまやもっとも学ぶべき価値のあることだ」
と序文に書いてあったので、読みたくなってしまった。
先日、横山秀夫さんの「半落ち」を読んでいたら、同じような意味の言葉が書かれていた。
「あんたは今、誰のために生きているんだ」