大分では珍しく雪が降った1月のある日。
昼休みに運動場で走り回っていた私を担任が呼びに来た。
「叔父さんが亡くなったと連絡があったから、すぐに帰りなさい」
何が何だか分からないまま慌てて帰宅した。
家には母親と、町内に住む親戚が集まっていた。
父親と祖母は既に名古屋に向かったと言う。
そう、亡くなったのは名古屋に住む叔父だった。
10歳も歳が離れていたので、父はもちろん母も実の弟のように可愛がっていた。
私達姉妹にとっても叔父というよりむしろお兄さんのような存在。
盆と暮れしか会えなかったが、面倒くさがらずによく遊んでくれたし、子どもにとっては未踏の地(笑)喫茶店に連れて行ってくれたりもした。
お風呂上がりに裸を見られ、恥ずかしくて泣いたこともあった。
今思えば笑えるが、異性として意識してしていたのだろう。
もちろん、同級生に好きな男の子はいたけれど、
それとは別の、自分の知らない世界を見せてくれる「憧れの人」だったのだ。
その叔父が亡くなった。
茶の間のザワザワした光景をなす術もなく眺めていた。
その後、自分がどうしたのか記憶が定かではない。
どれだけ時間が経ったのか覚えていないが、気付けば私は両親の部屋の隅で膝を抱えて号泣していた。
「死」とはどういうものなのか、初めて身をもって理解した時だった。
その証拠に、2歳下の妹は悲しい素振りも見せず「姉ちゃん、何泣きよんの~?」と無邪気にからかった。
2日後、叔父は小さな箱になって帰ってきた。
仏壇に置かれたその箱を怖がる妹に、無性に腹が立った。
あんなに可愛がってくれたのに!そう思ってまた泣いた。
あれから22年。いつの間にか叔父よりちょっとだけ年上になってしまった。
そして私もまた故郷を離れ、広島で一人暮らしをしている。
時に笑い、傷つき、悩み、日々生きている。多分、叔父と同じように。
何故叔父が九州の片田舎から名古屋へ出て行ったのか、どんな仕事をしていたのか、何度か一緒に帰ってきた彼女はどうしたのか、9歳の私は驚くほど叔父について何も知らなかった。
大人にしか分かりえない複雑な事情があったのかも知れない。今ならそれも分かる。
叔父が経験できなかった30代。
大事に生きていかなきゃと思う。
32歳 女性
昼休みに運動場で走り回っていた私を担任が呼びに来た。
「叔父さんが亡くなったと連絡があったから、すぐに帰りなさい」
何が何だか分からないまま慌てて帰宅した。
家には母親と、町内に住む親戚が集まっていた。
父親と祖母は既に名古屋に向かったと言う。
そう、亡くなったのは名古屋に住む叔父だった。
10歳も歳が離れていたので、父はもちろん母も実の弟のように可愛がっていた。
私達姉妹にとっても叔父というよりむしろお兄さんのような存在。
盆と暮れしか会えなかったが、面倒くさがらずによく遊んでくれたし、子どもにとっては未踏の地(笑)喫茶店に連れて行ってくれたりもした。
お風呂上がりに裸を見られ、恥ずかしくて泣いたこともあった。
今思えば笑えるが、異性として意識してしていたのだろう。
もちろん、同級生に好きな男の子はいたけれど、
それとは別の、自分の知らない世界を見せてくれる「憧れの人」だったのだ。
その叔父が亡くなった。
茶の間のザワザワした光景をなす術もなく眺めていた。
その後、自分がどうしたのか記憶が定かではない。
どれだけ時間が経ったのか覚えていないが、気付けば私は両親の部屋の隅で膝を抱えて号泣していた。
「死」とはどういうものなのか、初めて身をもって理解した時だった。
その証拠に、2歳下の妹は悲しい素振りも見せず「姉ちゃん、何泣きよんの~?」と無邪気にからかった。
2日後、叔父は小さな箱になって帰ってきた。
仏壇に置かれたその箱を怖がる妹に、無性に腹が立った。
あんなに可愛がってくれたのに!そう思ってまた泣いた。
あれから22年。いつの間にか叔父よりちょっとだけ年上になってしまった。
そして私もまた故郷を離れ、広島で一人暮らしをしている。
時に笑い、傷つき、悩み、日々生きている。多分、叔父と同じように。
何故叔父が九州の片田舎から名古屋へ出て行ったのか、どんな仕事をしていたのか、何度か一緒に帰ってきた彼女はどうしたのか、9歳の私は驚くほど叔父について何も知らなかった。
大人にしか分かりえない複雑な事情があったのかも知れない。今ならそれも分かる。
叔父が経験できなかった30代。
大事に生きていかなきゃと思う。
32歳 女性
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